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「バングラデシュでのハンセン病制圧活動」 [2012年11月04日(Sun)]
国立駿河療養所機関誌『駿河』
2012年盛夏号


バングラデシュでのハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


2012年4月11日から16日まで、南アジアのバングラデシュを訪問しました。同国の訪問は2002年以来、これで2回目となります。

バングラデシュは西部、北部、東部はインドと、南東部はミャンマーと国境を接し、南はインド洋に面した国です。国土面積は14万平方キロメートルと日本の4割ほどですが、人口は1億5千万人にもなり、世界で7番目に人口の多い国です。1947年、イギリスからのインド独立の際にイスラム教地域としてパキスタンと共に独立し、71年にはウルドゥー語圏である西パキスタンからベンガル語圏である東パキスタンがバングラデシュとして独立しました。そのため、国民は隣接するインドの西ベンガル州の人々と同じベンガル語を話し、国民の9割がイスラム教徒です。ほかにはヒンドゥー教徒が9%、仏教徒が0.7%、キリスト教徒が0.3%とのことです。人口が多いため一人当たりの国内総生産は700ドル弱で、アジアの中では最貧国の1つとされていますが、主要産業である繊維産業を中心に経済発展しており、経済成長率は6%前後になります。身近なところでは日本の衣料メーカー「ユニクロ」や、海外有名ブランドの「GAP」や「ZARA」などもバングラデシュに生産拠点を持っています。また、国民の半数は農業に従事していますが、アフリカで長年日本財団と活動されたノーベル平和賞受賞者の故ノーマン・ボーローグ博士が先導した食糧増産プロジェクト「緑の革命」も実践されたところで、米を中心に農産物が豊富な国です。

11日の夜、日本からの直行便はないため、香港を経由し首都ダッカに着きました。WHO(世界保健機関)バングラデシュ事務所のマンナン・バンガリ博士、保健省のサフィル・アフマド副部長などが出迎えてくださり、訪問期間中のスケジュールなどを確認した後、ホテルで身体を休ませました。

12日の朝はルハル・ハク保健大臣と会談し、バングラデシュにおけるハンセン病の状況に関する意見交換を行いました。私からは、98年という早い時期にWHOの定める人口1万人当たりの有病率が1人未満という制圧基準を達成したことを高く評価し、「現在でも3千人以上の新規患者が出ているので引き続き取り組みを続けてほしい」と要請しました。また、ハンセン病差別撤廃のために毎年発表しているグローバル・アピールを今年はブラジルで世界医師会と協力して実施したことを報告し、「医師がハンセン病に触れる機会が少なくなっているので、ぜひとも大臣の指導力のもと、医学教育の中でハンセン病を教えていくようにしてほしい」とお願いしました。ハク大臣は「人口1万人当たりの有病率が1を超えているのは2管区のみで、他の管区では制圧されている。若い医師にハンセン病の知識が不足しており、教育訓練の必要があるという点には全く同意する。WHOや非政府組織(NGO)と連携しながら、制圧後の活動にも力をいれている」と述べられました。

12日 ハク保健大臣.jpg
ハク保健大臣に差別解消への活動の強化を要請した


昼食をはさみ、午後はハンセン病の活動に関わる保健省とWHO、NGOのパートナー会議に出席しました。バングラデシュはノーベル平和賞を受賞し、2010年のグローバル・アピールにも賛同いただいたムハマド・ユヌス氏のグラミン銀行や、年間予算500億円と世界最大規模のNGO「BRAC(バングラデシュ農村向上委員会)」などNGOの活動が盛んな国でもありますが、ハンセン病についても8団体が連携をとって活動しています。会議ではまず、11年末にできたばかりの5カ年戦略の冊子の引渡式が行われました。5カ年戦略の中では、早期発見と早期治療の努力を続けていくことや、目に見える障害の伴う新規患者数の人口10万人あたりの割合を15年までに10年比で35%減少させるという目標などが謳われています。また、患者や回復者、家族に対する人権問題への取り組みや、回復者自身がハンセン病に関する取り組みに参画できるようにすべきであるということも書かれています。各団体からの報告もあり、レプロシー・ミッション・バングラデシュ(TLMバングラデシュ)からは笹川記念保健協力財団が支援している回復者小グループへの少額融資による自立支援活動や人権擁護プロジェクトの報告がありました。また、1898年から100年以上も存続した差別法「らい病法-Lepers Act」が国会議員などの協力により2011年末に廃止されたことも議題にあがりました。これらの報告を受け、私からは「医療と社会の両側面の取り組みが重要であり、差別法廃止の努力に敬意を表するとともに回復者の参画に力を入れていただきたい。また、制圧達成後も具体的な戦略を作成して取り組んでいる国はまれであり、あらゆる分野の人々が協力してこの戦略を実現していただきたい」と激励しました。

