「皇室とハンセン病」―両陛下が各国のハンセン病回復者の手を取られた日― [2015年11月09日(Mon)]
「皇室とハンセン病」 ―両陛下が各国のハンセン病回復者の手を取られた日― 畏れ多いことではありますが、これは季刊誌「皇室」2015年10月号に掲載された私へのインタビュー記事です。 ご一読賜れば幸甚です。 *************** 40年間以上にわたってハンセン病制圧と差別撤廃のために国内外で尽力し、この1月に各国からの回復者(元患者)たちと一緒に両陛下にお会いした日本財団会長・笹川陽平氏に話をうかがった。 ハンセン病と日本財団 私が会長を務めている日本財団では社会福祉、教育、文化などの分野で事業を展開しています。とくにハンセン病については昭和30年代半ばより、ハンセン病支援を実施する財団法人藤楓協会を通じて国内のハンセン病療養所の図書館や集会所の建設、車両の購入資金などに協力してきました。また海外においては、私の父である笹川良一(日本財団の前身である「日本船舶振興会」会長)が私財によりインド、フィリピン、台湾、韓国などにおいてハンセン病施設の建設などの支援を実施していました。 昭和49年には海外のハンセン病対策事業の専門機関として笹川記念保健協力財団を設立。以来、笹川記念保健協力財団と連携し、世界保健機関(WHO)を主要パートナーとすると同時にさまざまな非政府組織(NGO)とも協力し、国際会議の開催、ハンセン病対策従事者の育成、現地技術協力、ハンセン病の研究、教材の開発・供与、広報啓蒙活動、薬品・機材援助等を中心に取り組みを拡大してきました。 平成7年から11年の5年間はハンセン病の制圧を推し進めるため、有効な治療法として認められた経口薬、MDTをWHOを通して世界中に無料で供給しました。平成12年以降は、日本財団の意志を引き継いだ製薬会社のノバルティス社が無償配布していますが、MDTの無償配布によりハンセン病患者の数は激減しました。WHOは「ハンセン病の罹患率が人口1万人あたり1人未満となれば、公衆衛生上の問題としては制圧されたと見なす」と定義していますが、現在、ハンセン病が制圧されていない国はブラジルのみとなっています。 御所でのご説明とご懇談 毎年、日本財団では「世界ハンセン病の日」(1月の最終日曜日)に合わせ、ハンセン病と差別の問題について世界に訴える「グローバル・アピール」を発表しています。第1回は平成18年にインドのデリーで行われました。第10回となる本年は1月27日に初めて日本で行われることになったことから、同月13日、世界のハンセン病の現状とグローバル・アピールの意義について両陛下に御所でのご説明の機会に恵まれました。 両陛下は世界のハンセン病の現状について深いご関心をお持ちで、ハンセン病の薬のことや、ブラジルが今なお制圧に成功しない理由についてなど、専門的かつ多岐にわたるご質問がありました。その結果、当初15分間のところを70分間にわたってお話しさせていただくことになりました。 そして「グローバル・アピール」翌日の28日には日本、インド、アメリカなど各国の回復者の代表8人に御所でご引見くださいました。 両陛下は二手に分かれて4人ずつにお会いになり、次に場所を交代されて回復者全員にお声をかけてくださいました。しかも驚いたことに、緊張した面持ちの回復者一人ひとりに対して、本当に肩を寄せ合うようにして両手で回復者の手を取って話されました。両陛下は国内の療養所でも椅子に座った回復者の傍で跪き、手を取り合ってお話しされますが、各国からの回復者にも分け隔てなく、同じように接してくださったのです。私は彼らの故国での辛い立場を思うと同時に、両陛下の尊いお姿に感動して涙を禁じ得ませんでした。というのも彼らは親や家族からも見捨てられ、手を握られたことがないのです。 御所でのご懇談は予定の15分を大幅に超えて40分間におよび、最後に陛下から「今なお病気はもちろんのこと、差別に苦しんでおられる方々の指導者として活躍していただき、みなさんの生活がよりよくなることを願っています」とのお言葉をいただきました。 その後の記者会見で回復者は「親や家族からも手を握ってもらったことがないのに、両陛下というやんごとなき方に手を握り締めていただいた。その瞬間に苦しみがすっと消えた」「夢を見ているようだ」「心から話を聞いてくださった」などと涙を流しながら御所での経験を振り返っていました。私はハンセン病関連の活動などでこれまでに125か国にのべ460回も行きましたが、過酷な日々を送ってきた人たちに対し、他の国で高貴な方が両陛下のように心からの愛を示されるのを見たことがありません。ところが両陛下はお住まいの御所に回復者を招いてくださったのです。親しくお話しされている両陛下からはまことの優しさが伝わってきて、常に世界の人々の安寧を祈られている無私そのもののお姿だと思いました。 皇后陛下に導かれて 実は私とハンセン病の出会いは皇后陛下のお導きによるものです。昭和40年、当時、韓国大使を務めていた金山政英氏が父を訪ねてきて、韓国のハンセン病の病院建設に協力をお願いできないかと話されました。 父は即座にお申し出を受け入れ、私はその病院の完成式典に父とともに出席しました。父は絶望した表情の患者の肩を抱き、膿の出ている足をさすりながら、一人ひとりを励ましておりました。そんな父の姿に感動したのが、今に至る私のハンセン病との闘いの第一歩なのですが、この金山大使との出会いをご説明時に申し上げると、皇后陛下は「それはよかったわ」とおっしゃいました。 どういうことかと言えば、当時、皇太子妃殿下であった皇后陛下に韓国で活動するシスターから、韓国のハンセン病患者の置かれた痛ましい現状についてお手紙が届いたそうです。皇后陛下はそれを金山大使にご相談され、皇后陛下の意を汲んだ金山大使が父を訪ねてこられた、ということなのです。 実は金山大使が父を訪ねてきた時は私も同席しており、大使が「(韓国の現状について)妃殿下も心配されておりますので」と付言されたことをはっきり記憶しておりましたが、ご説明時には皇后陛下のお名前はお伏せし、金山大使の名前を出すにとどめました。そうしたところ皇后陛下のほうから当時のいきさつをお話しくださったのです。私は皇后陛下のお話をお聞きするうち、自分の長いハンセン病との闘いが皇后陛下のお言葉に端を発していることに気づき、大変な感動を覚えました。 日本の皇室は光明皇后の頃よりハンセン病に心を砕いてこられました。両陛下にお目にかかり、また両陛下の回復者へのお優しいまなざしを間近に拝見し、そういう皇室を戴く日本から世界に向けて差別撤廃を訴えていくことの意義を再認識しました。と同時に、かつて患者に対して過酷な差別があったという「負の歴史」を、風化させないための活動を広めていくことの重要性を改めて強く感じております。(談) |