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決定版 永田町を舞う「謎の鳥」 [2010年03月24日(Wed)]

あなたにはどんな鳥が見えますか?


決定版 永田町を舞う「謎の鳥」


日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。

中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。

日本の有権者には「サギ」だと思われている。

オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが、
お「フクロウ」さんに、「タカ」っているらしい。

それでいて、約束したら「ウソ」に見え、
身体検査をしたら「カラス」のようにまっ黒、

疑惑には口を「ツグミ」、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
実際は「ヌエ(鵺)」のようだ。

頭の中身は「シジュウガラ」、
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。

「キジ」にもなる「トキ」の人だが、
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。



2月8日にアップした時、「謎の鳥」は11種類で作成されていた。

先日、中曽根康弘先生との夕食の折、先生はおもむろに内ポケットから一枚の紙を出され、「今日、世界平和研究所の若手研究員からもらった」と、「謎の鳥」を読まれた。

私は初めて知ったような振りをして聞いていたが、鳥の数が7羽増え18羽になっており、多くの国民が同調して参加したことがわかる。

ユーモア溢れるこの手の小話は大いに健康的で、政治家を揶揄する日本人のセンスも成長したものだと思う。

私も考えて1羽「ヌエ(鵺)」(トラツグミの異称。正体不明の人物やあいまいな態度をいう)追加し、合計19羽となった。



(次回3月26日は、「レーニン、スターリン〜苗字と名前」です)
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コメント
いま、東京ではやる「替え歌」は、政府の無為無策と国辱的外交を揶揄したものである。
君主として「恨みを買う」、「軽蔑」されている。

 鳩山元総理は『永田町の謎の鳥』と、散々揶揄された、氏は引退を宣言したが、その前言を翻すというから、まさに下劣極まりない人士である。
 『永田町の謎の鳩』と『逃げ菅』二代つづけてのアンポンタンの党首と、金権クソまみれの小澤某である民主党と与謝野氏は手を結ぼうとする。

 「替え歌」は民主党と政権に対する怨恨であり、バカ鳩さん、空菅さん、やなぎこしの仙谷さん、そして極めめつけは公金ネコババ、公共工事リベートまみれの小澤詐欺師さん、道徳はお持ちあわせているのでしょうか?
 例を出せば、日本の核の傘を丸裸にした岡田某・・・
子供手当てにうつつ抜かし、国民年金国庫負担50%を反故にする、それで責任を果たしているという民衆党と大連立構想とは驚きである。

 では、散々、バカにされる民衆党政権を揶揄する歌とは!

『夕日』
カンカン弱虫、根性なし
チャイナに脅され  ギブアップ
真っ赤かっか 赤っ恥
世界中からバカにされ
臆病 うそつき 無責任

『かたつむり』
カンカンイラ菅 かんの虫
お前が滅ぼす日本国
臆病 うそつき 無責任

『犬のおまわりさん』
迷子の迷子の民主党
総理の目的何ですか

 逃げるのがうまいだけの首相などいらない。

Posted by: 迷子の迷子の民主党  at 2010年12月23日(Thu) 21:01

そのA
 しかし仏教では、仏が説法をすることを止めようとすると、いつも姿を現して、説法するようにすすめる神さまとして知られている。これを「梵天勧請」という。
法華経の「化城偸品」では、もろもろの梵天王たちが大通智勝如来に向かって
「唯願わくば天人尊、無上の法輪を転じ、大法の鼓を撃ち、大法の螺(かい)を吹き、普く大法の雨を雨(ふ)らして無量の衆生を度したまえ、我等ことごとく帰請したてまつる。まさに深遠(しんのん)の音(こえ)を演べたまふべし」と言う。
 実はこれは、『律蔵大品』の中に、さとりをひらいた仏陀が、さとりの内容を衆生に説くことをやめようとした時に梵天が現れて
「世尊よ、願わくば法を説きたまえ。正覚者よ、願わくば法を説きたまえ、生きとし生けるものの中には塵垢(けがれ)の少ない者がおります。もし法を聞いたならば、彼は必ず法をさとるでしょう」
と、二度も、三度も仏陀にすすめた、あの物語に基づいて化城偸品でも「梵天勧請」が説かれているのである。
 仏陀はこの梵天の墾篤なすすめに心を動かされて、ついに法を説く決心をされ、かの有名な、
「甘露(不死)の門は正に開かれたり。耳ある者は聞くべし。されど、過去の信心を捨てよ。梵天よ、人々を惑わさんことをおそれて、我は、微妙なる正しき法を説くことをためらいたりなり」
という言葉が吐かれたのである。

 すぐれた人物が、すぐれたことを行う時、必ずこのようなためらいがある。その時また、必ず、この梵天のように、勧請する者が現れる。
世の中には、あっと驚くような真理を顕わしてくれる人がいる。宗教上の真理であれ、芸術上の真理であれ、政治や経済上の真理であれ、真理は必ず創造的なるものである。

梵天は絶えず感動し、絶えずひとに勧める人である。こんな人がいなくては社会はよくならないのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月15日(Sat) 15:44

その@
永田町の謎の鳥、「サギ」であり「カモ」でり「ウソ」あり「チキン」である。

民主党は国にとつても国民にとつても重大な影響をもたらすことを、いとも平然と独裁的に行う。
炭酸ガス25%削減、国債の大量発行、子供手当て、高校無償化、国会法の改正・・・まさに独裁である。
 人の心の痛みを感じない、その道徳的退廃はなんと表現すればよいのであろうか。
利己的な独断と偏見により、人々の心や生活を破壊していくが、恐れというものを持たない。
国の命運に関わるような問題は徹底的に議論を尽くさなければならないが、国民を疎外しても何処吹く風である。
 
普天間の問題の迷走、鳩、海兵隊の抑止力を知らなかった、このバカの手に一億人の命を預けている。
 総理の資格要件を持たない、しかしその自覚もない、格は狗の狗格であろう。

 恐れを持たない人を議員とすべきではないし、ましてや総理・幹事長は論外である。
大人の良識のない有権者、マッカーサーの精神年齢12才のなせる業である。
日本は子供国家、今や、卑下される「狗の国」である。
 政権政党の狗士は狗の徳と道、狗の作法を極め中。

 民衆のオツムも狂人、普天間未決着を容認、総理お咎めなしの人が半数近くとはね!

*梵天勧請   東大寺法華堂梵天
東大寺法華堂に佇立する仏像たちの中にひとつとしてつまらないものがないのは驚異である。中でもこの像はすごい。高さ四メートル二センチもある。
梵天・帝釈像としても異例の巨像である。中尊の不空羂索観音が実に雄渾な印象を与えるので、それほど大きいとは感じられないが、それにしても四メートルとは、人の二倍以上もある。こんな巨像を破綻なく造るのは大変だろうと、まず感嘆する。しかも脱乾漆である。いったいどんな人間がこうした巨像を作ったであろうか。
 梵天は宇宙創造の神である。バラモン教は、宇宙の根本原理である「ブラフマン」(梵)を神格化したものである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月15日(Sat) 15:43

そのA
 あざ名は徐懋公、本名は李勣。河南省の豪農の家の出である。隋の末に李密が兵を挙げたとき、その配下に馳せ参じ、まず洛陽東方の黎陽(レイヨウ)の官営穀倉を襲って、飢えに泣く人びとや兵士たちに分け与え、あっという間に二十万の大衆を集めた。数年前、洛陽で「合嘉倉」という名の唐代の管用穀倉が地下から発掘され、何万トンという糧米の炭化したものが地下から見つかった。洛陽と長安の付近には、隋唐時代に、いくつものこのような穀倉が設けられていたのであろう。当時は、黄河も洛水も連年のように水害をおこし、イナゴの害・地震・干害がその間にはさまり、楽な年はめつたになかつた。『漢書』の「地理志」には、前漢平帝のころ、つまり西暦紀元前後の中国の人口を五、九五九万人、戸数一、二二三万戸と記録している。今から二千年前に、約六千万の人口を擁した大帝国が存在したことは、驚くべきことである。ところが唐の三代目高宗の永徽三年(紀元六五二年)には、戸部尚書が、「隋朝の開皇年間には約八七〇万戸、今日は三八〇万戸」と報告している。三国・六朝という内戦の時代と隋から唐へという混乱ほへて、人口戸数とも漢代よりもずつと減っている。それが唐代に入って二百年の間に漸増し、天宝一三年(紀元七五四年)の戸部尚書の報告では、
戸数約九六二万(その中、公課の対象は約五三〇万)
人口約五、二八八万(その中、公課の対象は約七六六万)
となつている。唐の最盛期に、ようやく漢代六千万の人口に近づいたわけである。中国の天災人災がいかに人口を抑えたかが、よくわかる。内戦のあげく飢餓にあえいでいた人民の心をつかむには、官倉を開いて食わせるほかないことを、李勣は心得ていた。それは彼が農家の生まれだつたからであろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月15日(Sat) 11:45

その@
内乱がいかに国を疲弊させるか、下記の中国の事例を研究すべきであろう。

平和ボケした有権者が、そのむさぼりの心より、また退屈から、乱を呼び込み結果的には自分の首を絞める。
 財政赤字1000兆の国が、やれ子供手当て、高校の無償化を訴えて民衆を騙す糞たれ話(bullshit)、この道徳的退廃の民主党である。
政権延命のためのデマゴーグが氾濫する。
 20兆の節約は朝飯前〜消費税増税に回路の切り替えは、説明不可能である。
民団と結託の「外国人地方参政権」、9割の国民が反対する炭酸ガス25%削減の法案の強行採決、家族解体の男女別性
安全保障無担保の普天間の海外移転の公約・・・・・・

 惰眠をむさぽる民衆が日本を滅亡に導いている。

*『旧唐書』をみると、貞観一一年の条に、
「漢代には、将相がなくなると陵のそばに葬らしめ、また東園の秘器を給したものである。終わりあつく―との義にもとづいたもので、恩意は深く厚いものがあつた。今後、功臣親戚および功業たかくして時を祐(たす)けた者が薨亡(コウボウ)したばあいには、墓所と秘器とを賜い、喪事にこと欠かぬようにせよ」(「太宗紀下」)とのべている。
李勣はもちろんのこと、房玄齢や杜如晦、魏徴(ギチョウ)など、あまたの建国の元老たちがこの六十キロの中に集まって、「唐代王朝図」を今日の白日のもとに再現しているようにみえる。なんともスケールの大きな構図ではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月15日(Sat) 11:44

そのA
 建武四年(紀元二八年)の春、馬援は隗囂の使者となつて洛陽をおとずれ、初めて光武帝に面会した。馬援はいつた。
「今の世では、君が臣を択(えら)ぶだけではありませぬ。臣のがわでもまた君を択ぶのでござる。陛下は、いとも気楽に私に面接なされたが、私が刺客、悪人でないと、ご存じでありますか」
光武帝はにつこりと笑った。
こうして光武帝の客分として遇され、しばらくして西方、隗囂のもとに戻った。彼は隗囂の質問に答えて言うよう、
「むかし漢の高祖は、可もなく不可もなし―という器量の大きなお方であったそうな。今の光武帝は、闊達で才略に長じておられるが、ただ高祖とは違つて吏事(役人の雑務)を好まれ節度やかましき所があり、かつお酒を召し上がぬ」
 いらい馬援は、ひそかに光武帝に心を寄せ、東西双方の勢力圏の中間に位置する長安西郊の上林苑あとに屯田して土地をひらき、仲間を配下に集め始める。隗囂がそのような馬援の動きをみて、しだいに疑いの目をむけ始める。光武帝はその即位八年、ついに意を決して兵を西に出して扶風まで進んだ。馬援は帝に召されて「米を集めて山谷の形となし、形勢を指し画いて」行軍の道すじを説明した。今日いう「兵要地誌」のはじまりである。
光武帝は喜んで、「虜(てきのやつら)は吾が目中に在り」と膝を打ち、ついに隗囂の軍をうち破った。これから馬援はの大活躍が始まる。彼の足跡は東西南北、数千キロに及んだ。
 当時の状況は、ふしぎなことに後の三国時代によく似ている。いくつもの勢力が分立して争う中から、おのずと勝負がきまつてくる。
馬援は人を見分ける目があった。晩年には馬のよしあしを見分ける「馬相の書」を書きあらわしたというが、馬援にとつては、人を見るにも馬を見るにも「心眼」というものがあつたらしい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月14日(Fri) 20:27

その@
さて日本の政治状況、乱世を勝ち抜くには、人を見る心眼が必要であろう。
鳩にからきしダメ、では小沢はどうか?
彼は利にさとく、民衆からは嫌われている。
 さて馬援のような人が今の政界にいるのか?


*馬援は、扶風茂陵の人である。それのみか『後漢書』に名をつらねた傑出した将軍、耿&#24327;(コウエン)も茂陵の人、竇溶(トウユウ)もまた扶風茂陵の人である。光武帝が東方をほぼ平定したのちも、今の四川省には公孫述が控えて半独立の構えをとり、西の方、隴西(ロウセイ、今の蘭州地区)には、隗囂(カイゴウ)という荒々しい豪傑が大兵を擁して、あわよくば長安・洛陽を手中に収めようとねらっている。馬援は十二歳で孤児となり兄に養われたが、やがてその兄も物故したので、一時は今の天水県(麦積山石仏のあるところ、長安の西三百五十キロ)あたりで放牧し、牛馬羊など数千頭を養うほどの産を成した、彼はいった、
「丈夫(おとこ)志をたてたからには、窮すればますます堅く、老ゆればますます壮であらねばならぬ」「財を殖(ふ)やすのは、人さまを救うためじゃ。さもなくては"守銭虜(=守銭奴)"にすぎぬわい」と。

 馬援は、初めは隗囂の配下についていた。そして四川省の公孫述のもとへ様子を見につかわされた。この男もまた、馬援と同じく扶風県茂陵の出身である。ところが昔なじみの親しさは少しも表さず、儀仗を整え、いかめしい面をして馬援を接見した。馬援はこれを評して、
「辺幅(身の回り)を修飾して、個人形(でくのぼう)のごとし」
とつぶやき、戻って隗囂に報告した。
「公孫述(あざ名は子陽)は、井底(セイテイ)の蛙にすぎませぬ」と。
 このように、馬援のことばは、一つ一つが後世の語り草となり、ことわざとなつている。それは『後漢書』のもとになつた『東観記』(今は逸失)という本に、すでに載っていたものであろう。たぶん『後漢書』を書いた范&#30641;(ハンヨウ)の追記したものではあるまい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月14日(Fri) 20:26

そのA
 鳩の五月末決着の件は、昨年の12月時点から意識的・計画的対応をしていない。恐らく12月〜4月までほったらかしにしていたのであろう。
 現状においても問題解決方法が意識的・計画的でない。
すでに解決は不可能の段階に入っているのであろう。
 小生はすでに12月の段階で最後は普天間に戻る。
辺野古沖の埋め立ては、自民の計画であるから、民主政権は絶対にないと判断していた。
 杭打方式も検討された経緯もあり、埋め立て4000億に対して1兆2000億の費用がかかるという。

 つまり、意識的・計画的ということは
@何故、辺野古沖の埋め立てがダメか説明が必須条件
A抑止力を最大限に発揮させる計画とは
Bダメの場合でも、抑止力の観点から、沖縄は必須条件
C建設費の比較
D環境面の比較
E建設工期の比較
F地域への経済効果の比較
・・・・
 最高責任者の発言が猫の眼のように変化する。

 小生の経験では、偉い人の一言は、莫大な金と期間を必要となる場合が非常に多かった。

 もはや日本政府は機能不全状態であろう、国民の損失を考えると、最も総理にしてはならない人である。
 早く退陣に追い込むことが、国家・国民の救済につながる。

 民主党政権を作った有権者、他の国民に謝罪せよ!
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月14日(Fri) 16:43

その@
 小沢一郎が何故東京地検の事情聴取に応じるのか?
何故、今ごろになつて政治倫理審査会に出て、釈明すると言い出したのであろうか?
政治的には様々な理由もあろうが、結論的には逃げ切れる環境整備が出来たと確信があってのことであろう。

 小生も建設業界で少々仕事した経験から類推してみる。
その理由は、政権政党の幹事長として、参議院選挙に向け強大な権力により、建設業界を自分の支配下に置いたと判断したのであろう。
 建設業界は許可制であることから、談合や共同企業体を通じて気っても切れない関係にある。
 村八分になると業界では生きていけない。
小沢は、膨大な国家の公共事業予算を通じて、今や業界を支配する。
 「箇所付け」でも党が仕切り、事業配分が決まる、それに伴い受注の暗黙の配分も決まる。
 
 つまり、小沢への違法献金を口外できないような仕組みが出来上がったのである。
 政治倫理審査会は与党の力、総理の力で恣意的な運営が可能である。

 ここで一気に「みそぎ」する魂胆がミエミエである。
問題は東京地検、国税とチームを組み内偵作業する執念があれば別であるが、検察の上層部は小沢の飼い犬であろう。
 東京地検は嫌疑不十分を再び出す可能性がたかい、それを受けての二度目の検察審査会の判断に期待したいものである。

Posted by: 夕焼け  at 2010年05月14日(Fri) 16:41

そのA
今の日本人は、なんでも自由にずけずけ見過ぎたのだ。人の心の奥の大切なところまで土足で踏込んで、それをテレビを通して日本中に見せようという、気違いじみた行為を何とも思わなくなつた今の日本人は、気が狂っているとしか思えない。
 だから、1年の中、数日しか拝むことができない仏さまがあるということを、ええなあ!と思うのである。 
 この仏さまは、聖徳太子のある一面をみごとに浮き彫りにしているようだ。和辻哲郎は「インドネシアの美姫のようだ」と言ったが、凄味のあるお顔にも見える。
見る角度や光りの具合でまるで違ったお顔に見えるのは、たぶんこの仏さまの原型と考えられる聖徳太子のお顔に由来するのだろう。
 人間を凡夫と捉え、賢愚なること環の端なきが如し、と捉えた太子は、人間の中に狂気と天才、凡下と聖人、醜と美、善と悪とが分ちがたく共在しているのを見たのだろう。
 そういう人間観を持つた太子に、親鸞はひどく心ひかれた。比叡山二十年の堂僧生活に見切りをつけて京都の町に下り、六角堂に百日こもつた時の親鸞は二十九歳、六角堂の救世観音に祈りつづけたのであった。それは聖徳太子と救世観音がひとつのものだつたからである。親鸞は救世観音に祈りながら、聖徳太子に祈っていたのである。
 夢殿の救世観音を拝むと、どうしても聖徳太子のことを思い出さずにはいられない。
会津八一先生はこの仏さまり前に立って

あめつちにわれひとりゐてたつごとき
このさびしさをきみはほほゑむ

と歌われた。親鸞も会津先生も剛直な人である。しかも胸のふかどに、長く深いかなしみを抱いていた人である。そういう人がみな、この夢殿救世観音にひかれるのである。
世を救おうとする悲願が、人の心に長い深いかなしみを引き起こすのであろうか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 16:42

その@
 鳩や小沢それに民主党の人達の心に世を救おうとする悲願が有るのであろうか?
昔、円覚寺の朝比奈老師の碧眼禄の提唱をよく聞いた。
興禅護国会という集まりであったから、老師の護国の情熱が伝わってきた。
 ある会合の手伝いをしたとき、大森老師を高歩院までお伴した、そして、部屋に座って会話をした。
 日頃気になっていた、朝比奈老師の護国の志について聞いてみた。
 大森老師は「本気ですよ」と、平和ボケの日本の認識があった小生は驚いたものである。
 当時よりも今、もつと護国の心をもつた人が多くなければならないはずが、現実は逆となつている。
 国民がもう少し国のことを考えていたら、民主党政権は出来なかったろうに。

*法隆寺救世観音
 この仏さまは、明治初年にフェノロサという男がやつて来て、政府の命令だといつて無理に開扉させ、仏体の上に巻いてあつたおびただしい量の木綿をとり除いた時に、はじめてこの世に姿を現し給うた。法隆寺の寺僧は、秘仏を開扉した時の仏の怒りを畏れてみな逃げ去ったという。逃げ去った法隆寺の寺僧たちの心を、「いいなあ!」と思う。
あけたフェノロサの好奇心と蛮勇の方は、あまり高く買わない。
 人は、畏れを忘れたらおしまいだ。人間が人間でなくなるのだ。
 この仏さまは、年に数日しか開扉されず、それもお厨子の中に入っていて、光りも十分に当たらないようになつているので、1時間以上もその前に立っていなければ、定かには見えないのだ。そして、それでいいのだと思う。何も仏さまの姿を、隅から隅まで光をあてて眺めることはない。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 16:41

そのA
この不邪見戒が守られれば、人びとの心は正見に満たされ、正見の人には殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貧欲・瞋恚等の悪は起こりえないのです。十善が完全に行われるとき、家・国は乱れるはずはなく、人は賢・聖の境地に入り「次第に満足すれば、仏身と合一する時節も有るべきことじゃ」と尊者は結んでおられます。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 15:04

その@
 日本を覆う邪見、政権はそれを当たりかまわずまき散らす。
 自民はデタラメすぐ二十兆は節約できる、そう約束した、ところがである。予算は歳入よりも多い国債44兆と自民よりも多い。事業仕分けなる宣伝で7000億捻出したが、予算は92兆と史上最高である。
 本来シーリングしていれば、こんなに膨らむはずはない。
さて、舌の根も乾かぬうちに、参議院選挙公約で消費税増税とは恐れ入る。
 論理的には支離滅裂である、つまりは政権とるための、国民騙しの倫理退廃の何者でもない。
 出るは出るはの、民主党議員の違法行為である。

*人間の運命を左右するものを仏教では縁といいますが、人の中にある運命は因であり、それにまわりの条件(縁)が加わって結果が生じます。人間と因縁果ということを考えると、不治の病に罹った人はどんな名医の言葉も信じようとしませんが、この医者のいうことならと信じて治療しなければ治らないものです。
それと同じで、『大智度論』という大乗仏教の百科全書に「仏法の大海は信を以て能入となす」とありますし、また、『涅槃経』という釈尊の入滅時およびその教えを記したお経には「大信心は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり」とあるようにすぐれた仏の教えも、それを信じ求める心があってはじめて、その宝を自分のものとする道が開けるのです。目に見えないけれども神仏がこの世にあることを確信して、不邪見戒を守ることが、凡夫の迷いから仏のさとりに至る道だということができますから、その出立点には、正しい知、仏の智に対する確信がなくてはなりません。
この正しい知への確信は、われわれが現代の科学に対して抱いている確信と似たものといえるでしょう。今日、一般の人びとの科学に対する信頼は、過去の人びとの宗教に対する信頼と相似て、より強烈なものがあります。しかし、仏教のいう正しい知が、そのまま科学の知と一致するかといえば決してそうとばかりはいえません。一致することもあり、一致しないこともあります。ただ、その基本的態度が、一切の先入主を排し、目的論的な見方や、演繹的な独断を避ける点で、科学と相通ずるということはいえます。ものわありのままに見る、如実に知見する、この態度が科学の態度と軌を一にするといえます。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 15:01

そのA
切れ長なその眼は、前に立つ者の眼にひたとすえられて離れない。冷たいくらいの澄んだ溺れない眼である。
 この時代には念仏の信心がひろまつてゆくのであるが、それは乱世の安心を約束するのであって、つまりそれは、この世では安心が得られない人間の、安定への渇望なのであって、現実にはちっとも安心できないのである。現実に腹をすえてかかる親鸞の念仏はもう少しあとにならないと大きな力にはならないのである。
 そういう時期にこの天女が彫られた。この天女は「吉祥悔過法」の本尊として彫られたのである。悔過とは懺悔であって、人は、この吉祥天の前で、もろもろの悪念を懺悔し、浄められるのである。
 『日本霊異記』には、聖武天皇の代、信濃国の信者が和泉国の血淳の山寺にある吉祥天を拝み、「吉祥天のように美しい女を我に賜れ」と願ったところ、夢に吉祥天と交わったという。
 この美しく豊満な吉祥天も、懺悔する者にそんな夢を与えたかも知れないと思う。
それにしてもこの眼は、男の心の底まで見通すような冷たいところがある。
 人は、この吉祥天そつくりな、豊満な姿の女性を見てきた。おしなべて皆、男の眼をひきつける、ゆつたりした美人で、男ののめりこんでくるのを、心のどこかでひんやりと見すえ、何人かの男の中で、一番金のありそうな、はしっこい男に体を与えるのを、面白いなと!
こういう女には、そんなところがあるのだから、気をおつけなされと、教え給うのかも知れぬ。横から見ると、あどけない顔に見える天女だけに、そう思って見るとなおさら恐ろしい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 12:05

 小沢ガールズを見ていると、浄瑠璃寺の吉祥天が目に浮かんでくる。
 おしなべて、男の眼をひきつける。小沢の権勢に、金に!
世の男性諸君、欺され給うなよ。
 その怖さは、国会で「子供は生まれてくるところを選べない」だから、「子供は社会で育てなければならない」と!
この言辞は、古くは「カルタゴ」、新しくは「スターリン」「ポルポト」の発言である。
 小沢ガールズには吉祥天のような、恐ろしいところがあるのだから、有権者は欺され給うなよ。

*浄瑠璃寺は美しい寺である。池にのぞんで古びた美しい本堂があり、中に九体の阿弥陀如来が安置されている。上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生の九つの往生の仕方に対して九体の阿弥陀さまを刻み、一列に安置したのである。
 西洋の色が「紫」であるとすると、日本の色は「瑠璃」であるという。秋の終わりの、空の冴えわたった日にこの寺を訪れると、池の水が瑠璃の色に輝いていることがある。まことにここは薬師瑠璃光浄土である。
 この本堂の中尊のすぐ左側におかれた厨司の中に、吉祥天女の立像がある。鎌倉時代、建暦二年(1212)に作られた天女は、鎌倉時代の理想の美女の姿をうつしている。
 建暦二年は、法然上人の死んだ年である。親鸞上人の20年におよぶ関東流浪の生活のはじまつた年である。この九年のちに承久の変起こり、さらにその翌年日蓮上人は生まれた。
 乱世である。飢饉・争闘・天変地異が相次いで起こった。侍共は死に、農民は飢えた。そんな時代に、この豊満な女体の、ふくよかな顔立の美女は刻まれたのである。 高さ僅か八十九センチの小さなこの像は、はじめは小さな像だと思うのに、見ているうちにどんどん大きくなつてくるという不思議な像である。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月13日(Thu) 12:05

 しやはや、民主党、鳩、小沢、小林、・・・・
これ、死せる魚でかね。

 道徳の退廃、人を騙すことは朝飯前である。
隙あらば強盗を働く、田村なる堕落女も強盗の仲間いりですかね。
 五輪は、情で出してもらったもの、 無恥で強欲で、無知で、倫理の退廃したメス狐である。

*内村鑑三『成功の秘訣』65歳の著作・・・信州の或る温泉宿の当時21歳の若主人に将来経営者になるにあたっての心構えを念頭に書き与えたものである。

 一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
 一、本(もと)を固(かと)うすべし、然らば事業は自(おの)ずから発展すべし
 一、成功本位の米国主義にならうべからず、誠実本位の日本主義に則(のっと)るべし。
 一、雇人は兄弟と思うべし。客人は家族として扱うべし。
 一、誠実によりで得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
 一、能(よ)く天の命に聴いて行うべい。自(みず)から己(おの)が運命を作らんと欲すべからず。
 一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
 一、人もし全世界を得るとも霊魂を失わば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るにあらず、品性を完成するにあり。

      ―生きる魚は水流に逆らいて遊(およ)ぎ、死せる魚は水流とともに流る―
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月12日(Wed) 18:14

そのA
体の大きいヒーローが、ユウちゃん、マーくんと呼び合っている光景を想像すると異様だが、この二人、特別に好感度が高いので、微笑ましくもあった。しかし、選抜チーム全員が遠征期間を通じて、愛称で呼び合っていたかどうかは知らない。
ある時、テレビで女子バレーボールの中継をやっていて、さて、今はどんな選手が活躍しているのであろうかと見た。一時の熱狂は冷めて、オリンピック二回分くらい見ていなかったのである。
だから、選手を知らない。知らないとつまらない。そこで背中のローマ字表記で確認しようとするのだが、名前か愛称かで書いてある。性は少ない。
常連のファンにはこれが愛しくてならないのであろうが、新入りの客、もしくは、スポーツファンは拒絶された気がする。どうしてもフルネームを知りたいのだが、アナウンサーもお仲間だから、愛称を絶叫して、一向にきちんと紹介してくれないのである。試合というより、コンサートの盛り上げを感じさせる。
こちらは、高校野球のユウちゃん、マーくんと違って微笑ましくは思えなかった。
この二つの例は、ひややかな言い方をすると、どうでもいいことかもしれない。いいしゃないの、そんなことにめくじら立てなくてもと窘(たしな)められたら、そうだねと引っ込めてしまう。
だが、本当のことを言うとぼくは、愛称や略称で呼び合う社会の、薄ら寒いような和やかさを、危険な兆候だと考えている。緩い。甘い。
フルネームで人を感じたことのない関係は、社会の中の緊張感を恐ろしいほどに殺いでしまうからである。名前や愛称だけに慣れて育つと、人間には、立場を重んじたり、敬意を払ったり、緊張を示したりする必要があることを学習出来ないのだ。いつまでも、誰でも、チャン、もしくは、呼び捨てだ。
一見和やかで微笑ましく、心通い合っているかに見えるチャン付け呼称の仲が、すべて自分の高さに引き下ろさなければ済まないエゴを含んでいるのである。
順序がある。段階がある。フルネームで構築された社会を体験し、理解した後、同じ重量であると感じた人と愛称で呼び合うのであれば、誰も文句は言わない。ユウちゃん、マーくんかと微笑む。
フルネームを野暮と見てか、愛称が世に満ちてきた。これは、何らの責任も追わない緩い社会に思える。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月12日(Wed) 14:40

その@
フルネームで呼ばない、社会に緊張感がない、何をしても許されると為政者も考えている。
 鳩の場合を「会社の仕事」に例えれば、既に解雇か降格か配置転換であろう。
 しかし、有権者におもねる、赤ちゃんのように何でも許されると!
この総理と政党を政権につけたのは、バカ有権者であるから、それを承知で開き直っている。
 山岡ときては、参議院選挙結果を予測し、何が何でも政権を死守するため社民党の離脱阻止を鳩に求め、普天間問題の言動は支離滅裂で鳩の着物はボロボロでお乞食というところである。
 小沢の傀儡の鳩、国家運営を放棄し小沢の飼い犬として「お手」の連続、その知性下劣は人間の域を超える。

 それでも民衆におもねる。
許してくれると何処吹く風である。

政府が機能不全を起している。
民衆も知性下劣、どこまでバカにされても気付かない。
東京の街角で普天間解決と鳩総理の責任問題のインタビューがテレビに流れる。
見ていて、中年女性や老人にのノータリンが多い。

 民主党が女性を選挙に擁立する理由は、「バカ女」や「老人の子供」は騙せる、票がいただけるという魂胆なのであろう。
 「米国の高官」、日本でなく「狗の国」に使いする、同情するところである。

 *フルネームで呼ばない社会は 馴れ合い 凭(もた)れ合いの 擬似天国になる (阿久 悠)

高校野球の選抜チームがアメリカに遠征をした時、寄せ集めのチームを危惧してのことだろう、監督は、遠征中たがいを相性で呼び合うように言ったそうである。
従って、早稲田実業の斎藤祐樹君はユウちゃんとなり、駒大苫小牧の田中将大君はマーくんとなった。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月12日(Wed) 14:39

そのA
旗上げした頼朝は、石橋山の戦いで平家に敗れ、上総に逃れて再び戦い、平家の武士である上総の目代を殺した。それが平重国であり、のちに高山寺に住するようになつた明恵上人の父である。父を失って孤児となつた明恵は、叔父の上覚を頼って神護寺で出家し、文覚の弟子となった。廻り廻って父の仇にあたる文覚を師として明恵は出家した。
その明恵を文覚はこの上なく頼母しい弟子として可愛がるのである。
 そういう人間どもの因縁の網、愛憎の織りなす人生模様を、この神護寺の薬師如来は、つぶさに見守って来たのである。
 因縁の網といえば、この神護寺にいる明恵を訪ねて、西行法師がたびたび訪ねて来たという。その頃明恵は十五歳ぐらいであったろうが、十五といつても、十三歳になった時、
 「今ははや十三になりぬ。既に年老いたり、死なんこと近づきぬらん。老少不定の習ひに今まで生きたるこそ不思議なれ、古人も学道は火を鑚(き)るが如くなれとこそいふに、悠々として過ごすべきに非ず」
と言ったという明恵である。その辺の十五らはな垂れ小僧とわけが違う。
文覚は常日頃、歌を詠んであるく西行が気に入らず、「どこぞで出会ったら撲り殺してくれる」と豪語していたのに、当の西行が神護寺を訪ねてくると、下にも置かぬように鄭重にもてなした。弟子どもが、「どうして撲り倒さなかつたのですか?」と問うと、「あら不甲斐なの弟子どもや、あの西行は文覚に撲られるような面か。この文覚の方が撲り倒されようぞ」と言ったという。
 その頃には、荒々しい精気をむき出しにした、すさまじい面構えの男どもがこの神護寺のあたりには沢山いたのであろう。
 文覚しかり西行しかり。しかし、それらの男どもの上を行く静かな男がいた。それが明恵である。
 人は文覚の荒々しい直情も好き、西行の剛直も好きであろう。しかし、それらの直情剛直は、実は明恵の深さ、静けさ、情深さに至らなくてはならぬのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月12日(Wed) 11:45

その@
 近代とはモダニズムを翻訳なのであろう、旧秩序や人間を縛っていた束縛からの解放であろう。
 つまり自由の獲得であるから、万人には万人の自由があるのであろう。万人の自由とはエゴのことであろう。
 だから行き着くところは、総てのものをそぎ落とした極めて単純な「モデル」となる。
 一面社会がヒステリックとなり、女性的、刹那的となる。
民主党政権は、ここおより押し進めて、国境をなくし国民をなくする、ポストモダニズムに突き進む。
 普天間問題の背後にある鳩の思考は、「日本列島は日本人だけのものではない」ということであろう。
 そして、政治レベルで、敵対国に「友愛」を宣言する、いのち大切である。
 米国いうように、「日本国は機能不全」を起こしているのである。では、そのような原因を作ったのは、劣悪な民衆であるが、今はすっかり忘れて人のせいにしている。
 大人がいない日本であるが、過去、剛直な男がいた時代もある。

*神護寺は京都の高尾にある。真言宗東寺派の別格本山である。はじめ高尾寺といった。最初の高尾寺がいつ建ったのかは不明である。延暦年間に和気清麿が河内に建てた寺を、天長元年(824)に和気仲世が奏請して高尾寺の旧趾に移した。空海が住持となつてから、神護国祚真言寺と改称した。これが荒廃したのを、仁安元年(1166)、荒法師文覚が四方に勧進して復興したのである。
 文覚は、時の最高権力者後白河上皇にも寄進を奏請したが上皇はとりあわない。腹を立てた文覚は院の御所に乱入して悪口雑言し、取り押さえようとした警固の武士と乱闘に及んだ。この罪によつて文覚は伊豆の蛭ヶ小島に流罪となつた。そこにはすでに平清盛に捕らえられて監禁されていた源頼朝がいる。その時の頼朝には源氏再興の意欲などまるでなかつた。北条時政の娘政子とねんごろになり、濃密な愛欲のとりこになつていたからである。
 文覚は途中でしゃれこうべを一つ拾い、頼朝に突きつけて言った、「これは亡き左馬頭義朝殿のしゃれこうべである。あなたは平家の怨みを忘れたのか」
 頼朝は、そのしゃれこうべがにせものであることなど百も承知であったが、涙を流して再興を誓った。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月12日(Wed) 11:44

そのA
「世尊よ、彼らはなお賢く情深い。彼らはまだ拳や瓦石を私に加えておりません」
「もし拳や瓦石を加えたらどうするか?」
「世尊よ、彼らはなお賢く情深い。彼らはまだ刀杖を用いてはおりません」
「もし刀杖を加えたらどうするか?」
「世尊よ、彼らはなお賢く情深い。彼らはまだ私を殺しません」
「もし殺したらどうするか?」
「世尊よ、彼らが私を殺そうとしたら、私はかように思うでありましょう。道を修める人々は、この五欲の身を嫌うて、刀をもつて自殺し、あるいは毒薬を飲み、縄にくびれ、深坑に身を投げて自殺するのに、彼らは賢く情深く、この朽ち果てた身を殺して、&#32363;縛(けばく)から脱れさせてくれるのです」
「よいかな、富楼那よ、おまえはよく道を修めて忍ぶことを学んだ。それでこそかの国の人々を教え導くことができる。今よりおまえはかの国に赴き、未だ安らかならざる者を安らかならしめ、未だ救われざる者を救い、未だ永遠の平安に入らざる者を永遠の平安に入らしめよ」
富楼那は願いの通りに西方シュローナ国に赴き、僅か3ヵ月の夏安居の間に五百人の信者を得、その年、その地で死んだ。
 人に法を説くということは、一面においてかなしく空しいことである。人間は、真実を説き、真実に生きようとする者をしばしば欺く。富楼那も道を説きつづける間にどれだけ多くの人間に裏切られ、そねまれ、罵られたことであろうか。
 それでも彼は、なんでもないように、静かに、いつも変わらぬ淡々とした態度で、法を説きつづけたのである。
 「説法第一」という言葉はいやな言葉である。「あの人は話がうまい」と、
今日もまた、何人かの男や女が、憂いなど生まれてこのかた持ったこともないテレリとした顔で、軽薄にしゃべり散している。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月11日(Tue) 15:50

その@
 興福寺の「阿修羅」展が東京で開催された。
「阿修羅」だけでなくシャカ十大弟子の立像も展示されていた。
 写真とはまるで違い、本物のかもし出す、品格の高さが立像からにじみでていた。
密かに合掌せずにはいられなかつた。

 虚無主義が時代を多い尽くす、末法の世である。

 救国と国民のあるべき心構えを真面目に説く政治家が疎んじられ、真面目に訴える声を聞こうとしない。
 道徳的退廃と、媚をうる票を要求する似非人格者なる与党の政治家が、民衆の拍手喝采を得る。
 はてや柔道で名を馳せた、欲深い女性も、その手先となり、民衆を篭絡させようとする。
 「事業仕分け」で、切り捨てた畜産被害救済組織は機能不全となり、口蹄疫は広がり、政府の対応は後手後手で伝染病のブロックができない。
 それを隠すために、農家に全額被害補償すると発表したが、これも、参議院選挙対策と、政府の失政隠しである。
 ああ、民主党政権の失政のもとで、税金が湯水の如く垂れ流される。

