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「ハンセン病制圧活動記」その48―モザンビークのおけるハンセン病制圧活動 [2019年01月25日(Fri)]

「ハンセン病制圧活動記」その48
―モザンビークのおけるハンセン病制圧活動
経済発展に取り残されたハンセン病―

菊池恵楓園機関誌『菊池野』
2019年1月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平

2018年7月25日から29日の5日間、アフリカ大陸の南東部に位置するモザンビーク共和国を訪問した。同国は2007年に世界保健機関(WHO)の定めたハンセン病の制圧基準(人口10,000人あたり1人未満)を達成したものの、再び患者が増えている。今回は、制圧後に患者が増えている地域を訪問することで現状を把握し、マラリアや結核などと比べると優先順位が下がりがちなハンセン病の対策を強化してもらうことが主な目的である。

写真1マプト市内。遠くにユニークな形の山々が見える.JPG
マプト市内
遠くにユニークな形の山々が見える


直前までハンセン病制圧活動で訪問していたコモロ連合を出発し、マダガスカル、ケニア、南アフリカ経由で22時間、モザンビークの首都マプトに到着した。南半球にあるマプトは季節が日本と間逆で7月は一年の中でも寒い時期で、夜は毛布が必要なほどであった。同国は17世紀から1975年までポルトガルの植民地であったことから、ラジオから流れる音楽も建物の壁の色も、どことなくポルトガルの影響が感じられる。

翌日活動を開始した。まずアブドラ保健大臣と面談。大臣は、「制圧は2007年に達成したが、現在は患者が増えてきている」と述べたのに対して、私は「いま患者が増えてきているのは恥ずべきことではなく一時的な現象だと考えている。これは患者発見活動が活発になっていることの表れ。早期に発見することで障害がなく治すことができ結果的に患者を減らすことに繋がる」と激励した。

写真2アブドラ保健大臣と.JPG
アブドラ保健大臣と


翌日、東北部のナンプーラ州へと向かった。首都マプトから飛行機で2時間半ほどの距離にある。南半球は北部の方が赤道に近くなるので暑くなる。朝は涼しいが昼間は30度を超える気候だ。まずナンプーラ州知事庁舎を訪問した。私はボルジェス州知事に対して「ハンセン病が治る病気で、早期発見・治療で障害は残らないということを、学校の先生などにも伝えて欲しい」とお願いしたところ、知事は「医療面、社会面、コミュニティー面など、多角的な視点からハンセン病と闘っていきたい」と述べた。

州知事庁舎を後にし、生活雑貨や中古のタイヤなどが並ぶ市場を通り抜け、真っ直ぐに続く道路を田舎に向かってひた走る。道路は綺麗に舗装されているが、道路脇には乾いた赤土に木々が生い茂り、藁のような自然の材料で作られた家々が見える。1時間ほど経つとナマイータ村が見えてきた。村の入り口には色鮮やかな民族衣装をまとった村人200人ほどが集まり、太鼓を鳴らし歌とダンスで出迎えてくれた。

写真3大勢の村人に出迎えられる.JPG
大勢の村人に出迎えられる


人だかりが出来ている広場の中央にステージがあり、コンサート会場のような雰囲気になっていた。ナマイータ村のハンセン病回復者代表から私の紹介があり、1人のハンセン病治療中の患者の女性と共にステージに上がった。私の言葉よりも、ハンセン病を経験した当事者である彼女が人の前に出ることは、村人が病気を正しく理解するために最も効果的だと思ったからだ。「日本という遠い国から来た。なぜそんな遠い国から来たかと言うと、皆さんの村にあるハンセン病を無くすためだ。ハンセン病は神様の罰、呪い、子供にうつるなど思っている人もいるかもしれないが、それは間違いだ。薬を飲めば治る」と挨拶すると、お祭り気分で盛り上がっていた村人が少し真剣な表情になった。私は自分の服を脱ぎ、裸の上半身を指差しながら、「帰って家族に体を見てもらって欲しい。白い斑紋があったらハンセン病の可能性がある。しっかり調べてくれると約束して欲しい」と言うと大きな拍手が起きた。村人がハンセン病に対して正しい知識を持ち、一刻でも早くハンセン病がなくなることを願うばかりである。

写真4治療中である女性と一緒にステージに上がる.JPG
治療中である女性と一緒にステージに上がる


ナンプーラ市内に戻りラジオ番組に出演した。イスラム教徒向けのラジオ局で、ここでもハンセン病は治るので恐れる必要はなく家族で肌を調べ斑紋があったら病院に行くことを強調した。多くの人が聞いているラジオでリスナーの率直な疑問に答えることは、病気の理解に繋がると信じている。
翌日、首都のマプトに戻って政府や国民全体に対してハンセン病の正しい知識を普及するためモザンビークテレビという全国放送に出演した。インタビュアーからの「今回の訪問はどうだったか」という問いに対し、「テレビを視聴している皆さんに知っていただきたいのは、治る病気で薬は無料であり、体の皮膚に白い斑紋が出ることが兆候である。各家庭で皮膚をチェックして欲しい」と答えた。

写真5ハンセン病についての正確な情報をテレビを通じて拡散.JPG
ハンセン病についての正確な情報をテレビを通じて拡散


久しぶりに訪問したモザンビークは経済発展が進み高層ビルが立ち並ぶ国に変貌していた。しかし制圧して以来、ハンセン病対策は進展がなくナンプーラ市でのプログラムもさほど変わっていなかった。私の訪問によって政府、現場の保健従事者、住民がハンセン病に対して考え、やる気を出すきっかけとして欲しいと願っていたが、今回はその確証は得ることはできなかった。モザンビークの保健省、WHO、関係者たちが一層ハンセン病に対して力を入れ、一人でも多くの人に正しい知識を伝えて欲しいと願う。もし私が来ることで少しでも前進するのであれば、何度でもこの国を訪れる覚悟である。



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