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「ミャンマー国軍と南機関」―ミャンマー国軍司令官来日― [2014年12月15日(Mon)]
「ミャンマー国軍と南機関」
―ミャンマー国軍司令官来日―


今年9月、ミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官が初めて来日された。その際、多忙な時間を割いて、わざわざ浜松の帝国陸軍・鈴木敬司陸軍大佐の墓参とその生家を訪れた。

その義理と人情の厚さに感動すると共に、改めてミャンマーと日本の絆の深さに思い入り、戦前の日本軍人がアジア各国の独立に果たした真摯な活動と厚い情熱に深い感動を覚えた。

インド独立のきっかけを作った藤原岩市が心血を注いだインド国軍の創設は、チャンドラ・ボースらの活躍により、インドがイギリスの植民地から解放されるきっかけになったことは以前述べた。

ビルマ(ミャンマー)がイギリスの植民地から解放されたのには、鈴木敬司陸軍大佐を中心にして結成されたビルマ独立義勇軍の誕生が大きく貢献した。今日の日本とミャンマーの友好関係の基礎を築いたのは、今回のフライン国軍総司令官の鈴木敬司陸軍大佐の墓参で理解できる。

ミャンマー国軍の源流ともいうべき『ビルマ独立義勇軍』は鈴木大佐が司令官となり、ビルマ名『ボーモージョー』大将を名乗りスタートした。高級参謀にはアウン・サン(スーチーの父)も参加していた。その経過は省略するとして、1981年のビルマ33回目の独立記念日には独立に貢献した7名の日本人に感謝を込めて『アウン・サン勲章』が授与された。その7名の中には鈴木敬司未亡人も含まれていた。

ミャンマーは長い軍政から現在、テイン・セイン大統領の元で急速に開かれた民主化への道を歩み始めている。ただ、民主化に舵を切って3年余、国軍幹部の中には、この急速な民主化を危惧するグループもいる。そこで日本財団では、ミャンマー国軍の高級幹部10名を毎年5年間にわたり日本に招聘。民主主義国家における国軍の役割はどのようにあるべきか、又、先端企業、近代的農村をはじめ、広く日本を理解していただくための事業を開始した。

9月のフライン国軍総司令官来日の折に合意に達し、今月第一陣がイェ・アウン中将を団長に来日。現在自衛隊での講義を皮切りに全国を視察しているところある。

14.12.08 ミャンマー国軍将官級訪日団.JPG
ミャンマー国軍将官級訪日団


ミャンマー国民和解日本政府代表として、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との全面停戦の実現には、ミャンマー国軍の理解なくしては不可能であり、この来日プログラムが、ミャンマー国軍幹部の民主主義国家における国軍の役割、特にシビリアンコントロールへの理解が深まる一助になればと願っている。

舞鶴基地での集合写真.JPG
浜松基地で記念撮影

基地の説明を受ける.JPG
基地の説明を受ける

操縦席を見学する訪日団長のイェ・アウン中将.JPG
操縦席を見学する訪日団団長のイェ・アウン中将

ビルマゆかりの碑に献花.JPG
ビルマゆかりの碑に献花


参考文献
泉谷 達郎「ビルマ独立秘史―その名は南機関」徳間文庫
ボ・ミンガウン「アウンサン将軍と三十人の志士― ビルマ独立義勇軍と日本」中公新書
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コメント
1972年に東パキスタン(現バングラデシュ)で国際赤十字の駐在代表をしていた時、東部のコミラで藤原岩市氏のF機関の腕章を大事に自宅に保管し、「あのとき以来の日本人だ」と温かく迎えられたことがあり、帰国後、三鷹の藤原氏宅を訪問して報告したことがあります。
戦争をいろいろな目で見なくてはいけないと、若かりし私はいい勉強をしたのを思い出しました。
Posted by: 吹浦忠正  at 2014年12月15日(Mon) 22:11

浜松市の出身者として鈴木大佐を大変誇りに思っています。
独立の志士を日本に連れてきた後で、軍は邪魔に感じて排除しようとしたそうです。海水浴場の弁天島の旅館「小松屋」の女将の義侠心で匿い続けたとのこと。一概に日本軍を褒めることもできないし、鈴木大佐を見ると捨てたものでもない、と思ったりします。
Posted by: 清川佑二  at 2014年12月15日(Mon) 10:41