*富楼那(ふるな)の本名は、プールナ・マイトラーヤニープトラであって、音訳して富楼那弥多羅尼子、略して富楼那という。
釈尊の弟子の中で「説法第一」といわれた人である。
父の婆羅門(ばらもん)は巨万の富を持ち、釈尊の父である浄飯王の国師であった。彼は名家の出である。色はあくまで白く、端正な容貌を持ち、鼻はおうむのくちばしのように高く秀でていた。知恵すぐれ、繊細で、弁舌に長じていた。
 彼は釈尊と同じ年である。その彼が釈尊の晩年に、ということは彼自身の晩年にということであるが、西方の輸盧那国(シュローナ国・ギリシャ植民地)へ仏教の伝道に行きたいと願い出た。みの時釈尊はこになことを訊かれた。
「富楼那よ、かの国の人々は心が荒く、凶悪の性あり、よく人を罵るという。彼らに罵られたらどうするか?」
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月11日(Tue) 15:49

【日本の子供たちが民主党から学んだこと】
◆友達に口頭で何度言っていても、紙に書かなければ約束にはならない。
◆約束を守れなかったら、「法律で決められたことではない」と白を切る。
◆親が喜びそうなことをドンドン言う。後でダメになったら「確かに愚かかもしれません」と言って、良い子ぶれば許される。
◆成績を親に怒られたら、「どうして一番でなきゃいけないの」と開き直る。
◆人にもらったおカネを持っていても、知らなかったと言えば、怒られない。
◆人の子供が悪い事をしたら親を責め、自分の子供が悪い事をしたら子供を捨てて逃げ切る。
◆ガキ大将が言うことには、どんなに筋が通らなくても、黙って服従する。
◆いらなくなったものは、良かったことに感謝してから処分するのではなく、友達を集め、みんなでアラを捜し、罵倒してから捨てる。
◆泥棒が家に入ってきたら、「この家はこの家族だけのものではありません」と言って、何でも持って行ってもらう。
◆人を騙すには、「私の思いは重い」、「事実なのです」、「信じてください」を連発する。
◆◆
Posted by: メフィスト  at 2010年05月11日(Tue) 09:37

そのA
という文句で、長い天上の遊歴が終わっている。洞庭湖と雲夢沢(ウンボウタク)の大水のなかにたゆとう旧郷(ふるさと)の田園が見えたとき、屈原は、はっと現実の世界にひき戻されたのだ。放浪のなかにすべてを忘れようとしたのだが、やはり祖国の危急が念頭から去らない―ということだろう。
やつれはてた屈原が、詩を口ずさみつつ岸辺にさしかかると、一人り漁父が屈原だと見知って、
「世を挙げて混濁なれば、なんぞその流に随いて、その波を揚げざるや」といさめる。屈原は答えて言った。
「新たに沐せし者は必ず冠を弾き、新たに浴せし者はその衣を振るうとか。誰かよく身の察察(きよらか)たるをもつて、物の&#27766;&#27766;(モンモン、うすよごれ)たるを受けんや」と。
これが「漁父の辞」といわれる遺作、たぶん漁父との問答に託した彼の辞世の作であろう。汨羅とは、いまの岳州と長沙の間。後世の『続斉諧記』という本には、
「屈原は五月五日に汨羅に投じて死んだ。楚人はこれを哀れんで、この日には竹筒に米を入れて水際に投じて祭ることになつた。後漢のころからは、そのかわりに粽(ちまき)を供えるようになつた」
と述べている。
端午の端午の節句にちまきを食べる習慣は、なんと古いものではないか。

韓国人は韓国が起源というが、笑っちゃうね!
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月10日(Mon) 14:22

その@
 日本の惨状を見て、「屈原」は何というのであろうか?
楚人は植物人間であり、理詰で戦略を練ることには疎い、それが国を滅ぼしたのであろう。
 何か「永田町に舞う謎の鳥」なる鳩、楚の懐王に重なる。

*屈原の遺作は『楚辞』のなかに収められている。そのなかの雄篇は「離騒」という長い詩である。「騒(いらだち)に離(かか)る」ということ、つまり「焦燥にとりつかれて」という詩の題なのだ。屈原はこの長篇のなかで、まず自分が天地の正気をうけた名門の出であることを誇り、それが醜い男女どもにしめ出される怒りを述べる。彼は天馬にまたがり、風神・雷神を先導として、古来の賢人や美女のありかを尋ねて天上を放浪し、最後に西天のきわみまで達する。だが、ふと、下界をふり返えればどうだろうか。

 「八竜の婉婉(エンエン、うねうね)たるに駕し、
 雲旗の委蛇(アダ、なよなよ)たるを載す。・・・・
 皇(大空)の赫戲(カクキ、あかあか)たるに陟升(のぼ)りて、
 忽ちかの旧郷を臨み見れば、
 僕夫は悲しみ、わが馬は懐(おも)う、
 巻局し(体をかがめ)顧みて、行かざるなり」(『楚辞』「離騒」)
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月10日(Mon) 14:21

そのA
唐招待寺の講堂に入ると、首や手のない菩薩像群が静かな堂内に整然と、あたりを圧して立ち並んでいる。
 中でもこの、首も腕もない如来形立像は、ギリシャの哲人がすくつと立っているような独得の風格を持っていて、近寄り難いほどの威厳がある。
人間に首や腕がなかつたら、こんな風な立派さを保つことは不可能である。人間は、立派な顔や、それになによりも人をおどかす肩書、身にまとう高価な衣服などで、やつと威厳をとりつくろうことができる。それらのひとつひとつが欠け落ちてゆくと、どうしょうもないくらい惨めなものになつてゆく。
 しかし、大勢の人間の幸せのために全生涯を捧げつくした男の老年の威厳と美しさは比類を絶している。
 鑑真和上しかり。親鸞、道元、日蓮しかり。
唐招待寺の如来形立像を見ると、老いてなお威厳と美を失なわぬすぐれた男たちのことをすぐに思う。彼らは、死してなおその威厳と美を失うことがなかつた。彼らは永遠に、日本の男たちの心情の中に生き続けるだろう。

 それにしても、みすぼらしい民主党の男たち、NTT労組の闇献金に類する行為、北教組の民主党議員に対する違法献金、小沢の政党助成金の詐取と建設業者の闇献金、鳩の巨額脱税、日教組の教育破壊を支援・・・・
 
 何一つ男の威厳と尊厳がない。
よくもまあ、民衆はこんな悪辣卑劣なものを荘厳したものかとあきれる始末である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月10日(Mon) 10:31

 今の民主党政権は、「男の持つ威厳と美」はからしき無いね。○○大臣、幹事長という衣をとれば、狐や狸というところでしょうか。
 峠の茶屋に「主人公」がおれば、どんなに役立つか知らんが、今は、狐や狸にのっとられ、化かすのなんの散々悪戯している。
 見たところ男である鳩、内実はメス狐であり、騙しはお手の物である。

*唐招待寺如来形立像
奈良東大寺の大仏が完成し、聖武天皇・光明皇后臨席のもとに開眼供養が行われたのは天平勝宝四年(752)である。
その翌々年の天平勝宝六年、入唐副使大伴古麻呂の船にかくまわれて唐の名僧鑑真和上ら八人が日本にやつてきた。そして、その年のうちに東大寺に戒壇が築かれ、聖武天皇以下多くの人々がはじめて戒というものを受けたのである。
 戒を受けない僧というものは認められないのが建前なのに、それまでの日本には、戒を授ける資格のある僧がいなかつたので、授けてもらう方法がなかつたのである。
 五年後の天平宝字三年(759)に唐招待寺が建てられた。鑑真和上に代表される大唐帝国、そのギリシャ・ローマの文明が流れ込んで、東方の一帝国というよりは、世界のあらゆる文明を吸収し花ひらかせた世界帝国の観があった。
その壮大豊麗な文化は、海を越えてこの唐招待寺にも花ひらいたのである。
 唐招待寺金堂の諸尊像、かつて講堂に安置され、今は新宝庫に収蔵されている諸尊像には、他の諸大寺の仏像とはどこか違った味わいがあるのは、鑑真に伴われてこの日本にやって来た芸術家たちが唐の芸術の味わいを日本に伝えたからではあるまいか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月10日(Mon) 10:05

そのB
高祖の十一年(紀元前一九六年)かつて友軍の将として大功のあつた韓信・彭越・英布の三人を、まず反乱を企てたというので血祭りにあげた。翌年、反乱鎮圧の帰り途、彼はふと故郷の沛(ハイ)の地に立ち寄った。かつての市井の徒に、もういちど戻ってみたかつたのだろうか。
百二十人り童子を集め、自ら筑を打って拍子をとりながら、次の歌をうたわせた。

大風起こりて  雲飛揚す。
威、海内に加わりて   故郷に帰る。
いかでか猛士を得て、四方を守らしめん。

そして「われ、関中に都すといえども、万歳の後も、わが魂魄(コンパク、たましい)は、なお沛を思うことを楽しまん」と言って涙を流したそうだ。
この時だけは久々に気を許したのだろう。そのたち去る日、沛じゅうの者が家を空にして見送り、高祖は城外でさらに三日の「留別り宴」を張ったという。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月09日(Sun) 16:51

そのA
そして最後に、
「諸公、必ずこれを便なりとせば、国家のためにはからえ」と言って、万やむおえない態をよそおいつつ、氾水(ハンスイ)の南岸で即位し、論功行賞をおこなつた。
 その年の五月、高祖は洛陽で宴を開き、「わしの天下を取りしゆえん、項羽の天下を失いしゆえんを、かまわず申してみよ」と臣下にうながした。高起と王陵のふたりが、「陛下は慢(すずろ)にして人を侮る。項羽は仁(なさけ)ありて人を愛す、されど陛下は、功ある者には、その攻めおとせし地を与う。項羽は賢を妬み、能を嫉(にく)み、勝てども人に賞を与えず、地を得れども人に利を与えず。これ、成敗の分かれしゆえんでございましょう」と答えた。
すると高祖は、「君らは一を知って二を知らず」とことわつて、こうのべた。
「策を内に運らせ、勝を千里の外に決するは、われ子房(張良)にしかず。国家を鎮(しず)め、百姓を撫(ブ)し、兵糧を給して糧道を絶たざらしむること、われ蕭何にしかず。百万の軍を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、われ韓信にしかず。この三人はみな人傑なり。われよくこれを用いたり」(『史記』「高祖本紀」)
それに反して項羽は、ひとり范増さえ、かかえきれなかつた。つまり「用人の法」を知らななかつたというのである。高祖は非情な構えで、心を許せぬ味方や分裂をねらう分子を切り捨てながら、全体としては「寛厚の長者」という評判を保ちつつ、天下統一にこぎつけた。「内部矛盾」を処理する方法を会得していた、ふしぎな人物である。「奪権」の闘争に勝ち抜くためには、風格は肝要だが、なまじ人情をはさんではならないのである。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月09日(Sun) 16:50

その@
鳩・小沢という、不貞の輩
米国基地を全国展開するという、まさに支離滅裂である。
 本来、日本の長期的な国策としては、基地のない日本にしなければならない。
日本の真の独立を担保するには、自主防衛は必要十分条件である。
 日米安保は「非対称の双務契約」であり、つきつめていえば米軍は日本の防衛を担保していない。
この非対称性を薄めるには、守るべき価値を共有する国との相互防衛条約が必要であろう。
 集団的自衛権は当然である。
そしてその外枠としての、国連という安全保障の枠組みがあるのであろう。

 同盟とはアライアンスのことであり、「共に並ぶ」という意味である。
現状の日本の自衛隊は第七艦隊の補完的戦力程度の能力しかない、何故、防衛力を強化しないのであろうか。

 さて、鳩・小沢と民主党の諸君は低脳児集団である。
極端にモデル化された「弱者救済」「子供手当て」「農家の所得補償」・・・・、議論のできる資質がなく国会は空洞化している。
 低脳集団は優秀な官僚も使いこなせない。
項羽のように、情に訴えるが、仕事の仕方を知らない。

静かなる有事、選挙のマニフェストが「政権交代」で中身は真空である。
マニフェストは国民騙し、道徳的退廃、人を騙しても平気な集団であり両親の呵責もない。
ギリシャ危機は明日の我が身である、それを言わないし、政権維持のために国民を奈落の底に突き落とす。

 そになものに投票した民衆とは低脳児なのであろうか、精神が育っていない。
ああ、古代ギリシャの滅亡は民衆が導いた、教訓を生かせない日本である。
 まさに終末は専制政治、日本も民主党とマスコミが結託した専制政治が行われている。

*紀元前二〇二年、項羽を滅ぼすと、いよいよ晴れて帝位につくときがめぐってきた。だがそのさいにも、彼は「三譲の礼」を演じてみせることを忘れなかった。諸将がしきりにすすめても、「帝とは賢者の有(たも)つべき位なるぞ。われあえて帝位には当たらず」と固辞するのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月09日(Sun) 16:48

鳩くんはたぶん南人の遺伝子を持つ、見ている限りでは、情に走って、理づめの計画が立てられないのである。
 普天間問題も徳之島の受け入れ拒否、そしたら、全国に受け入れを要請するという。
 これでは、若い頃の他人の「かかあ」を寝取ったクセが治らないと見える。
 安全保障は二の次、政権の延命だけ、これでは何処も拒否する。
 それも見えない、とんだマヌケ政権である。
「民衆」が選んだ、下劣で劣悪な政権、その首領の鳩と小沢は犯罪人であるから、国民にしてみれば詐欺の常習犯である。
 議論のない国会、あるのはヤジ、議論できない子供集団の民主党である。
 マニフェストは国を滅ぼすことは承知しながら、延命のため国民を滅亡の淵にさそう。
 永田町に舞う謎の鳥は、滅亡の道連れ鳥である。

*北中国の人は、道理と計算とに強いが、南人はとかく情に走って、理づめの計画が立てられない。
安徽省巣県の人、范増と名乗る七十をこえた老人が、項梁の幕下をおとずれて言った。
「秦の六国を滅ぼせしとき、楚はとりわけ無残でござった。懐王が秦にあざむかれて拉致されたことを、楚人はいまだに燐んでおりまする。楚南公なる予言者が『楚はたとえ三戸となるとも、秦を滅ぼすものは楚ならん』と申された。陣勝がそれに気づかなんだのは、運の尽きでござる。楚の各地で蜂起した者どもが、おぬしに従い集まるのは、楚の復興を夢みてのこと。されば一計を案じて申しあげよう。懐王の孫が、人に傭われて羊を牧しているのをわいは存じておるが、それをかつぎ出されませ」
この「孫」が本物かどうかは怪しいものであつた。たぶん范増の「謀略」がでつちあげたニセ者だつたのだろう。がとにかく、項梁はその少年を「懐王」と名乗らせて王位につけ、自ら兵権を握って范増を軍師に据え、いよいよ秦の大軍と正面から対決することとなつた。
 反乱の火ぶたを切ったのはたしかに農民一揆であった。だがその農民一揆は、奇妙な曲折をへて、秦―楚・漢の争いに変わっていったのだ。それは、越前・美濃・伊勢などの「一向一揆」が、けっきょくは織田・豊臣・徳川などの武士の支配権争いに座をゆずつたのとよく似ている。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月09日(Sun) 10:51

そのA
中国では、たんに「武」に秀でただけでは通らない。「理」を説いて筋を立てなければ、正義の味方とはなれないのである。華中と広武と&#28366;陽(ケイヨウ)の間で、項羽とにらみあっていたころのことだ。高祖は、ふと陣頭に立ちあらわれて、項羽に向かってさんざん毒づいた。幕客の張良あたりの智慧を借りたのだろうか、なかなか筋が通っている。
「われ、項羽とともに、懐王に命を受く。先ず関に入りて関中を定めし者は、関中に王たるべしと。しかるに項羽は、約に背き、我を蜀漢の王におとしぬ。これ第一の罪・・・・・。懐王は、秦に入りても暴掠(ボウリャク)することなかれ、と戒めしに、項羽は秦の宮室を焼き、始皇帝の塚を掘り、私(かつて)にその財を収む。これ第四の罪。秦の降りし王、子嬰(シエイ)を殺す。これ第五の罪。秦の士卒二十万を新安にて坑(あなうめ)にす。これ第六の罪・・・」
と十罪までかぞえたてた。口のへたくそな項羽は激怒し、腕の立つ衛士に命じて強弓で射させると、高祖の胸に命中したのだが、高祖はその痛みを必死にこらえて足をなでるふりをし、「野郎め! 足の指にあてよつたな」とうそぶいたそうだ。そして兵卒を安心させようとして、痛みをおして陣中を見回ったすえ、傷が癒えかけるとさっさと関中に戻り、わずか4日の休養をしただけで、またもや四百キロの道を東の前線ら馳せもどる。そのねばり強さに、項羽はしてやられたのであった。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月08日(Sat) 17:21

その@
「永田町の謎の鳥」なる鳩くん、人に追求されると「グダ グダ・・・」をクダをまき宇宙遊泳の気分のようである。
人間としての至誠が微塵もない。
大切な問題もほったらかし、期限が迫ると、相手に媚びる、そして心にもない言動で相手を騙そうとする、動物にも敬語とは恐れ入る。

普天間問題の支離滅裂な対応、人の心を弄ぶ、が、本人はノー天気で、その意味の重大さが分かっていない。
鳩は世にも劣悪な人士であり、精神年齢12才の民衆ありて、永田町の謎の鳥ありというところか。
では、歴史に登場する「漢の劉邦」と「鳩なる迷い鳥」と比べて欲しい。

*漢の高祖は、ちょっとくずれた市井の徒の性格を、最後まで持ち続けた男らしい。天下を平定して、渭水の南に未央宮が落成した紀元前198年のことだ。おやじさまこと劉太公の長寿を祝うというので、小宴が開かれた。「むかし、おやじ殿は、わしが無頼の徒で生業を治めることもできぬ、実直な兄さまの働きには及ばぬわい―と口癖のように申しておられましたな。今日のわたしは、亡き兄さまと比べていかがでござる」と高祖が言い出すと、太公は照れくさそうに目をしばたたく。一同がそれを見て大笑いしたそうだ。
 だがこの無頼漢は、よく他人の言うことを受入れた。たとえば、天下乱戦の最中、&#37192;食基(レキイキ)という策士がおとづれてきた。高祖は床几(しょうぎ)にシリをおろして、ふたりの女性に足を洗わしている。客が「これから無道な秦を討とうというときに、シリをおろして長者に会うという法がありますか」とたしなめると、高祖はさっと立ち上がり、居ずまいをなおして来訪者を上座に招じ入れたそうだ。また高祖は、ひとかどの「道理」を説くすべも心得ていた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月08日(Sat) 17:20

そのA
モダニズムはフランス革命が生み出した価値観なのであろう。
自由・平等・博愛という自然権を崇高な価値とした。
 この思想の危険性は、例えば、自由を突き詰めれば、究極の無秩序を招く。
西洋の保守主義とは、モダニズムとの調和において社会の安定に価値をおく。

 日本は、外圧によりモダニズムを受け入れたことから、人の心や国家の再生は非常な困難を伴う。
もし、日本人が再生に「立ち上がる」とすれば、自らの内発的な歴史や伝統の知恵に基づかなければ、所詮実現しない。う。
 その意味からすれば、ポストモダニズムを理念とする「民主党」や「みんなの党」では無理であろう。

 歴史や伝統の価値を担保するのは「保守政党」しかないのである。

 いずれにしても、民主党政権のポストモダニズムは、日本を焦土と化すことに国民は目覚めてほしいものである。

 日本再生は、歴史と伝統を踏まえた智慧のなかにある。
保守主義こそ日本を救済するのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月08日(Sat) 15:17

その@
 日本は、明治維新以降、西洋モダン主義を、外圧として受入れてきた。
 モダニズムと同義語はモデル(模型)である。
西洋近代主義というモデル、日本からすれば、歴史や伝統にはぐくまれた叡智を捨てることであり、歴史と伝統の智慧に育まれた秩序の破壊でもある。
 
 現代日本はこの流れの中で、社会を究極まで模型化してきた。
モデルは幼稚化・単純化することにより知性は劣化する、「構造改革」や「自己責任」とクレージーである。そして民衆は宗教のように狂信する。
糞垂れ話(bullshit)を政党やマスコミが民衆をデマゴーグする。
民衆はそれに寄り添うことにより、安心を手に入れる。

 しかし、我々はもはやよる「べとする心のふるさと」「よるべとするお国」も無くしてしまつた。

 民主党の理念は「ポストモダニズム」であり、その「寄る辺のない心のふるさと」や「寄る辺とするお国」を解体することを理念として進めることをマニフェストやインデックス2009で高らかと宣言している。
 安らぎを提供する家族を「夫婦別姓」、民族の故郷である国家を「外国人地方参政権」でバラバラに解体する。
歴史と伝統に支えられた日本文化の破壊を企てる。
 鳩の安全保障認識には、国民国家の守るべき価値を持ち合わせていない、反国家の輩であることが白日の元に曝された。
 同義や至誠の道徳的価値の欠片も持ち合わせていない、恐るべきゾンビである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月08日(Sat) 15:16

そのA
しかし、終戦後の言論復活した直後なら、市民の声と思えたかもしれないが、今やそれを世論と考える人はいると思えない。百人の意見を聞いて、百人分放送すればある程度世論だが、賛成二人、反対二人というバランスでは何もならない。実は九十八対二の中の二人ずつということもあるからだ。バランスを考えると社会は映らない。
その上、大抵の人はウソを答える。ウソというと語弊があるが、必ずしも、かねてより自分の中にあった強い問題意識ではなく、求められるそれらしき答えを話すということが、よくあるからである。
現代人はサービスする。たとえ街中であろうとテレビカメラを向けられると、出演者としてのキャラクターを発揮しようとすることもある。
実にテレビの作り手の魂胆を見抜く力を持っていて、適当にレベルを合わせ、放送のタイミングまでも予測して、期待に応えようとするのである。そこに、街の声の素朴さ真摯さはなく、従って、世論とはなり得ない。
とにかくニュースも作られる。「面白さ」がニーズであり、トレンドであると信じる限りこの状況はつづく。そして、どちらが笛吹きかどちらが鼠か、送り手も受け手も迷路へ入り込む。

Posted by: 夕焼け  at 2010年05月07日(Fri) 14:10

 その@
 マスコミは民主党政権をつくるために、デマを垂れ流し、民衆を扇動した。
 自分達のヒイキで作った、政権は劣悪であるが、「媒体」よろしく「謀体」あるいは「楳体」となりさがりった。
 権力と融合したマスコミ、この複合体ほど腐ったものはない。
 中国やかつてのソ連の、メディアそっくりである。
政権は「ポストモダニズム」なる、ユートピアの浮遊している。
鳩の「日本列島は日本人だけのものではない」、韓国が竹島を、中国が日本のEZZを侵犯しても、友愛よろしく、相手国の「いのち大切」を協調する。
 民衆が日本を滅亡させる。
流浪の民となるかも知れない、総てが民主党政権による。

 ニーズとトレンドを追うと 人も国も時代すらも 迷路に入ってしまう(阿久  悠)

ニュースも作られる。そう思うしかない。ニュースの素は「自然発生」--まさかそれまで作り物ではないと思うが――であるが、それが社会を騒がせる「圧」を持っているかどうかでは、どうもニュース伝達者の手が加わっている気がしてならない。
「事件がありました」「ああ、そうですか」では困るのであって、「わしらの生き方のどこが悪いんじゃい」「その口の聞き方こそ、シツケの欠落なんだ」と、言葉のラリーを行うたびにヒートアップし、過激になっていかなれればならない。そのためには少々の仕掛けが必要になってくる。それが作られることだ。
「世論操作」などという大それたことをやっているつもりは、ないであろう。また、やられてはたまらない。だが、テレビを中心にあらゆる情報がエンターテイメント化し、それに携わる人たちは、ほとんど被害妄想的に「面白さ」を求める。面白くないものは情報ではないと思い込んでいるから、何としてでも「圧」を加え、騒ぎを増幅しょうと懸命になる。
だから、絶対支持も完全否定も困るので、博奕(ばくち)場の台詞の定番「丁半コマそろいました」と、丁と半の賭け手の数がそろうようにする。
つまり、証言者を賛否同じ数だけスタジオにそろえる。そして、これだけでは作り物めいて思われる心配があるので、街の声を二つ三つ紹介する。「街の声」は民主的手法で世論を汲み上げるように、長く信じられている。今もやっている。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月07日(Fri) 14:09

 鳩くんもういい加減でお乞食をやめたらどうですかね。
金満家の家に生まれ、その心は乞食、貧相極まりない。
 また、この劣悪な御仁を総理に祭りあげた、民衆とは、これも下劣極まりない。
 こんどは「みんなの党」ですか、消費税を上げなくてよいというデマに踊る。糞垂れ話(bullshit)を垂れ流す。
歴史や伝統を背負う覚悟もない。
 韓国は竹島の領有を固定化、中国はEZZに侵入するが、一向に抗議の姿勢なしの売国の輩である。
 永田町に舞う謎の鳥は、早く潰してしまおう。

*京都六波羅蜜寺に、口から阿弥陀如来六体を吐き出している空也上人の像がある。空也上人は延喜三年(903)に生まれた。醍醐天皇の第二皇子といわれている。この頃は、前の天皇の皇子や皇女が零落というようなことは珍しくなかったから、空也もその類いであったろうか。
 諸国を遍歴修行し、天歴二年(948)に比叡山に登り、座主延勝の弟子となつて大乗戒を受け、光勝の名を授けられた。
 生涯特定の宗派に属せず、天禄三年(972)七十歳で没するまで、巷の仏法者として、庶民の間に念仏の信心を説いて歩いた。それゆえ空也は、阿弥陀聖、市聖と呼ばれて、庶民の間に絶大な信頼があった。
 
 空也は徹底的に捨てた人である。『私集百因縁集』によれば、千観内供が四条河原で空也に会った時、「いかにして後世を助からんことを仕るべき」と問うた。空也は、
「逆ま事なり、左様の事は御房などにこそ問うべきに、かかるあやしき身は只云ひ甲斐なく迷い歩くばかりなり、思い得たることも侍らず」
 と拒絶したが、千観は諦めない。さらにねんごろに問うたので空也はついにこう言った。
「何くにも身を捨ててこそ」
 それつきり空也は行ってしまつた。千観はまもなく宮中の内道場に奉仕する内供奉という顕職を辞して、摂津の蓑面山に身を隠した。
 空也は捨てて歩いた人である。我々は今、文化生活の中で乞食のように拾い歩いている。名声、地位、財産、業績、等々。

 総理よ人によく思われたいという助平根性を捨てなされ!
国民は貴様と心中するのは真っ平御免こうむりますぞ。
 だつて、犬死ししたくないですからね。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月07日(Fri) 11:56

そのH
現代社会は社会学者が説いている通り、恐るべき「病める社会」である。その点で昔よりも人々は危険にあるといって過言でない。この生活法より自分の日常の仕事、自分の内面生活、社会関係を健全にしてゆけば、自分というものを容易に病ませたり、若朽させないで、どんどん進歩してゆくことができるのであろう。
こういう志を持たずに、うかうか活動しておると、容易に現代社会の複雑な、非常に恐ろしい病的魔力のために侵されて、案外早く自分を駄目にしてしまう。これは冷厳な事実である。志有る人物は宜しく冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、随わずという心掛けを以って努力せねばならない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:34

そのG
第十二、自分は人に対して親切であるか、誠実であるか、ちゃらんぽらんではないか――を反省すること。事業人として社会人として、一番その信・不信の分かれるところは、人に対して誠実であるか、ちゃらんぽらんかということである。
あいつはちゃらんぽらんだということになると、能力があっても駄目である。多少愚鈍であっても、誠実であるということは必ず社会的信用を得る。利口な才子よりも、鈍くても真面目な人間が尊い。
第十三、自分は人格の向上に資するような教養に努めておるかどうか。人間を作る意味の教養に努力しておるかどうか。
我々はいろいろ本を読んだり、趣味を持ったりするれけども、案外人間を作る意味での学問修養は、なかなかやれないもので、とにかく義務的な仕事にのみ追われて、気はついていていても人格の向上に役立つような修養には努力しない。少し忙しくなってくると、そうゆうことを心掛けることはできにくいもので、地位身分のできる頃に、悲しいかな自分自身は貧弱になる。下に在る間は良かったが、上になるほど駄目になる。不評になるのは、悲劇であり、恥辱である。
第十四、特に何か知識技術を修めておるかどうか。つまり何らかのエキスパートになる努力をいておるかどうか。
昔から”芸は身を助く”というが、我々は人間としてよくできておると同時に、何か一芸一能を持たなければならない。つまりエキスパートであるということは、我々が社会人としての生命を維持するにも非常に大切な条件である。あの人でなければならぬという、何か一つをもっておることは、非常な強みである。少なくともつぶしのきく人間になる。それだけの素養を持っておる、いや持っておるのみでなくて、いやが上にもそれを磨くことである。
最後の第十五、これは非常に深い問題であるが、自分は何か信仰・信念・哲学を持っておるかどうか。これは一番人間にとっての根本問題である。
その人から地位だの、名誉だの、身分だの、報酬だのというものを引いてしまう、あるいは親子だの、妻子だのというものを引いてしまうと、何が残るか。何も残らぬということではいけない。一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なもの、不滅なものが何かあるかという時、答えられる人間にならなければいけない。それはつきつめたところ、何らかの信仰・信念・哲学というものを持っておらねば能わぬことである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:33

そのF
だから、本当に自分はこの仕事に適しておるかということも、案外冷静にに克明に吟味しても、容易に断定することのできぬ問題である。まず自分を虚心・無欲にせねば判断できない。
第九、現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りうるかどうかということ。もし生涯の仕事とするに足りないと思われれば、できるだけそれを生涯の仕事にするに足りうるように研究するか、何かそこにまだ落ち着いた正しい工夫と努力とを要する。
我々の心構えと努力の如何によっては、どんな小さいことでも、生涯の仕事とするに足りるものである。いかなる小事も深く入ってゆけば、大和の理によって無限に世界が開けるからである。
第十、仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ、自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足を何によって得るかとゆう問題。
我々が退屈するということは案外いけないことである。我々が働くことによって消費されるエネルギーよりも、退屈することによって消費されるエネルギーの方が大きい。
退屈するということは非常に疲れることであり、毒なことであるということが、最近医学的にもはっきり実験証明されている。だからその意味においても、我々は退屈をしてはいけない。あくまで敏・敏求・敏行でなければならぬ。
曾国藩が四耐ということを挙げている。四つの忍耐、一つは冷ややかなることに耐える。人生の冷たいことに耐える。第二は苦しいことに耐える。第三は煩わしいことに耐える。第四は閑に絶える。
この閑・退屈に耐えるということが難しい。”小人閑居して不善をなす”というのは名言であって、まことに退屈せぬように、もし仕事がどうしても自分に向かぬという時には、どうゆう仕事なら打ち込めるかを調べる。漫然とテレビを見たり、小説に読み耽ってせっかくの時を無駄にするなど、すべてもったいないことである。
そこでその次、第十一、とにかく自分が毎日絶えず追求する問題を持ち続けるということ、そういう思案や反省と同時に、さしあたり毎日、今日はこれをせねばならぬ。それからあれをやるのだという、絶えず追求する明確な問題を持っておるかどうか、もっと直接にいえば、とりあえず今日何をせねばならぬかという仕事を持っておるかどうか。今日はもちろん、明日是非これをやらねばならぬという仕事を持っておるかどうかということである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:32

そのE
そういう感情上の動揺があっても、仕事は平常の如く続け得られるというのは、それだけバックボーンがてきておる証拠なのである。理性や意志の統御が利く人である。
昨日の失敗のために、今日の仕事が妨げられないでゆけるという試練、終始一貫してゆけるか、ちょつとした失敗で、すぐにその仕事が厭になるかという差別の及ぼす結果は大変なものである。
それには第七、絶えず次のようなことを自分で反省し、修養する必要がある。それは毎日の仕事に自分を打ち込んでおるかどうかということである。
我々は案外精神が錯乱し易い。ものに打ち込むということは難しいる東洋哲学でいうと、”止”という言葉ががある。これは「とどまる」であるが、実はものに打ち込んで一体になることで、”止観”(禅)といえば、ものに打ち込んで、ものと一つになって、ものわその内から観る叡智・直観をいうのである。
ある役人の練達な実務家が、「自分は廻って来た書類を&#25681;むと、大体これは良いか悪いかということが分かる」と言っていたことがある。それは仕事に打ち込んできた経験が、だんだん直観力を発達させたのである。
私どもも、絶えず思想的な書物を、終始何十年も読んできておるので、そうゆう本ならば、手に取ってパラパラめくると、この本は良いか悪いかということが分かる。果物屋は、蜜柑でも、柿でも、木を見て、良否はもちろん、幾つなっておるかということまで大体当てる。それでちぎってみると、五つか六つくらいしか違わない。機械の熟練技師もそうである。機械を一々分解しなくても、機械自身どこが悪いということを訴えるというが、本当に分かるのである。
すべてそこまで行けなければいけない。それには仕事に打ち込んでおるかどうかということから始まる。
第八、自分は仕事にどれだけ有能かであるが、自分は仕事に適するか。こうゆうことを絶えず自ら実験してみることである。
ところが案外自分は有能である。有能でないという判断が当てにならぬ。しばしばとんだ錯覚や浮気があって、自分の柄にもないものを、いわゆる”下手の横好き”で好い気になるものである。
興味があるということと能力があるということとは違うのに、よくそれを錯覚する。えてして、自分本来の能力を意識しないで、自分の本来の能力でもない、自分にとっては枝葉・横道の方へそれ易い。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:29

そのD
アメリカのある大学の心理学教室で、大学生の生活調査をやった報告を見たが、その中でやはり飲食や睡眠を調べておった。
その報告に依ると、いわゆる惰眠が多い。不安眠が多い。本当に規則正しい生活をして、学問や運動に打ち込んで、安眠・熟睡、黎明即起、醒後霑恋せざる者は寥々たるものである。
大学生時分はそれでも済むが、社会人・事業人になると非常に注意しなければならぬ。特に人の子の親となれば、子供に好影響を与える第一はこの健康な早起きである。
第三は、自分の心身に影響を与えておるような悪習慣はないかということである。朝起きると、亀の子のように寝床から首を出して、煙草を吸いながら一向起きないとか、夜遅く晩酌をやりながらくだをまくとか、麻雀などやって、またしても夜明かしするとか、一度銀座通りのような処をうろついてこぬと本が読めぬとか、案外人間にはつまらぬ習慣があるものである。そういう悪習慣のあるなしを自ら検(しら)べるのである。
人間は習慣の織物であると、有名なスイスの哲学者詩人であるアミエルが説いている。全くその通りである。
第四は、適当な運度をしておるかどうか。運動というものはその人によらねばならない。その人によって、かなり過激な運動も良いし、場合によっては柔軟運動が良いし、また場合によっては正坐・調息あるいは散歩といったようなものが良い。運動というものは、その人に適したものでなければならない。
運動そのものがいかに良くても、その人に適するとは限らない。いずれにせよ自分自身に適当な運動をすることが大切であるが、かねて本会で推奨している真向法は万人向きであると思う。
乗り物の発達は人間をひどく不健康にする。文字通り「不足」にするのである。

精神と生活
第五、自分は日常生活上の出来事に一喜一憂し易くないか。つまり日常生活の出来事に軽々しく感情を乱されるようなことがありはせぬかということ。
生活上の問題に一喜一憂し易く、特にすぐ悲観したり、昂奮し易いというのは病的で、事を成すに足りない。こういう人は環境に支配される力が強いのであるから、自己の主体性がないのである。自身の中に豊かな大和的内容がないのである。伝染病にかかり易い弱体と同じことである。
第六に、たとえそういう精神的動揺があっても、仕事は平常通り続け得るかどうかということである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:27

そのC
私の親しい医学者の話しに、毎日ビールを飲んで、豚カツを食っていたら、三ヵ月で馬鹿になるということを理論的に説明しておった。我々は不合理な飲食・馬鹿な飲食を案外やっておるものである。くだらぬ小説や論文を読むよりも、こうゆうことを研究した方が、よほど人生の役に立つ。
第二に、毎晩よく眠れるかということである。眠るということがいかに人体に必要な問題であるはいうまでもないが、とにかく、よく眠ることは非常に大事である。眠りにもいろいろある。まず、安眠と熟睡と両方を要する。熟睡というのは深く眠ることで、これは、つまり生理の問題である。安眠というのは、より多く心理的問題である。精神状態が平和であると安眠ができる。安眠と熟睡とは、そういう点で違う。
精神状態は平和であっても、どこか健康に支障があれば、熟睡はできない。疲労すれば熟睡はできても、精神状態が不安であると、安眠にはならない、囚人が監獄を脱走して、山の中を歩き疲れた時など、熟睡するが、それは非常に不安眠である。我々はやはり精神生活に伴うて安眠する。
それから、疲労の度によって熟睡、あるいは浅睡になる。常に安眠して熟睡することを考えねばならない。そして熟睡は案外短時間でよい。既に生理学者が証明している通り、眠りは最初のうち、うつらうつらして本当に寝入っておらない。それからしばらく熟睡して、そうして、またうとうととしてくる。これは大変気持ちのよいもので、これを惰眠という。西洋でも東洋でもそうだが、有為有能な人に共通しておることは、”惰眠”せぬことである。
蒋介石総統が心酔した曾国藩という清末の偉人がある。この人が日記や手紙に、「黎明即起」「醒めて後、霑恋(てんれん)することなかれ」と力説している。
霑恋というのは、床離れの悪いことである。確かに我々朝寝坊をするのと、しないのとでは、非常に違う。能率が上がるばかりじゃなく、精神状態も爽快である。それに案外小時間の安眠熟睡を得れば足りるが、精神的に不安を持っておると、どうしても熟睡がしにくくて、眠りが浅くなるから、惰眠の時間が長くなる。そこで毎晩よく眠れるか、安眠・熟睡ができるかどうかということを点検することは大いに意味がある。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:26

そのB
例えば、しばしば体験することであるが、自分のかわいい子供が胸を病んでおるのを、母親が看病しながら、栄養を摂りさえすればよいと思って、そのおかさんは、一日のうち半分寝ている青年に、牛乳を飲まないか、お肉を食べないかというふうに、卵を幾つも食わせたり、パンにバターを塗りたくったり、そうゆうようにうまいものを食わせなければならないもんだと思って、食いたがらない子供に一所懸命バターとか、チーズとか、卵とか、牛乳とか、肉などを勧めている。
また、青年も甚だ非科学的であって、何かそうゆうものを摂らなくては自分の身体がもたないと思っている。そして、実は自殺を招いておるのである。なしくずしの自殺をフル・スピードでやっておる。
食物は消化し吸収することが必要なので、胸の、呼吸器を病んでおるというのは、既に全体が弱っておるし、消化機能が衰えているのだから、それに肉とか、卵とか、バターなどを詰め込むことは、全くとんでもない無理である。なるべく、そういうものは少なくして、もっと消化し易い、吸収し易いものを与えなければならない。うまいものを食べるよりも、食欲をつけることを考えなければならない。
我々が本当に飲食しょうと思ったら、時々は断食や節食をやる方が、うまいものや、薬を飲むより良いことである。だから、母親はあんまり病子にそんなものを食べさせぬようにして、食欲をつけることを考えなければならない。そして体情に応じて消化し易い、吸収し易いものを与えろと説明してみても、なかなか納得しない。場合によっては誤解して、ひがみもするであろう。これは非科学的な不合理なもので、「妄食」といってよい。
ビフテキ・豚カツをたらふく食って、酒を飲む――なども、非科学的な、不合理なものである。昔の人々の方が、その点却って合理的で、科学的に食物を摂っている。
昔の酒飲みは、必ず酢の物とか、淡泊な、あっさりしたものを摂った。我々の食事は、やはり陰陽の原理で、酒というものは陽性なものだから、酒の肴には陰性のものが良い。酢の物とか、野菜とか、淡泊なものが好い。牛や豚を大食して、酒を飲んでおったら馬鹿になることは間違いがない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:25

