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「福島放射線国際専門家会議」その3―地元からの発言― [2014年10月10日(Fri)]

福島放射線国際専門家会議」その3
―地元からの発言―


福島県立医科大学では住民健康調査を行い、そこで得られた放射線と健康リスクについての秀れたデータが報告された。今後も長期にわたり調査は継続されるので、不幸な出来事ではあったが、国際的に評価の高い科学的データが作成されることになる。

今回の会議の特徴は、長期の避難生活により放射線以外の二次的要因による健康リスクや心理的・社会的問題が議論されたことであり、地元の住民や臨床医、保健師の方々など、原発事故の影響を受けた地域の方々の生の声を聞く機会を設けたことで、この事故が心理的にどのように影響を及ぼしているかについての発表は、専門家による国際会議では珍しいことであった。

これらの問題解決には、政府や専門家と住民との間の信頼関係の構築や丁寧なコミュニケーションが必要であり、単に「放射線と健康リスク」だけにとどまらず、長期にわたる避難生活から生じる放射線以外の原因による健康リスクの問題(糖尿病、高血圧など)、心理的問題(うつ、引きこもり)、社会的問題(差別、風評被害、社会的孤立)など、さまざまな問題を検討する必要があることがわかってきた。

今回の会議で特に注目を浴びたのが、市民である大槻真由美さんの発表であった。しっかりした現状認識のもと、被災地に戻り、家族揃っての生活こそ幸福の原点であると、さまざまな心の葛藤の中から得た自己結論のもと、平和な生活をされている。

避難生活をされている皆さんには是非この文章をお読みいただき、今後の生き方の参考にして頂ければとの思いで、下記、掲載させていただきます。

****************


 皆さん、おはようございます。大槻と申します。とても緊張しておりますが、緊張で口がパクパクならない様に努めさせていただきたいと思います。

 今回「あなたが経験した事をお話ししてもらえませんか!?」ということで、今ここに立たせて頂いております。福島県立医科大学の丹羽先生にお声をかけていただいたんですが、その時丹羽先生が「レベルが高いんだよね〜」と、ポロッと仰ったんですね!! ここに来てわかりました。外国人の方も多いですねぇ〜遠い所ご苦労様です。今日は子供を持つ一人の普通の母親として、震災当初から感じた事をお話しさせていただきます。

 私の住んでいる地区はここから一時間くらいの所で、福島第一原発から46q、霊山という山のふもとです。標高825mの小さな山ですが、岩肌がキレイで、これから秋の紅葉がまた美しく、初心者の方でも登山を楽しめる山です。(日本百景にも登録されています。)

※ラジオから聞こえてくる
 ・なるべく外に出ないでください!
 ・外に出る時はマスクをしてください
 ・ナイロン素材のジャンパーを着用してください
 ・靴についた土は洗ってから家に入ってください・・・
 耳にしながら・・・

 全村避難の飯館村と隣合わせの所に位置していて、年間放射線の積算量が20ミリシーベルトを超える予想が出された為『特定避難勧奨地点』に設定された地域です。そして当初はマスコミにもだいぶ騒がれました。

 私には2人の男の子がおります。震災当時の年齢は3才と1才でした。地震直後すぐ停電になりましたが、幸いにも家にある発電機でなんとか乗り切りながら、テレビやラジオから情報を得ていました。

 津波の被害の映像が目に飛び込んで来た時は『これが本当に起こっている現実なのか!!』と信じられない思いで、ただただ画像を見ている事しか出来ませんでした。津波被害の深刻さが増していく一方で、今度は福島第一原発の情報が流れて来ました。こちらも時間が経つにつれて大変な事になっていきました。その時の私はパニック気味でした。「今すぐ逃げなきゃっ!!」。でもすぐには動けませんでした。皆さん同じ思いの方が多かったことと思います。

