週刊新潮「皇后陛下のお導きで」 [2019年05月24日(Fri)]
「皇后陛下のお導きで」 週刊新潮 5月2・9日ゴールデンウイーク特大号 笹川 陽平 平成27年1月、ハンセン病の差別撤廃を世界に訴える第10回目の「グローバル・アピール」が東京で開催され、その直前、この病気の現状について両陛下にご進講申し上げました。 吹上御所の小さなお部屋でした。当初15分の予定が、話が弾んで70分にもなりました。それも私が一方的にお話するのではなく、両陛下から専門的な御下問もあり、ご見識に驚きました。 その一つに、天皇陛下から「プロミンというのはいい薬だそうですね」とのお言葉がありました。ハンセン病の特効薬のことです。また皇后陛下からは「なぜブラジルではハンセン病が制圧できないのでしょうか」というご下問もありました。両陛下とも専門的な事柄までほんとうによくご存知でした。 考えてみれば、両陛下は国立、私立を合わせ日本に14あるハンセン病療養所をすべてお訪ねになり、回復者を励まされました。皇室とハンセン病の関わりは、奈良時代の光明皇后が作られた悲田院、施薬院に遡ります。こうした伝統を引き継いでいらっしゃるのです。 そしてこの時、私を深く感動させたのは、皇后陛下のある一言でした。皇后陛下は「韓国の状況はどうでしょうか」とお尋ねになりました。私が韓国の患者はゼロとなり、移民や外国労働者の発症が数例あるだけです、と申しあげますと、皇后殿下は「それはよかったわ」と安堵され、さらに思わぬお話をなさったのです。 皇太子妃時代に、韓国のシスターからハンセン病の深刻な状況を訴えるお手紙が届いたそうです。その内容に心を痛められた皇后陛下は、高松宮殿下と当時、駐韓国大使だった金山政英氏にご相談されたとお話されたのです。 突然、金山大使の名前が出てきましたので、私はたいへん驚きました。実は昭和45年に金山大使が私の父、笹川良一のところにお見えになって韓国でのハンセン病患者の窮状を訴えられ、そこに私も同席していたのでした。それがきっかけで父は韓国に病院を作り、私も現地に同行しました。そこで父が血の気を失った無表情な患者たちを抱擁している姿を見て、ハンセン病対策を一生の仕事とする決心をしました。つまり、私は皇后陛下のお導きでハンセン病に関わることになったのです。 ご進講の際、私はグローバルアピールで来日したハンセン病回復者たちに励ましの言葉をお願いしたい旨、申し上げました。そして2週間後、8人の回復者とともに再び吹上御所にうかがいました。ここで両陛下は、お言葉を述べられた後、さっと8人に近寄られ、一人一人手を握ってお話をされました。人間扱いされてこなかった彼らに、同等の人間として親しく接せられたのです。 両陛下は「人間愛」のお方です。恵まれない人、病気で苦労している人、被災された人など、苦境にある人たちを励ますことを自らの責務として、お務めをされてきたのではないかと拝察します。 被災地訪問が度々報じられますが、両陛下はその間にも四十数回も関係者を御所にお呼びになって現地の状況を尋ねておられます。被災地で跪かれるのは、形の問題ではありません。自然なお気持ちの発露として、そうなさっておられるのだと思っています。 |