そのA
日用心法
身体と生活
道は邇(ちか)きに在りとは名言である。人は高遠な理論や、煩瑣な社会的交渉の前に、あるいはその根本において、常にまず我れ自身、我が日常の生活を注意せねばならぬ。
しかるに案外思想家とか学者といわれる人々に、病的な性格や生活が多く、重要な地位に就いて活動している人々にも弱点が少なくない。健康な身体に健康な精神が宿るとは人皆の知る格言であるが、果たして健康な身体であるかが既に簡単なことではなく、たとえ健康としても、健康な身体に、健康な精神が宿ればよいがと、ローマの諷刺詩人ユヴェナリス(西起約50〜130)も言っている。
環境と身体――精神と身体――日々の生活と身体等の微妙な関連は、思いも及ばぬ微妙なものがあり、その大和を得ることができれば、人間のいざこざなどは、自然の雨・雪・風雷などと同じく問題ではない。むしろ人生の情景である。そこで我々日々の生活と心得とでもいうべきものを一通り省察して見よう。
第一は極めて通俗なことで、しかもこれが非常に難しい−それは飲食の問題である。自分は毎日の飲食を適性にやっておるか。過度や不合理でないかということを吟味する。
『中庸』には、人飲食せざる者はないけれども、よく飲食を知っておる者はめったにないということが書いてある。
なるほど、確かに飲食せぬ者はない。俗に「生きる」ということを「食う」という言葉で表しておるように、飲食というのは生活の大部分かも知れない。その飲食を我々が適当にやっておるか、誤ってやってはいないかということを、本当に明確にしょうと思ったら、それこそ生理・病理からして際限なく知識を要する。
そんなことはとてもできないが、絶えず注意して正しく飲食する。賢明に飲食するといってはおかしいが、これは研究するほど限りなく面白い有益な問題で、一番悪いのは、暴飲暴食や妄飲妄食することである。
日本人はもっと飲食を合理的に、もっと正しくする必要がある。日本人は栄養を摂るということよりも、むしろ、満腹という言葉で表しているように、腹に詰め込むという悪習慣がついている。
外国を旅行して、たびたび気がついたことであるが、西洋人の飲食は一般に簡単で、日本人はそれに比べると重い。”大めし食らい”が多い。そしてまた不合理な飲食が多い。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:23

 人間の心構え、鳩君、自分の進退は自分で決すべきです。
客観的には、総理としては落第ですぞ。

*心構えについて (平岩 外四)
二十世紀の文明と文化は、西欧的な合理の精神が築いたものと言えるでしょう。その個人主義的な物の見方、感じ方、考え方、つまり物事を分析的に解明し、論理的に組み立てていく思考方法が、エネルギーになっていたのであります。これが、現在の物質的に豊かな社会をもたらしました。また、同時にこの社会は、多岐多彩にわたる現今の国際社会の諸現象を派生しております。西欧的な合理の精神は、いま、試練の時を迎えているのであります。
安岡正篤先生は、ことあるごとに「異文化を尊重し、相互に宥和し合う精神を失えば、世界に争い事は絶えない」と申しておられました。世界の現象を憂えてのことだと思います。東洋の学問と西洋の学問をともに深く考窮され、それぞれの思想、精神の精髄を悟られた先生は、西洋的な合理が、ややもすると独善的、排他的になる危険を、こう述べられたものと、私は受け取っております。
安岡先生を囲むつどいで拝聴した講和は、何時も楽しく、しかもぐっと胸にこたえるものがありました。世界の出来事から身辺の世間話まで取り上げ、西洋や東洋の故事を自在に操り、解りやすく語られるのが常でございました。・・・先生の講和を拝聴して、更めて、私は東洋的な合理の精神に気づきました。西欧の合理のように論理的ではないかも知れません。しかし、知識を包み込み、論理を超えた統合的な、人間の知恵というものが、そこに凝縮していると感じました。壮大な宇宙観と、鋭い人間観察、その深遠な思想と哲学を教えられました。
かって、先生から「見えないものを観る」という訓えを頂ました。心の眼を養えということでございます。とかく、物事ははっきり変化して、初めて異常に気がつくものだが、指導的立場にある者は、変化の兆しを早く見つけ、事前に必要な手を打たなければいけない、という訓でございました。そして、これには、西欧の合理も東洋の合理も身につけ、異文化を理解する寛容の精神を欠いたら、この心の眼は開かないと教えられました。
先生は、生涯にわたり後進の指導育成に心を砕かれ、多くの著作とともに全国各地を行脚して、警世の訓えを残してこられました。・・・

Posted by: 夕焼け  at 2010年05月06日(Thu) 21:21

今の民主党政権と鳩と小沢、平成の脱税王であり、公金を平然と詐取する。
 そして、夫婦別姓、外国人地方参政権、人権擁護法と、家族や国家を解体し、国家の騒乱を楽しんでいる。
 普天間は、国の防衛体制を破壊することを願っているように国民には映る。
 まさに、永田町に舞う謎の鳥は、乱世を好み、人々の困窮を願う、そして流浪の民を作る。

 自分は脱税、子供手当て1500万/日で、遊興三昧にふける。
 鳩の館の雌鶏は、韓流スターを呼び込み、「酒池肉林」の○乱にふける。
 二十兆は簡単に削減できる、消費税は上げないと嘘をつき、道徳的退廃は目を覆いたくなる。
 至誠なき日本、滅亡を呼び込む、鳩なる迷い鳥である。

*一休宗純は、応永元年(1394)に生まれた。父は北朝の後小松天皇、母は南朝の公卿の娘であった。母の身分が分かると、将軍足利義満はすぐに嵯峨の民家に軟禁し、生まれた子が女子ならば宮廷にひき取り、男子ならばすぐに寺に入れるように指示した。
 母の愛も、父の愛も知らないという不幸な「境」を持って生まれた人である。「すね者」にならぬ方がおかしい。 
 南北朝の争いは、生まれる前の年にやつと解決して、後小松天皇が統一初代の天皇になつたが、応永十三年(1406)の洪水にはじまつた飢饉は慢性化して、応永二十七年以降は大飢饉、それに伴う土一揆し呼ばれる農民の暴動は四十年近くつづき、応仁元年(1467)の「応仁の大乱」で止めを刺される。 無法乱世に八十八年の生涯を送った風狂の禅僧である。政治家に良心なく、民衆に自制心なく、僧に道心なき世相は今の日本そつくりである。
 魂の荒廃し自由狼藉は、そつくりそのままといってよい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月05日(Wed) 16:22

そのA
これに比べれば、日本のインテリ層が呪縛されつづけたマルクス主義などは、じつに精緻を極めた。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた。今日ではすべて塵と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする理想の献身意欲に満ちあふれていた。しかし、その神殿の柱はぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。
現実とは単純でくだらなく見えるが、かように残酷なものであり、それをもっとも良く理解しているのがアングロサクソンである。ゆえに地政学は彼らの間で栄え続けた。その最近の成果が、ハンチントンの『文明の衝突』であることはいうまでもない。

無理がある洗練さの潤色
先日、北朝鮮のミサイルが7発、朝鮮の主体(チュチェ)が精を放つように射られ日本海に落下した。
テレビを見ていると、識者たちの憶測はどんどんと精緻になり、テポドンはアメリカ向け、ノドンは日本向け、スカットは韓国向けなどという、思いもよらない写実の色彩を帯びてきた。
党のテクノクラートと軍部の対立などという近代国家の権力の構図まで飛び出して、前近代国家に洗練さを潤色するに至っては何をかいわんやである。現実の北朝鮮の「テクノクラート」とは、宋日昊・日朝国交正常化問題胆当大使が平壌で日本メディアとの会見の際に見せた、あの前近代的な恫喝の姿である。
それよりもさらに現実的であったのは、火事場泥棒のように、韓国の調査船が竹島周辺の日本の排他経済水域を侵犯し、警告を無視して海洋調査を行ったことである。彼らがひとまとまりで今日本に何をしたがっているのかは、これらの日本周辺諸国の行動をみれば明白ではないか。
中国に至っては、2000年に入ってからの日本領海の原潜による侵犯、尖閣列島・魚釣島への不法上陸、日本側海域に隣接した東シナ海のガス田採掘など、陸の領事館不可侵権侵犯事件、日本の国連常任理事国入り反対の反日暴動などと連動して彼らの意図を浮き彫りにしつつある。その上、今回の北朝鮮ミサイルに対する国連安保理制裁決議への執拗な抵抗が加われば、これらの現象が指し示すものは、特定アジアに「反日の孤」(Anti-Japanesecrescent)が形成されつつあるという、われわれ日本人にとって過酷すぎる現実である。

Posted by: 夕焼け  at 2010年05月05日(Wed) 11:52

その@
 鳩なる「軽蔑鳥」、今日も永田町に舞う、沖縄に五月連休に渡った、美味しい餌を求めての旅であつたようだが、もはや沖縄は雑草が繁茂する荒地である。
 
 グラジュエイトとは卒業であり入学の意味でもある。
野党を卒業し、政権という新しい学校に入学したが、なにやら海遊するクラゲか、はてや足のない幽霊のようである。
 日本の安全保証に盲目であり、限りなく抑止力を縮小する民主党政権である。
 地政学的視点などまるで無しである。
泥棒が暗躍するのに、警察官を減らすという政権、それに拍手喝采する民衆である。

 戦後日本はこのような得体の知れない、浮遊物を生み出し、それを最高責任者としてしまつた。
 つまり、日本そのものが、大地にしっかりと根を張らない幽霊国家となつているのであろう。
 当然として、幽霊を支持する幽霊がいるのである。
またもや、増税必要なしと、嘘八百のデマをふりまき大衆を扇動すね「みんなの党」に人気が集まるというから、日本人はクレージーであろう。
 先進国の中で最も国民負担率が低い、市場原理主義、構造改革を今も叫び、日本のプラットホームを建設するのではなく破壊することに熱心である。
 ああ、救いがたき民族である。

現実に目覚め国家理性を立て直せ  (筑波大学大学院教授 古田  博司)
日本には定着せぬ地政学
かつて二ーチェは実証の学問を批判し、「否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」と、身も蓋もないことを言ってのけた。
わが国に定着しなかった学問で、西洋には「地政学」という分野がある。現実の権力による世界の解釈の仕方を述べたものであり、戦略をその学の欲求としていた。そして5つほどの仮説で、ネタが尽きてしまうほど単純なものである。なぜ日本に根付かなかったかといえば、あまりに現実的で、解釈の一撃で終わってしまうため、日本人の大好きな細かい写実を許さなかったからだろう。
たとえば日本は海の国であり、海上権力の把握こそ大事だ、といったようにである。これでは伝統的知識人にはやるべきことがない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月05日(Wed) 11:51

 獣の骨に穴をあけ、それに焼けた火ばしをつっこむと、ボクッと音がして卜型の割れ目が生じる。長生きするカメはたぶんもの知りだろう―というので、大事なことを占うには亀甲を使うこともあった。その割れ目の形をまねて「卜」という字が作られ、ボクッという音をまねて卜(ボク)と読む。卜という言葉は、擬声語なのである。殷の人達はその割れ目の形を見て、「吉」だの「凶」だのと判定したのだ。紀元後四世紀の歴史をしるした『魏志』「倭人伝」には「倭人は亀卜を用いる」と述べているから、この風習は日本にあったらしい。
『古事記』に「太卜(ふとまに)に占(うら)へて」と書いているのは、たぶんこの亀卜のことだろう。

 さて、鳩山総理の基本姿勢は「科学的接近」ではなく「卜」のようである。
 古事記の時代に先祖帰りしたようである。
普天間移設の問題で、占い師に占ってもらったら、米国は譲歩すると「卜」の結果が出たと、県外移設を傲慢にも喧伝していた。
 それを見た中国は、西の鳥島まで軍艦をこれみよがしに運行し、軍事力を誇示した。
 そして、日本の排他的経済水域を中国の水域だと主張し支配力を喧伝する。

 鳩という総理は、軍事知識はからきしダメで、今でも海兵隊の一部を徳之島に移すことを諦めない。

 抑止力を最大限に発揮するよりも、個別の利害を優先するミー二ズムに凝り固まり、大きく国益を既存しているという認識がからきしない。

 ここまで来ると、米国ではないが、軽蔑の対象となる。
よくもまあ、日本人はこんな、比較できないほどの劣悪な人士を総理としたものだと呆れるところである。

 日本の存在が地に落ちる。
それでも、民主党政権を支持する人間とは、お気の毒な方である。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月04日(Tue) 17:55

そのB
『ミリオンダラー・ベイビー』の老ボクシングトレーナーは、ゲール語を学んでいる。かれは自分が愛する「娘」としてのマギーのガウンに、ゲール語で「モ・クシユラ(私の血)と縫い込んだ。ガウンの色は、アイルランドのナショナル・カラーとしての「アイリッシュ・グリーン(緑)」だった。
常に「理想の国」目指して
イーストウッドはそのように、アメリカのナショナル・アイデンティティーとしての「愛蘭土」を映画にうたいこんだのである。
アイルランド人が石を砕いて土をつくったように、アメリカに渡ったアイルランド人は「アメリカ」を作った。中国人も韓国人もロシア人もヒスパニッシュ(スペイン系)も、そして日本人も、みなアメリカを自由と民主主義の「理想の国」と考え、そこに移民してゆく。しかしアイルランド人は、アメリカを「理想の国」に作ってゆこうとした(そこにアイルランド移民の子ケネディ大統領がいつまでもアメリカの星であるゆえんがある)
その意味で、『ミリオンダラー・ベイビー』はアメリカの核心に「アイルランド」を据えた『風とともに去りぬ』の後の物語なのである。その女主人公スカーレットは、敗北を乗り越えるために、何度となく「タラへ」と叫ぶ。
タラはアイルランド独立運動の聖なる丘の名である。無一物のスカーレットは、「アイリッシュ・グリーン」のカーテンから緑のドレス、つまり誇りを作ったのだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月03日(Mon) 20:35

そのA
だが、イーストウッドはこの映画で、アメリカのナショナル・アイデンティティーは「外に敵を作る」ことではなく、いわば「内に誇りを再確認する」ことだ、と語っている。映画評論家たちがそのことに気づかないのは、それはアメリカ人にとって自明のことであり、それゆえあえて言葉では語っていないからである。映画評論家はそのことを、映像において読み取らなければならない。しかし、それができていない。わたしが冒頭で、映画評論がずいぶんと表層的になっていると述べたのは、その意味である。
イーストウッドは、アメリカのナショナル・アイデンティティーを映像において語っていた。かれはマギーという女性ボクサーに”人間としての誇り”を語らせた。しかし、映画作家としてのイーストウッドは、そこに「アイルランド」を映し出すことで、”アメリカ人としての誇り”を重ね合わせてみせた。
老ボクシングトレーナーのフランキーは、いつもアイルランド詩人イエイツの詩集を読んでいる。イエイツはイングランド系のプロテスタントだが、かれはケルト系でカトリックの「アイルランド」を発見した詩人でもある。イエイツにとって「アイルランド」は、自らの「魂の祖国(パトリア)」だった。
ちなみに、司馬遼太郎はそのケルト系(ゲール語)でカトリック、そして「妖精」の国であるアイルランドを明治日本の呼び方で「愛蘭土」と表記した。そこでは(アラン島でも)石をハンマーで砕いて必死に土をつくる。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月03日(Mon) 20:35

その@
 今、日本人は、祖先がこの国土で切磋琢磨し、いかに「理想の国」を作ろうとしたか、そこに思いを馳せているのであろうか?
今を本当に大切に生きているのであろうか?

 アイルランド人は、アメリカを「理想の国」に作ってゆこうとした(そこにアイルランド移民の子ケネディ大統領がいつまでもアメリカの星であるゆえんがある)

アイルランドはケルト人の土地である。ケルト人はかって大陸に住んでいた、ザルツブルク(塩の城)の地下には総延長が東京〜下関に匹敵するような地下トンネルを作った民族であるという。
 元来、彼らはアイヌと同じく文字を持たなかったことから、口伝による叙事詩が今に伝えられている。
 ケルト人は極寒の土地に追いやられ、今でもアラン島では石を砕き土とし、風よけに石を積み上げる。
 海草を刈り取り肥料とし、ジャガイモ等の作物を栽培している。

*アメリカの核心にある「愛蘭土」 (評論家・作家 松本 健一)
表層的に過ぎる映画評論
アカデミー賞の主要四部門賞を獲得したクリント・イーストウッド監督の映画『ミリオンダラー・ベイビー』を観た。そのあとで、松竹が編集発行しているパンフレットや各紙誌の映画評を読んで、映画批評がずいぶんと表層的になっているな、と感じざるをえなかった。
『ミリオンダラー・ベイビー』は、パンフレットや各紙誌の映画評にあるように、三十一歳になってボクシングに打ち込むマギーという女性と、娘との関係を取り戻せない老ボクシングトレーナーのフランキーの”愛の絆(きずな)”の物語である。監督のイーストウッドは「これはシンプルなラブストーリー、父と娘のラブストーリーだ」と語っているほどだ。
しかし、この映画には隠れたストーリーがある。それは、アメリカにおけるナショナル・アイデンティティーとしての愛蘭土(アイルランド)を物語っているのだ。
サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』(一九九六年)で、冷戦構造解体後、世界各国はグローバル化した中でそれぞれのナショナル・アイデンティティーを再構築しなければならない。それは簡単だ、「外に敵を作ればいいのだ」と述べていた。
わたしはそれを、” ハンチントンの罠(わな)”と呼んでいるが、世界各国はいまその罠に落ちて、「外に敵を作る」ことに必死になっている。アメリカしかり、中国しかり、ロシアしかり・・・
石から必死に土をつくる
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月03日(Mon) 20:27

そのA
と司馬遷は簡単にかたづけている。孔子が生まれてまもなく父が死に、ようやく少年になったころ、母も世を去った。たぶん彼は底辺の民たちの情けによつて育ったのだろう。その孤児にも近い孔子が、なぜ「学」を身につけ、ついに大司寇(ダイシコウ、司法の長官)にまで出世したのだろうか。不思議なことである。

 思うにそれは、春秋末期という、時世のせいだったのだろう。
物知りで才ができ、行政に役だつ人材が欲しい。力で政権を手に入れた軍閥どもは、政治には暗いし、「学者」に対してはコンプレックスがある。
 故毛沢東が言ったように、「インテリは、人民の味方にもなり敵にもなる、危なかしい階層」なのである。それでいて、時には大衆の先達であるかのように、意気ごんでみせるものだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月03日(Mon) 16:05

ドン・キホーテなる鳩、何か宋の襄公に似ている。
宋の国の末路と、日本国の末路が重なってくるのは嫌なものである。

 春秋時代のドン・キホーテ、宋の襄公が意地をはりすぎて自滅してから、宋の国は、北の晋(のちに韓・魏・趙の三国に分かれた)と南の楚という大国にはさまれて、苦難の途をたどつた。
北にこびれば南から攻められ、南によしみを通ずれば、北にたたかれる。宋はもと、殷の遺民が集まってできた華中の小国だが、こうなると、もはや安住の地どころではない。故郷を捨てて他国に流浪する者があとをたたなかつた。
 紀元前五五二年のある夕暮れ、宋の王族の末孫、叔梁&#32007;といううらぶれた男が、東へ東へと疲れた歩みをはこんでいた。やっと山東省の魯の都が見えてきた。そこは今日の曲阜、太古には奄と呼ばれ、殷が安陽へ都を移す前、百年ほどにわたつて、ここを根城としていたことがある。だから周の武王(と周公)は、奄の平定にはほとほと手こずり、激戦をくり返したあげく、周公の長男伯禽をこの地に封じて、東方のおさえとした。それが魯の国のおこりである。だから周人貴族が領主となつて長らく支配してはいても、土着の民の間にはなお殷の遺風がくすぶつていた。のち魯の陪臣・陽虎が反乱をおこしたとき(紀元前五〇二年)、「周人とは周の社(鎮守のやしろ)に誓い、人民とは殷の社で盟約をむすんだ」(『春秋左氏伝』「定公八年」)と記されているように、土着の民は殷の滅亡後五百年たっても、なお団結を保ち、彼らだけの社を持っていたのである。叔梁&#32007;が「あそこえ行けば」とつい足を魯の都に向けたのも、かすかな同族意識に引かれてのことだろう。
 町はずれのあばらやの前に腰をおろしていると、「誰じゃ」ととびらが開いた。行かず後家の顔氏の女である。「旅の者じゃ。一食を恵んでたもれ」という次第で、男はついこの家の客となつた。
「顔氏の女と野合して孔子生まれる。尼丘(ジキュウ)に&#31153;(いの)りて孔子を得たり・・・よりて名づけて丘(キュウ)といい、あざなを仲尼という」(『史記』「孔子世家」)
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月03日(Mon) 16:03

民主党政権内の権力争いは烈しさを究める。
政権の中で、則天武后に相当するのが小沢一郎であろう。そして鳩は武后の子供に相当するのであろう。
日本も、太宗のような人がでてくれば国は栄えるであろう。
 民主党政権の内紛と政策は、日本の屋台骨を揺るがしている。

*六朝時代は、ひと口にいうと、南では名門、北では軍閥が幅をきかせて、政権のとり合いを演じた時代である。六朝の末、隋の王朝は、たくみにこれら貴族の勢力を利用し、そのバランスの上に統一王朝を建てたものの、やがて軍閥を押さえるために「科挙」という官史登用の試験を始めた。隋が朝鮮への出兵に失敗し、短い命を終えたあと、唐が興ってのだが、唐もやはり当初は各地の軍閥貴族の支援を得て、その統制の上に王朝を建てた。そして隋が始めた科挙の制度を固めて、新しい官僚を行政の中に繰り込もうとした。こうして、旧貴族、王室の外戚、そして官僚―この三つの勢力が、王朝の中で渦を巻くようになつた。唐初の政府の内紛は、このような時代の流れを反映したものである。
 しかし、さすがに唐の太宗は、傑物であった。自分が陣頭に立って戦場をかけめぐった自信と、人を信用して仕事をまかせる度量とを備えていた。しかしその後を継いだ高宗はともかく、中宗―エイ宗ともに、平凡な人物であった。時も時とて、中国の歴史の上で、漢の呂太后にも勝る権勢欲の強い女、則天武后(高宗の妃)が登場した。この人に始まり、韋后(中宗の妃)、それに王室の野心家の王女たち(安楽公主や太平公主)。などがからんで、それぞれに官僚を味方につけて勢力を固め、唐の屋台骨が揺らぐ騒ぎが続いた。
 六八三年、高宗がなくなると、武后はわが息子の李哲(中宗)を位につけ、やがて次の息子李旦(エイ宗)を即位させたが、このふたりとも地方の群王に退いてしまい、六九〇年には、いよいよ則天武后が全権を握って「周」と国号を改めた。

Posted by: 夕焼け  at 2010年05月02日(Sun) 16:57

そのA
駆け引きとか落としどころという言葉か飛び交い、狡猾に、恥知らずに振る舞った方に分があるように解説されるが、冗談じやない、「正義」と「常識」以外の落としどころがあるとしたら、それはもう存在を認めた方がおかしいということになる。
まあ、これはかなり前から言われていることだが、日本人は国連と五輪とノーベル賞の信仰が過ぎる。これらは、イベント価値はあるとしても、純粋の評価とか正義でないことは現在の国連スラップスティック――ドタバタ――を見てもわかる。これは大きなお世話で見えてしまったことの利であるかもしれない。
さて、国益とか思惑とかを持ち寄って、それを誹謗と恫喝を混ぜ込んだ踊る会議の結果がどうなるかわからない。これに加えて、敵の敵は味方的掻きまわしが入るのだからややこしい。悪事の告発者を悪者に仕立てようとする国だってないわけじゃない。
それらを見ながらそれらに限らず、人の社会の不機嫌な理由を考える。それは当たり前のことが当たり前に通用しないことへの不機嫌である。
そして、厭な予感だが、何にしろ鈍感な人が勝ちそうな気がして吐き気がする。鈍感に対するには言葉としては敏感なのだろうが、ここは繊細といった方がニュアンスとしてははっきりする。
とにかく人間同士の社会でいちばん悲劇は、鈍感勝ちの繊細負けという結果である。人と人がそうである。隣人関係も、隣国との接触も、家族の中でさえ、鈍感と繊細を比べると、鈍感に分がある。
ただし、どちらが正しく、美しく、好ましいかというと疑いもなく繊細である。
鈍感は相手を考えないことによって我を通す。それが行き渡っては幸福はない。「鈍感」は「害」なのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月02日(Sun) 14:20

その@
「鈍感は相手を考えないことによって我を通す。それが行き渡っては幸福はない。「鈍感」は「害」なのである」
 民主党政権による不道徳が社会に蔓延する、「当たり前のことが当たり前に通用しないことへの不機嫌」繊細負けでは国が滅びる。
 「子供手当て」巷では、手当てもらうために子供産むと!
定額給付金のときでも、不正受給があった。
 この若い母の発言、外国人にも支給する、不正受給を公言しているようなものである。
 「もらわなきゃ ソン ソン」の風潮、まるで社会を支える意識は頓挫している。
 いったい、誰が負担するのであろうか、国債発行で親や里親が受給する、子供の養育に使われる保証はない。
 将来、子供が支払うか、国のデフォルトかのどちらか、子供が選択することとなる。
 親に対する恨みは凄いものとなるであろう、親は巷にゴミのこどく捨てられる覚悟が必要であろう。
 そのことにも鈍感である、原因があって結果がある。
「民衆」は明るい未来よりも、今日の「おめぐみ」が欲しい。
 これでは「乞食」ではないか。

あってはいけないのは鈍感勝ち 繊細負け という結果だろうね (阿久 悠)

社会を見る。世界を見る。見る気がなくてもこんな時代であるから、何もかも見えてくる。情報時代とかいってこれを望ましいことのように評価されているが、とんでもない、よけいなお世話である。
人間社会なんで、見えないもの、知らないものがほどほどに混じっていて、正気が保たれる。陰の声から、戦略的打診の段階まであからさまに知らされると、その都度苛立ったりムカついたり、精神衛生上きわめて不快になる。だから、ぼくは常に怒っている。
外交的テクニックですよ、よくあることですよ、外交交渉の常識ですよと、何もかもお見通しの体で語る専門家がいて、そんなものかと思うものの、ごこかの国が何かと発言する度に腹が立つ。
これがもしテクニックであるとするなら、外交官も政治化もロクなものではなくて、そのロクなものでない人種によって構成される国連なんてものは、ウソツキ倶楽部の閑つぶしに思われても仕方がない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月02日(Sun) 14:19

そのA
アナウンサーやキャスターというものは、私たちと違った喋る訓練をしたはずだ。だから私は、ニュースを二人で(時には三人で)タッグマッチのように流すのも好きではない。あんなやり方なら、高校生の放送研究部の部員でもできるだろう。プロならニュースは一人で受け持ち、人件費の削減を考えるべきだ。BBCでもCNNでも、アナウンサーには、性別、年齢、人種、容姿など実に個性豊かな人たちがいて、原則一人でそのニュースをこなしている。
私は子供の頃、ジェスチャーというのは子供の遊びだと思っていた。最近ではいい大人の報道番組のキャスターやアナウンサーたちが「ズームイン」と揃(そろ)えて手を出してみたり、下手な寸劇をしたりする。大人向きの時間なのにすぐマンガのキャラクターのようなぬいぐるみも出るし、説明を補足するための奇妙奇天烈(きてれつ)な装置や扮装(ふんそう)なども多い。大人が大人でないのは、やはり描写力の不足からだろう。

ドラマも中学の学芸会並
一般に日本のテレビ番組には画面に人が大勢出過ぎる。プロジューサーたちは、出演者を大勢出せば安心するのだろうか、コストダウンの方法はここにもある。コマーシャルの美女が「なんとかだね」と薄汚い男性言葉を使ったり、何を売ろうとしているのか商品が最後までわからないコマーシャルもあって疲れる。
外国産のドラマには、苦味や悪い匂いがちゃんと加味されているから、それで大人が見るに堪えるものになる。「皆いい子」で育った世代の日本人には、社会と人間は、善だけでも悪だけでもない要素で成り立っている、という当たり前の認識がないから、中学校の各芸会みたいなセリフの芝居が売り物になると考えるのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月02日(Sun) 10:03

その@
 多くの「民衆」の支持で編成された「霞が関学級委員会」
精神年齢12才に相応しい、拍手喝采もあろうが、見世物としては大人としては吐き気がするところである。
 今日も、永田町に舞う謎の鳥、糞たれ民衆あってこの鳥のお出ましである。

*騒々しく描写力失った日本社会 (曽野 綾子)  
  なぜ甲高い女子アナの声
私一人の感覚のだろうが、最近の日本は実に騒々しくなった。騒音は毒ガスと違って人を殺(あや)めることもないのだが、静寂のみが育てる人格が阻害されることを思うと、意外と重大なことかもしれない。私が日本製のテレビ番組をあまり見なくなったのは、騒々しくて幼稚な内容に耐えられなくなってきたからだ。
昔、小説の修行時代に、いい文章とは自制の効いた表現のことだ、と教えられた。
「とっても海が美しいの」という文章ではどう美しいのかわからない。それは表現ではなく説明である。しかし「海面は滑らかにまばゆく輝く。あかるい鏡の面をさっと横切る影のような飛魚は、水の中に姿を消すとき、きらめく水滴の小さな泉を作る」(サマセット・モーム著『太平洋』より)と読めば、ああ海は胸を躍らせるほど輝いているのだと実感する。
人はおかしい時や楽しい時には自然に笑う。しかし笑い声そのものは売り物にはならない。また売るものでもないだろう。笑い声は結果だ。落語家も漫才師も、だから自分ではめったに笑わない。彼らは怒り当惑し罵(ののし)ってみせる。彼らは描写しているので、説明しているのではない。その結果観客は笑う。
テレビが喧(やかま)しいのは、タレントとしてのプロ技術を持たない人たちが、自分たちのおふざけの結果の笑い声を、商品価値のあるものと勘違いして流しているからだ。笑い声だけではない。外国で長く暮らしてきた一人の女性が、或る時、私に聞いた。
「どうして日本の女性のアナウンサーたちは、あんなに甲高い声を出すんでしょう」
彼女たちは、感動を声の高さで伝えようとして、きんきら声になる。息を切らしながら「とっても」という言葉を乱発することで感動を伝えようとする。ところが感動したというのは説明で、描写でも表現でもないのだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月02日(Sun) 10:03

そのA
そういうと、時期遅れでも売れりゃいい、いまの人はそういうであろう。でも古人は、ものには時期というものがある、ともいった。日本のように四季折々に、さまざまな風景を見る土地は、世界でもまれである。それが養ったのが、豊かな感性であろう。人間は微妙な差異を見分ける能力を持っている。でも、現代生活では、それを発揮するところがない。むしろ「どこも同じ」にしてしまう。そのほうが「合理的だ」と信じている。世界中に通用するだろうというので、なにしろ小学生に英語を教えるんだから、そういう人が育って、上手に敬語が使えますかしらねえ。敬語なんて面倒で不合理だから、英語で喋ろ。当然そうなるのと違いますか。
なぜそうなるか。「違いを感じないから」に決まっているでしょう。本人が感じていないことを、気づかせるのは容易ではない。そういう鈍感な人たちばかりになる世の中を想像して、角田さんは「怖いような気持になる」と書かれたのであろう。同感である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月01日(Sat) 21:26

その@
「違いを感じないから」に決まっているでしょう。本人が感じていないことを、気づかせるのは容易ではない。そういう鈍感な人たちばかりになる世の中を想像して、角田さんは「怖いような気持になる」と!
今の日本の現状に鈍感な日本人、本当に怖いですね。
「たちあがれ日本」鈍感では、滅びの予感も感じないのでは!
財源なきバラマキを平気で支持する、怖と思いませんかね。

  違いのわからない人たち    (解剖学者 養老 孟司)
いつも買い物をしているスーパーの雰囲気が変わった。角田さんはそれに気がついて、なんだか買い物をするのがイヤになったと書かれた。
そういうことは、よくあると思う。それを私は感性と呼ぶ。感性は日本的な表現で、外国語にはあまりないような気がする。つまり雰囲気が変わったことを、なんとなく「感じる」。それができる能力である。
それができない人を鈍いという。べつに鈍いのが悪いわけではない。スーパーなら、必要なものを買いに行くところである。それなら、品物がちゃんと手に入ればいい。そう思う人もいるはずである。
角田さんの話を受けて、私のいいたいことは単純である。現代人は鈍い。それだけである。むずかしくいうと感性が鈍磨している。「違いがわからない」のである。店員の言葉遣いがどうであれ、客が必要なものを手に入れられるなら、それでいいじゃないか。そのどこに文句があるんだ。そう考えた方がいまの商売は成功する。われわれはひたすら、そういう社会を作ってこなかったか。
チェーン店がどこにでもある。それはそれでいい。しかしどこもかしこも同じというのは、私は嫌いである。だからソメイヨシノは嫌い。山桜は好きである。時期遅れの五月に満開になったりする。自分を見るようでうれしい。六十歳代の半ばでやっと本が売れた。いまごろ満開ではどうにもならない。人生、もうほとんど終(しま)とではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月01日(Sat) 21:25

そのA
アトランタの時だと思うが、やたらに「オリンピックを楽しむ」という言葉が流行(はや)し、多くの選手がそう言った。そして、ご存知のように惨敗した。
誤解は「楽しむ」である。日本の若者たちは、日の丸も忘れ、記録も気にせず、自分のその時間を楽しめばいいと解釈した。気楽にのびのびとやれやれである。誰のためでもない、自分が楽しいかどうかだと。
同じ意味の言葉を世界記録保持者のアメリカのスプリンターは、「もの凄い記録を出すと神が降りて来る。それが楽しむということだ」と言い、ぼくらは蒼(あお)ざめた。オリンピックを見ると、その時代の日本人がわかるのだ。
国会中継を見ていたら、指さして金で魂を売ったと喧嘩を仕掛けていながら、逆襲されると、「じゃあ、どうしたら信じて貰えるんですか」と縋(すが)る国会議員がいて、仰天した。この子どもっぽさは一体何なのか。空恐ろしい。まあ、いろいろと思わせてくれる日々ではある。

「おのが職業にはげみ努め、得たる財をよく守り、善き友を持ちて、正しき生活をいとなむ」この四法によりて在家者は現世の安楽を得ん            雑阿含経
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月01日(Sat) 18:11

その@
 「見なかったことはなかったこと 見えなかったこともなかったこと」
それも今の日本人の生きる道
 阿久 悠さんが亡くなられて久しい、日本人は益々救い難い。
 民主党はさすがに「ダメ」と民衆はあきらめたのか、第二民主党である「みんなの党」に人気が移る。
 しかし、この党も歴史や伝統を担う国民という概念がないから、根本問題は解決しない。
 どこまで行っても民は精神的に盲目なのでしょうかね!

*見なかったことはなかったこと 見えなかったこともなかったこと
それも犬の生きる道 (阿久 悠)

動物番組を見ていたら、こんな実験をしていた。家人に危険が訪れた時、愛犬はどうするか、つまり、飼い主のために命をかけて闘うのか、それとも、自らも危険を感じて逃げるのか、という実験である。実験は少々漫画的で、かつての仮面ライダーの悪役であるショッカーのような形で現れ、飼い主を苛める。
愛犬は散歩から帰ってくると、家の中はショッカーだらけ、家人は悲鳴をあげている。さて、そこで愛犬は健気(けなげ)に立ち向かうのか、勇猛に闘うのか、大抵の飼い主はその程度の期待はする。
しかし、結果を先にいうと犬は闘わなかった。吠えても震えていたし、まずは逃げるが勝ちと階段をかけ昇り、上からそっと窺(うかが)った。
日頃愛情に包まれて育ち、外敵に遭ったことのない犬たちは危険を感じないということがあるかもしれない。当惑はしても怒りにならないようなのである。
しかし、中に本気で恐がっているらしい犬がいて、これは壁に鼻先をつけるようにして固まる。どうやら、見なかったことはなかったこと、という生き方が犬にはあるらしい。それで恐怖も免れ、忠誠心などで責められることもない。今の日本の人間社会に似ているのではないか。見なかったことはなかったこと、ワシャ知らんである。
オリンピック中継を見ていたら、敗者でありながら、「満足しています」「よくやったと思います」と、胸を張っているかに思える若者が多くて驚いた。大会前の台詞(せりふ)が妙に劇画的で心配していたのだが、劇画的啖呵(たんか)の手前なのか、態度を変えない。
時々オリンピックには、「言葉の誤解」が生まれることがある。時代の流れの読み違えといってもいい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月01日(Sat) 18:10

 永田町に舞う謎の鳥はてや、永田町は鳥の糞で、人間も住めない状態のようです。
 小沢まる化け物や民主党なる奇獣の住みかになつている。

その被害たるや!
@地球温暖の似せ科学情報により、炭酸ガス25%を國際公約し、第二の普天間を作り出した。

A子供は国で育てると、財源なくバラマク、五兆円は将来の子供が支払う、親の掴み金である。
 これでは、親子関係は修羅場を覚悟すべし。

B「コンクリートから人へ」の国民騙しは、有形固定資産の獲得と利便の提供から、その日その日の借金による酒盛りであねことを覚悟すべし。

C普天間移設の未解決は、日本の安全保障と東アジアの安定を破壊する、日米の離反を呼び込むもので、国民は盗賊に襲われる覚悟をすべし。

・・・・・

 惰眠を貪る民衆、永田町に舞う謎の鳥の不吉さに今だ気付かず、何もないように毎日を過ごす、どうしてここまで堕落してしまつたのであろうか?

不思議なことに、ギリシャを他人事と日本の実情に眼を背ける。
 本当の危機のとき、心の備えがないから、大変なパニックになるのであろう。

 恐らくは、大戦に突入と敗戦、現状の民衆の無意識は敗戦とおなじような体験をしなければ目覚めないであろう。

 民主党政権を選んだのも民衆である。
自分達が危機を呼び込み、亡国の民になることが既に外国では語られているのである。
 それでも目覚めない民衆とは、古代ギリシャと同じ道を辿る、滅亡を呼び込む謎の鳥が、今日も永田町で啼いている。

アホー アホー ・・・・・・・!
Posted by: 夕焼け  at 2010年05月01日(Sat) 17:33

小沢氏による天皇冒涜の件から天皇・象徴天皇制について考えてみました。

 そして、山本玄峰老師の天皇観とその生い立ちについて!

