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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「ちょっといい話」その99―両陛下のハンセン病療養所訪問― [2018年07月11日(Wed)]

「ちょっといい話」その99
―両陛下のハンセン病療養所訪問―


2018年6月22日付毎日新聞に、以下のような記事が掲載された。

「一つ、心残りです」。天皇陛下は日本財団会長、笹川陽平さん(79)にそう語られた。2015年1月13日、皇居・御所の一室でのこと。笹川さんが、ハンセン病への差別撤廃を訴える「グローバル・アピール」の東京開催を前に、ハンセン病を巡る各国の事情を説明していた時だった。「一つ」とは、国内に14ある国立と私立のハンセン病療養所のうち、唯一、大島青松園(高松市)への訪問が実現していないことを指す。
 陛下は皇太子時代の1968年4月、鹿児島県の奄美大島にある療養所「奄美和光園」を訪ねた。以降、地方の行事出席の機会を利用するなどして13カ所の療養所に出向いた。療養所ではいつも患者たちの手を取り、語りかけた。皇后さまも常に一緒だった。
 社会の強い差別意識を背景に、療養所の多くは集落を離れた場所に建てられた。大島青松園は瀬戸内海の大島にある。04年、全国豊かな海づくり大会が香川県で開かれた機会に、陛下は同園の訪問を望んだという。だが移動に使われた大型船は小さな島の港に入港できないなどの事情があり、かなわなかった。入所者たちが島から高松市街に出向き、陛下と面会した。
 全ての療養所の入所者との面会は実現した。しかし訪問していない施設がある。それを「心残り」と話した陛下は、笹川さんとの面会の中で治療薬や療養所の現状も話題にした。笹川さんは理解と関心の深さに驚いたという。「グローバル・アピールに参加した各国の元患者たちに面会していただけませんか」。笹川さんの願い出にも陛下は応じた。
 2週間後の1月28日、元患者たちが御所に招かれた。その中に、04年に高松市街で陛下と面会した大島青松園の入所者、森和男さん(78)がいた。陛下と思い出を語り合ったという森さんは「家族や社会から追いやられた入所者を気に掛け、会いたいと思ってくださることがうれしかった」と振り返る。

※正しくは、両陛下に世界のハンセン病の情況説明をさせていただいた中で、両陛下は「香川県の大島青松園を訪問の折は海が荒れて着岸できず、船から出迎えの皆さんに手を振って挨拶しました」とのご発言でした。

両陛下.png

◇ハンセン病
 らい菌による感染症。国の隔離政策が1907(明治40)年に始まった。戦後は完治する病気になったが、96年のらい予防法廃止まで強制隔離は続き、患者への偏見や差別を助長した。日本財団は2006年から毎年、差別撤廃を訴える声明「グローバル・アピール」を発表。関連行事を開いている。

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コメント
「心残り」という短い言葉が、こんなにも重く響くとは思いませんでした。普通の人にとって「心残り」とは、自分が楽しむ権利がまだ行使されていないことを指すでしょう。陛下にとっての「心残り」とは、光を当てられるべきなのに不遇のままでいる人にまごころを注ぐという、ご自身に課された未執行の義務のことなのだと感じ、深く頭を垂れました。
Posted by: 久米信行  at 2018年07月11日(Wed) 15:11