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「私の生き方?」―インドで出版記念会― [2020年03月02日(Mon)]

「私の生き方?」
―インドで出版記念会―

2020年1月30日
於:Pravasi Bhartiya Kendra

驚きました。このように著名な方々に集まっていただきお祝いいただけるとは思っていませんでした。ジャイシャンカール外務大臣を初め、インド政財界の要路の方々にお越しいただいたことに、改めて感謝申し上げます。

ハンセン病は世界的な問題であることから、私の同僚である田南顧問からの強い推薦と努力で、英国のハースト社から『No Matter Where the Journey Takes Me』の出版の要請がありました。大変光栄なことに、世界的に有名な「Nature」という科学雑誌にたまたま私の本の書評が取り上げられるという幸運に恵まれ評価を受けるようになったということは、望外のことでした。

私は日本で10冊以上刊行していますが、一度も出版記念会を行ったことはありません。しかし今回は、ササカワ・インド・ハンセン病財団・タルン・ダース会長のご努力でこのような会となりました。

8出版記念式典.JPG


私は若い時から、自分の人生をどのように生きるべきかを悩み、苦しみもだえてきました。しかし多少商売感覚があり、今でいうIT産業のはしりのような仕事を32歳のときに始めたことで、40歳の時には若干の財産を形成するに至ったわけです。

私の父は人道活動をずっとやってきており、特にハンセン病や弱者に対する思いは強く、正義感の強い人でした。時間のある限り父に同行して海外に行ったわけですが、韓国でハンセン病の病院がなく困っているという話を聞きつけ、病院を建設し、その開所式に同行したときの事です。

私はそれまで、ハンセン病患者の病室に入ったことがありませんでした。ハンセン病特有の臭いや体の変形した重症な人が収容されている病室で、父はごく自然に彼らの手を握り、ハグをして涙を流すという場面を目にしました。そこにいた方々は、韓国内の厳しい偏見や差別から家族からも捨てられ、ようやく病院にたどり着いた人ばかりでした。ベッドの上に座わり、ほとんど表情のない絶望感にとらわれた人達を見て、私は自分の生きている社会の中にこういう環境の人がいるのだと、その時初めて知りました。

父は、辛い、困った、疲れた、どうしようといった類の弱音を口にしたことは一度もありません。自身の両親がなくなった時でも涙すら流さなかった心の強い人でしたが、ハンセン病患者を抱きしめながら涙を流す父の姿を初めて目にしました。

私は先ほど申し上げたとおり、人生如何に生きるべきかと悩み苦しみ、事業で成功はしておりましたが、父の涙を見たときに、私の人生はこの仕事だと気がついたのです。

私は40歳で全てのビジネスをやめ、父の人道活動の世界に入りました。この地球上にたった1回の生きる機会を得て生まれてきた私が、どのような人生を過ごすかということは、私にとって大問題でした。その時から、私は死を意識しながら人生を歩むようになりました。人生の最後をどのように心豊かに死ねるか、死にたい。もっとこうやっておけばよかったとう悔いの残らない人生を歩みたいと覚悟したわけです。

シェイクスピアの戯曲に「終わりよければ全てよし」という言葉がありますが、時の権力者、大金持ち、あらゆる人間にとって死は絶対的な平等であり、当然のことながら、全ての人は最後は死ぬのです。どんな権力者であっても死ぬ間際が不幸だったら、その人の人生はその人にとって幸せだったのでしょうか。大成功して大金持ちになったとしても、死ぬ間際に家族といさかいが起きたり、もう少し社会のために尽くせばよかったといった反省があったのなら、その人の人生は幸せだったといえるでしょうか。

従いまして、私は死ぬために、死ぬ準備のために毎日働かせてもらっています。シェイクスピアの「終わりよければ全てよし」ではありませんが、よく頑張った、幸せな人生であったと、終末には思いながら臨終を迎えたいのです。どんな苦難があろうとも、私の人生は幸せだったと自身が納得できる死に方をしたいと考えています。