『無門関提唱』 山本玄峰著 大法輪閣  臘八示衆(第四夜)P58〜59に書かいてありますので興味のあられる方はお読みください。

光明皇后さまの
 もろこしの山のあなたに立つ雲は
   ここに焚く火の煙なりけり

 奥山の杉のむだちともづけて 
   おのがみよりぞ火を出(い)だしけり

 今でも余徳がありがたいし、また他国にはない天子さまのおこころだ、と。

 山本玄峰という方は、稚なきころ、籠に伏せ、路傍にて寒風に捨てられしを拾われて、岡本家に於いて育てられる。
19歳のころより眼疾を発し、まさに全盲に瀕せるに気付き、翻然として四国遍路を発願、裸足行道実に七回に及ぶも験いまだ現れず。
 二十五歳のとき、たまたま33番札所雪渓寺門前に行き倒れてありしを、住職太玄和尚の慈手にあいて助けられ、26歳ついに出家す。
 ・・・・
松雲室見性宗般老大師の嗣法

遺書に、
 「正法興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ。よろしく正法を守り仏法を興すべし」

        全生庵住職 故 平井 玄恭師 記
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月30日(Fri) 10:17

現状の日本は、戦後憲法体制下の終着点なのであろう。
ソンビなる民主党政権が誕生する。 
 王莽そっくりの小沢なる権力者が生まれる。
混沌たる乱世であるが、さて、その結末は?

*王莽の最期を紹介しておこう。函谷関以東が大乱のルツボと化すると、都の近所では物がなくなり「蛾死する者、十に七、八人」という地獄絵が出現した。血迷った王莽は、社稷の史氏の娘を皇后に迎え、『周礼』の古式に則って、「和人三人、嬪人九人、美人二十七人、御人八十一人」を選んで後宮に入れた。側近の者や国師の劉&#27462;(リュウキン)もさすがにあきれはて、ひそかにクーデターを企てたが、事前に計画が洩れて殺された。劉&#27462;という男は『尚書』『詩経』『周易』『左伝』『周礼』といった古典の知識を総動員して、むずかしい詔勅を書き、古式の制度を設けて、王莽に取り入ったが、御用学者相応の報いを受けたのであった。
 紀元二三年の秋には、長安近郊の土豪たちもかつてに「漢の将軍」と自称して兵をあげ、隴西(ロウセイ)の宿将隗囂(カイゴウ)が攻め上るとの噂が流れた。ある男が「周礼・左伝には『国の大災あれば哭(コク)してこれを厭(おさ)う』とございます」と進言した。王莽はさつそく群臣を引きつれて長安の南郊におもむき、
「皇天すでに臣莽に命を授け給いし以上は、何ぞ衆賊を殄滅(テンメツ)せざるや。もし臣莽に非あるならば、雷霆(いかずち)を下して誅し給え」
と脇腹を打ち息をつまらせて、号泣したそうだ。
宮中には当時まだ莫大な金品が残っていた。王莽はそれを九人の将軍に分けて都を守らせたが、その四人まで風を食らって逃走し、残りの五人はあえなく敗北した。乱戦のなかで王莽はなおも「天、徳を予(われ)に生ず。漢の兵それ予をいかんせん」(『論語』のことばによる)とつぶやいたが、十月三日の早朝、ひそかに白虎門を出て西郊の離宮に姿をくらました。女官の一人が王莽の所在を告げたので、兵士たちがわれがちにと離宮に乱入し、けっきょくは、商人の社呉という男が王莽を見つけて殺したそうである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月29日(Thu) 15:43

そのA
これを受けた象徴天皇制であり、生みの親である山本玄峰老師は!

「わしは、天皇が下手に政治や政権に興味を持ったら、内部の抗争が絶えないと思う。何故かというと、天皇の詔勅を受けているんだからというて、天皇の権力を担ぎ廻って、派閥の抗争を始めるだろう。だから、天皇が一切の政治から超然として、空に輝く太陽の如くしておられ、今度は、その天皇の大御心を受けて、身を慎み、真善美の政治を実現するということになれば、天皇が居られても、もっと立派な民主主義国が出現するのではないか。天皇は空に輝く象徴みたいなものだい」

 楢橋渡・氏は、感動した。今の今までこのような考案をした者がいなかった。楢橋渡・氏は、この案を持ってすぐ引き返しGHQへ駆け込んだ。そして、次のように伝えた。  

「天皇は民族の象徴、主権は在民で、天皇は一切政治に関係しない。天皇は民族全体を象徴しているから、政治を担当する者は、その気持ちを受けているという形態がいい」

戦後の民主主義の誤謬は、「精神的に目がつぶれた「民」が「主=神」なる権利を主張する、民衆政治である。

 象徴天皇制の主旨は、歴史や伝統を担う「国民」が「公論」を展開することにより「権理」を立てる。
 そして国際法を尊重し、国家としての道義と至誠を貫くことにより、広く人類社会の発展に寄与し、国際社会において崇高な地位をしめることである。
 ここに国民の道義と至誠が貫かれることとなるのである。

 さて、皆様は現実との乖離、民主党政権、とりわけ鳩と小沢をどのように評価されるのでしょうか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月29日(Thu) 10:06

その@
 小沢さんは、成文法と不文法の関係を知りませんね。
不文法は、歴史・伝統・文化に根ざした社会ルールが慣習法である。
 その慣習法から抽出し成文かしたものが、成文法のゆわれである。
 だから、慣習法が成文法を担保しているともいえるのであろう。
 いわゆる天皇制とは、民族の慣習ののもとで培われた慣習法でもある。

 天皇のみこころとは!
  神武天皇 国民を幸福に・・・・建国の詔
 世界いずれも自国の建国を祝わぬ国はない。わが国は神話の時代から今日まで断絶することなく連綿と続いてきた世界で唯一の王朝である皇室を戴く国である。
これが私たち日本国民の誇りでないとするならば、一体ほかに何が誇りであろうか。
 どうしてわが国にはヨーロッパやシナのように革命による断絶がなく、かくも長く一系の王朝が存続してきたのであろうか。全く不思議である。その理由は何か。答えは神武天皇の建国の詔(みことのり)にある。
 その一節。「いやしくも民に利(さち)有らばいかにぞ聖(ひじり)の造(わざ)(天皇の仕事)に妨(たが)わん」
(日本書紀)
 国民を幸福にすることこそ天皇の任務という意味である。わが国は古来、国民のことを「大御宝(おおみたから)」
とも呼んだ。宝物として大切に守るというのが皇室の国民感である。
 天皇、皇室の最重要の任務は祭祀である。皇祖、神々を祭り常に「国安かれ民安かれ」と祈られ、国民を大御宝としてわが子としていつくしみ情愛をほどこされてきたのである。
それが皇室の一貫した責務、不断の掟であり不滅の伝統にほかならない。
 それゆえ代々の日本国民は天皇を国家の中心として戴くことを悦びとしてありがたく思い、心より敬愛し仰慕し忠誠を尽くしてきたのである。この世界に比類なき日本の国のあり方を深く思い、祖国の永久を祈る日が佳節(かせつ)である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月29日(Thu) 10:05

そのA
これが第三の難。いま私は、兵を留めず、糧を運ばずして綱紀粗(あら)まし定まり、夷・漢、粗まし安んずることを欲するのじゃ」と。言語○俗の異なる少数民族に対しては、鎮圧を繰り返してもうまくいかない、「夷・漢、粗まし安んずる」程度の互譲の策しかない、と孔明は考えたのであった。
 彼は民衆をともなって退却したために、曹操の軍の急追を受けて、長坂で危うく命を失うところであった。彼はそのさい「大事をなすとは、人をもって本となす」、人民を棄ててはならぬ―と言い切っている。蜀に入ってのちは、農業を励まし水利を興し、無籍者を戸籍に編入して、食糧の充足に務めた。西南地区の少数民族に対しては、その生存権を保証して、漢人とのいわれなき摩擦を減らそうとした。戦術・戦略の域を超えて、いわゆる「政略」にも手をさしのべたものであった。
 諸葛孔明という人は、彼が第二世の劉禅に向かって縷々としてのべた出征のことば、すなわち「出師の表」によって、旧に時代の人々に「忠誠の人」としてあがめられた。彼はその中で「今や南方が定まり、兵甲すでに足りしが故に、三軍を率いて中原に討って出で、漢の王室を復興して旧都に還らしめ、先帝劉備の意志を成し遂げん」とのべ、とくにまた、「先帝は臣の卑鄙(いやし)きを思わず、自ら枉(ま)でて、臣を三たび草廬(あしのまろや)の中に顧み、臣に諮(はか)るに当世の事をもってす。是によりて感激し、ついに先帝に許すに駆馳(くち)をもつてす」
と往事を回想しているが、三顧の礼に感激して、というところが、後世の志士の心を湧き立たせた。「男の意気」であり、「男と男の約束」なのである。
このような事情は、日本では戦国時代の末、これと思う主をたずねて奉公した「兵法家」、たとえば山中鹿之助や後藤又兵衛らの行跡に似ている。
 だが孔明と兵法家とは、個人の「志節」の点では似ているとしても、根本的な思想においては大きな距離があった。日本の兵法家には、残念ながら戦略を超えた「政略」など見られない。ましてや政治家として人民に対する発想、異民族に対する考え方などは、とうていありえなかつたのである。諸葛孔明は、旧い日本人たちが考えたような「忠誠の人」という枠にはあさまらない人物である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 14:37

その@
鳩くんや小沢幹事長、諸葛孔明と比較してどうであろうか?

「天皇のみこころ」の意を受けて、謹んで身を慎み、国家・国民の安寧のため働いているのでしょうか?
小沢くんは、「天皇は内閣の命令に従え」と、天皇を冒涜し、象徴天皇制を踏みにじってしまった。

国民主権の捉え方は、「箇所付け」を例にとれば国会無視し、自己の犯罪行為に対する説明責任を棚上げ、検察の不起訴を盾に主権者と対峙する。

異民族に対する考え方と行動は?
中国では「私は人民解放軍の前線司令官」と日本解放を約束する。
韓国では「日本の男はダメ」、「外国人地方参政権は法制化する」と言と媚へつらう。

*ある人の問いに答えて、孔明の答えた言葉が面白い。「外人(漢人)を留めおけば、兵士も駐留させなければならぬ。その兵糧が第一の何。夷人の兄弟を殺傷しておきながら、兵もなく外人を留めれば、必ず災禍(わざわい)のもととなる。これが第二の難。夷人の側でも、廃殺を重ねれば、おのずとすき間が重なり、外人を留めおいても信頼関係が成り立たぬ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 14:29

世間多くの人は、先生が西本願寺の顧問格の、深い宗教信者だといったら更に驚くだろう。しかし私は先生のこの点にこそ、最も深い畏敬の気持をもつのである。先生は名参謀次長とうたわれた。軍略家としての先生は、いかに反対派といえどもその智謀を認めざるを得ないくらいに、すぐれたものらしい。が私どもにはその辺の価値は判らない。
曾て横山雪堂先生が、私の所蔵する先生の墨蹟をみて「真崎大将は案外つまらぬ書を書くな」と言っていたが、数年後、北海道のある真宗寺院で、先生の書を再観するに至って、その深さと、その気品に打たれたとのことで、帰来ただちに私のところに見えて「もう一度、真崎大将の書を見せてくれ」と所望された。さきの書を床の間にかけると、しばしジッと見つめていたが鉛ばかりの世の中で大将は金のような人だ。しかも純金だ、前にはこの精神の深さが見えなかった。大将らしい大将は、今ではこの人一人だ」と、激賞してやまなかった。
この書の批判は、そのままが先生の人物を評するのに適切である。先生の精神的境涯、その真宗的信仰の深さは、常人ではとても見抜けない。衆愚が誤認するのも道理である。
しかし、私は先生のうしろ姿に、しばしばその境涯の深さを見た。私が世田谷に道場を持っていた戦時中、玉川線の渋谷駅で列を作って電車をまつことがよくあった。そのときの前の方の列中に、一きわ大きく、輝くような、一種の威力とも言うべきものを発散しているように感じられる人物がいる。それが先生だった。数回同じような経験をしたことである。
真崎甚三郎は武人として武人にあらず、真に徹した信人である。しかも、雪堂先生の評するように、かけねなしの金無垢の真人である。混濁の時代に、一番大切なものを持った真人である。その人、既に亡し。われわれは今後、いずこに金無垢純粋の師表を求むべきか。ああ哀しいかな。
(昭和三十一年九月 大森曹玄)
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 10:00

そのB
國際軍事裁判で、先生を取り調べたロビンソン検事は、はじめは普通の犯罪人を取調べるような態度でのぞんだが、接触するたびに先生の人格にふれ、その正しさ、その深さに打たれて、しまいには畏敬の念をいだくようになったという。彼は帰国後、リンカーンの誕生日に際して、先生に『リンカーン伝』をおくったが、そのとびらに、自ら「貴下はリンカーンと同様に、人の奴隷ともならず、また人を奴隷ともさせず、全人類のための自由と平和の友である」と、最大級の賛辞を綴って署名している。敵国の検事と、しかも取調べられながら、逆にこれほどまでに畏敬させた偉大な人格が、なぜ日本の多くの人々から「誤認」されたままでいるのだろうか。派閥と衆愚、それに直接自分のまなこで判別せず、人の噂をうのみにして耳から口へ出す雷同性、畢竟マッカーサーのいわゆる文化十二歳のなせるわざであろうか。
私は先生に、大佐から少将になる直前、ちょっとお目にかかったが、そのときは色の黒いただの田舎おやじ位しか思わなかった。その後、昭和二年か三年かに、渥美勝、遠藤友四郎両先輩のお供で東北を一巡したとき、弘前の師団長官舎で食事を頂きながら、ゆっくり一日を倶に過ごしたのが知遇を受けたはじまりである。その頃「日本思想」や「中央義士会報」に発表した私の武士道研究を激賞され、かつ研究の指針を与えられた。弱冠二十四、五歳の私と対等に扱ってくれるこの師団長の激励の言葉に私は感激しきったものであった。やがて台湾軍司令官から東京に帰られたのち、或いは代々木、又は世田谷とつねに教えを受けてきた。
二・二六事件ののち、私としては先生の知遇に報いるべく計って事成らず、一年ばかりの韜晦(とうかい)をおえて世田谷のお邸に挨拶に行ったときの感激は、おそらく終生忘れることがないだろう。
玄関に立って刺を通ずると、先生は自らそこまで出て来られたが、私の顔をみるとスリッパのまま土間に降り立ち、私の手を握り、更に左の掌を私の手の甲に重ね、「おお帰ってきたかな。おおよかった、よかった」と、なんべんも繰り返しながら、ポタリポタリと涙の粒をおとされた。私は黙々と涙を呑むのみだった。
先生は人情将軍といわれたが、情の厚いのは真崎家の伝統であろうか。令弟勝次先生も、この点は全く同一である。人を動かすのは知識でもなければ、手腕でもない。所詮はあたたかい情である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 09:59

そのA
真人・真崎大将を憶う                       
八月三十一日午後三時、元陸軍大将真崎甚三郎先生逝去さる。享年七十九歳。哀悼の念、禁ずるあたわず。ほんとうの人物が少ない時代に、このような偉大な人が亡くなられることは、日本の一大損失、いな人類の損失である。
先生はいわゆる皇道派の巨頭と目され、いかにも腹ぐろい陰険な存在と思われていた。人には誰でも好ききらいがあるから、いくら偉い人でも性格が合わなければ好きになれないのも致し方ない。しかし、先生の場合は、世間から―というよりはある一部の勢力から憎まれたのだが、その憎まれ方が実にひどかった。その一つは戦後、アメリカから戦犯容疑でブチ込まれたのだから、これは別として、最初のときは軍事参議官たる現役の大将でありながらブチ込まれたのである。
そのときは、もちろん勅許を得て獄に送られたのだから、犯罪の確証がなければ勅許になるわけがない。それが一年有半ののちに釈放されるときは「証拠不十分」むという判定によって出されたのである。これは驚くべき事実ではないか。
いまだから言えることだが、犯罪ありとして勅許を請うて、それがなかった場合の陸軍大臣の責任は一体どうなるのか。当然、闕下(けっか)に罪を謝すべきではないか。また、肝心の勅許は一体どう決着をつけるべきなのか。それらのことがあいまいもこの中にすまされているのは、奇奇怪怪なことだと思う。
竹山道雄氏の「昭和精神史」でこういっている。
「三月十月両事件が伏せられていたことが、じつに大きな誤認を生む因となった。われわれもまた、荒木・真崎がファッショ化の元凶であるとばかり思い込んでいたが、意外にもあれはむしろ穏健派であったらしい」「穏健派」というよりは、むしろ皇道派とよばれたように、正しい世界観・人生観に基づいて中道を歩む人であった。そういう正しさを恐れる宮中に巣くう野望の徒輩や、先生によって満州事変の北支への拡大が阻止されたのをうらむ幕僚ファッショの一派が、ことさらに「大なる誤認を生む」ように、ジャーナリズムを躍らせたのがもとで、陰険、腹黒と誤認されたのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 09:57

その@
 天下三分の形勢と、中国大陸での状況について!
大陸におけるコミンテルンの浸透、米国の西進のへゲモニー
そして、東南アジアでの西洋列強との衝突・・・

 『頭山満と近代日本』 大川周明著 春風社・2310円   
亜細亜の未来、見据えるヒント
大正以後の思想運動を指導した大川周明は、大東亜戦争の再末期、頭山満の評伝を執筆していた。依頼主は朝日新聞社である。
日本近代右翼の祖、頭山が長逝したのは昭和19年で、その追悼企画だつたのだ。
 しかし、すぐ敗戦。仕事は中断し、原稿は行方不明になったが、平成12年、都内で発見され、ついに刊行された。日清戦争で終る未完の書とはいえ、読み応え満点である。
 本書は、大川の戦時期のベストセラー著書『日本二千六百年史』の続編とみなされよう。同書で大川の史観は明快だ。この国の理想は、内には天皇のもとでの政治的平等と経済的友愛と思想的自由の実現であり、外には西洋的な弱肉強食の資本主義を排しての相互扶助的なアジア新秩序の形成である。大川によれば、その理想は、明治初期には自由民権運動と征韓論に表されたという。前者は特権階級を打倒して一君万民的な社会を夢見た運動に他ならず、後者はアジアの覚醒を促す論に違いなかった。この両輪が正しく回れば、日本は欧米と違うもうひとつの近代をアジアに実現できるはずだった。
 ところが現実は相違した。日清日露の戦役や第一次大戦を経るうち、日本はアジアを蔑み欧米を模する社会に堕た。その誤りの大修正の機会が、昭和維新であり、大東亜戦争である。それが大川の『日本二千六百年史』の立場だったと思う。
 そこでクローズ・アップされるのが頭山だ。なぜなら、頭山は自由民権と征韓論、国内的一君万民主義と対外的アジア主義という、一見、無関係にも見えかねない2つの流れをひとりで兼ねた巨人だったから。彼は大川の理想を具現するほぼ唯一の生きた見本だった。大川の史観は、頭山の見直しによってこそ、突拍子もない夢を脱し、現実味を得る。
 中島岳志の要を得た解説の付されたこの頭山伝は、欧米流の金融資本主義の行き着く果てが見え、またアジアの未来をどう構想するかが問われる今、実にアクチュアルである。
                 評論家 片山 杜秀
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月28日(Wed) 09:52

 小沢幹事長の事件に関し検察審査会が「起訴相当」の判断を下した。

 小沢事務所の関与について、小生の経験からすればリベートの詐取は百%の確率で行われたと断言できるのであろう。
 しかし、罪刑法定主義の原則に従えば、証拠に対する事実認定が困難を極める。
 元々、法の網を潜る知能犯であるから、証拠をつかむのは極めて難しい。
 建設業の場合、裏金が作りやすい、政治家には現金でしかも密室で領収書なしで渡す。

 特定建設業の許可業者は、ブローカーのような「一括下請け」は禁止されている。
 闇リベートは約3%程度である。
状況証拠からすれば、小沢事務所は、元請まがいのことを無許可でしていたと見なされる。
 業者としてみれば、受注についての血の滲むような努力は不要であるからメリットがある。
 この行為は、建設業者を選挙に利用するのにも好都合である。

 業者間の談合は、少ないパイを分け合う知恵でもあろう。
この場合は、冬の除雪などの不採算な仕事も受注し、トータルでバランスが取る。
 工場などても、バスダクト点検などの多数の電工を要する不採算な仕事に対し有効である。

 今、事業仕分けで「随意契約」は悪のように言われているが、中央官庁の担当人員と業務量からかなり無理もあろう。
 (民間のように注文書の発行だけではすまない)

 適性価格の算定は、大臣官房の人達も業務に精通しているわけではないので、税金の無駄使い撲滅といっても限界があると思われる。
 政治は無駄撲滅という細部よりも、国家観や国家の基本政策について徹底的に議論し、国家の安定と国民生活の向上に尽くして欲しいものである。

 事業仕分けも、国家の大局観と基本方針なくして、仕分けの基準があいまいとなり、効果・効率的な仕分け作業とはならないのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月27日(Tue) 17:48

 日本も三国志の時代に突入しつつあるように見える。
律令制を導入したとき、「科挙」「宦官」は排除している。

 日本は古来より、豪族による連合体により国を運営してきたといえるのであろう。
 西洋のような絶対神を認識の世界に持ってないことから、二大政党制は政治風土に合わないのであろう。

*故毛沢東主席のひきいる中国共産党は、1935年、湖南から四川をへて大移動(長征)の途につき、ついに西北の一隅、陝西省延安に本拠を構えて、日中戦争に臨んだ。それは華北の日本軍、華中と華南の国民党軍を両わきににらんだ構えであった。また1938年、蒋介石のひきいる国民党政府は、南京→武漢から四川省重慶に退いて、局面は八年にわたる持久戦にもちこんだ。それもまた、片や日本軍を、片や国内の左派、とくに中共軍を考慮した布陣であった。いうなれば、どちらも「二面作戦」なのである。まさに孔明をお手本にしたものだといってよい。
 
 鼎の足は三本ある。「鼎足の形」とは、いわゆる天下三分の形勢であり、蜀を中心に据えてみれば「二面作戦」の構図が軌道に乗ることになるのだ。劉備は赤壁の戦いのあと、孔明を正式に「軍師」とした。彼はさっそく零陵・桂陽・長沙の三郡(今の湖南省)を支配下に入れ、その賦税を徴収して軍費を補った。
 建安16年(211年)、劉備は四川省を攻略して成都に本拠を据えた。いらい孔明は成都に鎮座して、食糧と兵力の補給につとめた。そして221年、劉備は帝位につき「照烈帝」と称することとなり、孫権も「呉王」と名のった。
それに先立ち、曹操は216年にすでに「魏王」と称して、事実上、華北・華中に君臨していた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月27日(Tue) 16:18

 政権が普天間移設に伴い、辺野古沖への代替地(案)がかたまったということで、辛うじて日本のメルトダウンが防げたことを歓迎したい。
(杭打方式は埋め立て方式より、工事費は倍以上かかる、過去自民党政権下で検討済み)

 沖縄は、東アジアの戦略的要衝である。
東シナ海、台湾海峡、日本海と海域の安全を担保する。
沖縄、日本列島という島嶼から大陸に対して影響力を行使できる。
 沖縄基地は米国・日本のこの地域での影響力の源泉でもある。
 ペリーが着目、戦争ではマッカーサーは台湾、ニミッツは沖縄上陸を主張して譲らず、ルーズベルトの裁定で沖縄上陸が決定されたほど、沖縄の戦略的重要性は高い。
 
 過去、日本は遣隋使、遣唐使、そして宋・明交易、宋・明銭の導入、東南アジア地域との交易、南蛮船を通じての西洋との文明交流。
最近は中東からのエネルギー輸送、海上輸送の大動脈である。
 だから、この海の支配権が国の命運を握っているのである。

 軍事的には、南シナ海に通じる要衝である台湾海峡をにらみ、中国の太平洋進出の喉、尖閣列島や東シナ海のガス田をもにらむ。
 また、中国の潜水艦搭載の中距離核に対する抑止力としても重要。
北朝鮮の日本海側の港湾を中国による租借は、中国の日本海進出をも意味している。

 このような背景から、総理は沖縄の戦略的重要性を県民に説得するとともに、手厚い支援を約束すべきであつた。

 今、政権はパンドラの箱を開けたのであるから、元に戻すのではなく、整理し新たな道に進むべきである。
 国と国民は相互扶助関係にあること、当然として国民は自国の防衛に責任を持つことである。
 自主防衛と集団自衛を必須と認識し、憲法改正に向けて進むべきである。

 そうしなければ、この混乱に対する本当の意味での果実を獲得したこととはならないのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月27日(Tue) 12:46

そのA
正しい智慧・見解においては、断見(虚無論)と常見(運命論)の両極端から離れて、この世に仏も菩薩もあることを信じ、目に見えなくても神のあることを信じ、善・悪の行為は必ずその結果をともなうと考え、虚無論にも運命論にも陥らぬようにすることが大切です。
「善を作せば決定基の報有り、悪を作せば決定その報有ると信ずれば」が結論で、報いがいつ出るかは分からないが、必ずあると信じて善い行いを心掛けるようにする。
 この世に報いがなくても来世に、また来々世にと、いつ来るか分からない不定果の報いを信じるのは、証明の対象ではなく確信がなければ、宗教は成立しません。何でも証明されたことでなければ信用しないというのが科学の立場で、そこが科学と宗教の明確に違うところです。
 人間の信には解信(シラッダー)と仰信(アデムクティ)で、邪見は人間生まれついたものである以上、これをそのまま放っておくときは、さまざまな社会的悪影響をうけて、ますますその傾向はひどくなる一方です。

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月27日(Tue) 11:57

その@
 為政者の心構えといいますか、選ぶ側の心構えといいますか、正見が大切と思うのですが?
 
 世に、正しくないものの見方は実に数多くあるが、それらを要約すると、ものの永続性を認めず、ものはすべて滅びるととる見方(断見)と、永久に続くものがあり変化はないとする見方(常見)の二つがあるが、これは両方とも誤った見方なのである。 断見にもいろいろあるが、善い行いをしても善い報いを受けることもなく、悪いことをしても悪い報いを受けないという、時間的な因果関係だけでなく、善悪を正す神・仏もこの眼で見ることができないから、神や仏はないとする万物否定論、とくに無神論を、まず断見という。
 常見も同じようにいろいろあるが、仮に定義すると、次のようになる。人間はいつでも人間として生まれ行動し、畜生はいつでも畜生として生まれ行動する。人間が畜生になるという道理はなく、また逆に畜生や虫・蟻などが人間になるという道理もないと決めてしまうのを常見という。
 正しいものの見方というのは、意味は甚だ深いのであるが、仮に定義すれば次のようになる。この世には仏も菩薩もいるし、賢人や聖者といわれる人もいるはずで、天の神と地の神も目には見えなくとも必ずいるのだ。善いことをすれば必ず善い報いがあり、悪いことをすれば必ず悪い報いがあると信じで、行いを慎み神仏を信じることができれば、不邪見は完全に行われたといえよう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月27日(Tue) 11:57

ゆめ
Posted by: Ta  at 2010年04月26日(Mon) 19:47

そのP
それと、女子教育を非常に大事にしております。これが徳川幕府政治の成功した優れた点であります。もし幕府がこういう政策を採らなかったら、旗本を中心とする中央は百年ももたなかったろうと言われます。それかとにかく三世紀近く成功したというのは、人材の配置と、妻や娘の女子教育に当を得た結果でありまして、今日でもこの日本を救う方法として採用すべき良策であると思います。
即ち優れた宰相が出て人材を集める。これもちろん人材内閣でありますが、それだけでは駄目であって、末梢部へ行くほど人材を必要とします。つまり全国に人材網を作らなければなりません。これをどういうふうにしてやるかと申しますと、やはり歴史を調べるのが一番です。昔から名君や名宰相といわれた人々の優れた伝記が随分ありますが、これらを集めて調べてみると非常に参考になりましょう。藩主なり大将が自分だけいい気になって、自分のご機嫌をとってくれるようないい加減な人間だけ集めて満足しておると、案外もろく、たちまちのうちに没落しております。これは成功者の末期によくある現象であります。
これからが日本の国運を決するときであると思われます。こういう時には、とにかく勉強をしなければなりません。政治の推移にあれよこれよと座談しておるだけではいけません。と同時に、も少し日本の政治家にも、活学――生きた学問をしてもらって、今までのような通俗な政治生活だけやっておるようでは日本は破滅しますので、文字通り真剣に努力勉強してもらわなければなりません。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:37

そのO
また無視されておるのも足であります。つまり、足とは中心に太い骨があって、これに付随した何本かの細い骨から成り立っておるように思われがちですが、本当は人体の骨の半分は足にあるといっても間違いないほど、複雑微妙な組織から成り立っております。そのうちで一番微妙なのは足の指であります。指という字は、手偏(てへん)に旨――デリケートという文字――をわざわざ当てはめてあります。末梢血管の渋滞、混濁と、静脈血の鈍化、という現象を治す、つまり活&#28497;にするには、足の治療が一番大事であります。
その足の治療の中でも最も大切なのが指であって、足の指はそれぞれ内臓と密接に関連しておりまして、ほとんどの病気は足の指を見れば分かるといわれます。足の指を治療したお蔭で、長年病院で治療していたがもうどうにもならぬ不治の病と診断された慢性の患者が、めきめき治ったという例がよくあります。それは結局、末梢の血管を刺激して、活動を活&#28497;化させるためであります。そうなると静脈が生きる、静脈が生きますと、動脈もまた生きます。動脈が活気を帯びてきびきびと活動しますと、新鮮な血が全身に流れて元気が溢れるのてあります。

徳川時代の人材配置と女子教育
人間の生理も、政治の政理も同じでありまして、人体で極めて健康な、活&#28497;名手足を持つということは、政治で言うならば、つまり宰相の手足となる――人材を集めることであります。手足となる有能な人物を持たなければなりません。そういう点において成功したのが徳川家康であります。徳川幕府が長く続いたのはね家康という人が、優秀な人材を地方の藩に配置したのが原因であります。大抵は自分の側近に置くんですが、中央はすぐ腐敗、堕落しますから駄目になり易い、地方はその腐敗、汚濁から免れ易い。そこでまず第一に親藩を紀州とか、尾張とか、水戸に、更に進んで松平藩という親藩をあちらこちらに置いて、心材を配置した。これが世界の歴史にかってない三世紀近く政権を維持した所以(ゆえん)であります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:36

そのN
あるいはもう一歩つきつめると便通であります。これが一番難しいデリケートな問題であります。便通は誰でも理解しますが、案外気がつかないのが静脈であります。静脈をきれいにし、活動を活&#28497;にすることが一番大切であります。
ところが、これは甚だ厄介なものであって、心臓から送り出された新鮮な血は、動脈管を通って末梢にいく、そうすると毛細管になるわけですが、この毛細管になると垢が詰まり易く、垢が詰まってくると、いくら心臓が活動しても、血は途中で止まり、あまっさえ逆流します。これが一番心臓を弱める根本原因であって、遂には心臓麻痺を起こします。この毛細管から、血液が円滑に静脈に移りますと、元来静脈は土の中に伏せてある下水管のようなものでありますから、この静脈を経て血が腎臓に、肝臓に返りまして、浄化が効いて便通もよくなるわけであります。動脈よりは、この静脈の方が大切であるとも考えられます。
中には、コレステロールが動脈にたまったとか心臓が弱ったというと、びっくり仰天してむやみやたらに強心剤を飲む人がありますが、これは大変な誤解でありまして、ただでさえ弱っておる心臓、疲れておるポンプに強心剤を与えますと、もうそれだけで心臓は参ってしまいます。そこで一番心臓を丈夫にする方法は、血の流通をよくすることであります。これ具体的に申しますと、心臓から送られた血液を末梢の毛細血管まで順調に流れるように、続いてその先の静脈が詰まらぬようにしてやることが大切でありまして、これは強心剤ではしけません。前進の活動を活&#28497;にすることが第一であります。
昔から政治と医術は相共通するもので、「名相たらずんば名医となる」という言葉がありまして、「優れた宰相にならなければ優れた医者になる」といって、人間の身体を癒す医学医道というものは、国民の生活を守る政治と好一対のもの、即ち同じものだというので、医者を国手とも言います。その東洋医学の原理から申しますと、今の医者にも、政治家と同様、医道からはずれたものがその一部にあると言っても宜しいでしょう。
さて東洋医学では、非常に足を大切にいたします。人間の身体のうちで一番苛められておるのが足であります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:33

そのM
また、立派な地位や身分のある人に関して、先般丸紅の大久保さんを拘置した時の応待を見ますと、検察側、警察側に一考を要すると思われる点があります。それは大久保さんに手錠をはめて拘置したことであります。元来手錠というものは、凶悪犯人はもとより泥棒等で逃げる心配、あるいは抵抗する心配のある輩にはめるものでありまして、立派な地位があり身分ある者には用いるべきものではないと思います。もちろん犯罪者、その容疑者には手錠をかけるということは原理・原則でありますから、慎重でなければなりません。しかし、地位もあり名誉を持った人に対してはどうすればよいかという見識と、礼節が望まれる次第であります。また当の大久保さん自身も、手錠をはめられる時に、「俺は逃げ隠れはしない、立派な地位も身分もあり、恥を知る者だ」と訴えれば事情は変わったと思われますが、残念でなりません。こういうことが現在非常に乱れております。
国会の質問を見ていても、一国の大臣、特に総理に対する、礼節をわきまえない態度と質問には、驚くことがあります。その点は、明治・大正初期の議会人と、現在の議会人・政党人とは人種が違うのかと思うほど変わっております。これは学校教育の弊害であります。教育が普及しながら、本当の学問を教えないものですから、人間そのものが駄目になったように見えるのであります。総じて申上げますと、現在日本人は、教養を失って低俗化しつつある、あらゆる社会にエリートがなくなって下品になりつつあるということで、これは大変情けないことであります。

出 処 進 退
応待辞令がいかに大切であるかということを、ご理解願ったと思いますが、この応待辞令をもう一度つきつめると、出処進退であります。出る――どういう出方わするか。処(お)る――地位、ポストに処するにはどうするか。進む――どう進むか。退く――どう退くか。この四つは大変難しいものでありますが、その中でも特に難しいのは退であります。進み方が目ざましいのに、実に退き方が悪い人があります。相当の地位の人々でも、こういう問題になると実に不見識といいますか、そんなことを考えたことがないという人が多い。
社会生活の上ばかりではありません。これを徹底して言いますと、我々の身体の存在、生理にも、この出処進退がちゃんとあるわけであります。この中で一番難しいのは、やはり退、即ち静脈です。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:29

そのL
更に、人物の応待辞令という言葉があります。応待というのは、いろいろの問題に応じ、かつその問題をきびきび処理していくことであります。また辞令とは、適当にそれに対して自分の考えを表現していくことであります。近頃は辞令というと任命の際の言い渡し書きみたいに用いられておりますけれども、本当の言葉の使い方を言うわけでありまして、極めて大切なことであります。
ところが、昨今は人物の修養が足りないものですから、応待辞令がまずくなりました。これは国内ではあまり分かりませんけれども、外国に出るとよく分かります。国際会議に出席する機会が昨今増えましたが、会議の事務的な報告、あるいは主張というようなことは、作っていったものを読めばいいのですが、そういうスケジュールに組まれた事務的な会議が終わって、サロンに引き揚げお互いの自由な会話になると、大変残念なことであるが日本の代表は話せない、あるいは話にならないといわれます。
日本人は外国語が下手ですから、どうも損だという声もありますが、これは通訳を使えばいいので補えます。従って、言葉の自由とか不自由とかいう問題を超越した、即ち人物ができておるかどうかの問題であります。互いに相対して坐りますと、もうそれだけで、この人はできておるなあ、あるいは軽薄だなあなどと、大体分かるものであります。まして物を言うことになりますと、できた人物の言葉には、必ず味があります。反対に、できておらぬ人の言葉には、たわいないことが多いものです。
だから、この応待辞令が非常に大切であります。ところが、こうなると甚だ微妙なデリケートな問題で、俄か仕立てではどうにもなりません。平素の修養、教養にまつほかありません。特に学校では応待辞令等についてちっとも教えませんから、大学を出ても本当の学問修業をしておらない人は、人間的にまずいのであります。
現在非常に問題となって、長い間騒いでおるロッキード事件に、どういう応待辞令、会話が行われるかと注意しておりますが、残念ながら、多くの人々が登場されるわりに、気の利いた挨拶をした人がありません、この人は快男児だなあ、なかなかできていて頼もしいなあと思われる応待辞令がありません。立派な地位があり、立派な仕事をしてこられた人が多いのに、まことに残念であります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:26

そのK
しかしそれは、一時的では駄目でありまして、永続性がなければなりませんので、これを操という言葉で表現いたします。また仕事をするに当たっては、きびきびした締めくくりも必要でありまして、これを節といい、前述の操と合わせて、節操という熟語ができております。つまり単なる知識人あるいは事務家では駄目でありまして、胆識があり、節操のある人物が出てこなければ、この難局は救われません。

器量人と応待辞令
こういうことは、やはり学問をしなければ分かりません。道を学ばないと気がつきません。そこに学問というもの、あるいはそれらを明らかにしてくれた先哲、聖賢というような人々の偉いところ、ありがたいところをしみじみと味わうことができるのであります。そうすると結局、人間の器量という問題に至ります。「あれは器量人だ」という言葉が私たちの通俗用語になっておりますが、これは人間の具体的な存在を器という字で表現しておるのであります。またそれは、桝、つまりどれくらい物を入れるか、人物をどれくらいその中へ容れることができるか、と考えて物を量る桝に置き換えますと、器量という言葉ができるわけであります。大石内蔵助を褒めるのに、「あれは得難い器量人だ」と申しますが、これは人間の大きさ、深さを量る言葉として、人間界の複雑な活動を批判し、実行していく尺度であります。
このように、私たちが平気何気なく使っておる言葉、例えば器量、器度、あるいは度量等の言葉に、非常に学問的意義があることを知るわけであります。あれは頭がいい、よくできる人だけれども、人を容れない、人を用いる量がない、深みがないなどという言葉は、つまり出来物(できぶつ)だけれども器量が小さいとか、度量が狭いとか、器度が足りないとかいうことであります。従って、今後の時局に処して日本の国政を執り、内外の諸問題に対処するというためには、つまりこういう基準に合う人でなければなりません。これは大変難しいことであります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:21