 爆発したという情報を得た時には、青森の実家へ避難する決意をしました。3月14日の事です。その時、福島の人は皆、今すぐ・・・少しでも遠くへ逃げたい一心だったと思います。でも・・・行くあてもなければガソリンもなく・・・福島にとどまる事しか出来なかったのです。私はラッキーでした。青森までのガソリンも入っていたし、逃げて行ける所があったのですから。

 3月14日、青森へむけて夜の9時に出発。
 福島県から宮城県、岩手県と・・・どこも停電で、まっ暗な所が多く、異様な雰囲気の中、地震で壊れたデコボコの車道を走らせました。アスファルトのあちこちが盛り上がっていましたから、ゆっくりと慎重にハンドルを握っていたことを記憶しています。

 通りがかりに見るガソリンスタンドには、夜中にもかかわらず営業を待つ車の行列でいっぱいでした。早朝、秋田県入りした時、ラジオから福島第一原発、2度目の爆発の情報が飛び込んできたのです。とにかく!! 子供達を守らなきゃ!! という思いで必死でした。

 実はこの時、福島の家に父と母を残して来ていました。父と母に“一緒に避難しよう!! 逃げよう”と何度説得しても、うなずいてはくれませんでした。父と母は言いました。「家の近所、近くには、兄弟、親戚がたくさんいるから・・・皆をおいて自分だけ逃げることはできない・・・」とハッキリ答えました。そして「孫達を連れて逃げてくれ」と・・・私はどうして逃げないのか解りませんでしたが、その言葉でようやく父と母の心をさっすることができたのです。なんとも言えない引き裂かれる思いの中、私達は出発し、見送ってもらった光景を覚えています。

 青森での避難生活中、子供達が体調不良で小児科へ行った時や、タクシーの運転手さん、お店の人など、“福島からの避難者だ”とわかると皆さんに暖かいお声をかけていただきました。中でも・・・夫が仕事ですぐ福島へ戻らなければいけない時に、帰りのガソリンが無いんですねぇ・・・店じまいしていたガソリンスタンドの店主が福島ナンバーを見て「困った時はお互い様だぁ〜」と心良く満タンにしてくれました。その時は、青森でも燃料や食品の物流が滞っている時でした。マスコミやちまたの噂では、福島ナンバーだとガソリンを入れてくれないとか、キズ付けられた! 子供のイジメなど・・・心の痛くなる様な声も聞こえてきました。

 日に日に事の重大さが日本中を恐怖におとしいれていきました。これは放射線量との長い付き合いになるなと思い、すぐ線量計を購入し、4月には手元に届いていたと思います。青森での避難生活20日余りで一旦福島へ帰ってきました。家の中、外の放射線量を計ると、家の中で最大3マイクロシーベルト台以上、外で5マイクロシーベルト以上もあり、他に雨どいからの水が流れ落ちる所や、大きい屋根の下の土は特に高くて20〜50マイクロシーベルト・・・自分達で除染し始めました。

 それから毎日、テレビ局や新聞記者さんが押し寄せてきました。(子供達はここに住んでいて大丈夫なんですかぁ〜!?とか、避難しないんですかぁ〜!?とか・・・)それが1ヶ月以上続いて、不安をあおられたり・・・頭が変になりそうで、精神的に追い込まれて行きました。私の住む地域、部落は40世帯くらい。ほとんどがお年寄りの方です。その内、子供達がいる家庭は10世帯ぐらいしかありません。皆、幼稚園や学校へ行っていて、日中、家に子供がいたのが我が家だけだったんですねぇ〜。そのためマスコミが集中しました。

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大槻真由美さんの淡々とした語り口が心に響く


 今でも原発関係の情報を見聞きすると、あの時の恐ろしさがよみがえってきて不安に落ちます。3才だった長男は、地震の怖さからなのか、私の不安な気持ちが伝わってか、オシッコやウンチまで、よく洩らしていました。毎日、よう素、セシウム・・・放射線量のことで頭がいっぱいで不安で・・・そのうちストロンチウムまで検出の報道が流れた時には絶望的でした。ボロボロ・・・