13日の午前中は、救世軍が運営しているダッカ市内の診療所を訪問しました。救世軍は英国に本部があるキリスト教系の国際NGOで、1865年に設立され、現在119カ国で社会福祉や医療、貧困対策などの活動をしています。バングラデシュでのハンセン病関連の活動はダッカ市内のミルプールという地域で同診療所を運営しており、潰瘍や障害に対する治療、保護靴の提供、カウンセリング、技術訓練のための少額支援などを行っています。また、診療所から遠い地域で「皮膚キャンプ」と呼ばれる出張診療を年4回行っており、ほとんどの新規患者がそこで発見され、2011年には32人のうち障害が発生していた方はいなかったそうです。診療所内で交流した治療中の方々の一人、18歳のモハメド・アリフさんもこのような出張診療で病気を発見したそうですが、手に少し神経まひがある以外は目立った障害もなく、携帯電話を修理する仕事に従事しているとのことでした。障害が出ないうちに治療できるよう早期発見、早期治療が重要であることを再認識するとともに、取材していたメディアにも強く訴えました。

診療所訪問後は、回復者が運営するサリー工場を訪ねました。前述のレプロシー・ミッションが支援する少額融資活動から生まれた事業で、現在、回復者と他の方々も含めて40名がサリーの縫製に携わっており、その全体の運営を回復者のアベン・タヘルさんが行っています。工場近くの販売店では1ヶ月で平均1000着も販売しているとのことで、回復者の自立支援活動として一つの成功事例だといえます。午後には同様に小グループ活動を行っている回復者の家も訪問しました。スラム街のトタンの家で貧しい生活を送りながらも、「16人のメンバーが持ち寄って集めた10万円を銀行口座に入れ、そこから販売用の魚や野菜の仕入れる資金とし、稼いだお金から100円ずつ貯金している」と代表のビルケスさんが誇らしげに話をしてくれました。家の中にはテレビもあり、子どもたちは学校に通っているとのことで、少しずつ暮らし向きが良くなっていることを感じました。先ほどのサリー工場などの成功事例が回復者同士でも情報共有され、それぞれのプロジェクトが成功していくことを願います。

ハンセン病回復者が働く機織り工場.jpg
回復者が運営する工場、ひと月に1000着ものサリーが売れている


14日はバングラデシュの新年で、中心部の公園でお祭りがあるので、その国の文化を学ぼうと早朝からホテルを出ました。普段は車と三輪タクシー、人力のリキシャーで万年渋滞となっている道路も歩行者専用道路とされて、赤い民族服などに着飾ったたくさんの家族連れやカップル、友人同士のグループが祭り気分で楽しそうに歩いていました。公園は早朝から集まった人たちであふれ、催し物の踊りなどを近くで見ることはできず、早朝の散歩で終わりました。

その日の午後は、ダッカから約200km離れた北東部シレット管区のスリモンゴルに車で移動しました。ダッカ市内は大変な混雑で4時間の予定が6時間以上かかり、日が暮れた頃にようやく宿泊先に着きました。移動中は雑然としたダッカを抜けると、とてもきれいな田園風景がいつまでも続きました。前述の通りバングラデシュは米の生産が豊富な国ですが、国土の大半が低地で、移動中も山一つ見えず田畑の地平線がひろがっていました。一方、訪問先のスリモンゴルはアッサムティーで有名な紅茶の生産地で、バングラデシュでは数少ない丘陵地帯の一つです。移動中も途中から景色が変わり、車窓から丘にひろがる茶畑が見えました。

スリモンゴル到着の翌15日、現地で活動している「HEED」というバングラデシュのNGOの活動報告を聞きました。HEEDはバングラデシュ独立後の1974年に設立され、76年に茶畑でハンセン病患者を発見し治療を施したことからハンセン病の活動が始まったそうです。入院・外来診療や理学療法、潰瘍のケアや形成手術、保護靴提供、職業訓練のほか、人形劇やフォークソング、劇などを通した啓発活動も実施してきましたが、近年は財政難のため治療薬の提供のみを行っているとのことです。牧師でもあるHEEDのアンワー・ホサイン会長から「バングラデシュとハンセン病患者のために祈ってください。そして彼らのために力を合わせて取り組んでいきましょう」と話があり、私からは「遠隔地域でのこのような草の根での活動が重要であり、これからもがんばってほしい」と激励しました。

その後、HEEDの診療所と茶畑管理者が運営する病院、政府病院内の結核・ハンセン病診療所を訪問しました。茶畑病院には20人ほどの患者、回復者の方々が集まっており、それぞれの症状を見せてもらいながらお話を伺いました。足に障害があり松葉杖を使いながらもカゴ作りに従事している男性や、HEEDの職業訓練を受けミシンで裁縫の仕事をしている女性、茶畑で働いている男性、母親もハンセン病に罹ったことのある女の子など様々な方がいらっしゃいました。少し不安そうな顔をしていた青年には手を握りながら「薬を飲めばすぐに治りますよ」「いいお嫁さんをもらえるよ」と励ますと表情が柔らかくなっていました。

15日 NGOのHEEDが運営するクリニックのハンセン病の患者さん.JPG
病院で少女の手を握り、病状を確認


その日は5時間ほどかけてダッカに再び戻りクルシェッド・アラム外務省次官補と、16日の朝は首相府で首相外交顧問のゴウハル・リズヴィ博士と面談を行い、バングラデシュでの日程を終えました。今回のバングラデシュ訪問では、NGOの草の根での活動の重要性と、政府とWHO、NGOの連携がハンセン病対策には不可欠であることを改めて感じました。さらに、回復者自身がそれらの活動に参画し、声を挙げていくことも重要であり、バングラデシュでもそういった取り組みがより具体化していくよう今後の進展に注目していきたいと思います。
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