そのJ
理論というものは、胸に一物があればいくらでもつけられるもので、第三者の批判というものがあっても、これはあくまでも第三者でありますから、当人たちはさようなことを受けつけるものではありません。どこまでいってもかたづきません。
これは国家でも、個人でも、家庭でも同じであります。家の中でも、父は父、母は母、倅(せがれ)は倅、娘は娘と、勝手に理屈を言い合っては治まるものではなく、もっと根本的に厳粛なものを持ってこなければ解決できるものではありません。つまり理論闘争というものでは所詮駄目であって、既に知識・理論の問題ではありません。
かってこの講座で人間精神の大事な要素についてお話をいたしましたが、その中で知識より見識が必要だと申し述べました。知識と見識は似ておるようですが、これは全く違います。知識というものは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られます。学校へ入って講義を聞いておるだけでも、あるいは参考書を読むだけでも得ることができます。しかし、これは人間の信念とか行動力にはなりません。知識というものにもっと根本的なもの、もっと権威のあるものが加わりませんと、知識というものも役に立ちません。それは名にかと言えば見識であります。
ある一つの問題についても、いろいろの知識を持った人が解答をします。しかし、それはあくまでも知識であります。しかし事に当たってこれを解決しようという時に、こうしよう、こうでなければならぬという判断は、人格、体験、あるいはそこから得た悟り等が内容となって出て参ります。これが見識であります。知識と見識とはこのように違うものです。
ところが、見識というものはそういう意味で難しいものですけれども、この見識だけではまだ駄目で、反対がどうしてもあります。つまり見識が高ければ高いほど、低俗な人間は反対するでしょう。そこでこれを実行するためには、いろいろの反対、妨害等を断々乎として排し実行する知識・見識を胆識と申します。つまり決断力・実行力を持った知識あるいは見識が胆識であります。これがないと、せっかく良い知識を持っておっても優柔不断に終わります。
また、平生どういう理想を持っているか、ただ漫然と過ごすのではなく、一つの理想あるいは目標を持っている、これを志を持つといいます。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:18

そのI
南宋の遊炳は、明月清風を道友とし、古典今文を義友、弧雲野鶴を自来友、怪石流水を娯楽友、山果橡栗(しょうりつ)(とちの実と栗の実)を相保友として、これらの五友は片時も放せぬものとしているが、後の三友の名はどうも慊(あきた)りない。
五交から連想するものに仏経中の四友説がある。
一に華友――花の如く、好きな時は頭にも挿むが、萎めば棄てるように、富貴を見ては附き、貧賤なれば棄てるような友のこと。二に称(しょう)(秤)友――物重ければ頭を低(た)れ、軽ければ仰ぐが称(はかり)である。物をくれる者を敬い、くれぬ者を馬鹿にするような友のこと。三に山友――例えば金山の如く、鳥獣之に集まれば毛羽為に光る。己貴くして能く人を栄えしめ、富楽同じく歓ぶような友のこと。四に地友――百穀財宝一切地に仰ぐ。施給養護して恩徳の薄からぬような友のこと。
親友――尚友
友について、四分律(四十一)にまたすこぶる情を得た説がある。
阿難が仏に、どういうのを親友といたしますかと尋ねた。仏答えて曰く、
一、 与え難きを与う。二、作(な)し難きを作す。三、忍び難きを忍ぶ。四、密事を語(つ)ぐ。五、密事を他に向かって語らず。六、苦に遭うも捨てず。七、貧賤たるも軽んぜず。この七を具うるものを親友と為すと。

まことに首肯させられる。なかんずく四と五とに感を深うする。密事を語ぐは、別の語で言えば、包み隠しをせぬことである。さりとて内密のことをべらべら他人にしゃべるようでは話にならぬ。友にもいろいろあるが、結局次第に進んで古人を友とするに至る。之を尚友という(孟子・尽心)。

知識・見識・胆識
私たちには、平生起こる出来事を処理する場合に、大事な原理、原則があります。これらについても既に古人の文献を皆さんに紹介する中に幾つも出て参りまして、そのたびに解説いたしましたが、こういう時勢になりますと、平生の因襲的・機械的な知識や教養では役に立ちません。
知識なんていうものは、そのもの自体では力になりません。知識は理論と結びつくわけですが、知識、理論というものは、腹に一物があればどうにでもなるもので、「泥棒にも三部の理」という有名な言葉があります。また理論には理論闘争というものがあって、例えばソ連と中共の理論闘争は有名です。同じマルクス・レーニン主義を標榜しながら、徹底的に両国は闘争したわけであります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:15

そのH
朋 友
世の中にもし友というものが無いならば、生きぬける人は非常に少ないであろう。世に容れられず、多くの人々から無視されていても、幾人かの人々、あるいは一人でもよい、否、唯一人ならなおその感が強かろう、自分を認めてくれる友があったら、それほど嬉しいことはないであろう。むしろ人々から離れて、却って友は得られるものかも知れない。
友という字は手と手を合わせた文字である。手をとり合う、手をつなぐことをそのまま形にしたものである。
朋という字もある。肉と肉と相寄ったものとも、月が相照らす形とも、二つの貝を並べたものとも、鳳鳥ともいうと、いろいろ解説がある。
説文では、同門、つまり師を同じうするを朋といい、志を同じうするを友というとしている。
しからば朋はたくさん有るが、友はなかなか無いことにもなる。そのせいもあろうか、ぐるになる悪い意味に「朋党」の語をよく用いる。
文を以て友を会し、友を以て仁を輔く(以文会友以友輔仁。論語・顔淵)。
志を同じうするということは、理想、従って教養、即ち文の関係である。それによって、我々の生命人格を補い輔けてゆくことができる。それが輔仁である。
直を友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とす。(論語・李氏)。
そこからやがて友山や友松や友海や友石等の多くの友交ができる。
しかし友交にも素交と利公とがある。
人間と人間との自由な友交、裸の交わり、地位や身分や年齢や利害やそんな世俗的なものに一切捉われないのが素交であり、その反対に、何かためにするところのあるのが利交である。
五 交
利交に五種を挙げることができる。(文選・広絶交論・劉峻)。
一は勢交――勢力に随う交際。 二は賄交――金がめあてのつきあい。断交――言論名声のためのつきあい。窮交――うだつのあがらぬ仲間のつきあい。量交――相手の成功不成功を量(はかって)ってのつきあい、成功したと見ればたかり、失敗したと見れば寄りつかぬようなつきあい。こういう友交は卑劣不快だ。そこで厭世の心を抱くと
五 交・四 友
などが生じる。蘭・菊・蓮・梅・竹である。
もっともこれは、明の薛(せつ)敬軒がその「友竹軒記」に記するところであって、他に別な五友も十友も自由自在である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:12

そのG
そうすれば、また新しく出かけることができる。これは易の精神でもある。ところがこれまたなかなかできないのであります。
日本も現在事窮し、勢いも蹙まっておる感があります。これもやはり、ごまかしはききません。どうしても創業垂統の明治精神を尋ねるのが良い。それでないと必ず自家崩壊に陥る。
十九世紀末のイギリスの歴史学者、バーカーという人がある。この人の『オランダ興亡史』という書物は名著で、それこそ洛陽の紙価ならぬロンドンの紙価を高からしめた人です。この『オランダ興亡史』の中に、バーカーが、「領土だの物資だのというものが、その国の偉大さに本質的な関係があるのではない。真にその国民の偉大さに関するものは、そんな領土や資源や貿易ではなくて、国民の能力であり、国民の精神である。殊に後者の国民精神の問題である。これの旺盛な国民は、必ず、どんなに困ってもまた勃興する。航海に例を採れば、よく規律あり訓練ある乗組員であれば、荒海をくぐりぬけることができるが、秩序の乱れた、精神のこもらぬ船員共では、沈没の危険があるのと同じである。その意味において政党政治は非常に注意を要する。国あることを知らず、ただ党あるを知り、その党よりも実は己の利を図るばかりというように、政党が堕落してオランダも衰退してしまった。だからどうしても、己よりも党、党よりも国家という精神に燃えた政党員を作らなければ、到底、政党政治というものも国民のために危うい」ということを痛切に論じている。
これがそう行かずにだんだん悪くなると、どうしても革命が招来する。革命というものはやむを得ざることであるが、無条件で肯定できない。非常に注意を要するものです。警戒を要するものです。ところが、行き詰まってくると革命が要求されるために、なにか革命といえば無条件に礼讃される傾向があります。これは間違いで、できるだけ革命は避けたが宜しい。やむを得なければ革命もなければならないが、それはあくまでも正しく賢明に行われなければならない。一番望ましいことは、革命など要らない「絶えざる生新」即ち維新であります。

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:08

そのF
そこに事を行い功を立つ「行事立功」がある。それには結局「道」を知らなければならぬというのは前述のとおり、この、事を行い功を立ててゆく段になって失敗するのです。そこで道を修める必要がある。
しからば道とはどういうことであるか。反←本復←始ということであります。絶えず先代のやった創業垂統の精神に帰り、その始めに復って、末期現象に走らないことです。道というものは、本に反(かえ)り、始めに復(かえ)って、絶えず新しく出直してゆくことです。作物が成長するのもそうである。伸びっぱなし、徒長では駄目。必ず根に帰って、絶えず新しい創造が行われる。ところが二世三世は往々にして、本に反り、始めに復ることを忘れる、即ち先代の創業垂統の精神から離れ、あるいは背いてしまう。つまり道に反するのです。
ところが、実にこれは難しいので、我々の体でもそうですが、どうも我々には悪い錯覚がありまして、例えば血液でも静脈血というものを無視する傾向がある。静脈というものを何か悪いもののように思う癖がある。ところが思慮深い医学者は、静脈を第二の心臓といっております。動脈管によって全身に送られた血液が、今度は毛細管を通じて静脈に返って来る。この方が人間には大事なのです。これが再び新鮮になって、それこそ反本復始して、心臓は絶えず新鮮な血液を送れるのです。末梢血管が停滞してしまって、あたかもどぶが詰まったようになれば、即ち静脈がその機能をはたせませんと、心臓というポンプをいくらガチャガチャやってみても血が流れぬ。却って逆流して、ポンプが壊れてしまう。心臓が悪いと思って、強心剤を打てば、よけい心臓を悪くするわけです。それよりも、どぶ浚えをした方が良い。ところがこの反本復始が容易にできない。これが道を失いますと、必ず失敗する。

「絶えざる生新」即ち維新
『菜根譚』に「事窮勢蹙之士、當原其初心」「功成行滿之士、要觀共晩節」。何か生涯の大仕事わやりあげて、そして人生の行路も終わった即ち「功成り業満つるの士」はその末路を見る。ここでやれやれなんて思うと、老いこんでしまったり、あるいは有頂天になって弛んでしまう。その反対に、行き詰まってしまって、勢いも蹙(ちぢ)まり、意気あがらぬ、どうにもこうにもぺしゃんこになってしまった人間は、そこでへこたれず、元気であった初心を原(たず)ねるが宜しい。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:06

そのE
保守と革新
イギリス保守党の名相ヂスレーリが、保守の意味を「維持し、改造すること」、時務に応じて国政をよく維持し改造してゆくこととし、自分の使命はその保守党を国民に魅力ある政党にすることだ、自分は悪を去ることにおいてはラディカルである、急進的であるが、善いものを保つことにおいては保守的であると言っております。これでなくてはいけません。本来、保守党というものは、国民大多数にとって魅力のあるものでなくてはなりません。良い保守党がなければ国は危うい。しかるにそう参らないのは、何か保守党に欠陥があるに相違いない。
保守党ということについて思い出す一つの文献があります。それは孔孟とか老荘とかの説でなくて、非常に現実的な兵書である『呉子』の中に、保守ということについて卓越した考えがあります。それによると、保守とは「保業守成」即ち業を保ち、成を守るという意味の言葉で、「創業垂統」を承(う)けるものです。これは『孟子』にありますが、一世が業を創(はじ)め、統を垂れる。即ち、立派な第一代が苦心して仕事を始め、その仕事を後々まで継承されるように伝える。これを創業垂統という。自分一代で駄目になるような軽薄なみのでなく、二世も産世も自分の遺す方針に従ってゆけば、ちゃんと事業を続けてゆける――つまり歴史を作ることができるようにすることが一世の使命である。この先代の創業垂統を継いで、その業を保ち、先代の成功をよく守り栄えてゆく。これが保業守成で、保守の意であります。
日本近代史で言うならば、明治天皇や当時の偉大な先輩たちの創業垂統したことを、大正・昭和の人々が保業守成してゆく、これが保守である。『呉子』の中に、そのことが立派な文章で説かれています。
東洋の兵書は、なかなか深い哲学に富んでおります。後人の一番大事なことは、かように先代が創業垂統したことを、保業守成することであるが、いかにしてねこの肝要の点を能くしてゆくか。これを「謀」といっております。それは時が経つに従っていろいろの弊害を生じる。その害を避けて、どううまく持ち続けてゆくかの問題で、『呉子』にはそのことを、「害を避けて利に就く」と申しております。この謀によって先輩の偉業を正しく維持改造してゆく、それを「義」と申しております。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 17:03

そのD
しかしそれを大衆に要求しても無理だ。だからこの対策は、エリートを対象とするものか、大衆を対象とするものかということを初めにはっきり分けておかなければならん。まあ喧(やかま)しく吟味すればまだいろいろあるが、少なくともこういう三種類の大前提というものを諸君の頭の中ではっきりさせておいて、物を考えたり、議論したり、協議したりしないと有効・適切でない。
そこで、一番大事なこと、いわゆる長い目で見る場合、全面的に言う場合、あるいは根本的に言う場合には何が必要かというと、やはり自分の問題として考える、我いかに生くべきやという問題と、それから人間というものは進歩向上してやまざるべきものであるから、やっぱりいかにしてエリートを作るか、自分がどうしてエリートになるかということ、この問題を一番尊重していかなければならん。
そうして追求してゆけば、世の中に成らざることはないものだ。いわゆるimpossibleということは字引にないということも確かに言える。「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」という、吉田松蔭先生の言葉も真実である。精神一致何事か成らざらんということも確かに言い得る。それを大衆的に、他人事(ひとごと)に、あるいは目先のこととして持ち出したら、それは無理な話だということになる。その辺のところをよくわきまえなければならん。
極端な面白い例を言うと、どんなに環境が悪くても、施すべき策がないほど行き詰っておっても、これを自分の問題として、あるいは独自の問題、エリートの問題として考えれば、いくらでもその道が開ける。たとえその人自身がエリートでなくても・・・だ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 16:58

そのC
人間というのはそういうもので、少し調子を下げればどうでもいい。大抵のことは、うんうんでいい。しかし真剣に命がけで取り組むということになったら、それこそ簡単にはゆかん。議論もそうなんで、今の要するに三原則というものを、よく諸君は心得ておいて研究でも協議でもやらなければならん。そういう前提を知らないで、よくやみくもに突入して、両方とも要領を得ないということがよくある。あるいは両方とも要領を得たつもりで、突っ込んで言えば、実はなっておらんということもあり得る。ということもよく知っておくが宜しい。
それから、今まで何度も話したことであるが、問題を自分のつきつめた実践の問題、当為の問題、我いかになすべきかという、自分の問題として取り扱う場合と、人の問題として取り扱う場合とでも、非常に趣が違ってくる。例えば農村問題にしても、農村に生きる自分としていかにあるべきかという場合の心得や考え方と、一般の農民ねつまり他人としての農民のことを考え論ずる場合とでも、これは非常に違う。その点も混同すると話が合わぬことになる。
今農村の青年に娘が嫁に行きたがらん。これは実に困ったことである。いかにして農村の青年男女というものの悩みを解決すべきかというようなことは、これは一般農民の問題として論ずる場合と、そういう環境の中にある一人の青年である自分がこの現実に対していかに処すべきかということでは、心得が非常に違ってくる。考え方も非常に違ってくる。そういう大前提もあるわけです。

大衆心理と指導者的見地
それから、これと結局は相通ずることであるが、殊に現代のような社会の大前提として、一般大衆としての考えと、今後いよいよ必要なエリート、精英、選良、指導者というものを建前にして考えるのとでは非常に違う。一般大衆をどうするか、指導者をどうするか、指導者としていかにあるべきかということを考える場合に、大衆というものはどういうものかということを考えて、その妥協からでは当を得ない。大衆がいかにも悪い、あるいは大衆が頽廃堕落しておればおるほど、エリートというもの、優れた指導者というものは、大衆とは全然違った峻厳な精神でなければならん。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 16:57

そのB
他事(よそごと)と自分自身のこと
世界史の中でも類(たぐい)まれな大宰相といわれた耶律楚材(やりつそざい)という蒙古の大宰相がある。五十幾歳のジンギスカンが二十そこそこの耶律楚材に一見して惚れこんだという大人物である。蒙古建国はほとんどこの人に依った。あの剽悍な蒙古の君臣を三十年にわたってしっかりと把握して指導した人だ。
この人がまだ若い時、北京におった頃、禅に没頭して、澄公という非常に優れた和尚さんに参学しておったが、いろいろ自分の意見を言うと、うんうんといってしきりに同意してくれる。その頃、彼はまだ遼という国(満州)の王族であったが、蒙古の侵略を受けて自分の王国は没落する。国家の没落の危局に臨んで彼は煩悶懊悩した。そういう深刻な状態になってくると、それまでの観念の遊戯などというものは実は気分の満足なんで、いわゆるムードなんていうものでは片がつかん。えらく自分が参禅してきたつもりでおったけれども、何やら怪しくなった。それでその行き詰まった気持ちで澄和和尚の所へ行った。
すると和尚非常に御機嫌が悪くて、いろいろ意見をいうと、それは駄目だ。これはなっておらんと、もう頭ごなしにやられる。そこで楚材は、今までお師匠さんは何事によらず私を許してくれたが、今日はどうも頭から否定される。どうゆうわけですかと聞いてみたら、今まではお前の参禅も遊戯であった。貴族の道楽だった。だからどうでもいいから、うんうん言っておってのだ。今日のお前は真剣らしい。真剣に聞くなら、実はなっておらんという。それでハッと悟ったということである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 16:56

そのA
ところがそれができないで、文字通りに皆木から離れてしまって、対立するからろくろく分からない。これは第二の原則です。
第三には、物を枝葉末節で見るのと、根本的に見るのとの違い。枝葉末節に捉われる場合と、根本的に深く掘り下げて考える場合、往々にして結果が正反対にもなる。しかしこれまた同じことで、枝葉末節で見たのではすぐ分かるようであって、実は混乱するばかり、矛盾するばかり。やはりできるだけ根本に帰って見れば見るほど、物の真を把握することができる。
『論語』に「本立って道生ず」というておる。孟子もまた、「まず大なるものを立つ」と言っておるが、難しければ難しいほど、根本的に掘り下げて考えるということを心掛けなければならん。
そこで最初に我々が注意しなければならんことは、この問題を我々は長い目で見て議論するか、多面的・全面的に見て議論するか、根本的に見て議論するかということと、この議論は枝葉末節的の議論である、一面的な議論である、目先の議論でありはせんかということとを区別すること、これを区別してかからんと、徒らに混乱したり、もどかしがったり、いろんなことで結論が出ない。
この物さしを諸君が持っておると宜しい。そうすると自分の言うことが、はてな、今俺の考えておることは、どうも目先の議論だわい、これは甚だ一面論だ。これはどうも部分的な、要するに枝葉末節論だ。彼の言うておることは、なるほどもっともなことだけれども、これも一時的の観察、一面論、枝葉末節だ。俺の考えておるのはもう少し長い目で見た観察だ。もう少し多面的・全面的に俺は考えておる、もう少し根本的に考えておるんだ。だからあれとは議論しても合わん。議論しようと思ったら、向こうとこちらと筋を通すことから始めなければいかんというようなことが明らかになる。
これは物を考えたり議論したりする時の心得というものです。これが分からないものだから、盲(めしい)の剣術みたいに、あられもない方向へ竹刀を振り回しておるような場合が往々にして見られるわけである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 16:54

その@
 安岡正篤師の考え方し、鳩・小沢を比較していただきたい。

切磋琢磨の三原則
物の考え方というものに三つの原理がある。まずこれを知ることです。それは第一に、物を目先で見るのと、長い目で見るのと両方あるということ。目先で見るのと、長い目で見るのと、非常に違う。どうかすると結論が逆になる。ある人は非常に長い目で見る議論をしておる。ある者は目先で見る議論をしておる。これでは話が合いっこないですね。しかし我々は目先ももとより大事であるけれども、原則としては、やはりできるだけ長い目で物を見るということを尊重しなければならない。目先を考えるということは、うまくやったつもりでも、大抵の場合じきに行き詰まる。物を目先で考えないで、長い目で見るということ、これを一つの原則として、我々は心得ておかなければならなん。
その次に、物を一面的に見るのと、多面的あるいは全面的に見るのとでは、全然逆になることがある。どんな物だって一面だけ見れば必ず良いところがある。と同時に必ず悪いところがある。そして結論が出ない。ある者はあれはいい人だという。ある人は彼奴(あいつ)はいかんという。一面だけ見ておると結論は出ない。これを多面的に見れば見るほど、その人間がよく分かってくる。いわんや全面的に見ることができればはっきり結論が出る。
しかし多面的に見る、全面的に見るということは非常に難しい。難しいだけに、やはり物を長い目で見なければならんように、できるだけ我々は多面的に、できるならば全面的に見ることを心掛けなければならん。
よく大所高所に立ってというが、大所高所に立ってということは、物を全面的に見るということだ。大臣のことを何々相、文相、蔵相なんていうが、この「相」という字がそれをよく表しておる。これは木偏に目と書いてあるが、本当はこの目は木偏の上に書くのが一番自然なのである。木の上に登って高いところから見る。森蘭丸みたいに高い所から見るという字だ。しかし縦に続けるとあんまり長くなるから、「木」の右へ「目」を持ってきたのだ。普通の人間のように目先であるいは低い所で見ないで、大所高所に立って見るということが大事だ。つまり国家の政策というものを大所高所から立てる、国家内外の情勢を全面的に見るということだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 16:46

今や世界と日本の常識となっている、鳩山総理の「マヌケ」というレッテルである。
 なにか鳩くん「株を守る農夫」そっくりである。
対等な日米関係と胸を張る。しかし同盟の実態は、そのようなものではない。
 アライアンスとは、共に並ぶことであるから、日本として最先端の戦略兵器、戦術兵器の開発や装備は必要十分条件である。
 軍事知識はからきし持ち合わせていない。
これで、「アホ」といわれても仕方がないところである。

*亡国の民、殷の人達の前には、二つの運命が待ち構えていた。その一つは「まぬけ」だといつて周囲の人達にバカにされること、その二は、いっさいの退廃の責任をおしつけられることである。殷の末孫は華中に小さな領土を与えられて、殷の祭奇祀をついだ。その宋の領土・襄王が、「われ亡国の子孫なりといえども、列をなさざる敵にむかいて鼓をうたず」と、妙な仁義を守った。厳しい力の論理が支配する世のなかの「常識」からみれば、これこそ「まぬけ」の張本であった。
 この話から二百年をへて、「国盗り」のさらに激化した戦国時代となつた。戦国の論客として名高い孟子が、こう述べている。
 「宋の百姓が、苗がいっこうにのびないのを気にして、一本ずつ引っぱりあげて家に戻ってきた。『今日は疲れたわい。わしは苗を助けて長(の)ばせてやつたぞ』それを聞いた息子が仰天して畑にかけていつてみると、苗はもうすっかり枯れていた。むりやりに『助長』させたところで、どうなるものでもない」(「公孫丑篇上」)
 孟子はこの話をタネにして、堂々とした人間の正気は、その人間の明朗な生き方から自然に生まれるもので、むりに「助長」すべきものではない。と。
韓非子は、
「宋の人、田を耕す者あり、田中に木の株あり。兎来たりて株に触れ、首を折りて死す。よって鋤をおきて株を守り、また兎を得んことを願う。されと兎は二度と得られず、その身は、宋国の笑いものとなる」(「ゴト篇」)
 殷を征服した周の人たちは、ものごとを冷静に計算して、それに道理をからませた。周の配下に帰した広大な地域は、この見方がいわゆる世の常識たなつた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 15:03

 居多ヶ浜は、親鸞聖人が3月28日に木浦から舟で上陸した浜と伝えられている。
 北陸の3月末といっても、吹雪の日もあり、流人にとっては心身共に痛んだものであろう。
 そのうえ、「半僧半俗」の身であることから、言葉は流人であるがその本質は死なのである。
 土地の人の見世物としてさらされ食事も与えられない。
誰かの施しがなければ、忽ち死にいたるのである。
 不思議なことに、この流人に食べ物を運ぶ女人が現れた。
この女性こそ、後の恵心尼である。
 そして、この流人と女人はいつしか互いに相手を必要とするようになり、子供をもうける。
 そして、この家族は、まだ未開の土地であった関東に布教の旅にでる。
その生命力の凄さには恐れ入る。

 当時、関東の開拓には、越後の人達も携わっていた。
関東とは今の、茨城県、笠間市周辺のことであろう。
 笠間市の外れに稲田というところがある、ここに西念寺があり、親鸞がここで『教行信証』を執筆した。
 
 唯円は、真の念仏の教えを求め、草深い関東から京都に親鸞を尋ねて教えを求める。
『歎異抄』は、その聞き書きである。
 だから、親鸞という人が、時代を超えて我々に訴える新鮮さがある。
 無骨で、ゴツゴツした、故事究明に生きる人柄がよくわかる。
 何か、自分の父親を思い出させてくれる。
戦前の男がもつていた、一途さ、男の悲しみのようなものを背負った男の悲観を感じる。

 鳩君、ぺラぺラとよく喋る。
しかし言葉に言霊が宿っていないから人の心を打たない。
恐らく、オバマさんもそれを見抜いたのであろう。
 パウロのコリント信徒への手紙ではないが、「判断は子供じみてはいけない、大人の判断をしなさい」と!
「子供のように、悪に染まってはいけない」というくだりは、鳩くん、子供の判断にあけくれる毎日である。

 聖書を読み込んでいる、オバマさんとの信頼関係は、築けないのは当然であり、これが日本の国益・国民を危険にさらしている。
 民主党政権となり、国の叫び声が夜の闇と重なり、夜を益々と重い苦しくしている。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 13:58

 昭和21年1月1日、昭和天皇の詔
国の垂統性を担保するのに、「五箇条の御誓文」をあげている。
 米国が日本に与えた憲法は、民主主義であり、自由と平等を高らかに宣言している。
 民主とは、「精神的には盲目である民」に「主=神」の権利を付与するという、民衆政治を意味している。
 五箇条の御誓文では、歴史・文化・伝統を担う国民が存在してこそ「権理」が存在し、「公論」が創造される。
 昭和天皇の目指したものは、日本の伝統的な民主主義である。
 
 今、「箇所付け」や「八ツ谷ダム」などで、国家・国民のことよりも、党利が優先する。
 本来、高速道路は受益者負担を原則とする。
高速道路無料化は暴論である。そして「コンクリートから人へ」といいながら、今度は、道路建設を党利の為に、前言を反故にして、建設するという。その建設費用のため、高速道路料金を付加する。またもや、選挙が危ないと前言をひるがえし、料金制度を再変更するという。
 もっと、悪辣なのは、「国民の要望」と党益をすりかえるからたちが悪い。
 もはや、日本には「議会」は空洞化し「公論」は存在しない。

*ここに新年を迎う。顧みれば、明治天皇、明治の初、国是(こくぜ)として五箇条の御誓文を下し給えり。

曰く。

1.広く会議を興(おこ)し、万機(ばんき)公論に決すべし。

1.上下心を一にして、盛んに経綸(けいりん=国家をおさめととのえる方策)を行うべし。

1.官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まさらしめんことを要す。

1.旧来の陋習(ろうしゅう=悪い慣習)を破り、天地の公道に基づくべし。

1.智識(ちしき)を世界に求め、大いに皇基(こうき=天皇が国を治める事業の基盤)を振起(しんき=ふるい起こす)すべし。

叡旨(えいし=天子の考え)公明正大、また何をか加えん。朕はここに、誓を新たにして国運を開かんと欲す。すべからくこの御趣旨に則り、旧来の陋習を去り、民意を暢達(ちょうたつ=のびのびしているさま)し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生(みんせい=国民の生活)の向上を図り、新日本を建設すべし。

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月23日(Fri) 09:33

はじめまして。
腹抱えて笑わせてもらいました(笑っている場合ではありませんが)。
少し語呂を良くして、ざれ歌っぽくしてみました。

日本にゃ謎の鳥がいる。
何者なるや、誰人知らず。

中国から見りゃ「カモ」に見え、
米国から見りゃ「チキン」野郎、
欧州から見りゃ「アホウドリ」、

日本人には「サギ」だとさ。

オザワに言わせりゃ「オウム」だ何だ、
でも自分は「ハト」だと鳥は言う。

「カッコウ」だけは一人前で、
お「フクロウ」さんには「タカ」りっぱなし。

約束したら「ウソ」ばかり、
「カラス」みたいに黒々として、

まずい話にゃ口「ツグミ」、
釈明させれば「キュウカンチョウ」、
ほんにお前は「ヌエ(鵺)」のよう、

頭の中身は「シジュウガラ」、
実は単なる鵜飼いの「ウ」。

「キジ」にもなってる「トキ」の人、
辞めろさっさと日本の「ガン」!!
Posted by: 伊勢  at 2010年04月23日(Fri) 08:27

本日、鳩くんの秘書に対する判決があった。
教育勅語を基準に、鳩君の人間としての出来栄えを評価してください。
 人の奥様をせしめたそのやり口、意識的・計画的でなく、まずは不○ありき。
 そしてカカサマが「お盆」もつて、払い下げを願いに先方に行く。
 その癖なのか、普天間移設は他人事である。
ここでは、アナゴは、カカサマほどの役に立たない。
 一千万円の子分への、資金提供も対して役に立たない。

*教育勅語
「朕惟フ二・・・・」から始まった、その教えは「父母に孝、兄弟夫婦一家仲睦まじく暮らし、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らを身をつつしみ、人々には博愛の心で親切に、学業に精励し仕事を見につけ、共に公共の利益を計らなければならない。憲法・法律を守り勇気をもって国のために尽くそう」
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月22日(Thu) 21:45

 小沢は、「人の性は悪なり」の立場にいるのであろう。
利欲争いを、確たる現実だと肯定する。
 だから、人間をコントロールするためには、強大な権力が必要とする。
 権力を一点に集中することにより、安定した社会が構築できる、この場合、人間の自由や平等は為政者により抹殺される。

 鳩や小沢は国民、国民・・・というが、吾々はいつのまにか、飼い慣らされているのでは!

小生は荀子は嫌いである。
荀子と同じような思考と行動パターンをとる鳩も小沢も嫌いである。

*儒教からはみ出した左派は、農村共同体のなかに垣間みた助け合いの精神にすがりついて、公共社会への理念を追うのだが、荀子は逆に、いまの利欲争いを、確たる現実だと肯定する。
「飲食と男女(性○)、人の大欲は、ここに存す。・・・礼を舎(お)きて、何をもつてかこれを治めんや」と述べている。
「人は生まれながらにして、耳目の欲あり、声○を好むことあり。これに順うがゆえに、淫○生ず」
「人の性は悪なり、その善なるものは偽りなり」(「性悪篇」)
ということになる。
「天は偉大なり、としてこれを思うより、蓄(やし)ないて制(うまくおさえる)するにしかず・・・時を望んでこれを待つより、時に応じて、これを利用するにしかず」(「天論篇」)

荀子は、人間は自然と戦って運命を切り拓くものだ、と主張する。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月22日(Thu) 18:13

 やれ、普天間移設で県内・県外などと、県民の思い、国民の思いと二元対立する、妄想をふりまく。
 具抵和尚は、「主人公」はおるか、「主人公」はおるかと吾に問う。
 高速道路の料金改定、普天間移設において、この国の主人公はおるか?
「前後截断」できない総理である。
「総理は今生きているという所を自覚しないと」と日本国は滅亡しますぞ。

*四句を離れ百非を絶して直下に一刀兩段して便に後を念ひ前を思はず
 『四句を離れ』・・・一切の理屈を離れるということ、
 一人ひとりが自分の考えを離れるということ。

 そして『百非を絶す』・・・一切の非を否定していく。
 あらゆることを否定していく。

 要するに頭で考えてそれぞれが無心でものを受け取って行けない・・・それは小さいときからそう慣らされているから、「これは赤ですよ」「これは黒ですよ」「茶碗でご飯たべるんですよ」・・・ずっと今までこのかた身についてきた知識、既成概念、そういうものでしか物を見ない。

 何も無い・・・今おぎゃーと生まれた赤ん坊のような目で、物を見ない。
 だから四句を離れ百非を絶して、
 有だ無だ、生きる死ぬ、好きだ嫌いだという二元対立をすぱっと断ち切って、
  前後截断、

 「いま!」・・・「今!」というのは無いよね。けれど我々は今!生きている。これが「後を念い前を思わず」ということ。

 前後截断。

 常に今、今、今、今・・・。常に今、生きてる。

しかし、そうは言っても現実はそうだけれども我々の社会はそうじゃなくて昨日もあれば明日もあるというところでこの社会は成り立つ訳だけれども、そして歴代の祖師方、徹底して自分の妄想煩惱を断ち切って、我がうちの本来の自己というものを自覚する、そういうこと。

 屁理屈でなくて相対の見をなくす。そして常に今、今、今ということを、今生きているという所を自覚しないと。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月22日(Thu) 13:43

この総理は心眼が開いているのでしょうかね!
「郵政改革」の見直しは、社会主義金融であり、財投の復活であり、「政・官・業」のトライアングルの復活であり、利益誘導であり、民業の圧迫である。
 高速利用料金の改定は、道路公団の復活である。
普天間移設は、離党予算の削減から札束で地方を脅迫する脅迫であり、海の埋め立ては、小沢利権の拡大である。
 中国にスリより、横暴な中国を招きいれる、無国籍な「謎の鳥」である。
 心眼の開いていない総理の下で、官邸にはムジナや狸が住み着き、悪さを繰り返す。
学校は日教組が我が世の春と、人民民主主義の花盛りである。
公務員改革は、労組との蜜月で頓挫、国民に事業仕分け劇場でごまかす。公務員削減は夢のまた夢である。
無駄と豪語した22兆の捻出は嘘であり、消費税20%が囁かれている。
「噴地一発 」自分が意識せずに「あぁっ!そうかぁ!」と、施政に明確な方針がない総理である。

*噴地一発
 「噴」というのを字引で引いてみたら「くしゃみ」とか「ふん」と鼻を鳴らすことだそうですけど!
自分が意識せずに「あぁっ!そうかぁ!」とわかること。

 九千九百九十九分わかっていても、あと一分わかってないということは一つもわかってないということと同じなんですよ、本当は。噴地一発して「ああ!そうかぁ!」って自分が納得すること、それが大事。
 自分で納得して「なるほど!」とわかったときには超えるものがあるんですよ。「超えるものがある」というと階段か何かのように思うと困るけど、全く違うんですよ。それまでは「こっち」側から自分で判断してわかったような気になってるだけだから。噴地一発して了ずるということは、その自分が修行してわかるんじゃなくて向こうから来てくれるという、俺が考えるんじゃなくて、考えるも考えなくも「ああ、そうだな」って、・・・こう見たら見たまま。何でも見たら見たまま。
 そこのところがわかるかわからないかというのは、もう雲泥の差。 大慧禅師が九千九百九十九と言ってるけどもそのあと一分がわかるかわからないかは全く別物なんですけどもね。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月22日(Thu) 11:26

 「思わない人は思わない人で幸せだ」
「自分は今生きていてこれでいいんだろうか?と考える。さまざまな「これでいいか?」があるけれど、仕事についても、生き方についても、命についても、「これでいいのか?」と誰でも一度は考えると思うんですよ」

総理としてこれでいいかとかね、散々悩み苦しむものであろう。だから総理は孤独であることが、セオリーである。
 それにしても、鳩山首相の「私は愚かかもしれない」とは、それを言っちゃおしまいよ!

*道は知にも属せず、不知にも属せず

 求めて知るのは知識だ。知識は幾ら貯めたって忘れちゃう。年取ってくれば朝の飯だって「あれ、何食ったっけな?」ってなもんだ。知識なんてなんにもならない。じゃぁ知らないのがいいのか、というと、知らないのは真っ暗だ。

 「知は是れ妄覚」妄念だ。「不知は是れ無記」無記というのは真っ暗ということ。道は、「知った」と言っても嘘、「知らない」と言っても嘘なんだ。

南泉「豈に強いて是非すべけんや」 無理にああだこうだ言うことは無いだろう。こう言われて趙州は初めて豁然として大悟した。ガラッと。

 それまでに、どれだけ疑念を胸(ここ)に持ってきたか、最初から十年間持っていたかもしれない。自分がその疑念を離さないで幾つになっても持っているから、いつか分かる時がある。みんな普通だれでもそうだと思うけど、成長する過程で、あるとき自分を自覚して、自分は今生きていてこれでいいんだろうか?と考える。さまざまな「これでいいか?」があるけれど、仕事についても、生き方についても、命についても、「これでいいのか?」と誰でも一度は考えると思うんですよ。しかし、いつかそんなことは忘れちゃう。学校を卒業して就職したらサラリーマンになって、若いときに思っていた疑問はどこかへ行っちゃって、また、家庭を持てば持ったで雑事に紛れて、そして年をとって初めて「ああ、これでよかったかな」なんて思う人が多いんだろう。
 思わない人は思わない人で幸せだ。何も知らないところで生まれてきて知らないところへ死んで行っちゃう。でも、せっかく生まれてきたら、それじゃ面白くないよね。
 しかしまあ、疑問が無ければ無いでよいわけで、疑問が無いのが一番幸せかもしれない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月22日(Thu) 09:46

【党首討論速報】鳩山首相「私は愚かかもしれない」

言葉が軽いですね。
公人であり、自分が愚かであると認めれば、公人として留まるのは、百害あって一理です。
 どんなに対抗要件を具備しても、理に適わない。

 鳩バカは、人間としての至誠の心がありませんね。
党首討論の重さがない、自ら尊厳を汚している。
 総理にしてはならない人間の見本のような人士ですね。

 狗畜生もせぬことを、鳩というキチガイがしている。
もはや日本には総理の椅子に、総理なしである。
 座っているのは、化けるのが上手な「狐」である。
人を誑かす、畜生である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月21日(Wed) 17:20

鳩くん「今、大変厳しい天気かもしれないが、必ず5月末までには五月晴れにしないといかん。そのために全力を挙げて頑張っている最中だ」と!
実態はオバマ大統領に脅されて、ウオサオしているだけでしょう。
「方向が定まらないで生きているなら、花も開きようが無い!」と思いますがね!

*百花 春至って誰(た)がためにか開く

春がきた・・・
 誰のために春が来たんだ?
 花は誰のために咲くんだ?
 ・・この春の花をどのように見るのか・・・

 ああ、ひとひらのスミレの花よ
 汝が心の秘密を語れ
 宇宙の秘密がわかるであろう

作者はイギリスのブラウニングという詩人だ!

芭蕉は、

  よく見れば 薺(なずな)花さく かきねかな

 意識しなければ踏んで行ってしまう、ぺんぺん草だ。そのぺんぺん草をハッと見たときに、そこに天地が見えた。

 春になれば八王子の高尾山の谷底にも、誰も人がいなくたって花は咲く。人間は、誰も来ないと怠けていて、誰か来ると花が咲いたようにパアッとして、いかにも真面目そうにやり始めるけど、自然の法というものは、そうじゃ無い。谷底だって花は咲くし、人なきところにも百花競いひらく。我々も百人いれば百人の色がある。みんなそれぞれ、もって生まれた命があるわけで、その持って生まれた「いのち」を自分で覚す。

「自覚する」ことが大事ですよね。

 自覚がなけりゃ、花開かせようが無いでしょ?
いったい、何処へ向って花を開かせたらいいんだ?