日本では「知識を持った人は行動をすべき」「行動するためには知識は必要だ」、行動と知識が一致する「知行合一」の人生こそ重要だという考え方が存在してきました。ともすれば、民主主義の時代、悪い言葉では口舌の徒という、口と舌だけで生きる人が多くいます。知識を持ったら行動を起こす、行動と知識を一致させる「知行合一」が私の人生の基本的な考えです。

そのためには、現場には問題点と答えがある。冷暖房の効いた快適な事務所で、部下から上がってくる報告だけを見て問題が解決出来るとは思えません。私自身の目で最前線の現場をみることで問題点が明らかにされ、解決策が出てくると考えるのが、私の生き方です。

その一部がこの本の中に書かれておりますので、もしお読みいただければ大変有難いことですが、何よりもハンセン病患者、回復者の皆さんと会うことによって、私の人生が心豊かなものになり、充実した人生を今、歩ませて頂いております。まだ81歳の青年ですから、これからも世界中を飛びまわり、ハンセン病の患者・回復者と共に歩むことができるということが、私にとって素晴らしい人生になりつつあります。改めてハンセン病患者との出会いに感謝申し上げたいと思います。

ありがとう。



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コメント
フランス革命以来、「自由」、「平等」、「友愛」、「理性」、この価値のカルテ、この四対が近代の理想として掲げられた。
この「理想」が「主義」となって、自由は必ずアナーキーというか、カオス・放埓というか無秩序をもたらす。
平等も同じで画一主義に凝り固まるし、友愛・博愛こればかり言っていると日本には沢山いますが、必ず偽善者になってゆく。
理性、理性というが理性は前提から始まる、昔からヨーロッパ人は気付いたことで、人間は合理的足らざろう得ないが、合理の大前提は合理からはやって来ないで感情からやってくる。でもどんな感情でも良いという訳では無く、真面な感情を前提としなければいけない。
理性が主義となると必ず屁理屈に凝り固まる、大凡朝日・毎日新聞でも東大・京都でもよいけれども、学者なんていうシロモノはこんな連中ばかりである。

 そうすると誰だって、リアリティ・現実主義、自由の反対は秩序、平等の反対は格差、友愛の反対は競合、理性の反対は感情である。
ところがこの現実だって「イズム」となると、秩序は必ず抑圧的な物になってくる。
格差だって放って置くと必ず差別に陥ってゆく、競合だって優勝劣敗その他の残酷へと、感情だって非常に大事な合理の前提となるもので、感情を野放しにしてしまったら、誰だって「理想」と「現実」の間のバランス・平衡という物を考える筈だ。
ところが問題は自由と秩序の平衡、人間は自由秩序の下での自由、自由のための秩序、これを確りと保持できる状態が、人間の本当の活き活きとした活力・バイタリティという物である。
 平等も求めるが格差も認める、これを普通にフェアー・公正と呼び、人間関係は常に公正でなければいけない。
友愛フラタニティとイミレーション、モッドレート、節度のある生き方というのは、一定の友愛を示しつつも、しかしながらその間に競い合い、真っ当な感情に基づいて、尚且つ合理的であるというのを良識ある状態という。
 ところが、「活力」と「公正」と「節度」と「良識」、これこそが人間及び社会のクライテリオン基準となるべきだと、明治この方これを言った人が居るとしたら辛うじて、福沢諭吉が違った文脈で少々云っている。

 この事は正面に据えられた事は無いのです。
フランス人はかつて実存主義でステアションと言っていましたが、この状況の中でしかこの平衡という物は具体的に述べられないのです。
人間は生きている訳ですから、状況の中でのクラグマというのは実践であり活動(アクション)と言ってもよいのです。
こういう中で始めて我々の守るべき基準が具体化されて、「彼奴は余りにも可愛そうだぜと、百万円位やろじゃないか」とか、百万が良いか二百万が良いかという言葉は状況によるのです。
 そうすると人間は一様認識から始まるのだけれども、最終的には認識の間に、この場合でいえば理想と現実の矛盾という物が、何時も伴ってこの基準を何とか解かるのだけど、それを具体化しようとした途端に、既に認識を超えて状況の中での決断としてしか遂行できないという感じなのです。

