「ミャンマーでの活動」―若干の報告― [2020年12月01日(Tue)]
「ミャンマーでの活動」 ―若干の報告― 11月25日(水) 昨日のPCR検査証持参の上、午前11時35分、ANAで成田出発。 夕刻17時(日本との時差2時間半)、公務ご多忙中の中の丸山大使の出迎えを受け、恐縮方々監禁先?のシャングリラホテルに直行。 11月26日(木) 朝8時、例の長い綿棒を喉と両鼻に奥深く差し込まれ痛みを感じる。今回は特別の配慮により、前回の7日間の監禁?から一日に大幅短縮された。 11月27日(金) 早朝5時30分、大使公用車に同乗して首都ネピドーへ出発。4時間30分でケンピンスキーホテルに入る。我々以外の宿泊者はゼロの様子。小生別行動で午後1時30分からのミン・アウン・フラインミャンマー国軍司令官との二者会談に臨む。主題は治安上の理由で選挙が実施できなかったラカイン州9か所の選挙区の実施の可能性についてであった。 ラカイン州では、近年、急速に勢力を拡大するアラカン軍(AA)と国軍の戦いが住民を巻き込んで激化していた。幸い細い糸を頼ってAAに連絡したところ、意外にも選挙実施に協力する声明を発表。国軍も同様に即反応してくれた。 双方、選挙実施までは如何なる武力も行使せず安全確保を保証してくれた。これを受けて、日本政府選挙監視団兼ミャンマー国民和解担当日本政府代表として現地視察の協力を要請したところ、国軍司令官より快諾を得た。ラカイン州は、コロナ拡大でロックダウンされており、交通手段はないため国軍に頼る以外方法はない。国軍司令官の素早い指示で、軍用飛行機とヘリコプターの利用が可能になった。 11月28日(土) 朝7時、軍用機で一路ラカインの首都シットゥエを目指す。約1時間で、かつて日本軍の加藤隼(ハヤブサ)戦闘隊が建設した飛行場に着陸。ラカイン州軍管区司令官の出迎えを受け、小休止の上ヘリコプターに乗り込む。 何と、軍管区司令官も同乗同行するらしい。丸山大使によると異例の対応とのこと。護衛のためのアパッチヘリコプター(戦闘ヘリ)共々大空へ。上空から見るラカイン州は、長い雨期も終わり山々は緑に田畑は実りの秋なのに、人の姿は全くなく、司令官はアイパッドを見ながら時々アップ!アップ!と手を挙げる。交戦中、ヘリコプターが銃撃されたこともあり、最大限の安全確保のために山並みを超えると飛行高度が下がるのか、アップ・アップの司令官の声が飛ぶ。最初の訪問地Kyauk Taw(チャウ・タウ)は最も紛争回数の多い地域だそうだ。 車列を整え約15分で町の中心部へ。ここで小生自由行動に入り、一人で通訳の井上さんの力を借りて店主や店番の女性、若者から老人までいたるところで無差別に治安状況と選挙に期待するか否か聞いて廻った。答えは一様に同じで、AAの声明後、町は平穏でありラカイン州民の代表を選ぶための選挙を願っていた。ある商店の中年女性にAAからの金銭要求はないか小声で聞いたところ頷いてみせた。 ヘリコプターに戻り次に訪れたButhidaung(ブティ・ダング)地域は、最近まで頻繁に戦いがあった地域だそうだが、誰に聞いても同じ答えであり、戦いの治まることを願っていた。農村部に親戚のある人は家に着弾して、その家の父親と息子が死亡したと口に手を当てて話してくれた。ここではラカインのムスリムの人々が営むバザールも視察した。予想以上の大きさで、昼時のせいか客足は少ないが店は全て商品を並べ客を待っている風情であった。ただし投票には行くか?との質問には全ての人が首を横に振った。後で投票権のない人たちであることが分かった。時間と地理上の問題があり、農村地帯の視察は叶わなかった。 州都シットゥエに戻り、アラカン政党幹部との意見交換の後、記者会見には21社が集まった。視察調査の結果、9か所全域で選挙は可能であり、投票の早期実現を選挙監視委員会に要請すること、また、生活困窮者に人道支援として、日本財団は、物資輸送に関する国軍の協力を得て20万ドルの緊急支援を発表した。 記者会見はライブ中継されていたそうで、夕刻5時過ぎ首都ネピドーのホテルに戻ったところで丸山大使より「既に10数万の視聴者があり、中には「笹川さん頑張って!」「笹川さん有難う!」との反応があり、明日の各紙の一面は会長のニュースですね!と労ってくれた。確かに29日の朝刊の有力紙のトップ記事になっていた。 11月29日(日) 朝8時にはまたホテルでPCR検査であった。到着した保健省の車は、かつて日本財団が寄贈したもので少し嬉しくなったが、PCR検査員が経験不足のためか、検査はことのほか痛かった。今日もまた一日とはいえ、PCRの結果がでるまで部屋ごもりである。 |