 自覚があるから花ひらかせるところがわかる。花の向きだって、あっちに太陽があるなとわかるけれど・・・、方向が定まらないで生きているなら、花も開きようが無い!
                   (exty-vww@jcom.home.ne.jp)

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月21日(Wed) 13:49

そのA
国家の根本課題は安全保障と外交である。根本が定まって初めて経済の安定、持続的成長への道が開ける。21世紀の今日においても安全保障の基本は依然、同盟政策である。民主主義、自由主義、人権の尊重、法治主義を共有し地勢的な国益を共通にする国が手を携えて並び立ち潜在的脅威と向かい合う。これが同盟の原則である。

 チベット、新疆ウイグルを力ずくで征服し、固有の文化を抹殺するかのごとき人権抑圧が日常化しているといわれる専制政治の惨状と、海・空戦力を増強・近代化し、太平洋・インド洋をうかがいながら核弾道ミサイルの照準を日本に向けて配備しているとされる大陸・半島の脅威を直視すれば、日米同盟による米国の核抑止力が米ソ冷戦時代にもまして不可欠であることは自明だ。

 彼らは同盟が不動の実効性を持つと感じたときにのみ、友好的で理性的な隣人となるだろう。重要なのは、集団的自衛権に基づく対等な同盟関係を築き直し、実効性のある抑止力を機能させることである。

 半世紀ぶりに迎える分岐点での判断を誤れば日本は再び滅びるであろう。ただちに日本国民は思考停止から目覚めるべきである。こうした混迷の時代にこそ、日本の国益を直視できる新世代のリーダーの出現を期待する。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月21日(Wed) 09:53

その@
 JR東海の葛西さんは見識のあられる方ですね。
憂国の国士と同じ問題意識に立つ、「半世紀ぶりに迎える分岐点での判断を誤まれば日本は再び滅びるのであろう。ただちに日本国民は思考停止から目覚めるべきである。こうした混迷の時代こそ、日本の国益を直視できる新世代のリーダーの出現を期待する」
 如是 如是・・・・である。

*鳩山政権の安全保障・外交政策は混迷の一語に尽きる。一方で日米安保は安全保障の基軸、地域の平和と安定に不可欠な公共財だと言いながら、日米両国政府で合意済みの普天間飛行場移設計画を弄(もてあそ)び、核抑止力の均衡が国際平和の必須条件だという世界的な常識すらなしに兵器持ち込みに関する合意問題を蒸し返したりする。

 そればかりか東アジア共同体構想なるものを中国に呼びかけさえしている。鳩山政権の真意は日米を疎遠にし中国に擦り寄ることではないかと疑念を抱かれるのも当然だ。

 迷走の原点は敗戦から今日までの歴史にある。この65年間に世界は大きく変遷し、日本も形だけはそれに対応してきた。サンフランシスコ講和条約により主権を回復、米ソ冷戦下で自由主義陣営の一員に加わり、昭和35(1960)年の日米安保条約改定で日本の安全保障を米国の核抑止力に委ねる決定をした。

 この2つの選択により日本は安全と安定と経済的繁栄を手中にしたが、左翼マスコミと知識人が反米を煽(あお)り、政府が正面からの安全保障論議を避けた結果、世論の意識レベルは日本の国益を真剣に考えず、国際政治の現実にも目を閉ざし、「占領国」である米国の意向に追従するという心理状態だった。その結果、日本の安全保障に必要不可欠な「同盟軍」という「在日米軍」の本質が、多くの日本人の意識のなかでは、「占領軍」のままで今日まで来てしまった。

 日本にとって喜劇的だったのは、この受け身の姿勢が偶然にも奇跡の経済発展をもたらす成功体験と重なったことだ。現実から目を背け思考停止することこそ最良の策だという気風が日本中に定着してしまった。米ソ冷戦が終わり一時の解放感の後に世界は再び不安定化しつつある。そのさなかにおける現政権の迷走は臨終を迎えた「戦後思考」の意識混濁としか言いようがない。

 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月21日(Wed) 09:52

 鳩山のアホウ鳥は、ジネンジョの掘り方を知らないね。
長く大きなものを傷つけず掘るには、ジネンジョの「いのち大切」「友愛」精神が一番大切です。

 ではどうするかといえば、ジネンジョのつるを頼りに、位置を確かめる、そして周りの木や草を広く刈り開ける。

 その次は、クワやジネンジョ堀り専用のスコップで、ジネンジョからはるか遠くから土を掘り、穴を掘る。
 そうしなければ深い穴も掘れず、ジネンジョを傷つけず掘り出すことは出来ない。

 これをリーダーの心構えに例えれば「意識的・計画的」ということになる。
 何のことはない、鳩の「いのち大切」「友愛」とは、私はジネンジョ堀りの名人と、駄法螺をこいているだけのことである。

 カカサマから、月1500万円の小遣い頂く、これ何も意識的・計画的なことする必要もなしである。
 問題解決の訓練も出来ていない、人情も知らない。
人は、命令すれば自分のいいなりになると、無知極まりない。
 この五ヶ月、社民党の心変わりを待つ、宋の株を守る農夫のようである。
 亡国の民とあざ笑われた、商人そっくりの鳩バカである。

こんなバカを総理にした、「民主党に一度はやらせてみたら」と民主党に投票した、亡国の民衆に対しても笑いが止まらない。

 普天間の辺野古沖移設は、奇跡的なことであり、地元・国・米国の努力を踏みにじった鳩バカと民主党である。
 国家安全保障を子供の遊び道具のように弄ぶ鳩である。
中国が戦艦を派遣して威嚇する。
 それを容認する、無国籍政権である。

 戦後六十余年、人間の実存から目をそらし続けた日本人の姿が鳩に投影されている。
いよいよ、精神の崩壊が日本を滅ぼしつつある。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月21日(Wed) 09:28

そのB
と必ず言ったそうである。これが身の毛もよだつほど嫌だったと自ら述懐していたこともある位で恐らく常にここに彫琢を験していたものと思う。
ところがこの遺草には、その才気が全くなく、訥々誠実の風が現れている。正に「精を覓め」つくした結果に得た「拙」とでもいうべきで、見るものをして思わず粛然たらしめる。全くよく精拙元浄の真骨頂を現している。
それと同じように私の聞いた最後の言葉は一見俗語に似て実はこれまた青峨禅の血滴々である。
井々先師のいわゆる八紘一宇の真精神とは何であろうか。それは一部固陋の徒の解するような民族主義でもなければ、また世の進歩的と称する似而文化人の曲解するようなジンゴイズムでは決してない。いわば世界精神を、日本の古語で表現したものに他ならない。
禅的に言えば、這箇漸である。一即一切、一切即一のことである。釈尊はこれを、一指を天に上げ、一指を地に垂れて、天上天下唯我独尊と喝破している。
これを教相的に言えば、因縁性空、因果無人、共存共生持ちつ持たれつの理想社会のことである。言葉は符牒であるから何と言い換えてもよい。けれども八紘一宇という言葉に盛られた内容そのものは、古今を通じて最高無二の指導の原理と言ってよいであろう。
第二次世界大戦の時には四つのブロックに分かれていた世界はいまでは二つの陣営の対立となっている。第三次対戦の有無はさておいて、やがて原子力の媒介によって一つの世界を現出するに至るであろう。即ち世界は明らかに統一の方向に進みつつあるといえる。しからばその統一世界の指導原理は何であろうか。精拙和尚を地下より請じ来って、稽首してこれに問え。
(昭和二十九年九月 大森曹玄)
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 18:05

そのA
すると、先師は侍者を呼び、「ウイスキーを出せ、一番上等のを!」と、何回か出しなおさせた末にオールド・バーを運ばせた。侍者がグラスを添えて出すと、
「金杯を持って来い」と言ってこれも取換えさせた。そして私を近くへ招き、不自由な体で自ら酌をされた。私がグッと飲み乾すと、「わしも飲むのだが、こういう体で飲めんから独りで済まんがもう一杯!」と、立てつづけに二、三杯酌をされた。
飲みおえて金杯をお返しすると、やおら「自分はこう思う」と言って、日本や世界の将来についての見通しを縷々として述べられた。そして最後にこう言われた。
「わたしは大臣にも大将にも随分沢山会ったが、一人として八紘一宇ということを正しく理解したものが居らなかった。これではいかんと思った。そこでこれから半歳の間に、全国民に八紘一宇の本当の精神を叩き込んでおく必要がある。それが日本再起の根源をなすものだ。君は国士だ。今は安閑として坐禅などしている時ではない是非それをやってくれ。わしも病気が癒ったら必ず君と一緒にやる。それまでの間是非やっていてくれ!」
そう言いながら、私の手を固く握られた。私は黙ってコックリと肯いただけだった。涙が滂沱として何も言えなかったのである。それから十年、いまでもあの時の感激は絶対に色あせていない。
先師のこのいやはての言葉は果たして迷であるか、悟りであるか、私はこれを知らない。けれども私にとっては絶対のものとしていつまでも「高枝の払著するが如くに」私の心を打っている。先師の遷化の前日、ふるえる手で遺草をものしている。
「個純瞞漢六十九年覓精得拙虚空喫&#39002;」と。
元来先師は豪快にして瀟酒、竹を割ったような男らしさの中に、低徊去る能はざる情味を蔵していた。けれども一面あの荒削りの粗野な風貌に似合わぬ縦横の才気があった。峨山和尚の侍者をしていた頃のこと、峨山和尚から講座の前になると必ず講本の下読みを命じられる。仕方なく読むとやがて講座のとき峨山和尚はその通りに読んで、「・・・というのじゃげな、エイ、猪才の小才子が!」
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 18:03

その@
敗戦後の大森翁の行動、本来、戦後六十余年過ぎた、我々は惰眠を貪っていたのである。

*私がはじめて峨翁老漢に相見し参禅したのは、大正十四年、東京牛込の明徳会であった。室内は型の如く無字のせんさくから始まった。一年二年三年四年、何としても許さない。いや、許さないのではない。
「わたしの方はそれで透してもいいが、お前の方はそれで良いのか?」というのだから手のつけようがない。「履歴取りの雲水なら、何ぼか公案の型も教えておいてやらねばなるまいが、居士の君にはその必要はあるまい」ともいうのだ。
「わたしのようなものでも、初関をブチ抜いたときには、嬉しくて嬉しくて、曹源池の周囲を一晩中踊り回ったものだ」と、いわれる。
こうして漸く八年、カ地一声とはいえないまでも、どうやら蚤のきんたまほどの小歓喜を得て「一声居士」となった次第である。
来る十月二日は先師精拙和尚が遷化されてから、丁度九年目の忌辰に当たる。毎年のことながらこの日が近くなると、私の心は傷みにうずく思いがする。
その年の八月十五日、日本は初めての敗戦の経験をさせられたのであるが、その日まで張り切って徹底抗戦を主張してきた私は、大詔が降ってもなお諦め切れずにその主張の貫徹を策したのであった。けれども大勢は如何とも致し難く、計画は尽く挫折してしまった。思い余った私は、9月の半ば非常な困難を排して遙々と京都に下り、先師の門を叩いたのである。
ところが、先師は恰かも重病で面会は不可能とのことだったので、何がしかの見舞い金を包んで差出し、トボトボと帰りかけた。山門の近くまで来ると、隠侍が追っかけてきて「東京の大森さんなら、老師が是非会いたいそうです」という。先師は床の上に小さな机を持ち出し、それに体を凭せかけて私の入ってくるのを待っていたが、私の顔を見るやいなやいきなり、世界はこれからどうなると思うか、日本はどうすればいいか、軍備はもう再び持たされないと思うが無防備でどうやってゆくか等々、矢つぎ早に質問された。
実は、私のほうで今後の方針の指示を仰ぐべく、遙々京都までやって来たのである。いま質問されたようなことがハッキリと判るくらいなら何も京都まで来る必要がないではないか。けれども師の点検に対して「判りません」では済まされない。私は坐り直して入室したときのような気持で、誠心を傾け尽くして必死に応答した。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 18:02

そのB
しかしなお日本救済の努力は続けたのです。昭和十五年七月上旬、米内内閣崩壊に頻し、次は近衛と見た私は、軽井沢に公を訪ねて、大命降下の場合、ガンは陸軍だから、意中の陸軍大臣を勅命で取る方法を力説して重大進言を行ったのでしたが、公の勇断足らず、第二次近衛内閣の人事は陸軍側から一方的に押し切られ、陸相東条が現われ、日本の命運に関わる大事となったわけです。
さて、小林さんや私どもの第二の課題は、大政翼賛運動だった。小林さんは翼賛会の総務となられ、内部からそのファッショ化の防止につくされた。さまざまの誤解を受けつつ、実に血涙下る苦闘をされたのでありました。小林さんの主張は多くの著書・論文にのこされています。
昭和三十九年十一月、小林さんの一周忌を期して追悼出版が為されましたが、私も序文及び本文を書いてあります。参考にしてください。それは昭和の裏面史とでもいうべきものだと思います。                                               昭和四十年九月(大森曹玄)
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 17:58

そのA
そして「核心」という機関紙に「機関説問題と維新の進展性」と題する論文を発表したのでした。私は、天皇機関説というのは、徳川幕府が自らの政治形態を合理化するために、二元論的御用学説を奨励したようなもので、機関説的実態が現存し、その存在を合理化する学説であると考えたのです。従ってこの問題の処理は、美濃部博士の処分や、その著書の発禁で解決する筈のものではない。その実体を打倒せねばならぬわけです。ではその実体とは何かといえば、維新以来の国是である《富国強兵》の《富国》面の機構です。これは曾て日本の発展に貢献したが、だんだん英米の金融支配に屈従してしまった。その一環に連なった日本資本主義、そしてその政治的触手となった御用政党、その政権、これら一連の勢力が、自己の存在の合理化のために機関説を援用したのです。
小林さんから、「近く最後の切り札、井田男爵が、貴族院本会議でこの問題を堤げて立つ。井田が立てばその絶大な信頼から、貴族院は一体的にこれを支持する筈だ。その際全国の郷軍指導者が期せずして蹶起(けっき)した形で呼応するように、全国の郷軍指導者からその場合の盟約を取ってきてくれ」と言われて、私は北海道から鹿児島に至る間を、機関説排撃の連判状に署名捺印を求めて奔走したのでした。これは大いに成功して、機関説排撃の火の手は全国的に燃え上がったのです。しかしどうも事態は思うように進まない。擁護勢力にと止めを刺した真崎教育総監の「国体明徴」の訓示が、却って機関派に逆手をとられ、真崎大将はついに更迭を余儀なくされる始末。本人不同意の更迭が陸軍の「省部規定」に違反し、統帥権を千犯したものであるというところから、相沢中佐が蹶起したわけです。御承知のように、相沢事件が二・二六事件を生み、その結果陸軍の有能にして廉直な人物は皆退官してしまった。それに加えて近衛内閣を擁立した、小林さんの盟友・志賀直方さんが死去し、機関説排撃、国体明徴運動は中道にして挫折せざるを得なくなったのです。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 17:56

その@
戦争突入前夜の小林翁、大森翁・・・の嘆きと、今、立ち上がる平沼先生の嘆きは共通しているのであろう。
 まさに、日本の危機である。

*以前お話ししましたように、直心道場で養成した青年をシベリアに連れてゆくという夢は、黒木さんの急逝によって破れたわけです。それで黒木さんの亡きあとの道場の経営は、小林順一郎さんに負うことになったのです。
小林さんはM.T.Mというフランス貿易会社の社長でありました。ずい分長いこと武官としてフランスに居られたので、仏文の蔵書も多く、死後はトラック一台、日仏会館図書室に寄贈され、又「イラストレーション誌」約六十冊は「アテネ・フランセ」へ贈られたということです。
小林さんは明治十三年、新潟の長岡市に生まれ、陸軍幼年学校から士官学校に進み、軍人として活躍された人ですが、大正十三年四十五歳の時、大佐で退役されたのでした。それは当時の陸相・山梨半造氏に対し、重大な提言をして容れられなかったためです。小林さんは長くヨーロッパに駐在した経験に併せて、第一次世界大戦に従軍し、世界軍隊の状況を視て、深く日本陸軍の非を悟り、これは改造などとても出来ない。全部解散してしまって根本的に建て直さねばならぬという意見であったのです。
小林さんは非常に頭のよい人で、数学は陸軍はじまって以来の天才だったと、柳川中将が言われたのを聞いたことがあります。特に「砲兵操典」を三度改正されたことは、有名な話です。青島の戦の時、その改正が大へん役に立ったとききます。
視野の広い小林さんは、貿易の仕事を通していよいよ世界事情に通じて、一九三六年の危機を予測し、自ら中心となって三六クラブを結成されたのでした。私も直心道場の面倒を見て貰う情誼から、その三六クラブの一翼を担うことになったわけです。三六クラブの主な仕事は、危機に備えて国体を明徴するということで、そのために天皇機関説を排撃しました。これが小林さんの生涯を通じて最も重要な仕事になりましたし、また私としても、小林さんと共に生命をかけた仕事であったのです。天皇機関説は学問的に大へん難しいものでしたが、たまたま西田税氏から「国体憲法原理」「天皇主権論」という書物をもらって読むうちに、機関説の大要を解することが出来ました。これを基にして急激に勉強して、自分の考えを持つようになったわけです。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 17:53

そのA
そのうちに地方では血気にはやる周文という男が、一揆の別働隊をひきいてひたすら西進を続け、函谷関を突破して秦の都、咸陽の東郊に迫ろうとしていた。
 そのころ、陳渉の旗あげに呼応して、沛の宿場の頭であった劉邦が土地の壮丁をひきいて反乱の火を上げた。同時に南の呉県では、楚の将軍項燕の血を引く項羽が兵をあげ、「江東り子弟三千」を集めて北上する気配を見せる。
 まさに「天下大動乱」のきざしが見えてきた。ところが、すでに滅亡した東方六国の残党たちも、一揆に便乗じて、あちこちで徒党を集め始めた。たとえば、陳の武臣は、陳余・張耳と謀って趙の都、邯鄲を奪い、自ら趙王と名乗る。魏の公子咎も政客たちにかつぎ出されて魏王となる。東では秦嘉が東海部を襲って自ら斉王と名乗り、陳渉のさしむけた軍監を殺して言うことをきかない。陳渉の力では、とうてい統制しきれない、複雑怪奇な状勢となつてきた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 14:45

その@
日本も戦後六十余年経過し、いよいよ戦後体制の破綻が見えてきた。

「たちあがれ日本」・・・・・などなど、政党が旗揚げされている。
天下大動乱のきざしが見えてきたのだ。
 群雄ひしめきあう現状にあつて、民主党は小沢というアンカーがとれたら空中分解の危機に瀕する。
だから、言動は平静を装うが、船底一枚下は地獄である。

 永田町に舞う謎の鳥は、時代を終焉に導く「不具の子水蛭子(ひるこ)」なのであろうか?

陳渉、少きとき、かつて人のために傭耕す。耕作をやめて丘の上にゆき、思いにふけること久し。仲間にいう「もし富貴なることあるとも、あい忘れじ」と。(『史記』「陣渉世家」)
彼は陽城の一城主に拾われて、「傭耕」していた農奴であった。その作男が、とてつもないことを言い出したので、ともに畑を耕していた相棒が゜おぬし、人さまの傭耕しているくせに、富貴などとは・・・・」と、土にまみれた顔をゆがめてあざ笑った。すると陳渉は、
 「燕雀(小鳥たち)いずくんぞ鴻鵠(白鳥のこと、大鳥の代表)の志を知らんや」(同前)
と長嘆息したそうである。「小鳥には大鳥の志はわかるまい」と言ったのである。
さて陳渉は一揆の徒党をひきいて、まず陳県を占拠した。ここは潁水―淮水の大河に通じるほか、鴻溝という運河によって、黄河南岸の敖倉と&#28366;陽に出ることができる。それは華中の糧米を集積した二つの要衝の地であり、大きな穀物の貯蔵庫があった。この鴻溝の水運に徴用されていた人夫が一揆に加わり、陳渉の軍はみるみるふくれあがった。呉広がその主力をひきいて、まず&#28366;陽を攻めたが、秦の宰相・李斯の息子、李由が「三川の太守」としてここに立てこもり、なかなか陥落しない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 14:44

 民主党支持率+内閣支持率≦50%
現状は、鳩山政権の崩壊前夜である。
仙石大臣は正直である、小生が書いた通りの発言である。
 つまり、車に例えれば、リコール対象車であるから、国民は民主党に対して損害賠償を請求する訴訟を起こす段階なのであろう。
 政治でいえば、衆議院選挙そのものが無効である。
平野は、国民が民主党に政権を与えたと、対抗している。
 それは、リコール以前のことであるから、車が欠陥車であることを認めて、損害賠償すべきである。
 中国に威嚇され、米国にバカ扱いされる。
まさに国賊総理であり、売国民主党であり、国民の血税を吸い取る吸血鬼の小沢である。
 永田町の舞う謎の鳥は、正常な日本を侵す癌細胞である。

* 「迷走を続ける鳩山政権について、米政府高官は日米関係筋に、『ハトヤマは事態の深刻さが分かっていない。米政府は鳩山政権に期待するのをあきらめた』と語ったという。その具体的な答えが、12日の核安全保障サミットの夕食会を利用した10分間の非公式会談だった、という」
「中国は過去、国連海洋法条約で必要な日本への通告を行わずに沖ノ鳥島周辺のEEZ内の海洋調査を進めてきた。今回の行動も独自調査による海流データなどを通じて、同周辺海域で潜水艦を含む軍事行動が可能になったことを誇示するねらいがあるとみられる。

 また、艦艇が同周辺海域に進出したとされる13日には、米ワシントンで日中首脳会談が行われていた。鳩山政権の反応を探る意図もありそうだ。

 日本政府は、中国艦艇の航行について、11日までの情報は日中首脳会談後の13日午前に公表したが、その後のことは、中国政府への対応を含めて明らかにしていない」

首相に「問題解決に向けての真摯(しんし)な姿勢と粘り強さが一ノ矢並みにあったら、米紙の記者に「ルーピー」(バカ)と、さげすまれることもなかったはずだ」


Posted by: 夕焼け  at 2010年04月20日(Tue) 09:53

かつて(2月15日)私も謎の鳥の追加として花岡信昭氏のメルマに以下の文を寄せたことがあります。
参考のため御送り致します。日本を駄目にする鳥を一刻も早く退治するのも手ですが、抜本的な改革のためには今少し生かしておき、民主党政権の出鱈目さを世に知らせるべきでしょう。

【2月15日に花岡信昭氏のメルマに送り16日付け774号で紹介されたもの】

今「謎の鳥」としてカモ、チキンから始まりサギそしてガンと続くものが話題となり、次々に新しい鳥が加わっておりますが、  私は
「自民党から見ると『金の卵を産む鶏(あるいは鵞鳥)』」だと考えます。
飼っておくと毎日1個の卵(1週間に数ポイントの支持率低下)を産んでくれる「貴重な鳥」と思います。

一度に卵を取ろうとして腹を割いたら死んでしまい元も子も無くしますが、「真綿で首を絞めつつ生かしておけば民主党は擁護せざるを得ず、結果的に支持率を下げる」ことになります。
首相の座から引きずり落とすのは暫く止めて「少しづつではあるが確実に民主党の支持率を下げる」ことが肝要でしょう。
一時の浮沈は問題でなく、勝負は参議院選挙であり「その時に勝つ」ことに全力を尽くすことと思います。
今下手に自民党の支持率を上げすぎると「捻れを嫌う人々が安定の為に民主党に投票する」ことも考えられますので支持率はほどほどとして、「民主党には入れたくない・・・」という人を増やすべきでしょう。

中島一光
技術士(電気電子部門)
198−0051 青梅市友田町1丁目808番地の2
電話・FAX 0428-24-3161
Eメール kazumitu@basil.ocn.ne.jp
ホームページ http://www1.ocn.ne.jp/~kazumitu/
尊皇愛國のホームページ「彌榮」
       http://www5.ocn.ne.jp/~iyasaka/

Posted by: 中島一光  at 2010年04月19日(Mon) 16:23

 今日も永田町に謎の鳥が舞う、泣き声がビルの間にこだまする。 「アホー アホー アホー・・・・」と!
声から連想すれば、はてや烏か?
いやいやアホー鳥か?

普天間移設のシナリオの本命は、普天間沖の浅瀬の埋め立てのようである。
 そのための措置として、普天間陸上に600mの滑走路の建設と徳之島に現状の普天間の機能を移設することが本音のようである。

 では何故か?
理由は「政・官・業」の癒着構造の再構築であろう。
 浅瀬の埋め立てには7000億の利権が伴うという。
つまり、小沢利権・民主党利権である。
 小沢は、陸山会というマネーロンダリングシステムを構築している。
 政党を潰し、政党助成金のロンダリングをすることにより、陸山会というポケットへ資金移動する。
 建設利権は、建設業法違反に当たる、一括下請けまがいの、「天の声」によりリベートを詐取する。
 酷いのは、水谷建設の例のように2次下請けからも、寺銭として上納させる。

 普天間移設は、国家安全保障は二の次で、小沢の利権構造の拡大と、公金詐取の全国展開なのであろう。

 やはり、黒幕として、背後で小沢が操っている。
鳩は、小沢の傀儡政権であり、平野は沖縄近海を遊泳するアナゴのような存在なのであろう。

 民主党政権により、日本が食いつぶされる。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月19日(Mon) 14:47

そのA
さて今日、われわれは、奈良時代のこのような権力構造とはまったく無縁になっているのだろうか。むろん、戦後、天皇は政治的主権者ではなくなった。それに代わって「国民」が主権者となった。政治を行うのは行政府であり、各大臣の下で官僚組織の力は強い。そして、かつての豪族が天皇と姻戚(いんせき)を作ることで争ったように、今日、あらゆる党派が「国民」の名をかたり、「国民」といわば(精神的な)姻戚関係を結ぼうと争っている。「国民」はその内実は無であり、その形式、称号が御旗にまつりあげられてゆく。事実上の政治は行政官が行う。こうなると、「形」の上では、今日の民主政治もかつての律令体制と大きく違うというわけでもなさそうだ。これも「日本型民主政」なのである。

 だが、大きく違う点がある。それは、平城京においては、巨大大仏が建立されたことだ。政治権力や政治的主権の上に、いっそう大きく巨大な宗教的権威がうみだされた。これに対し、今日の巨大建造物は都心の巨大高層ビルである。巨大高層ビルは、人々の虚栄心やおごりをいさめるよりもそれを助長し、巨額の利益を生み出すことで富をめぐる競争へと人々をかりたてる。大仏など建立すべくもない今日、何が人々のおごりをいさめ、精神的安定を与えるのであろうか。大仏はいまでも鎮座しているが、それは巨大な観光資源になってしまっている。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月19日(Mon) 09:51

その@
 佐伯先生の「平城遷都1300年におもう」について
先生は「今日の民主政治もかつての律令体制と大きく違うというわけでもなさそうだ。これも「日本型民主政」なのである」と言っている。
 世俗権力を権威づける「国民」という御旗である。
民主党の「政治主導」は「マニフェスト」という、権力のロンダリングの巧みにした仕組である。
 人々の虚栄心やおごりをロンダリングする仕組みであろう。
 
 政治主導とは、「子供手当て」「高校無償化」「農家の所得補償」という、人々の驕りを目覚めさせ、自らの権力膨張の野望の道具にすきない。
 
 何が人々のおごりをいさめ、精神的安定を与えるのであろうか。

 *歴史の知識をもう一度整理することではない。ここに、「日本型国家」のある種のパターンができてくるということである。

 「天皇」というものがいつごろ明快な形で成立したのかはよくわからないようだが、少なくとも、天武朝期には、集権的な古代天皇制度が明瞭(めいりょう)なかたちで成立したとみられている。その後、藤原不比等による律令制の整備、さらに、『日本書紀』や『風土記』が編纂(へんさん)される。

 そして、不比等以後、藤原氏は、天皇家と姻戚(いんせき)関係を結び、政治の実権をもってゆく。ここに、『日本書紀』によって神話的根拠を与えられた万世一系の天皇国家という、中国にはみられない日本独自の政治体制ができる。

 だが、ここで成立したのはそれだけではなかった。天皇は神話へと遡及(そきゅう)されることでいわば形式的で象徴的な存在となってゆき、政治権力は、たとえば藤原氏がにぎる。もう少し穏やかにいえば豪族間の争いで決まる。太政大臣、右大臣、左大臣以下は、いってみれば行政府であり、宮廷につかえる官僚組織となってゆく。

 今風の言い方をすれば、主権者は天皇であるが、実質的権力は行政府と官僚がもつわけだ。ただこの場合の主権者は、近代の明治時代のような天皇主権(大権)ではなく、世俗的な政治権力の正統性を与える歴史的権威といったものへ移行してゆく。こうして、権威と権力の分離、世俗権力を正当化する神話的存在という日本独特の権力構造ができてゆく。聖武天皇による平城京への帰還は、こういう構造を生み出したということになる。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月19日(Mon) 09:49

そのA
二 かくて私は再婚を決心しました。かうして愛の心の尤も傾いていた女を迎えて第二の妻としました。それが只今の妻総子であります。さうです、先生が京都に見えた時に恐らく先生の膝にのせられたことのある女であります。
一 私が再婚してまもなく、ある新聞社から、あれほど先妻の死を痛んで泣いた君が、それからまだ日も浅いのにどうして後妻を迎える気になつたかと尋ねてまゐりましたから、私は簡単に答えました。私はまだ色欲が燃えてゐて女が欲しかったから再婚しましたと答えました。
表面上の口実を設けていへば、母の都合とか、家庭の便宜とか、種々の事情もあるが、その第一の原因は私の色欲の満足を買ふ為といふのが尤も真実に近いのであります。又そうでなかつたら結婚は無意義であります。死んだ妻を回想していることのできぬほど私には生の欲が燃ゆるのであります。過去を低徊して生きてゐるはかなさに堪えられない私は、新しい生活を始めずにはいられなかつたのであります。
一 かくて今日の私には、やがて救ふて貰はにゃならぬ仏も神もなくなってしまいましたので、罪も罰もないようになりました。まことに広い世界であります。無量光明土であります。無量光明如来であります。
一 私は妻の死と、その後の情欲の発露とによりて、抹香臭い、聖者達の沙汰し申さる、あらゆる虚偽の道から出づることができたのであります」
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月18日(Sun) 11:05

その@
日本国憲法はその本質は無国籍であり、歴史や伝統を担う国民というものを認めていない。

人権といつても、無国籍の人権であり、国民の背負うべき同義や誠というものが頓挫している。
民主党政権は、この憲法を極端なまで純粋化した集団であり、無国籍な集団なのであろう。

 私たちは、一方で歴史と伝統を担う国民、そしてその国民が担う国民国家というものに価値を見出したのであるから、自衛隊も持ったのである。

 しかし、戦後六十余年、人間の実存を誤魔化し続けた結論が民主党政権という左翼政権の誕生である。

親鸞の目は、人間の原罪に光りを照らした、「地獄一定」とは、戦後日本人の置き忘れた生き方なのである。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と!
鳩くんは、典型的な「善人」なのであろう、戦後日本人の典型的であり、しかも模範的な人士であろう。
ものの本質を隠す、御身大切で、道義や誠という価値よりも実利に走る、あくまでも刹那的で先祖や子孫のことは頓挫している。

 親鸞の憎み嫌うものを全て備えている人士であり、戦後の我々、日本人の姿が投影されている。
精神の滅びをまざまざと、見せてくれている。

しかし、どれだけ多くの日本人が自分の罪に気付いているのであろうか?

烏とうい名をもつ「暁烏 敏」という人がいる。
清沢満之の弟子である。

*「妻の夜伽(よとぎ)の夜に隣人に対して、私は以後妻を迎へざるべしと広言した聖徒の亜流であった私は、三週間目にははや女を抱いてゐたのであります。
堕落か、罪悪か。他の者が地を歩むことが堕落であるといふか。罪悪とあるといふか。堕落と叫び、罪悪と恥づる私が真の私が、女を抱く私が真の私か。堕落と思ひ、罪悪と思ふその心が、或いは人間の堕落にあらざるか、それこそ罪ではあるまいか。両親の色欲によってこの世に生まれたる私の身中に色欲の火が燃ゆるのがどうして堕落であろう。この火焔が身を焼き、総べての外的のものを払いのけて赤裸々に顕はるることがどうして罪悪なのであろう。よしこれが堕落にせよ、罪悪にせよ、私はこの荷物でもないのではありますまいか。
一 先生、敏は地の意義であります。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月18日(Sun) 11:04

鳩の血迷ったのでしょうか?
Posted by: ルイヴィトン  at 2010年04月17日(Sat) 17:59

 いけませんね、鳩山さん、安全保障を損得勘定で判断してはいけません。

 何故、辺野古沖の浅瀬を埋め立てるのですか?

 昔、職場で教えられた悪い管理職とは、「成り行き管理」や「よきに計らえ」が、管理スタイルである。

 目標がないから、成果の計測もできない。
目標達成の為の、意識的・計画的な取り組みもない。
 だから、効果・効率的な業務執行ができない。

 民主党の「米軍基地はやっかいもの」との認識は分かるとしても、中国、韓国、北朝鮮に対する抑止力はどのようにして担保するのでしょう。
 警察官のいない、町内は危険ですよ、憲法の善良な国に囲まれていますか?

 オバマさんは、鳩くんに、「核の傘の提供で数十億助かっているのに、トヨタを買えというのか」、らしき事を言ったとか。
 安保の破棄は一方的な通知で可能である。

 同盟とはアライアンスのことであり、共に並ぶことである。
現状の日本の軍事力は、米軍の第七艦隊の補完的装備にすぎない。
 自国の防衛の日本人が責任を持つならば、当然として、共に責任を持つべきである。
 つまりは、安保の磨き上げが必要であり、自国防衛についての基本認識が必要である。

 田中派の流れを汲む、小沢・鳩くん、あるのは短期的な損得勘定だけである。

 安全保障、歴史認識、歴史や伝統の継承の問題がすっぽり抜けている。

 全ては銭、銭・・・・、鳩家の教育が泣くね!
普天間の移設案の提示は、泥縄式、・・・貧しき人が政治をしている。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月17日(Sat) 12:35

 鳩の血迷ったのでしょうか?
政権と一体のマスコミを批判するとはね。
 民主党政権の立役者は申すまでもなくマスコミですから。

鳩くん、マスコミは自民党を批判し続けた。
マスコミが自民党と同じ基準で、鳩、小沢、石川、小林、・・・
と批判していたら、鳩くんは既に塀内の住民で、臭い飯を食べていことでしょう。

 本来、マスコミさんには、足を向けて寝られないのにね。
特に「朝日」など、最高のシンパなのにね。

 マスコミも政権のオコボレが欲しく批判は弱いね。
中川さんなど、マスコミに殺されたようなもの。
 まだまだ、鳩批判は、身内かばいの戯言程度でしょう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月16日(Fri) 19:13

普天間問題で、首相自ら5月末までの「決着」を繰り返し明言しながら混迷を続けている要因は、マスコミの報道にあると言いたかったようだが、普天間問題が国民の関心を集めることを疑問視する姿勢は批判も呼びそうだ。

 首相は「『どうせ鳩山なんだから、できないだろう』とメディアが書いているが、心配なさらないで結構です」とも述べた。

 この方、「問題解決」の一丁目一番地をご存知ない。
いやはや、世間で仕事したことがない、仕事できない典型のような方である。

 会社で、個人目標を年度初めに上司とすり合わせ決める。
 そして、その仕事の進捗と仕事の成果が評価として、優、良、不可の基準で評価され、ボーナスが査定される。
 それに、昇給や昇格の基準となる。
 
 まさに、鳩くんは、不可であるから、上司と面接の上、今後の進退が決まるということである。

 車であれば、リコール対象車なのであろう。
だから、民主党は国民に損害賠償を請求されても当然のことであろう。
 さまりは、衆議院解散総選挙が、政治のスジというものであろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月16日(Fri) 17:03

 鳩君、人々から「蛮」と呼ばれ、何となく差別されている。
その居直りも、いかにも幼稚である。
 はてや、「トラスト ミー」、「米国の言いなりにならない」、「米軍基地は厄介者」、「炭酸ガス25%削減」ときばっても、戯言とバカにされている。
 はては、「小学生に中学生の勉強は教えることは困難」と小学生扱いである。
 官房長官は「アナゴ」とユヤされ、まるで失政能力はなしでである。
 民主党は、小沢・鳩いう犯罪人を頂点にする、盗賊集団に成り下がっている。
 それでも、「永田町の謎のバカ鳥」を担ぎつづける、イカレポンチなる吾人の集合体である。 
 笑っちゃう、 民主党諸君である。

*楚は長江中流の原住民だというので、周王朝はもちろんのこと、北の人々から「蛮」と呼ばれて、なんとなく差別される。
差別された側では、逆に「なにを」と居直って虚勢を張ってみせるのが常である。
 楚の場合には、いかにも南国的で幼稚である。
晏子は小柄で風采のあがらぬ人だと聞いて、楚ではわざと大門のわきに小門をこしらえて、「どうぞ、こちらえ」と案内した、すると晏子は、
「狗の国に使いした者は狗門から入るとか申すが、いま私は楚の国にまいった。狗の国につかいしたのではござらぬ」
と言って入ろうとしない。そこでやむなく大門をあけて招じ入れた。さて接見の部屋に入ると、楚王は晏子に聞こえよがしにつぶやいた。
「はて斉の国には人物がおらぬものよ」風采のあがらぬ晏子をバカにしたのである。
晏子 「斉の都・臨&#28100;は、町坊の数三百、道行く人の袂を張れば、日をおおう蔭となり、汗を払えば、雨となって降りしきるほど、人びとは肩を並べ踵を継いで往来してござる。斉に人なしとは、またなんとして」
楚王 「では尋ねるが、そこもとごとき者がなんとして使者となってまいったか」
晏子 「斉の国にては、使者を命じるとき、相手の国をみて決めます。賢き王に使いするときは賢者を、不肖の王に使いするときは、不肖の者をあてまする。私めはとりわけ愚か者ゆえ、楚に使いしてまいったしだい」
楚王は苦りきつて黙ってしまつた。

南人は、とうてい北人の知恵には対抗できなかつたのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月16日(Fri) 14:53

「一国の首相に失礼だ」 藤崎駐米大使が米紙のコラムに不快感

 大凡、材料というものは、公表される前まで、公表されてしまえば材料の出尽くしということである。
 この場合、鳩の無能は常識であったから、日本の世界での地位は下がり続けたのである。
 つまり、ワシントンポストの記事は鳩のボンクラが世界的に確定してしまったということである。

 問題は、日本人はそれを踏まえてどのように行動すれば良いかということである。
 バカを担ぎ続けるのもよし、廃棄するのもよしである。

 国内でも「永田町の謎のバカ鳥」と、その評価は定着している。
 官僚も、選挙で選ばれない政治家であれば、鳩バカが確定した今日、公の立場でやることが沢山あると思うのですが。

 そうそう、鳩が娼婦であれば、娼婦の館のやりて婆さんは、カカサマでは?
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月16日(Fri) 11:42

 リーダッシップとは、そのイ、ロ、ハとして意識的計画的でなければならない。
 普天間移設に関して、その目標は当然として、公共財としての「安保」の機能を充分に発揮させることである。
 そのために、前政権は辺野古沖を米軍と地元の合意を得ていた。
 新政権は、何故、辺野古沖はダメなのか、説明責任が必要である。
 それを踏まえて、別の候補地を考えるなら、抑止力の観点、地元合意の観点、費用の観点、スケジュールの観点、環境面の観点・・・
 以上のようなことを踏まえ、意識的・計画的に取り組まなければならない。
 首相の発言がブレることは、刹那的なことを如実に著している。
 つまり、リーダーの資格はない、欠陥リーダーを民衆は選んだということであろう。

 何処かの娼婦のような鳩くん、八方に色目を使い、軽蔑と嘲笑の対象、今や名門の鳩家は娼婦の館に様変わりのようである。
 「友愛」も「いのち大切」も、デマゴーグでしからい。
たんなる客引きの、空証文である。

 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月16日(Fri) 09:44

このざれ歌、あちこちで聞くのですが、やはりここで提示されているのが決定版ですね。勝手に拙ブログに引用させていただきました。お許しください。
Posted by: 花岡信昭  at 2010年04月15日(Thu) 18:34

「14日付の米ワシントン・ポスト紙は人気コラムの中で、13日に終わった核安全サミットに出席した36人の各国首脳たちがオバマ米大統領との近さを競い合ったとしたうえで、「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた(hapless and increasingly loopy)日本の鳩山由紀夫首相だった」と鳩山首相を酷評した」

 そうですね、衆議院選挙の前、財界の偉い人「一度は民主党にやらせてみたら!」
 家の隣の自転車屋の主人も「民主党に一度やらせてみたら」 そして、ネットの若衆は「ダメなら取り替えれはいい」と!
 今でも、小沢は掛け替えのない政治家と信じている人がまだまだいる。
 小沢は国家を背負う意志もなく、糞垂れ話を垂れ流し、大衆扇動する、理念も無く、演説もろくに出来ないアホ独裁者である。
小生は、小沢の消費税は四年上げなくてよい、子供手当て、農家の所得補償、インデックス2009、教育が日教組に占領される・・・
 これは、戦争突入前夜の日本人の心理とそっくりでは、用意ならざる事態と認識した。
 つまり、鳩、小沢、北教祖の問題は、選挙前に分かっていたことである。
 民衆が「子供じみ」でおり、大人の判断ではなく、子供の判断をしたのである。
 つまり、選挙前に予知できたことが、今、起きているのである。
 バカ鳩を生み出したのも、日本沈没、日本の国体を破壊したのも、民衆なのである。

 外国から嘲笑されているのは、日本人であることを少しは反省したらと思うところである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月15日(Thu) 12:27

そのA
英語には「チャイルドライク」と「チャイルドディッシュ」と外国人の我々が間違いそうな二つの表現がある。「チャイルドライク」は言葉通り、「無邪気な、子供のような」ことを指すが、「チャイルドディッシュ」は「おとなげない、弱々しい、愚かな、幼稚な」という悪い意味である。だから聖パウロは、「悪に
染まらないという点では、子供のままでいるのがいいのだが、決して子供っぽくなってはいけない」と述べたのである。
 この警告は、日本では日常的なニュースを読んでいる場合に、始終当てはまることである。たとえばソマリア沖に展開されている自衛艦隊は、すぐ傍にいる他国籍船が攻撃されても、黙って見ていなければならない、というふうな解釈である。常識として、人間として、そんなことが通るのか、と私は信じ難い思いである。
 或いは、「平和を願えば必ず平和が来る」とか、「安心して暮せる政治を!」などと言うのも、すべて子供じみた思考だ。前者はご苦労なしの主に若者の、後者は七十歳八十歳まで生きながら、決して人生を深く見なかった幼稚な老人たちの世迷い言だ。
 もっともオバマの言うような方法での世界との関わり方が、アメリカで俄かに実現するとは思えない。しかし苦渋ある人生こそが本物だ。

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 17:09

その@
 国民は、デマゴーグに簡単に乗る、「甘言」を糞のごとく垂れ流す。
 「物の判断は子供じみてはならない 苦渋ある人生こそが本物だ」と、曽野綾子氏は言う。

*オバマ大統領の就任演説の文章を小説家として読むと、聖書をよく読み込んでいるということがわかる。
ブッシュ政権に対する批判だと取れもするのだが、オバマは現実を正視しようとしており、現状が「重大な危機」にあり、その誘因の一つに「次世代への準備にも失敗」したからだ、と言及している。「この日、我々は実行されない約束やささいな不満を終らせ、これまで使い果たされ、そして政治を長いこと混乱させてきた独断などをやめさせる。それを宣言するためにやって来た」とオバマは言う。
 そのすぐ後に、オバマは聖書の言葉を引き合いに出した。「聖書の言葉を借りれば『幼子らしいこと』をやめる時が来た」というのである。
 この言葉は聖書の中でも、まずあまり引用されない部分だが、実に現実的な意味を含んでいる箇所だ。聖パウロの(コリントの信徒への手紙)(一 14・20)に書かれている言葉である。
 「兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください」
 日本では、近年、子供は無垢であり、大人はその無垢を失った状態で、いつまでも子供のように無垢であることが望ましいようなことが、しきりに言われてきた。
 しかし聖書はそんなことを望んではいないのである。悪に染まらないという意味では人は赤ん坊のようでなければならない。しかし物の判断においては、子供じみてはならない、としている。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 17:08

そのA
―飛び込んでいく?

