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「パラオ訪問」その2 [2010年12月22日(Wed)]


戦没者の碑に献花

「パラオ訪問」その2


パラオは初訪問である。ナカムラ前大統領からは大統領就任式や独立記念日に招待されたが、どういうわけか招待状が着くのはいつも一週間前。日程上如何ともし難く今日に至ったわけである。

パラオとの関わりのきっかけは、父・笹川良一が石原慎太郎都知事の紹介でクニオ・ナカムラ(大統領就任前)と面談したのが始まりであった。

第二次世界大戦の激戦地であったペリリュー島出身のナカムラ氏より「パラオの本島であるコロール島との間に住民が利用する船がないので不便を強いられている。是非寄贈してほしい」との要請を受け、快諾の上、日本丸、大和丸の二隻を建造。1990年に提供された。

その後、ナカムラ氏は1993年1月1日より2001年1月1日まで、第5代パラオ共和国大統領として活躍され、その間も毎年のように来日、親交を深めてきた。

ナカムラ元大統領は、私が会議場から出てくるのを待ち受け、ペリリュー島へ案内してくれた。昨日、ペリリュー島で旧日本兵の遺骨の引渡式に参列された貞岡大使も、ナカムラ元大統領より同行を求められご一緒して下さった。

ペリリュー州議会で、松太郎(姓)議長より20年振りに日本丸、大和丸寄贈に対しての感謝状を頂戴した。日本丸は再整備され、今も島民の足として立派に活躍していることは、港で確認することが出来た。ただ、大和丸は老朽激しく廃船したとのことだった。

ペリリュー島の日米の激戦については、色々な文献に詳しいので割愛するが、当時のアメリカ軍の写真では、ジャングルはほぼ焼き尽くされた状態であった。あれから60年余り、何事も起こらなかったようにジャングルは再生されていた。ただ、島の中央平坦部に日本軍が建設したコンクリート製の滑走路は、軽飛行機なら今でも十分に使用可能で、アフリカの僻地の野っ原の滑走路よりはるかに安全で優れた状態であった。

西太平洋戦没者の碑、みたま(日本人戦没者の墓標)に献花。

不発弾処理を行っている英国人夫妻が事務所に案内してくれた。短期間に700kgの銃や弾丸、不発弾を処理したと、新品のように輝く機関銃用の弾丸が装着されたベルトを見せてくれた。

「私たちは忘れられた戦地を探して活動している。このペリリュー島もいずれエコツーリストが訪れる島になるでしょう。そのためにも不発弾の処理が必要です。約600か所といわれる日本軍の防空壕は手つかずです」と淡々と話され、援助・協力の要請も一切されなかった。

爽やかな態度に、日本人としては大いに反省。ラオス、カンボジアでの地雷処理に努力している我々にとっての盲点でもあった。

これから何らかの協力態勢を考えなければならない。


YouTubeで画像をご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=dGX7N0k87oM


(次回12月24日は、「パラオ訪問・その3」です)
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