 ある放射線の講演会でお話しされていた先生が『チェルノブイリ原発事故の様子の中で、汚染された地域の市民が、心配な気持ちが長く続いて・・・その強い不安と心配のストレスから病気になった人もたくさんいました。』というお話を思い出しました。その方の“正しい知識を持って、正しく怖がろう”というフレーズが、私の心の中にス〜っと入ってきました。ちなみにその先生というのが、私、今日のプログラムを見てですね『あ〜!!』と見つけてしまいました。本日、議長を務めておられます山下俊一先生だったのです。

 それから無知を克服しよう! 放射性物質との付き合い方がわかれば!!・・・と思い、色んな講演会へ足を運びました。その結果、どれがウソで誰の言っている事が本当なのか・・・.訳がわからなくなって大変な思いもしましたが、私の心は、少しずつ落ち着いていきました。

 とにかく、子供達が口にする食べ物には徹底的に注意して内部被ばくを防ごうと!! 規則正しい生活と安心で豊かな食生活、免疫力を高めて強い体を作って行くしかないなと思い、改めて母親としての責任の重さを感じました。

 外遊びについては『除染されている場所なら心配ない!!』という考え方に近いです。実際に自分達が身をおいている環境は!? というと、家の敷地内や近所で除染されていない手付かずの場所が、もちろんいくつもあります。

 放射線量、今現在で1.5〜マイクロシーベルトあります。家の中と外も計って来ました。家の中:0.146~ 0.25マイクロシーベルト 外:(除染された所)0.35〜0.55マイクロシーベルトでした。

 久々に線量計を首からさげて計って参りました。震災当初は毎日、線量計とにらめっ子していたんですが、今ではまったく使わなくなりました。特に子供を持つ母親は、放射線の事を頭でわかってはいても、線量たった0.1、0.2マイクロシーベルトの数値を見るだけで、不安になってしまうんですねぇ〜。なので・・・見るのをやめました。

 自然とのふれあい(虫や、草花、土あそび)など、外遊びを通しての成長は大切な物! として考えているので、制限はしていません。福島に留まり子育てを続けて行く事への覚悟が必要でした。友人の中にも子供を連れて近くの県や遠くは沖縄まで避難していきました。『もうダメだぁ〜』と何度も思いましたが、六人家族、皆一緒にいることが一番の幸せと信じて・・・

 子供達の将来、放射線の影響がどんな形で出るのか、出ないのかわかりませんが・・・もしもガンやその他の病気をわずらったとしても「10年後には完治出来る時代になっている事でしょう」と自分に都合良く前向きに考えられる様になりました。ただ病気になるといくらお金がかかるのか心配ですね〜・・・。

 放射線量も怖いですけど、みじかにあるタバコ、お酒の飲み過ぎでアルコール中毒になる人もいますね! 他にも食品添加物や重金属、電磁波、農薬残留物など・・・それにもう一つ、放射線が加わってしまったなぁ〜くらいに考える様にしています。記憶に新しいPM2.5!。沖縄に避難した友人が電話口で『放射線から逃げて沖縄まで来たのに、これじゃあ意味がないじゃない〜!!』と嘆いておりました。体に悪い物、こわい物、沢山ありますネ。

 今では、あの恐ろしい出来事から学んだことがあります。私にとっては大きな収穫と言いますか・・・その大きな不安から、目には見えない物、本当の大切な物と向き合う事が出来ました。幸せを見直す、見つめ直す事が出来て、気付く事が出来て良かったなぁ〜と思っています。最近、我が家にはヘビやイノシシ、猿まででてきて賑やかに暮らしています。

 この福島第一原発の事故!
 福島のハジ! ひけめから誇りに変わる時期が必ず来ると信じて・・・

大槻真由美さんより、その後のご家族の写真をお送りいただきました!
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