松原 江戸時代に白隠慧鶴(臨済宗中興の祖)
という名僧が駿河におりました。富士山が爆発したり、飢饉があったりした時代、白隠さんはふすま一枚くらいの大きな紙に、「南無地獄大菩薩」と書いた軸をかけた。そんな仏がいるわけがありません。
 禅では依頼心を捨てることが大事です。過去のぜいたくな生活への執着を捨てる。最後は自分が奮起する以外に解決の道はない、と知るでしょう。

―確かに政府やボランティアが「なんとかしてくれる」という人もいます。

松原 「身を捨ててこそこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあります。追いつめられたときに「助かろう助かろう」とするのではなく、いちかばちかで自分を投げ出してしまうと救いがある。ということですよ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 16:54

その@
人間、万事休すのとき「大死一番」する、最後は自分に帰るしかないのでしょう。
 山本有三氏は、「人間は最後に眺めるのは自分自身である」と!
禅では、「香厳破竹の因縁」なる公案が『無門関』にありますね。
 時代は「ぬるま湯」に浸かることを許さない。
永田町に舞う「謎の鳥」は、それを進めてくれそうです。
 麻生さんは、消費税10%と言いましたが、どうやら民主党は消費税20%に限りなく近い。
 民間の調査では、老後難民がワンサと増えそうである。
老人にも仕事を与えなければ、社会は持たない。
 
 謎の鳥は自覚のない総理でガンである。
だから国民は、自分の足で立つこと、覚悟しなされ!

* ―著作は130冊以上、昨年は作家の五木寛之さんとの対談集「いまをどう生きるか」(致知出版社)を出版しました。失業、リストラといつたニュースばかりの最近の世相をどうみていますか。

 松原  "100年に1度の危機"といわれていますが、昭和の大恐慌の方が今以上にひどかったでしょうね。私は早稲田(大学)に、飯田橋の駅で乗り換えて通っていましたが、父子が駅で抱き合って飢え死にしている姿を見たことがありました。今は飢え死にすることはないでしょう。
 それから確かに今は「お先真っ暗」かもしれませんが、逆境にあっても伸びる人は伸びるのですよ。左遷、飛ばされることも逆境です。逆境のときをどう生きるか。ヤケになるか、前途を悲観してダウンしてしまうか、逆に立ち上がるか・・・・。
 
 ―逆境を乗り越えていくということですか。

松原 いいえ、゜乗り越えて」とは言っていませんよ。越えられるくらいなら逆境じゃありません。苦しみの中に飛び込んでしまう。逆境と"心中する"のです。
それ以外に苦しみを逃れることはできません。

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 16:44

そのA
殷人の協力を得なければ、周人だけの知恵だけでは行政もできなかつたのだろう。「殷の多士よ」とは、「殷人の諸君!」とていねいに呼びかけた言葉だし、周のことを「わが小国」と謙遜して呼んでいるのはそのためだ。
 ところがその後、三代めの康王のときになると、三十年前のことを回想して、
「周公、かつて先王を助けて国家を綏寧(スイネイ)し、殷の頑民を戒めて洛邑に遷る」(「畢命=ヒツメイ篇」)
と述べている。頑とは「頁(あたま)+元(=丸、まるい)からなる字である。だから頑民とは「丸ぼうずのどれいども」という意味である。かつての「殷の多士」は「殷の頑民」と言いかえられてバカにされている。勝手なものではないか。それにしてまた、殷人(商人)のおこした商業は、「士農工商」ということばに明らかなように、長く「四民」の最下級にランクされた。「農」はだいじな仕事だが、「商」はよけいな「末技」だとしてけなされたのだ。征服された者は哀れである。
 それから千年も後のことだが、唐代の洛陽の城北に墓地があり、そのあたりを「殷里」と呼んだ。「殷の頑民の住むところとて、並の人は往来せず」と『洛陽伽藍記』という書物に書き残されている。これがアジア史における社会的「差別」のおこりであろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 14:57

その@
永田町に舞う「謎の鳥」、本人はは鳩と言うけれど、
何やら「日本滅亡」を誘う黄泉の国から派遣された「死の鳥」見えてならない。
 今になつて、国民はこの「謎の鳥」を嘲笑しているが、ついさきごろまで拍手喝采して担ぎ上げたシロモノである。
選挙前から、「インデックス2009」や「子供手当て」、「農家の所得補償」、自民の無駄使い、簡単に二十二兆円は捻出する、と!

小沢は崩れる自民支持層を扇動略奪するため、しかも、外国勢力と結託し、政権を奪い取ったのである。
つまり、「糞垂れ話」をバラマキ、大衆は扇動工作に乗ってしまった。

 昔、殷から周に政権が移ったときの話、日本人は絶対に忘れてはならないのである。

* 『書経』を見ると、周公摂政の七年め、周公は洛陽に新都を築いた。そして旧殷墟の地を治めることとなつた弟の康叔に向かって、「殷の先哲の王、商の老成の人の教えを求め、刑罰をみだりに加えず、必ず殷の旧法に従え」とさとしている。(「洛誥=ラクコウ篇」)また、洛陽に殷の役人どもをつれてきて、次のように訓戒した。
 「なんじ殷の遺(のこ)せる多士たちよ・・・・・。わが小国、あえて殷に代わりしにはあらず。天帝、殷に助けを与えざりしぞ。かたくなにたてつくことなく、我を助けよかし」(「多士篇」)
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月14日(Wed) 14:56

 民主党の政治は、民衆政治であり、国民や国家の境界が不明確である。
 外国人地方参政権や人権擁護は、確かに「デマゴーグ」であり、別言すれば糞の垂流しのようなものである。
 ここには、日本国家の文明や伝統を担う国民が見えてこない。国民国家というものは、国民が「権理」を手てることが正常なすがたであろう。
 外国人や民衆に、神権を付与するような大衆扇動では国が持たないのは誰がみても明らかであろう。
 古代ギリシャが民衆政治で滅んだように、いまや民衆と民衆扇動する輩が日本を支配している。

*民主党の唱える民主政治はどうなのか。いささかスケールは小さくなるが、それは「官僚」を敵対視することで成り立っている。今のところ、「国民」と「官僚」を敵対させることで、「国民」の一体化を図ろうというわけだ。

 むろん、これが一種の見せかけであり、詐術であることはいうまでもない。確かに、官僚機構の機能不全という問題はあるものの、官僚は本来は「公僕(パブリック・サーヴァント)」なのだから、国民と敵対するはずはない。官僚機構と公僕精神の立て直しを図るのはよいが、「脱官僚」など本当に進行すれば、不利益をこうむるのは国民の方である。このことをもっといえば、政治家と官僚との(あるいは、民主党と自民党の間の)いわば権力争いにおいて、「国民のため」という言葉がご都合主義的に利用されている気がしないでもないのだ。

 鳩山氏は、首相ともなれば、さすがに「地球市民」などという歯の浮いた言葉は使わない。しかし、どこまで本気で「国民」という概念を使っているのだろうか。外国人参政権問題をみても、「国民とは何か」は大きな難問なのである。いくら「宇宙人」を自任するといっても、問題は「地球」ではなく「日本」なのだ。「日本」をどのような国にしたいのか、という将来像を提示しなければ本当の政治主導などできるはずはなかろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月13日(Tue) 11:53

 リーダーには様々なタイプがあります、自分のスタイルを発見しましょう。
そして、基本姿勢と心構えが重要でしょう。
取り組みは意識的・計画的であることを旨とする。

人間尊重や科学的接近・・・
 そして管理の四面の統合

仕事の管理とは「仕事の管理」と「人の管理」であり、
@仕事の改善、A仕事の進め方、B人材育成、C人間関係
(仕事に重点が移り、人との管理が疎かになりがち)

人材育成は、方法としてOJTやOJFがありますが、大切なことは「育てる心」なのでしょう。

育てる心
 人を育てるにはいろいろな方法がある。
しかしそのテクニック以上に重要なのは「育てる心」であり育成とは何かという本質を正しく把握することだと思う。
方法論的には器用でも、心が不十分だと何もできない。
 これは育成という問題の重要な特徴である。 

  育てるとは変化させること・・・・・・癖、能力、態度を変える
「育てる」とか「育成」とかいうのは、よく考えてみると、漠然とした言葉である。試みにあなたが"あなたは人を育てていますか"と問われたとき、あなたは"むろん育てている"とも言えるし、"育てていない"とも言える。それくらいこの言葉は、あやふやなところがある。育成が何かがわからねば、むろん育成はできない。
 育成の最終目標は、社会人としての完成度を高めることにあるが、これを実際に行う人に有用な定義は、育成とは相手を変化させることであることと割り切って考えることを奨めい。
 ここで「変化させる」のは、むろん社会人としてよりよい方向へ変えることであるが、変えるポイントは大きく三つある。

@まずい癖を直す
 部下が持っているまずい癖や行動の習慣を、こちらからアプローチして直し、それが気にならなくなるところまで持ってゆくこと。

A新しい能力をつける
 今まではできなかつたが、こんどはできるようになつたというものを、部下に毎年加えてゆく。

B態度を変える
 ものの考え方や態度が変わったかどうかということ。未経験なことを持ってゆくと、すぐ「できません」と尻込みしたが、近ごろは言わなくなり、積極的に挑戦するようになつた。

 育成を、このように「変化させる」と割り切れば、自分がそれをやっているかどうかはつきりする。

 あなたは部下を育てていますか?

Posted by: 夕焼け  at 2010年04月13日(Tue) 09:57

そのA
*唐の詩人・章碣(ショウケツ)は、
竹帛煙消えて帝業虚(むな)し。
関河空(むな)しく銷(と)ざす祖竜の居。
坑灰いまだ冷えざるに山東乱る。
劉項(劉邦・項羽)元来、書を読まず。(「焚書坑儒」)

 と歌っている。まさに書物には縁のない人びとによって、歴史が動かされたのである。項梁がむかし甥の項羽に読み書きと剣術を教えようとしたのである。すると項羽が、
「書(文字)はもつて名姓を記するに足りるのみ。剣は一人を敵(相手)とするのみ、学ぶに足らず」(『史記』「項羽本紀」)
と言って、はねつけたそうだ。いっぽう劉邦は「亭長」だから、記帳ぐらいはできただろうが、なにしろ居酒屋で酒をくらつて前借りをかさねていた男だから、これもまず「学」には縁がない。
 あらしの時代というのは、あり返るとおもしろいものだ。敗戦直後の日本人は、食うや食わずであったけれども、何か新しい世直しができそうだ―という期待が、町にも里にもあふれていた。がんじがらめの今日の「管理社会」には見られない、荒々しい希望がうずまいていた。武帝の強力な統治のもとにあった司馬遷が、官刑(去勢)をこうむるという厳しい人間管理のしがらみの中にとじこめられたすえ、異様な情熱を注いで「項羽本紀」を書いた心情は、何となく私たちにもわかる気がするのだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月12日(Mon) 12:22

その@

・頭は 軽いほど 役に立つ
・人間というものはちょうど峠の茶屋みたいなもんだ。
その茶屋に、主人公に親切な婆さんでもあれば、峠をこえる旅人にとってどんなに役立つか判らん。が、ここに主人公がおらんということになると、この家は狐や狸、追剥ぎや強盗のすみ家となってしまう。
むかし瑞巌和尚は『主人公はおるか、主人公はおるか』と自ら喚(よ)んで坐られたものだ。あんたたちは如何か                              (加藤 耕山)

 禅は、不立文字(ふりゆうもんじ)・教外別伝(きようげべつでん)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしようじようぶつ)を旨する。
「徳山」は五台山の麓の茶屋のお婆さんに、経文に囚われる我を突かれ、婆さんに大切なものに気付かされ経文を捨てる。

 永田町に舞う「謎の鳥」ははてや、「乞食鳩」か「サギ」鳥か、普天間移設は完全に不可能となつた。
同盟とはアライアンスのことであり、共に並ぶことである。
第七艦隊に補完にすぎない、我らの軍事力である。
自衛隊法第3条、日本の平和と安全は、自力で担保できない現状である。
 鳩くん「米国の言いなりならない」、実態を見ない、安全担保のハウツーを言わない鳩・・・米国に完全に足元を見られている。
ああ悲しきかな「鳩は心の目が開いていない」、誠にお気の毒というしかない。

 字の読めない人の方が、生命力に溢れる心の働きがあり、時代を動かすこともある。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月12日(Mon) 12:20

そのA
それがその、片手にステッキをつき、片手はふところにし、全く金毛の獅子の、出窟の熊とでも言うか、もの凄い威力を感じましたね。
私が、直心道場を作ったとき、翁に顧問になっていただいたのですが、「自分は金がない。然し字なら書いてやる」と言われるので、私は毎日紙を持参して書いて貰ったものです。一回に三十枚位書いて下さる。私はただそれを持っているだけで、人が欲しいというと次々に上げていたのです。何ということはない。紙代だけ損をしたようなものですね、呵々。
のちに山本という秘書が、翁の体力を案じて書く枚数の制限をしたのですが、誰のところに何枚書き与えたか、ちゃんとひかえてあるのですね、それで私に「君の所が一番多いからしばらく遠慮してもらいたい」と言われましてね。
翁は、名刺などに紹介の詞を書いてやるときでも、懸腕直筆でした。口を結んで、一寸緊張した面持ちでね。ここに『頭山翁警世百話』という本がありますが、書のことについてもいろいろ出ていますよ。たとえば
「俺の書は少しでも書道を学んだものには真似が出来んそうな。本人が書道外でいきよるけんね」
ああそれから頭山翁のところは停車場と言いましてね、誰でも出入自由で、翁は別に門下とか何とか、そういう区域はもうけてなかったですよ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月11日(Sun) 16:42

その@
 大森氏が頭山満翁のことを書かれています。
永田町の謎の鳥、本人は鳩と言うけれど「チキン」「カモ」「サギ」「アホウ」鳥・・・・
 翁と比較して、どのように思われるのか?

頭山満翁のこと
立助先生のお話の中に、父君満翁のことは幾度か出ましたが、なお少しく満翁について語りましょうか。
私は二十一、二歳のころ、中沢亨らと「風來倶楽部」という梁山泊を作っていましたが、その中沢が頭山満翁を大へん尊敬して居まして、そんな関係から翁に接する縁ができたのです。後年直心道場を持ってから私は、武道と侠客道と、それに外国の紳士道を加えて、三者を総合して「処士道」とでもいうべき新しい人間の道を創造したいと考え、先輩の意見を聴いて廻ったのですが、特に頭山翁は浪人の巨頭ですからね、「浪人の道とは?」という問いを発したわけです。すると「浪人の道とは至誠じゃ」と言われたですね。当時青年の私にはあまりそっけない感じでした。その後、こういうことを言われましたが、これは感銘深かったです。「昔からお国のために尽くして餓死したという話をきかぬ。君はお国のために尽くして餓死する者の元祖になれ」と。私はほんとうにそういう決意を固めましたよ。
真藤義丸という人が翁を批評して次のように言われたことがあります。「頭山翁は五十歳前とその後では人間が一変して居る。五十前は高下駄で人の頭を踏みつぶして歩いても平気でいるといった所があった。五十以後はまるきり変り人の喜びを喜びとし、悲しみを悲しみとするようになった。知り合いのところによろこびごとがあると、どんな小さなことでも吾がことのように喜び、また悲しみごとがあると、わがことのように悲しまれた」。私がおめにかかった時は、翁は既に六十を越えて居られたのですが、それでも威風堂々、まことに颯爽たるものでしたね。こんなことがありましたよ。翁は震災で赤坂の家を失い、一とき国士館内の立助先生の舎宅に住んで居られたのですが、その近くにさきの真藤さんが居られましてね、或る日私か真藤さんを訪ねると、折から頭山翁と座敷で碁を打っている。しばらく私は廊下で見ていましたが、いよいよ碁が終わって、頭山翁が帰られる。私も玄関の方にまわってそれを見送りました。その時、翁はちょっと会釈された。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月11日(Sun) 16:40

そのA
固(もと)より知る、死生を一にするとは虚誕(キョタン、うそ)なると、彭(ホウ、長寿)と殤(ショウ、わか死に)を斉しくみるは妄作(でたらめ)なることを。後の今を視ること、なお今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな(下略)」
 これは乱世の知識人の痛切な告白とみるべきであろう。これより二十数年の後、陶潜(淵明)の「帰去来辞」が作られた。

 聊(まま)よ、化に乗じてもって(いのち)尽くるに帰せん
 かの天命を楽しみてまた奚(なに)をか疑わん

というのに比べて、王義之の嘆きはずつと深い。仏教の救いはもちろん、「老荘」あうの悟りもない。「書」の実践とは、暗やみをかきわける日常の精進のようなものではないか。ずつと降りて明清の頃になっても、王守仁(陽明)、王梨州、それに徳川光圀のもとへ亡命した朱舜水など、風骨のある学者は、紹興にほど近い余姚の出である。また紹興は、幕客の本拠といわれたほど政論にたけた筆の立つ文人の生まれた所で、しかも魯迅の故郷でもある。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月11日(Sun) 10:24

その@
今、戦後態勢の矛盾が民主党政権のもとで噴出している。

まさに乱世である、日本に文人なるものは存在するのか?
マスコミは民主党政権と結合し、「媒体」よろしく「楳体」「謀体」となりさがり、腐臭が漂っている。

「文に臨みて嗟悼(サトウ)せざることなけれども、これを懐(むね)に喩(さと)ること能わず。固(もと)より知る、死生を一にするとは虚誕(キョタン、うそ)なると、彭(ホウ、長寿)と殤(ショウ、わか死に)を斉しくみるは妄作(でたらめ)なることを。後の今を視ること、なお今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな」

 日本の知識人は、王義之の嘆きがわかるであろうか。


*王義之の父は淮南の太守をつとめ、晋の元帝に健康に遷都することを勧めたひとである。彼は一時は将軍の幕下にあったが、「隷書にかけては天下に比なし」といわれるほどの才がありながら職につくことをことわり、のちやむなく右軍将軍、会稽の内史となった。東晋は時どき「北伐」を試みたが失敗が多く、軍費をまかなうため江南からの徴収がきびしかつた。しかも役人の数のみ多くて「遭運」による輸送がはかどらず、役人や倉庫から官米を盗み出す。王義之はつぶさにその実情をのべ、これまで、余姚(紹興東の穀倉地帯)の十万斛の米も支えきれまい、といつて都の責任者謝安の善処を求めた。
洛陽の悪しき風がそのまま南に移り、おとなしい米作郷村が役人に喰いつぶされていくいくさまがこの手紙によく描かれている。王義之は健康の都に出るのを好まず、ここ会稽の麓に、孫綽(ソンシャク)や僧支遁(シトシ)らと集まって、雅会を催した。「蘭亭序」にいう。
「永和九年(紀元三五三年)、歳は葵丑(キチュウ)に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。修禊(シュウケイ、衣がえのお清め)の事なり。群賢畢(ことごと)く至り、少長咸(みな)集まる。この地に崇山峻嶺、茂林修竹あり。また清流邀湍(ゲキタン)ありて左右に映帯す。引いてもって流觴曲水を為し、その次によりて列座す。糸竹管弦の盛なしといえども、一觴一詠、またもつて幽情を暢叙(チョウジョ)するに足る。(中略)昔人の感を興す由を覧るごとに、一契を合わすがごとし。いまだかつて文に臨みて嗟悼(サトウ)せざることなけれども、これを懐(むね)に喩(さと)ること能わず。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月11日(Sun) 10:23

 民主党は簡単に22兆捻出できる、国債は削減できるといいながら、口の乾かぬうちに放漫財政をくりひろげる。
 「子供手当て」「高校の無償化」と意味不明なバラマキをする。

王莽らが「礼楽制度」をいじり回し、空論に流れて実務を怠っているうちに、宦官が庶務をかつてに処理して、責任ある管史がつんぼさじきにおかれる。

 まさに民主党政治となんら変わりないではないか。

*「漢は1/30を税として取るといいながら、賦役が重なり、豪農は民田を侵食したため、実際は5/10の賦税を課することになつた。いまや天下の田畑を『王田』と名づけ、奴婢を『私属』と改称し、田畑も奴婢も、その売買を禁ずる」というのだ。
一見するといかにも公平なやり方のようだが、じつは農民を百畝の田地にしばりつけて、身動きできない農奴にしようというのだ。秦いらい、すでに自作農が主力となり、開墾はもちろん、その田畑や家屋の売買が盛んに行われている頃なのに、それを五百年前の農奴性の状態に逆行させよう―というのだから、しょせん実現不可能であった。と、同時に、広く流通していた漢の「五銖金」を廃止して、軽く小さい「王莽銭」に変えようとしたのだが、これもまた完全に失敗した。そのあげくには、
「農商失業して、食貨ともに廃す。民人、市道に流涕するに至る。また、田宅奴婢を売り、もしくは銭を鋳たることに坐して、罪を低る者、あげて数うべからず」(『漢書』「王莽伝中」)
というありさまとなつた。
「礼楽を定めて天下治まる」とは、儒家の口ぐせであるが、なんとたわけた空想であろう。王莽らが「礼楽制度」をいじり回し、空論に流れて実務を怠っているうちに、宦官が庶務をかつてに処理して、責任ある管史がつんぼさじきにおかれる。
 紀元一七年には、長江の中流から「緑林」の軍がおこり、翌年には山東省の東部に「赤眉」の兵が旗をあげた。樊崇(ハンスウ)から飢民をひきいて立ち、眉を赤くぬって、目印としたので「赤眉」と呼ばれたのである。折りしも邯鄲以北の今日の河北省は大雨、関東の各地は早災に見まわれ、おまけに華中の大規模な地震かおこって、人々はますます不安にかられるようになつた。いよいよ「天下大動乱」のきざしがみえてきたのであった。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月10日(Sat) 18:03

そのA

人間に裏切られた者は、また、人間によつて助け起されるなどというような、甘っちょろい考えでどうなるか。そんなことやつてたら、いつまでたったって起きられこないぞ。人間に裏切られた者を助け起すのは「空」だ「天」だ、神仏なのだということを忘れるな。こういっておいて、もう一つ、こんなことをいう。
「人間に裏切られた者を助け起こしてくれるものは仏さまなのだ」ということも、そう簡単にいうな、人間と仏さまは相去ること十万八千里、どうしょうもないくらい離れているのだぞ。
 そこで、天は、その間をつなぐものを派遣した。それが「如来使」である。法華経の「法師品」には、如来が自分の代わりに「如来の事」を代行する「如来使」を派遣して人を助け起すことが説かれている。

「もしこの善男子・善女人、・・・・ひそかに一人のために法華経の乃至一句を説かん、まさに知るべし、この人はすなわち如来の使なり、如来の所遺として、如来の事を行ずなり」と。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月10日(Sat) 10:07

その@

キリストは予言者、マホメットもそのように言えるのであろう。
パウロは律法学者であったが、当時の地中海世界に布教の旅にでた。
ユダヤ教が普遍化しキリスト教が世界宗教となつたのは、おそらくパウロによるのであろう。
 神の形而により、人間が立つ、しかしパウロのような予言者がいなければ不可能である。

 混迷の日本を救う「如来使」は・・・どこにおいでになられるのか?

 *『正法眼蔵』「恁麼(いんも)の巻」に。
「地によりてたふ(倒)るるものは、必ず地によりてお(起)く、地によらずしておきんことおもとむるは、さらにう(得)べからずとなり。
いわゆる地によりてたふるるものは、からなず空によりておき、空によりてたふるるものは、かならず地によりておくるなり。もし恁麼あらざらんは、つひにおくることあるべからざる。
空と地と、あひさることいくばくぞ。恁麼問著(もんじゃく)せんに、かれにむかひて恁麼いふべし、空と地と、あひさること十万八千里」

「地」というものを「人間」と考えればよく分かる。人間によって裏切られ、人間に欺され、人間に打ち倒された者は、人間によって助け起されるのだという。欺す者、裏切る者があれば、今度は、愛してくれる者、信じてくれる者、涙してくれる者、助けてくける者があるのだ。がっかりしてはならない、くじけてはならない、という。
 こういっておいて道元は、さらに、そんなふうにばかり人生を理解してはいけにいぞ、その反対を考えてみなければいけないぞという。

 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月10日(Sat) 10:06

そのB
魏微を許して側近に取り立て、まず李密の残党を宣撫させた。やがて彼は太宗を助けて「貞観の治」といわれる太平の世をきずくために、さまざまの進言をする。河北の宣撫に出るときの魏微の詩が、いま『唐詩選』の巻頭を飾っている。
 中原にまた鹿を逐(お)い、
 筆を投じて戎軒(ジュウケン)を事とす。
 縦横、計、就(な)らざれども、
 慷慨(こうがい)志、なお存す。
 策を杖きて天子に謁(エツ)し、
 馬を駆りて関門を出ず。
 纓(エイ)を請いて南越を繋がんとし、
 軾(ショク)に馮(よ)りて東藩を下す。
 鬱紆(ウツウ)として高岫(シュウ)に陟(のぼ)り、
 出没、平原を望む。
 古木に、寒鳥鳴き、
 空山に、夜猿啼く。
 すでに千里の目を傷(いた)ましめ、
 また九折の魂を驚かす。
 あに艱険(カンケン)を憚(はば)からん。
 深く懐う、国士の恩。
 李布、二諾(ダク)なく、
 侯&#23348;(コウエイ)、一言を重んず。
 人生、意気に感ず。
 功名、誰かまた論ぜん。

 魏微もしたたかだが、太宗も偉かった。世直しの時には、こういうスケールの大きい人びとが現れる。「派閥」だの「主流反主流」だのと言っているわれらの時代は、末世ではなかろうか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月09日(Fri) 17:53

そのA
もし長く中国の患をなさば、之を除くも可なり・・・・今この三条なくして、いたずらに中国を煩わすは、損する所、大なるに非ずや」
と直言した。70歳の長寿を全うして亡くなった日、太宗は三日の喪に服して昭陵のそばに葬った。房玄齢、杜如晦たちの墓碑は、いま昭陵碑林に運びこまれて、李勣墓の三山の前に並んでいる。
 魏微の墓は昭陵の南にかすんで見える。彼もまた太宗の子がいの家来ではなかつた。初め瓦崗(ガコウ)軍の一揆をひきいる李密の配下に属し、のち竇建徳のもとに走った。こりふたりは平凡な人ではなかつた。それぞれ農民軍の統領として人望を集めてしたので、「乱世の雄」であったのだろう。ただ二人とも唐軍に斬られるという無残な最期をとげた。魏微はそこで、当時の太子李建成に拾われた、しかも彼は、
 「この情勢では君のお命も危ない、早く弟君の李世民をなきものになされ」
と進言した。だが李世民が一歩先んじて「玄武門のクーデター」を起し、兄と弟を殺して帝位についた。それ故、太宗・李世民にとつてみれば、魏微はかえすがえすも憎い敵である。太宗の詰問を受けて、魏微は、
「故太子が早く私の進言を取り入れておれば、このような禍いにあわれることはなかったでありましょう」
と答えたという。李世民は腹の太い人であった。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月09日(Fri) 17:51

小生は平沼先生の人柄を知るところから、その志に敬意を抱くところです、
日本救済に立ち上がろうとする、救国の国士を「鼻でせせら笑ったり、茶化したり」するマスコミや議員諸氏である。

 魏微もしたたかだが、太宗も偉かった。世直しの時には、こういうスケールの大きい人びとが現れる。
「派閥」だの「主流反主流」だのと言っているわれらの時代は、末世ではなかろうか。

*唐の太宗が即位するまでには、長い雌伏の時期があつた。父の高祖は、当初は長男李建成を皇太子に立て、次男の李世民(太宗)を秦王に、四男の李元吉を斉王とした。長男も洛陽を討つときには総師となり、&#37148;州(フシュウ)で胡兵を破って働いたが、やがて「長安の悪少年」を集めて「長林兵」と称して東宮を守らせ、武勲たかき太宗を目の上のコブとするようになつた。四男の李元吉がこれまたわがままな少年で狩猟にふけり、并州の総管となつても、お目付けの宿将の目をごまかして都に逃げ戻るというありさま、この男が李建成と組んで、将来はふたりで王庭を左右しようと図り、太宗を招いて毒を飲ませた。幸い吐血だけですんだものの、彼らふたりは高祖の諸夫人と組んで、しきりに太宗の悪口を高祖に告げる。ついに太宗は父に疑われて宮中に軟禁された。そのとき、房玄齢、杜如晦のふたりは、武士の服を着て監視の目を潜り、太宗の幕下に入って計画を練り、太宗腹心の長孫無忌、尉遅、敬徳らと、太宗を擁してクーデターを敢行した。武徳九年(623年)の六月、太宗は親近の九人をつれて、玄武門で李建成と李元吉一行に出遇い、政敵を射殺したのである。時に建成は38歳、元吉は24歳であった。
 房玄齢は山東の臨&#28100;(リンシ)の人、父いらいの学者で、若くして太宗の幕下にはせ参じて、太宗が秦王として転戦する間、つねに馬上で命令を起草した。太宗がクーデターょ起すように画策したのは、彼と杜如晦であった。房玄齢は、太宗即位ののち、信頼あつき重臣となり、太宗が自ら遼東の遠征にのり出したとき、長安の留守役として後方補給の万全を計った。その死の直前に高麗遠征を諫めて、
 「兵は凶器、戦いは危事、やむを得ずして之を用う。もし高麗が臣節を失うことあらば、陛下、之を誅して可なり。もし百姓も侵擾(シンジョウ)するならば、之を滅ぼして可なり。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月09日(Fri) 17:47

 民主党の全体主義と小沢独裁、はたや趙高が「小沢」で、二世皇帝が「鳩」か?

*韓非子の主張には、二つの要点があつた。一つは古い封建貴族を倒して、新しい官僚制を作り出すこと、いま一つは、君主は全権を握って独裁に徹せよ、ということであった。前者は新しい時代を切り開く展望を与えたのだが、あとの方、すこぶる陰惨な主張である。ところが李斯は、自分の座が危ういとみると、その論をもちだして、二世皇帝の欲望をあおつた。
「君主が百姓のために苦労するなど愚かなこと。明主は独断をよくし、細かく臣下を督責し、重罰を科するがよろしかろう。さすれば天下は恐怖して、陛下に逆らう者はおりますまい」
これは、兄弟子の韓非子が「人主の臣下を導き制する道は、刑と徳の二つのみ。刑しは殺戮すること。徳とは慶賞することなり」(「二柄篇」)と述べたのにもとづいて、趙高と二世皇帝におもねつたのだ。
 それに輪をかけて趙高が言う。「陛下はお若いゆえ、大臣の前で過失をしでかしては、尊厳さに傷がつきまする。奥御殿で、じつと鎮座しおしませ」。これも韓非子が「君主はその情を隠し、その好悪を臣下に示すことなかれ」(「二柄篇」)と述べた主旨を悪用したのだ。これ以後、群臣はもちろん、宰相の李斯さえも皇帝に接することができず、万事は奥深い内宮で、趙高の思わくどうりに運ぶこととなつた。
司馬遷はそのころの逸話を伝えていう。
「二世、趙高を拝して中丞相となす。事は大小となく、みな趙高が決す。高、自ら権の重きことを知り、すなわち鹿を献じて、これを馬という。二世に問うて『こは鹿にらん』といえば、左右の者みな『馬なり』と答う。二世驚きて自ら惑えりと思い。占い師を召して、うらないせしむ」(『史記』「李斯列伝」)
 この占い師は趙高の顔色をうかがつて、「上林苑にこもって斎戒すれば、心の惑いがとれましょう」という。二世皇帝はノイローゼになつて離宮で悶々の日を送るうち、ついに趙高に脅かされて自殺した。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月08日(Thu) 10:35

そのA

「六百里でござるぞ、六里とは聞いておりませぬぞ」
だが張儀はそしにぬ顔である。楚の懐王は使者の報告を聞いて激怒し、紀元前三一二年、大軍を派した秦を攻めたが、漢中の地で逆に大敗してしまつた。
歯ぎしりしている懐王のところへ、秦からまたしても張儀がやって来た。「八つ裂きにせねば、腹の虫がおさまらぬわい」と懐王は張儀を監禁した。そこで張儀は、ひそかに懐王の気にいりの男と、愛妃の鄭袖とに手回しした。
「秦では張儀を救出するため、六県と美女とを楚に届ける手配をしておりまする。秦の女は美しいゆえ、懐王はそれに目がくらんで、やがてしあなた様を疎外なさります。早く張儀を釈放して、そんな事態となることをくい止めることですな」
 こういう女性は、恩寵を失うことが、何よりもこわいとみえる。鄭袖の口ぞえで、張儀はまもなく獄から出てきた。張儀はたくさんのワイロを重臣どもにばらまいて、さっさと秦に戻っていつた。
 一足違いで、斉に使いしていた屈原が戻ってきた。屈原は色をなして懐王を諫めた。「二度までも、張儀のワナにかかるとは」と必死にくどかれて、懐王は張儀のあとを追わせたが、すでに風を食らって消えたあとであった。
 紀元前二九九年、懐王は三たび秦にだまされて、国境の武関に出むいたところ、街道を固めていた秦の伏兵に捕らえられ、三年後に敵国で客死した。なんと哀れな話である。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月08日(Thu) 06:54

その@

中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。

 国家の最大の責務は「国民の生命」と「財産」を守ることである。
中国で日本人を処刑した。国際法上では、国家主権は絶対ではない。それをあえて強行したのである。
鳩は「いのちを、守りたい」というが、鳩は「日中間では司法制度がことなる、・・・一般国民は中国はこわい国だと思うかもしれない、しかし、それが日中関係に亀裂を生じさせないよう、政府として努力していく」
中国に死刑執行に抗議する姿勢はなるでない。
 中国の法に従うというなら、尖閣は中国領土と認めたようなものである。
竹島だとて同じことが言えるであろう。

普天間はまるで、ポロ布を繋ぎあわせて作った「糞掃衣」である。
 誰も、こんなもの喜ぶものはいない、米国は鳩との首脳会談を拒否、小沢の訪米も中止となつた。
「トップがばかなら国持たぬ」 首相が新官僚に訓示したというから、笑いがとまらない。
 中国の「カモ」である鳩君、何やら、歴史上では楚の「懐王」のようである。
さんざん秦の「張儀」に手玉にとられ、悲しい運命を辿る。

*張儀はさんざん懐王をおどしたあげく、太子を人質としてとりかわし、今の湖北省の西北角にある商於と呼ばれる地六百里を、楚に献じようと申し入れた。
懐王は悦に入って張儀と酒宴をかさねたが、そばにいた政客の陳軫は、うかぬ顔をして諫めた。
「秦の楚をはばかるゆえんは、われと斉と組みしをもってなり、商於の地、いまだ得べかららずに、斉との交わり先ず絶ゆれば、楚は孤(みなし子)とならん。
それ秦は、なんぞ孤国をはばからんや」楚を孤立させては危ないといつたのだ。だが懐王はきかなかつた。
さて、楚の使者が商於の地を受け取りに出向いてみると、張儀はケガしたと称して、いっこうに会おうとしない。そこで懐王は、斉との縁を切ることによつて張儀の信用を得ようとて、斉に使者を送ってさんざん悪態をつかせた。斉王はかんかんに怒って、斉楚同盟の印とした符(わりふ)を割って捨て、さっさと秦と和解してしまつた。それを見定めてから、張儀は楚の使者を召して言った。
 「楚に与えうと申した六里の地は、A村からB村までじゃ。よいかな」使者は驚いて叫んだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月08日(Thu) 06:52

地方の疲弊は、経済活動だけでなく、人々の心までも荒ませる。
少なくとも、政治は日本人の生きる希望を奪わないで欲しいものである。
小沢は韓国で、日本の男はダメ!
鳩は経済で日本が中国に抜かれるのは当然!
高速コンピュータは何故一番を目指すのか、二番でいいのではないか!
・・・・・・・・・
管理の四面の統合とは?
リーダーの責務、心構え、基本姿勢とは?

