―ティラワ工業団地・視察―「ミャンマー訪問」その7 [2012年01月27日(Fri)]
―ティラワ工業団地・視察― 「ミャンマー訪問」その7 12月18日は日曜日。所在ないので、ヤンゴン近郊から車で1時間ほどの外国企業向けのティラワ工業団地の視察に出かけた。 広大な工業団地・13平方キロメートルの敷地は、側溝も整備され受け入れ側の準備は整っているように見えたが、日本企業の進出は、投資保護の法律が制定されるまで相当な時間が必要だとは、関係者の説明であった。 中国や韓国はパイオニア精神に溢れ、法律が未整備でもどんどん投資する。そのためミャンマー当局には日本企業は出遅れているように判断されてしまうらしい。 道路を挟んで反対側の区画はすでに稼働しており、盛んに大型トレーラーに満載されたチーク材の大木が運び込まれていた。バングラディッシュ、インドへの輸出だというが、丸太での輸出は禁止なのに不思議な光景を目にした。 ヤンゴンからは曲がりくねった粗末な鉄道が単線で入っており、一日2〜3便の列車が運行しているという。よく脱線しないものと、日本の鉄道との差の大きさにびっくりであった。無人駅の近くには使用済みのブルートレインが2〜3輌放置してあった。 懐かしのブルートレインを背に いざヤンゴンに戻ることになって、車輌のクラッチの故障が判明。運転手は懸命に迎えの車の手配に走り、やっと代替車がくるというが30〜40分経っても現れない。ミャンマーでは1時間のところを40分と短く言う癖があるらしく、ヤンゴンからネピドーの移動も5時間では到着しなかった。日本の大使館員が言っていた見通しの方が正しいことを知った同行の富永夏子が、通りがかりの軽トラックを止めて交渉してくれた。 彼らにとってヤンゴンは逆方向にも関わらず快く協力してくれた。狭い荷台には新聞記者も含めて10人が乗り込んだ。長老の会長からといわれ、運転手とガラス越しに背を向けて進行の逆方向に座った。下にはエンジンルームがあるらしく、しばらくすると尻が熱くなってきた。軽トラックなのでクッションは粗末で、油断をしていると突然直下型の地震のように真下からドスンっと震動が体を直撃する。舌を噛まないように奥歯を嚙みしめて座っているが、手でつかまるところもない。 トラックの荷台に乗りこむが・・・ 日が暮れてくると後続車両のライトが容赦なく目に入る。座禅を組むがごとく小1時間を耐えホテルに到着。一行10人、肉体労働者の如く軽トラの荷台より飛び降りる。 冨永夏子が御礼を差し出すが頑に受け取らない。それではと帽子をプレゼントしても「ただただ好意でやったことですから」といって一行10人が見守る中、さわやかな笑顔を残して走り去った。 心優しい運転手さんは、笑顔を残して走り去った ミャンマーの人々は敬虔な仏教徒が多く、謙虚で慎み深い性格である。ミャンマーでの支援活動を開始した当初も、内心はともかく、なかなか彼等の方から援助してくれとの言葉は口に出なかった。今回もミャンマー人の暖かい友情を経験した。 発展途上国では、援助が足りない、私たちは貧しい!! 援助を受け取るのは当然だと猛々しい人々が多い世界で、ミャンマー人は特別である。日本が戦後の食糧難の時代、たびたび米の無償援助をしてくれた国、戦後の賠償を放棄してくれた親日国ミャンマーを忘れてはならない。 部屋で鏡を覗くと、浅黒い地肌の尻の両側がくっきりと赤くなっていた。 |