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「エボラ出血熱」―世界へ拡大か?― [2014年11月05日(Wed)]

「エボラ出血熱」
―世界へ拡大か?―


共同通信によると、WHO(世界保健機関)のエイルワード事務局長補は10月14日の記者会見でエボラ出血熱の感染拡大について、1週間当たりの新たな感者数は、現在の約1,000人から12月上旬には5,000〜10,000人になる恐れがあると述べた。

国連安保理では国連エボラ緊急対拠ミッションのバンベリー代表が、「エボラ熱を今食い止めなければ、対拠計画もない未曾有の状況に直面する」と強い危機感を表明した。

主要感染地域であるリベリア、シエラレオネ、ギニアから、アメリカをはじめ他国にも拡がりを見せており、日本でも対岸の火事ではなく真剣な対策が検討され始めた。

エボラ熱の拡大にはWHOの対応の遅れが指摘され、厳しい批判も出始めた。

実は、1995年にザイール(現コンゴ民主共和国)で最初にエボラ熱が発生した折には、WHOの中嶋宏事務総長の積極果敢な指導力で拡大を防いだことがある。ハーフダン・マーラーそして中嶋宏氏の時代は、トップが現場主義で率先し指導力を発揮していたので、世界各地のWHOの現場職員の志も高かった。

以下は当時、中嶋宏の顧問として外務省から出向していた情熱の外交官・赤阪清隆氏(現フォーリン・プレスセンター理事長)から頂戴したメールの抜粋である。

「エボラ出血熱」


フォーリンプレスセンター理事長、元国連事務次長
赤阪 清隆


エボラ熱が西アフリカで猛威を振るっている。世界保健機関(WHO)によると、9月10日現在、すでに感染者数が約4,300人、死者数は約2,300人に達している。リベリア、ギニア、シエラレオネなどでの死者が多いが、感染者が西アフリカの他の国々にも拡大している。

エボラ熱というのは世にも恐ろしい感染症である。人類が発見したウイルスの中でも最も危険なウイルスの一つだと言われ、感染者の死亡率は50から90パーセントにも達する。感染原因はサルやコウモリなど諸説があるが、感染した患者の血液や汗、唾液などの飛沫が感染源となる。感染すると短期間(早ければ数日内)に発病し、口や、歯、鼻、皮膚、消化管などから出血し、多くは死に至る。まだ有効なワクチンや治療法は確立されておらず、WHOは今年11月から2種類のワクチンを試験的に投与すると発表した。

このエボラ熱がアフリカを襲うのは今回が初めてではない。私が外務省からWHOに出向していた1995年にも、その4月から6月にかけて、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサから約400キロ離れた人口約40万人のキクウットという町で、エボラ熱が発生した。発生から数週間が過ぎたころから死亡者が増え始め、その中には、熱を出した患者を病院に運んだタクシーの運転手がタクシー代金をもらう際の患者の手との接触で感染し、数日と経たない間に死んだという例もあった。

エボラ熱がザイールの首都キンシャサに近いところで発生したということにWHOは危機感を高めた。キンシャサからは欧州の各首都などへ国際線航空便が数多く飛び交っている。だから、万が一エボラ熱がキクウイットからキンシャサに飛び火すれば、世界中に感染者が広がるかもしれないと懸念された。

WHOの対応ぶりは素早かった。WHOは5月初旬にザイール政府の要請を受けて米国の疾病予防管理センター(CDC)と緊密な連絡を取り、国際医療チームを結成して彼らを即刻現場に派遣した。WHOでは、イタリア人のバサーニ部長をヘッドとする緊急対策部が、昼夜を分かたず現地との連絡を取り続けた。現地では、感染者を町の人々から隔離し、病院で懸命の治療が行われた。このために現場の医者や看護婦で感染し死亡した人も、死者全体の3割に当たるほど多かった。5月中旬から下旬にかけての時期に感染・死亡のピークを迎えたが、関係者の懸命の努力の甲斐あって、その後死者数は急速に減少した。

そして、6月後半に至ってようやくエボラ熱の伝染が止まった。結局、感染者数は315人で、そのうち死者は244人であった。死亡率は77パーセントにも及んだことになる。エボラ熱が征圧されたのを受けて、WHO本部では、中嶋事務局長に現地に飛んでもらうことを決めた。

6月29日、中嶋事務局長、バサーニ緊急対策部長などの一行は、ザイールの首都キンシャサに着いた。中嶋事務局長の顧問をしていた私も同行した。

キクウイットの空港では、大勢の人々やお偉方が待ち構えていた。加えて、半分裸の踊り手たちがドラムをたたいたり踊ったりして派手に歓迎してくれた。それから町の中央まで自動車やバンに分散して向かったが、道中はまるで凱旋将軍が群集にもみくちゃにされるような騒ぎであった。大人も子供も、走り、飛びながら我々の車を追いかけてくる。エボラという悪魔が町から消えた安堵と喜びとがどの顔にも表れていた。そして、それを可能にしてくれたのがWHOであり、そのトップの中嶋事務局長は人々にとっては命の恩人なのだった。

今から振り返ると、中嶋さんは事務局長時代に色々と批判も浴びたが、ことこのような感染症にまつわる非常事態となると確かな指導力を発揮したと思う。後の狂牛病の発生のときもそうだった。彼を支えた部長連中やスタッフにも飛び切り優秀で仕事熱心な人たちがいた。だから、1995年のエボラ熱の流行の際は緊急対応策が迅速にとられ、国際的な医療チームが遅滞なく現地に飛んで、死者を2百数十人出しただけでこの恐ろしい感染症の拡大を防いだ。

あれから20年たった2014年の現在、予算が削られ、担当の職員が少なくなったWHOが、再び発生した西アフリカのエボラ熱の拡大を必死で防ごうと努力している様子を見るにつけ、大変だろうが頑張れとエールを送りたくなる。予測では、死者数は近いうちに1万人を超えるだろうという。この史上最大のエボラ熱の蔓延が、一日も早く終焉を迎えることを祈りたい。その際には、アフリカ全土の人々は、あの中嶋事務局長一行を迎えたキクウイットの人々のように、WHOのドクターたちを命の恩人として再び英雄のように迎えることだろう。
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