 福沢諭吉は『文明論の概約』の中で面白いことを言っている。
私徳とは何か?
次の四つだと、「潔白」、「貞実」、「謙遜」、「律義」であることだと、ところが彼はこう言うのです。
儒教の間違っているのは、人間の個人の内面のプライベイト・バーチューだけにこだわって、それで子供達に「ああいけよ、こういけよ」と、或は男が女に貞操を守れとか何とかかんとか言っているがとんでもないと。
 それで彼はヨーロッパに学んで開かれた世界を造るべくして、「公徳」という物を少なくとも江戸期の儒教は無視していたことに反旗を翻して、恥を知ること、人間関係の中で要するに恥知らずな事はするなと、人前で恥をさらすことは厳に慎めと。
次は公正で、人間関係は常に公正でなければならないと考えるべきだと。
それから三番目は正中で、まあまあ正しい的を得ている。
最後に勇気で、封建日本が駄目だったのは、「恥」、「公正」、「正中」、「勇気」という公徳心が無かったからだと、開かれた社会の人間関係についてのクライテリオンたる「公徳」に於いて実に弱弱しいのだ。
だから要するにこれから欧米にやられるのだと。

 何が言いたいかというと、ギリシャの四徳である、「正義」、「思慮」、「勇気」、「節制」は、実は日本人にも分る事で、日本人の特殊性をあまり言ってもらいたくない。
「正義」というのは「思慮」によって制限づけられなければいけない。何故ならば正義が行き過ぎると極めて横暴になる訳です。
でも思慮もこれが行き過ぎると臆病になる。勇気も大切ですが、これが行き過ぎると蛮勇、野蛮になる訳です。
自から節制しなきゃいけない、ところが節制も行き過ぎると今度は臆病者になる訳です。
 そしてギリシャではこう言われていた、単独の徳の過剰は不徳に転じると、あい矛盾する徳の間のバランスを保つという事が人間及び社会の仕事なのだと。その点から言うと、あまり日本人と違わない。
日本文化の特殊性、特殊性と言うと必ず誤謬の道に入るのです。

 西欧社会でもモラル、モラルと言うが、我々は勝手に何がキリスト教的に理解しすぎて、ラテン語で言えばモーレスで、モーレスとは「集団の安定した感情」、モーラルという物は集団の習慣的な安定した感情に根ざすのだ、という事はもう西洋の言葉の中に表れている。
そういうことをキチンとさせないまま、所謂日本特殊性論というのは時折息を吹き返すというか、振り撒いて日本はこういう特殊性のお蔭で高度成長に失敗したとか、世界の経済大国に成ったとか、世界で一番落ち着いて豊かさを享受しているのは日本であるとか、これはもう滅びている癖して呆れるところである。
Posted by: 高橋秀夫  at 2020年03月02日(Mon) 10:06

是非アトピー者も救ってあげてください。
日本国内にも目を向けてください。
自治体レベルで井戸を掘らせてください。

道名 真乾 より
Posted by: 坂口義典  at 2020年03月02日(Mon) 09:07

いつもメールマガジン拝読しております。
今回は、笹川先生の生き方、考え方への想いを配信してくださり大変に感銘を受けました。

私は30代ですが、「どう生きるべきか、何をライフワークとすべきか」、考え迷う事が多いです。先生の様に思うことがあっても現場に甘んじ、行動に移す事はなかなか出来ませんが。

ご出版の本は英語版ということですので、手に入りましたらば、英語の勉強のためにも、自己啓発のためにも是非読ませて頂きたいと思います。

国際的にも、何かと健康被害の話題の多い昨今ですがお身体を大切に、今後も80代の青年として元気なご活躍を期待しております。
Posted by: 三木  at 2020年03月02日(Mon) 08:28