「ハンセン病制圧活動記」その52―マハトマ・ガンジーの故郷 グジャラート州での活動― [2020年06月05日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その52 ―マハトマ・ガンジーの故郷 グジャラート州での活動― 大島青松園機関誌『青松』 2020年3・4月号 WHOハンセン病制圧特別大使 笹川陽平 2020年1月28日から2月4日までハンセン病制圧活動のためにインドを訪れた。インドでは毎年新規の患者が12万人を超え、この数は世界の約6割を占めている。2005年にWHOが定める制圧目標(人口1万人に1人未満になること)を達成した後でも政府は積極的に患者を発見し、早期治療を推進する取り組みを行っている。一方で、未だにハンセン病患者と回復者に対する差別的な法律や慣習が残っており、ハンセン病コロニーに住む人々は厳しい社会・経済状況に置かれ、差別や貧困に苦しんでいる。 インド訪問は今回で60回目となり、最初の訪問先はデリーで、日本財団の姉妹財団である笹川インドハンセン病財団が主催するふたつのハンセン病啓発イベントに出席した。ひとつはインドハンセン病の日に合わせて企画されたイベント「Anti-Leprosy Day 2020」で、もうひとつは私の著書『残心』の英訳本『No Matter Where the Journey Takes Me』の出版記念イベントである。 ハンセン病の日のイベントではインド工業連盟が笹川インドハンセン病財団と協力して、ハンセン病回復者や家族の雇用促進についてインド全国の加盟企業に働きかけることが発表された。これは2019年に国際商業会議所と共にデリーでハンセン病患者や回復者に対する差別撤廃を訴える「グローバル・アピール」の式典を開催した際にインド工業連盟が提案した取り組みであり、1年かけて具体的な前進を遂げたことに大きな喜びを感じた。また英訳本の出版記念イベントにはジャイシャンカー外務大臣が出席してくださり、インド政府としてハンセン病とその差別がない社会の実現に向けて真剣に取り組むことを約束していただいた。 デリー滞在中にはハーシュバダン保健・家族福祉大臣やゲーロット社会正義・エンパワメント大臣に面談し、インド政府の一層の努力をお願いするとともに、病気の問題だけではなく差別やスティグマをなくし、回復者が尊厳を持って生活を営むことが叶うよう省庁を超えた調整委員会の設置を依頼した。強いリーダーシップでインドの発展を牽引しているモディ首相は2030年までにハンセン病とその差別がないインド社会を実現すると誓っている。そのためインドでは関係省庁がこの問題に積極的に取り組む姿勢を持っていることは非常にありがたい。 デリーから飛行機で約2時間、インド西部のアラビア海に面したグジャラート州最大の都市アーメダバードに移動した。インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーやモディ首相の出身地であるこの州は著名な政治家や実業家を多数輩出している。インド国内の工業生産の約4割をこの州が占めているとのことで、他の地方都市に比べてインフラが格段に整っていると感じた。 グジャラート州では、2019年4月から12月までの登録患者数は3,410人。2004年に州として制圧を達成した時に12地区が蔓延地として残ったが、患者発見活動、啓発活動、遠隔地での特別活動、治療薬のリファンプシン単回投与など複数の活動を組み合わせたプログラムを実施した結果、これまで8地区で制圧が達成された。2022年までにすべての地区での制圧を目指している。 グジャラート州には14のハンセン病コロニーがあり、日本財団が10年以上支援を続けているインド・ハンセン病回復者協会(APAL)の働きかけにより、1年前から連携して生活向上のための啓発活動を行うようになったという。なおこの州では障害を持つ回復者に対する特別支援金がなく、高齢の回復者の中には物乞い以外に生きていく術がないという厳しい状況を強いられている。 アーメダバード市内から車で約1時間、少し郊外にある診療所を訪問した。そこではフィールドで活躍するASHAと交流した。ASHAとは、蔓延地域の世帯を一軒一軒回り、皮膚などに症状が出ていないかを確認してハンセン病の患者を発見する女性の保健ワーカーのことである。我々の訪問に合わせて集まってくれた彼女たちに対して「ハンセン病は症状が分かりにくく、また患者も隠したがる病気であるため、皆さんが積極的に発見してくだることは大変ありがたい。健康は家族の幸せにつながる。誇りをもって取り組んで欲しい」と感謝と激励の言葉を述べた。オレンジ色の美しいサリーに身を包み、柔和な顔の奥に地域の人々を助けたいという強い意志を感じさせるASHAたちであった。 翌日はアーメダバード市内にあるガンジー・ハンセン病コロニーを訪問。1960年代に他の地域から移住した回復者が形成したコロニーで、現在65人の回復者とその家族が暮らしている。工業地域に隣接しているため、外に働きにでる若者も多いそうだ。毎週日曜日は若者が情報交換や勉強会を行っているそうで、自分たちが住む環境を少しでも良くしたいという意気込みを感じることができた。その日は周辺のコロニーからも多くの人が私に会いに来てくださり、300人以上の回復者やその家族で集会所が一杯になった。 まず、子どもたちが長旅の疲れを一気に吹き飛ばしてくれるような歓迎の美しい踊りを披露してくれた。会場は大盛り上がりで、特に踊る子どもたちの親御さんたちの嬉しそうな表情が印象的だった。踊りが終わって、挨拶の機会をいただき私は「1本の糸は弱いが、10本、100本になれば強くなる。皆さんはAPALと協力しあって、共に政府に働きかけましょう。インド国民として尊厳をもって平等に生活する権利を勝ち取ることができるかもしれません」とエールを送った。 最終日は州社会正義省のナインヴェイル障害者委員会副委員長、ラヴィ州保健省次官、ムキム官房長官など州のハンセン病対策にとって重要な役割を果たす政府高官たちと相次いで面談した。私からは「コロニーから乞食をゼロにすることを目標にさまざまな支援を行っているが、民間組織の努力では限界があるので、ぜひ政府の力を貸して欲しい」と切り出し、その後でAPALのベヌゴパール副会長や州回復者代表のカウクントラさんから陳述するよう促した。階級意識が強いインドでは回復者が政府高官に直接話ができる機会は限られているため、彼らは特別支援金や土地所有など喫緊の課題を緊張した面持ちで訴えた。それに対して、政府高官たちからは積極的に検討したいとの返答をもらうことができた。 2018年に私はインド政府から「ガンジー平和賞」を頂戴した。これまでの私のハンセン病制圧活動を高く評価していただいた結果と聞いている。「ハンセン病とその差別のないインド」はガンジーの夢であり、残念ながら生きている間に実現することはなかった。今回、ガンジーの故郷を訪問し、私がこの夢を引き継ぎ実現しなければならないという想いはますます強くなった。それまでは何度でもこの国を訪れ、回復者たちと共に闘いたい。 |