*遍歴放浪の詩人種田山頭火はかって自分が生まれ、育ち、豊かに暮らしたことのある山口県防府の町に貧しい乞食僧としてやってきた。昭和八年の初夏の頃のことである。
網代笠(あじろがさ)をかぶりね鉄鉢(てっぱつ)をささげて町をゆく山頭火の姿を見た人も、これがその昔の酒造家種田家の若旦那と見わける者は一人もいなかった。
山頭火が自分の生まれた家の前にたたずんだ時、そこはもうまったくの廃墟であった。
彼は歌うる

生まれた家はあとかたもない  ほうたる
ほうたるこい  ふるさとに来た

こっちの水はああまいぞ、と歌った「蛍来い」の唄はね私どもの年代までの日本人にとっては、ふるさとを思うなつかしい唄のひとつである。そのふるさとに、彼の育った家はもうない。温かい心の世界ももうない。
その夜彼は、妹しづの嫁いだ先の町田家の門の前に立ち、やがて中へ招き入れられた。妹はちしゃもみをつくって兄に酒をふるまった。
あくる朝早くに妹は兄のところに来てこういった。
「兄さん、近所の人の眼につかんうちに行っておくれるほいと(乞食)を泊めたといわれると困るから」
出て行く山頭火を、しづは門まで見送り、黙って頭陀袋(ずだぶくろ)に五十銭入れた。山頭火はふり向きもせずに行った。彼の眼には涙があったろう。やがて雨が降ってきた。彼はわらじをぬぎ、笠もぬいで、歩いた。涙は雨にまぎれてそれとは知られなかったろう。

ふるさとはちしゃもみがうまい  ふるさとにいる
雨ふるふるさとは はだしであるく

山頭火のような男を温かく包んでくれる心の世界は、ふるさとの風土にはなかった。自然の風土と、心の風土とがひとつにになつたふるさとはめったにない。お石の心のような風土、かなしみを胸に抱く人を温かく包みこむ心の風土、自然の風土がひろがっていたら、この国はもつといい国になるであろうとにと、思わずにはいられない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月07日(Wed) 13:52

 ニューヨークで、お乞食さんにそれとなくお金を渡し通り過ぎて行った女性を見た。
 不思議な気持になつた記憶がある。
荻窪駅の通路にお乞食さんがいた。しかし、前を通る人並みは、気をとめない。
 社会は繋がっている、だとすれば明日の身かもしれない。
今の、社会は漠然たる不安が漂っている。

*山本周五郎の『虚空遍歴』は、そのむなしい世界をみごとに描き出している。
この小説に登場する中藤沖也は旗本くずれの町人で常磐津(ときわず)や小唄の名手である。沖也には、上方浄瑠璃に対抗して江戸浄瑠璃を作曲して上演したいという大望がある。彼は、彼の妻となった船宿の娘お京、そのお京の父親のひそかな援助によって第一作と第二作を上演することができた。しかし、無残な不評を蒙る。しかもその上演がお京の父親の援助によるものだったことを酒席ですっぱ抜かれて二重の衝撃を受ける。
彼は失意と絶望から立ち直るために箱根の気賀の湯で第三作の節付けにかかるが、そこで運命の女おけいに出会う。おけいはある老旗本の妾で、そのため彼は老旗本の家来である偏執狂の男に執拗に命を狙われる。
彼はやがて大阪へ行き、京の町の居酒屋でひょんなことからお六といううす汚い老婆と知り合い、お六のために三味線をひいて流しをやることになる。この時彼は社会の底辺をうごめいている者たちのあわれな生活を見る。周五郎は彼にこう考えさせている。

なんのために、どんな目的があって、あんなみじめなことをしながら生きてゆくのか。おそらく、あの人たちにはなんの目的もないだろう、躄(いざり)車に乗って残飯をねだるのも、他人の家のごみ箱をあさるのも、その当人がしているのではなく、生きているいのちに支配されているだけではないか。生命という無形のものが人間を支配して、あのようなみじめなことをしても死に至るまで生きようとさせるのではないだろうか、と沖也は思った。
「そこにはもうかれら自身はないのだ」と沖也は独りで呟いた、「――躄車で残飯をねだっているのはいのちだけで、老人そのものはそこにはない、人間としての老人はもうその肉体から去って、虚空のどこかをさまよっていてるんだ」

これがやがて彼自身の姿になることを、この時の沖也はまだ知らない。小説の題名はここから来た。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月07日(Wed) 12:09

鳩くん、カカサマより1日に1500万の小遣いを頂く、お坊ちゃまである。
 曹操は苦労人であり、こちらは、「平成の脱税王」よろしく、世間をあざ笑う。
 特定の人達にお金はバラマキ、金融危機で苦しむ国民と敵対する。
 はてや、民主党政権の行末はいかにである。

*毛沢東は、よほど曹操が好きであったらしい。芝居では、劉備が眉目うるわしい将軍、関羽が満面に朱をそそぐ元気ものであるのに対して、曹操は蒼白の大きい顔、険しい目つきをしている。まさに悪玉の代表のよなのであるが、歴史に登場する曹操は苦労に身をすりへらした実践家であった。毛沢東「浪陶沙、北戴河」の詩にいう。
 往事は、千年を越え、
 魏の武帝(曹操)、鞭を揮(ふる)いたり。
 東のかた碣石に臨み、遺篇あり。
 &#34238;瑟(ショウサツ)とふく秋風、今またここに、
 人の間(よ)は、変わりぬ。
曹操が碣石の詩を残してから千余年、いままたひそやかに初秋の風が通りすぎる。「人の世は変わりぬ」という一句は、苦労人毛沢東の万感胸に迫った詠嘆であろう。

 この年曹操はもう五十三歳、その翌年、南にあった劉備ははじめて諸葛孔明に会い、「天下三分」の計を授けられる。やがて彼は劉表を見くびり、蜀に入って独立する用意を整えはじめた。それにしても、曹操が苦労した割には報われず、戦乱の天下を安定に導くことができなかつたのはなぜだろう。思うにそれは、彼が当初から「黄巾」一揆を敵として頭角をあらわした軍閥で、大衆を味方とする心に欠けていたからであろう。あの漢の高祖でさえ、陳勝・呉広の一揆と敵対することなく、むしろそれに便乗する姿で足もとを固めていったではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月07日(Wed) 09:48

 鳩くん世界に向け炭酸ガス25%削減を約束してしまつた。
日本は、世界のエネルギー使用総量の4%程である。
 そして、長年の血の滲むような努力で、省エネは進んでいる。
 これ以上の削減は、他国と比べ、削減量に対するコストは比較にならないほど高くなる。
 過去、公害問題に取り組んだ事例によれば、
水質汚濁防止には、活性汚泥法・・・・、大気汚染には、低NOxバーナーや、燃料をガスに換えたり、ターボ冷凍機を吸収式に変えたり・・・
 粉塵対策では、バックフィルーターを設置したり、スクラバーを設置したり・・・
 
 これらの投資は莫大であり、維持と運転にはエネルギー消費を伴う。
 自然エネルギーというが、そう簡単なものではない。
熱力学第二法則によれば、「熱」を「仕事」に変換するには、熱機関が必要である。
 最高の熱効率を得るためには「カルノーサイクル」の熱機関である。
 それでも、低熱源に熱を捨てる必要がある。
つまり、我々が「秩序」を得る一方、反対に「無秩序」をもたらしている。
自然エネルギーは、効率が悪い、それを覚悟で意向するなら、経済の停滞と大きな生活の利便性の損失を伴う。
 本当に認識しているのだろうか?

化石エネルギーが減少する今日、当然としてエネルギーコストの上昇と、資源獲得競争がおこる。
 地球の温度上昇も、炭酸ガスの寄与もあるのであろうが、逆に、宇宙線、太陽活動が弱くなるという研究成果もある。
 実のところは、よくわからない。
放射線の勉強もしたが、遮蔽の影響も大きいのである。

 国民生活への影響を最小限にとどめ、効率のよい代替エネルギー開発は必要であろう。
 しかし、炭酸ガス25%削減は、日本人を無視している。
「コンクリートから人へ」のコンクリートの意味は「具体的」という意味である。
炭酸ガス25%削減は、「詳細設計」を欠く、国民の声を無視し日本人を奈落の底に突き落とす。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月06日(Tue) 11:46

 普天間問題で、鳩くん、米国、沖縄、政権与党が喜ぶことに腐心している。もともと利害が対立し、安全保障の眼がない。つまりは優柔不断の何者でもない。
 日米安保は、非対称の双務契約である、条文には「日本有事」のとき「米軍参戦の責務」の記述はない。
 日本の安全の担保は日米の信頼関係のみであることを、日本人はしるべきである。
 本当のところは、日本人自身が日本の安全に自らの意思で取り組むべきであるが、残念ながな現状はそうなつていない。

 下記記述は、国が滅びた先例である。

*情に流されて優柔不断におちいつた例は、『史記』の「楚世家」に細かく語られており、最後にそのために、あたら南の大国が滅亡するに至ったのだ。
 楚の荘王は、周王朝に威圧を加え「鼎の軽重」を問たまでは、なかなか勇ましかった。周の使者・王孫満にたしなめられると、おずおずと軍をかえし、勢いのやりばに困って、華中の宋などの小国を攻め落とした。
「たとへ私めを南海に流し、私の臣妾を召し上げて諸侯に賜ろうと、御意のままでこざる。ただし。君がわが国の先君の事跡を忘れず、改めて私が君に仕えることをお許しくださるならば、私の願いはこれにすぐるものはございませぬ。たってとは申しませぬ、正直に本心を述べたまでで・・・」
 と巧みにあやまつた。それを聞くと荘王は、自ら采配の旗を手に取って「兵を引かせよ。三十里退いて大休止せよ」と下地した。
 あたら、好期を逸してしまつた。

 荘王のあと、共王―康王と続く50年の間に、陳・鄭・宋などの小国は、あるときは東の斉に味方し、あるときは北方の晋について、なんど楚に背を向けたかしれない。「田舎百姓の野人めらが」と心底で楚をバカにしていたのだから、楚軍が城下に迫ればかぶとをぬいで忠誠を誓うのだが、ほんとうに心服するはずがない。
 そうこうするうち、紀元前五四〇年ごろ、楚の霊王の時代になると、長江下流の呉の国がしだいに勢力を伸ばして、楚を東から圧迫しにかかる。呉は江南にできた周人の新興植民地である。三方から牽制された楚は、いつしかジリ貧となつて、紀元前二二三年、ついに北方遊牧民の血をひく秦の大軍にふみにじられた。
 はげしい実力闘争のなかでは、やはり「植物文化」のなかで、はぐくまれた人間は、生来の弱みを隠しきれないのだ。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月06日(Tue) 10:12

 民主党の小沢は殷の紂王、そして鳩くんは愛妃の妲己(ダッキ)のようである。
 公共事業の「箇所付け」、その配分は民主党の要望が90%反映されている。
 民主党の弱い地域に重点配分されている。
利益誘導であり、参議院選挙対策であり、露骨で間接的な公金横領である。
 「酒池肉林」なる、「金権腐敗」が日本衰退に拍車をかけている。

*殷の紂(チュウ)王―されは殷墟から発掘された甲骨文字の記録によると、殷朝三十代めの大酋長、「帝辛(テイシン)」という名で現れる人物である。 
 漢の司馬遷は、ちようど紀元前後に『史記』をあらわしたが、そのなかに「殷本紀」という一篇を加え、まるで手に取るように、紂王の乱行を描いている。
「紂は聞見ははなはだ敏く、その知は諫めを拒ぐに足り、その言は非を飾るに足る。・・・酒を好み楽に淫して婦人を手なずけ、妲己(ダッキ)を愛す。沙丘(離宮の名)の苑台を広げ、多くの野獣飛鳥をとりてそのなかに置く。酒をもつて池となし、肉をかけて林となす。人をして裸となりてその中にあい逐わしめ、長夜の飲をなす。百姓怨望し、諸侯にそむく者あり」 それだけではない、とらえた奴隷たちに油を塗った銅柱の上を歩かせ、その下に火をもやして、足をすべらせて黒焦げになるのを愛妃とともに見物する。王子の比干(ヒカン)がたまりかねて諫言におよぶと、「聖人づらした奴の心臓を見てやろう」とうそぶいて、生態解剖をやったということだ。
「酒池肉林」の話はたぶんウソである。事実は、華北にはじめて地上最大の権力をつちたてた、紂王が、さらに多くの奴隷と財宝を手に入れようとして、南に手をのばしたのだ。その遠征に失敗した虚をつかれて、殷は滅亡したのである。だから紂王は、世間で言う意味のバカではない、むしろ「聞見に敏くして」、貧欲この上ない野心家であつた。
 権力欲の権化となつたアジア最初の大王、それが暴君の名も高き紂王なのである。
 権力→権力の拡張→荒淫→滅亡というパターンは、アジアの各王朝の歴史のなかでくり返された。
文明の腐敗を怒って「正義の師」をおこし、荒々しく文明を打ち砕いたものが、やがてやはり権力を粉飾するために、「文明」のとりこになる。
 文明の行きつく先は「酒池肉林」「金権腐敗」と見て取った庶民の目の方が、その真実を見抜いているのではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月05日(Mon) 13:29

 「花」にまつわる、旧制高校の寮歌

靖国神社の桜も満開、学徒出陣でお国のために沢山の命が散っていった。
 この神社に眠る英霊たちも、カール・フッセの詩の如くはるかかなたをじつと見守っていたのであろう。
大きな夢があり、「少年よ大志を抱け」と「幸」を求める強い念を持つていた。

山のあなた
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいう
噫、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたになお遠く
「幸」住むと人のいう

秋艸道人会津八一先生が鑑真和上にことに心ひかれ、
とこしえにねむりておはせおほでらの
いまのすがたにうちかなしむよは

また、
おほてらのまろきはしらのつきかげを
つちにふみつつものをこそおもへ

春の桜花は、私の心に悲感をよびさましてくれるのである。 
 
「花霞繚乱の」
花霞繚乱の 水のいろ
朧月淡し 丘の宴
楼台 春の夢さめて
桜吹雪に 影追えば
多感の遊ふ 涙して
惜春の&#28541;を 捧ぐかな

綾なす花に 杯(つき)受けて
ひと世の旅を偲びては
行く手はるけし瀬戸の海
二十歳のけ胸に廻りくる
春永劫の香りこそ
若き男の子の いのちとや     
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月04日(Sun) 17:23

 今や、永田町の「謎の鳥」は、・・・・
 
 官僚はテクノクラートであり、選挙の洗礼を受けらい政治家である。官僚は志、歴史観を持つべきであり、「公心」なくして仕事はできない。
 古代ギリシャの先例によれば、プラトンは、民衆政治→名声政治→独裁政治に移行することを示した。

 日本の現状を鑑みると、人間は進歩していないのであろうか。
法の適性手続きの大切さは、多数による人間の誤を是正する知恵である。
多数者は少数者の意見に耳を傾ける謙虚さが大切であるが、政治の現状は横暴が罷り通っている。

 手続きを無為する民主政権には、「寛容と忍耐」なる公心なく、私心が横暴を極める。

 「コンクリートから人へ」のコンクリートの意味は「具体的」という意味であり、キャッチ フレーズが示すように、民主党政治は「詳細設計」が頓挫している。

 今や、政治は数であるという独裁が日本を侵食している。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月04日(Sun) 09:47

 亡国の歴史が、社会の「偏見」と「差別」のもとになってくる。恐ろしいことである。
 為政者は、国の名誉を傷つれないように!
「宇宙鳩」なる、夢遊病者は、誰が選んだか、選んだ人は懺悔して欲しいものである。 
 
*消費文化は「淫というレッテルを張られ、淫なるものはすべて殷人が中国にもたらしたものだ、と見なされるようになつた。儒家の雑文を集めた『礼記』という古典がある。
「鄭と衛の音(音楽)なり。慢にちかし。桑間濮上(ボクジョウ)の音は亡国の音なり。その政は散、その民は流、上をそしり私を行い、止むべからざるなり」(「楽記」)と述べている。
むかしの殷都の南を東西に流れる濮水という黄河の支流があった。この川は鄭の地で黄河の本流から分かれ、衛を通つて今日の濮陽あたりで大湿原に注いでいた。おそらくそこには桑林が茂っていたのだろう。「鄭の音」「桑間の濮上の音」とは、地方の音楽をさす。儒家たちは、それが殷の消費的デカダンの音楽だ、といつてけなしているのだ。
 だがその実例として『詩経』の衛の地の歌をとってみると、べつに「淫」と言われるほどのものではない。
 いずこの野草を採らん、
 沫の郷よ。
 誰を思うとかや、
 美しき孟姜よ。
 我を桑の中に期(ま)ち、
 我を上宮に要(もと)め、
 我を淇水のほとりに送る。(衛の中部、&#37144;風「桑中」の詩)
「孟姜」とは姜性の家のあね娘のこと。この詩は、なんのことはない、桑畑のおデートを歌ったものだ。今日なら大手を振ってステージに登場しそうな歌である。ところがこの詩の序を書いた儒家は、「男女あい奔り、・・・政は散、民は流、止むべからず」と注している。風流で浪漫的なことが、すべて「淫」だときめつけられてはたまらない。のち、漢の歴史家司馬遷さえも、なおその偏見にとらわれていた。
 「中山は地薄く人多く、なお殷の紂王の余民あり。民俗、狷急(ケンキュウ)にして、機利を仰いで食す。・・・倡優・女子は琴をならし、&#23651;(シ、サンダル)をはき、貴富に媚び後宮に入り手て、諸侯にあまねし」(『史記』「貨殖列伝」)
 たぶん歌姫や芸人も、この殷の遺民のなかから生まれたものだろう。市井の遊民の代表とされた屠殺業者も、ひょっとしたら殷の遺民の出かもしれない。
 亡国の歴史が、社会の「偏見」と「差別」のもとになつてくる。おそろしいことではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月03日(Sat) 15:15

「迷い鳥」なる鳩は、愛鳥を飼い、その解鳥のため、ウンセンマンのキンを手切れキンとする。
 カンなる国の金庫番も夜な夜な、愛鳥と蜜愛デートを繰り返し、アクビの常習者なり。
 国の保安を司る、夜鳩は、夜な夜な銀座に出没し、ホステス愛妃と夢の世をさまよう。
 いやはや、民主の議員さんは、仮城に泊まり、遊興三昧にご満悦である。
 玄宗と楊貴妃の、永遠の愛の誓いと比ぶれば、こちらは、動物の欲情渦巻く、下劣極まるシモネタ話である。

*玄宗はわずか半歳たらずの辛抱で長安に戻ることができた。
戦乱により荒廃した後宮のさまは、白楽天の名筆によつて、もの悲しく描かれている。
 帰り来たれば池苑は、みな旧に依る、太液の芙蓉、未央の柳、芙蓉(ハスの花)は面の如く、柳は眉の如し、
此に対(むか)えば、いかんぞ涙垂れざらんや、
春風桃季、花開く日、
秋雨梧桐(アオギリ)、葉落つる時、
西宮・南内、秋草多し、
落葉階に満ちて、紅、掃かず。
とりわけ春風〜秋雨のあい対した句は美しい。かつての栄華は、いま夢の如く、しばしの間にあまたの御殿も花園も、いみじく荒れはてていたのであった。
 玄宗皇帝は荒れ果てた長安の王宮に戻ったものの、そのわびしさはたとえようもない。たまたま、四川省の動士に、なくなった人の魂をさがしあてる術を心得た者がいた。この術者が玄宗の意中を察していたく同情し、雲に乗って東海へと楊貴妃の霊魂を尋ねていくと蓬莱の島のあたりに、うっすらと楼閣が見える。その門前に降り立って案内を請うと、なるほど「楊太真」と名乗る美しい仙女が奥御殿に住んでいるという。しばらく控えていると、いくえものとばりが開いた中より、みよ、
 雲なすまげ半ば偏り、
 新(いま)し睡りより覚めて、
 花冠、整わず堂を下りて来る。
という風情の仙女が奥から現れた。白楽天は、楊貴妃の姿を描いていう、
 玉容は寂寞として、涙ははらはらとあふれ、
 梨花一枝、春、雨を帯びたり。
と。梨花はもともと豪華な花ではない。ただひたすらに白く淡く、春雨に濡れると、一段と清楚な趣となる。いの仙界の人となつた楊妃は、まさに雨を帯びた「梨花一枝」と形容するにふさわしかつた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月02日(Fri) 14:24

 鳩ポッポなる「迷い鳥」は「四面楚歌」である。
今や「篭の中の鳥」とり、オウムなのでしょう。
 平沼新党も立ち上がる、日本の夜明けを期待したい。

*「漢王の軍、みな万歳と呼(さけ)ぶ」(『史記』「項羽本紀」)
項羽はひとまず東南に軍をかえし、劉邦は西方へ引き揚げようとした。ところが、劉邦の幕下にいた張良と陣平とが劉邦に説いて言った。
「いま漢はすでに天下の大半を有し、諸侯みな我に付く。楚は兵疲れ食尽く。これ天の楚を滅ぼしたまう時なり。この機に乗じて取ることを知らず、釈(ゆる)して撃たざるは、いわゆる虎を養いて自ら患(わざわい)を遺(のこ)すこととならん」(『史記』(「項羽本紀」)そこで劉邦は、いったん帰り仕度を始めた軍勢の行き先を転じて、にわかに項羽の後を追いかけた。ところが東方の韓信と彭越の軍が、約束どおり馳せつけてくれない。そこで矢つぎ早に急使を仕立ててふたりの将軍のもとへ送り込み、「楚を破った暁は、もとの斉国を韓信に、大梁(開封)のあたりを彭越に与えよう」という約束をかわして、両軍の援助を求めた。新鋭の援軍を得て、漢の兵力は倍にふくれあがつた。
 紀元前二〇ニ年、漢は項羽の垓下を囲んだ。砦の夜がふけて、項羽が寝につこうとすると、漢の陣営のあちこちから、なつかしい楚の民歌が聞こえてこるではないか、項羽はがばとはね起きて言った。「漢すでに楚の地を得たるか。あわれ、漢軍の中に楚人の多きことよ」
「四面楚歌」とはこのことだ。いまのいままで、味方だと信じこんでいた楚の人びとが、すでに漢軍の中に編入されて、自分を囲んでいるのであった。
項羽は愛する虞美人を前にして歌った。
 「力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う、時に利あらず、騅(スイ 乗馬の名)逝かず。
騅の逝かざるは、いかんすべき、虞や虞や、若(なんじ)をいかんせん」
 一度、二度・・・・虞美人もそれに和して歌った。
項羽の目からふと涙がこぼれた。そして百余騎を従えて血路を開くと、東南の方角をめざし、いまの安徽省和県の鳥江までおちのびた。前には長江がゆうゆうと流れている。
項羽は天を仰いで言った。
「わしが負けたのではない。天がわしを見捨てたのじゃ。いまは江南の父兄に再会する面目もなきものを・・・・」
 項羽は馬首を回らして追手の中に切り込んだが、漢の騎兵に追いつめられて自殺した。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月02日(Fri) 10:29

 前に、民主主義とは「大嘘」を内含する制度であると申しました。
 つまり、「ろくでなし」の人間に「主=神」の権利を与えることです。
 少なくとも、ギリシャのデモクラシーとは、直接民衆主義のことであり、多数決が原則であり、多数の意見に真理が宿るという仕組みであります。

 本当にそうであれば、日本も財政赤字で潰れることも無かったでしょうし、安全保障も磐石であったはずです。
しかし、そうならなかつた。
 現実は「少数者」の意見に真理が宿っていると考えた方が正しい。
 日本は間接民主制度を取っていますが、実際は支持率○○%と、直接民主主義に限りなく近づいている。
議員や政党は支持率に左右され、大衆迎合にせまる。
 デモスには必ずデマが付きまとい、マスコミや政党の喧伝工作により扇動される。

 間接民主主義の場合は、まだ、歴史や伝統を背負った国民なるものがおり、庶民も良識を持ち、政治家の選定には、その人柄や人望や基本姿勢を共有する人材に信認を与えていた。
歴史や伝統を背負う国民としての認識を共有していたわけです。

 政治に対する国民の直接的な影響というものは、「国民」から「民衆」に、その主権が移動しているともいえるのでしょう。

 日本国憲法の要諦である「基本的人権」「生存権的基本権」「社会的基本権」が、国民から民衆に移動する。
 伝統や文化により形成された道徳、節度を持つ国民から、デモス(民衆)に主権が移動する。

 「外国人地方参政権」や「人権擁護法案」の目指すものは、国民主権という概念から程遠く、民衆主権の「権利擁護の確保」であるともいえるのであろう。

 「国家の解体」が民主党政権のもとで、強力に進められようとしている。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月01日(Thu) 17:13

 世に世代交代ほど難しいものはない。
今の政界でも言えることではないか、自民党でも権力維持のため将来を嘱望される事物を消費し尽くし、最後は下野するはめとなつてしまつた。
 マスコミは、日本の将来を託するような有望な人材をイビリ潰したり、イビリ殺したりした末、「日本には人材がいない」と平気でのたまう。
民主党の最高実力者である小沢一郎と呂后は似ているように思われる。

 後継者を選び育てる目を備えるのは、実に難しいことである。

*印璽を権力のしるしとして、高祖の没後、独裁をほしいままにした呂后とは、どんな人物であっただろうか。司馬遷は、
「呂后は人なり皇毅、高祖を佐(たす)けて天下を定む。誅せらりし大臣、呂后の力によること多し」(『史記』「呂后本紀」)とのべている。たとえば高祖の有力な味方として戦ったあの韓信を殺したのも呂后である。呂氏一族は、後世の中国史における「外戚専領」の先例を開いたものだが、ここまでは高祖が、その死の間近に呂后とかわした問答を紹介しておこう。
 紀元前一九五年、高祖の負傷が癒えず、体力が日ごとに衰えていくのを見て、呂后がそれとなく将来の見通しを訪ねた。
呂后「陛下の身まかりたもうた後、蕭相国(蕭何)もし死すれば、誰に代らせましょうか」
高祖「曹参がよかろう。
呂后「その次はいかがか」
高祖「王陵じやろう。が、王陵は、やや鈍いゆえ、陣平に補佐させるがよかろう。陣平は、知恵にかけては余りあれども、独りでは任を果せまい。周勃は重厚にて、文(かざり)少なき人なれど、まさかのときに劉氏を安んずるのは、この人じゃ。
太尉(軍司令官)に任じて軍権をあずけるがよかろう」
呂后「そのあとは」
高祖「そこまでは、おぬしの知るところではないわ」(『史記』「高祖本紀」)
呂后は高祖がなくなつたとき、一滴の涙も流さず、子の恵帝を即位させて、自分が「摂政」の権をにぎった。そして邪魔者を次々と謀殺しつつ、呂氏の一族を王侯に封じて、やがて近衛軍の指揮権まで、呂氏一党の手中に収めてしまつた。
 その間、大尉の周勃は隠忍自重し、じつと呂后の死ぬのを待っていた。そして最後には、一挙に呂氏一族を追い払って、高祖の子、文帝を北国から迎えて帝位につけた。高祖が「劉氏を安んずるのは周勃」と予言したとおりになった。
「後継者」を選ぶ目を備えるのは、なんとむずかしいことではないか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月01日(Thu) 11:55

 前に、西洋は一般に「生命を存在に於いて価値づける」となれば、神が生命を保証していることになりると、申しました。
 日本は、過去20年あまり、「構造改革」なるものにのめり込み国力の衰退を招いたわけです。
 しかし、その総括もないまま総選挙に突入し、焼き直しの構造改革路線を推進しているのでしょう。
 例えば、「外国人地方参政権」がその代表的なものでいょう。
 話を元に戻しますが、生命を保証するものとしての生存環境というものがテーマとして浮かびあがつてきます。
 つまり、世界の何処においても同じ価値観と、生存環境が担保されれば、これほど生命維持にとつて安全なことはない。
 別言すれば、オイコス(家)が大きくなり、エコノミー(家の差配)も一つの財布となればどれほど素晴らしいか。
 つまり、ノーベル経済学賞を受賞した、クルーグマン教授の提唱した世界観というものはこのようなものでしょう。

 グローバリズムと純粋経済学というものは、その手段であったわけです。
 経済、政治、文化、道徳・・・・これを、純粋経済学的視点で均質化する。
 当然として、国境も低くなり、文化も侵食されていく。
国家主権も溶解していくことになる。
 日本では民主党政権のもとで、「地域主権」なるゾンビが顔をだす。
 「主=神」権でありますから、本来、国家と地域に主権など並存するわけがない。
 一神教の世界では、常識中の常識である。
だから「主権」に対して「分権」というのが常識なのである。
 つまり、日本はここでも国家の溶解が起きているのです。
世界はポストグローバリズムに移行しているのに、依然として日本の混迷は続いている。
 「保守主義」こそ日本の救済なのであるが、日本の夜明けはまだまだ遠いようである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年04月01日(Thu) 09:49

 ドイツの実存主義哲学者が、大衆の出現について人間の実存に危機感を抱いている。
 日本の現状に照らしてみれば納得もできよう。
問題は如何にして、我々の社会の健全性を回復するかという責務があると思うところであるのだが?

*現代に生きている人間は、自己とも他者ともつかないような「ダス・マン」によって支配されており、最も本質的な自己は見失われてしまっている。人間が真に生きていることを実感してい掴まえるためには、そういう自分だが他人だか分からぬようなあいまいな状況から自分を取り戻さなければならないし、そのためには、自分というものをもっと掘り下げ、見つめて行かなければならない。 
                                             (ドイツ実存主義哲学者 ハイデッガー)

*ああ、実に夫を愛しているから夫が愛しいのではない。アートマンを愛しているから夫が愛しいのである。
ああ、実に妻を愛しているから妻が愛しいのではない。アートマンを愛しているから妻が愛しいのである。
ああ、実に子供を・・・・・。財産を・・・・・・・。家畜を・・・・・・・・・。バラモン階級を・・・・・・・。
王族階級を・・・・・・・・。諸世界を・・・・・・・。神々を・・・・・・・。ヴェーダを・・・・・・・・。生類を・・・・・・・・。
一切を・・・・・・・・・・。
ああ、実に見るべきもの、聞くべきもの、思考すべきもの、沈潜すべきものはアートマンである。   (ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャット)

Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 22:18

 それぞ、人には分があり、それなりの使命があるのてはないでしょうか?

「空即是色」と、実相の中に帰ってくとこの素晴らしさを味わおう。

 常懐悲感(じょうえひかん)  心遂醒悟(しんすいしょうご)
 (常に悲感をいだいて、心遂に醒悟す)                              『法華経』 (如来寿量品)

[どんな悲感がろうと、それを外にこぼすな、流すな、胸の奥深くに抱いていよ、
 そうすれば、その悲感が、やがておまえの心を醒ましてくれる]
 本当に生まれてきて良かったと、感謝しようではないか。

為政者は謙虚であるべきである。
国民の「声無き声」を聞き、懺悔することからはじめて欲しいものである。
 そうすれば、二つのものが一つとなり「一如」の世界が開ける。
 懺悔、懺悔・・・

*[老境は自然にくる]

蛇笏晩年の句は、

われ泣くもいとしむことも寒の闇


である。蛇笏は「老鏡」についてこう言った。

さうだ。老鏡は自然にくるのだね。それも若い時壮年の時代を通じて、ものの本質を見究めつつ本当に行きぬいたも

のが、いつか入ってゐる境地だと思ふ。心敬とか俊成とか世阿弥や芭蕉のように懸命にその時々を生きつづけたものに

来るんだね。誰にでも来るというものではないよ。(角川源義・福田甲子雄『飯田蛇笏』)


蛇笏は昭和三十七年十月三日、七十七歳で死んだ。

誰彼もあらず一天自尊の秋


蛇笏は老残を見せず、老境の尊厳と美を人々の目にやきつけて死んだ。老い死もなく、老と死の尽くるところもなし。

蛇笏の見た寒の闇は、壮大な無明の闇とひとつであった。しかも彼はその闇の向こうに永久に帰ってこない息子たちの

靴音をひっそりと聞いていたのであった。生きるということは、華麗であり、壮大であり、そして、かぎりなくかなし

いことであった。

そこには、智というものが、入りこんでくる余地がない。何かを得たということもない。まことに、「人生山脈、ただ

茫茫」というのみである。所詮人間が何かを得たとしても、それは「空」を得たというのみである。何十年かの生涯を、

ただ生かして頂いたというだけのことである。それでよいのではないであろうか。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 17:11

 民主党は「綱領」を持たない。
会社に「定款」がないようなものである。
 商法違反で、設立登記はできない。
つまり、世間から法人として認められないのである。
 つまり、民主党の現状は「権利能力なき社団」のようなものである。 
 日本人なる民衆は、このようなシロモノを信認してしまつた。
騙した方が悪いか、騙された方が悪いのか。

*沫郭若さんが戯曲『屈原』を発表した、彼は屈原のことばを借りて、当局者のなかにはびこる不正を攻撃し、屈原の悲憤の死をいたむ人民の姿を借りて、当時のうっ積した人々の声を浮き出させた。まさに屈原は「愛国の詩人」として、二千年後によみがえつたのだ。
 屈原がなぜそれほど人の心を動かすものを持つているのか。その第一は、彼が子供のように素直であったからであろう。司馬遷が、『史記』の「屈原列伝」のなかで、
「父母は人の本なり。人、窮するときは、本に返る。故に労し倦(つか)れしはてには、天を呼ばざるものあらざりき」と述べて、屈原の作品は、子供が父母を呼ぶように、天に向かってすがりつく本能的な気持ちを、そのままぶちまけているのだ、と説いている。屈原が『楚辞』の「離騒」のなかで、ついに天上に遊歴せざるをえなかったのは、せっぱつまった人間のおのずからの姿だ、というのであろう。
だがもう一つ、だいじなことは、屈原が華中の人民の間にあったさまざまな物語や伝承を、はなはだロマンテックな長詩として書き残したことだ。
 「悲しきは、生別離より悲しきはなし、楽しきは、新相知(恋人)より楽しきはなし」といった、ロマンテックなことばが登場している。
 今は故人となつた、毛沢東主席をはじめ、紅軍の勇士の多くは、この湖南出身の人びとであつた。つまり昔の南楚の地である。尋常なことでは耐え切れないほどの苦難のなかを踏み越えて、その中でも夢と希望を失わない―という楽天性が、あの人たちにそなわっていた。
「革命」しは、はなはだ冷酷なものだ。もしその底にロマンチズムが流れていなければ、とても耐えられものではなかろう。その人情の根源が中国の文学にあることを、毛主席は言いたかつたのではなかろうか。   
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 15:05

そのA
*円頓(えんどん)は、初めより実相(じっそう)を縁ず、鏡(きょう)に造(いた)るにすなわち中(ちゅう)にして、真実ならざるはなし。
縁を法界(ほうかい)に繋(か)け、念を法界に一(ひとし)うす、一色一香(いっしきいっこう)も中道(ちゆうどう)にあらざることなし。
己界(こかい)および仏界(ぶっかい)、衆生界(しゅじょうかい)もまたしかり。
陰入(おんにゅう)みな如(にょ)なけば苦(く)として捨つべきなく、無明塵労(むみょうじんろう)すなわちこれ菩提(ぼだい)なれば集(じゅう)として断(だん)ず
べきなく、辺邪(へんじゃ)みな中正(ちゅうしょう)なれば道(どう)として修(しゅう)すべきなく、生死(しょうじ)すなわち涅槃(ねはん)なれば滅(めつ)として
証(しょう)すべきなし。苦なく集なきがゆえに世間(せけん)なく、道なく滅なきゆえに出世間(なし)。
純一(じゅんいつ)の実相(じつそう)にして、実相の外(ほか)にさらに別に法なし。法性(ほっしょう)の寂然(じゃくねん)なるを止(し)と名づけ、寂(じゃく)にして
常(つね)に照らすを観(かん)と名づく。初後(しょご)をいうといえども二(に)なく別(べつ)なし。これを円頓止観(えんどんしかん)と名づく。

圓頓章(えんとんしょう)

圓頓者。初縁實相。造境即中。無不眞實。
繋縁法界。一念法界。一色一香。無非中道。
己界及佛界。衆生界亦然。
陰入皆如。無苦可捨。
無明塵勞。即是菩提。無集可斷。
邊邪皆中正。無道可修。
生死即涅槃。無滅可證。
無苦無集。故無世間。
無道無滅。故無出世間。
純一實相。實相外。更無別法。
法性寂然名止。寂而常照名觀。
雖言初後。無二無別。
是名圓頓止觀。


Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 11:04

その@
 故郷の村が荒れてゆくのは忍びない。
ご先祖から引継いだ、山河大地である。
 手入れしない、植林は竹が生えこむ、間伐しないために、雑木が生えず、保水能力がなく山があれている。
 田、畑は自然に帰るという言い方はかつこう良いが、竹の群生のさまは心が痛む。
 かつて、父、母、弟、祖母と暮した家は、廃墟となり、近ごろは夜中になると、その懐かしき風景が脳裏に浮かび涙する。
 日本が、豊かになつたというが、失ったものの大きさを感じざるを得ない。
 かつての、里山の風景は日本人の心の風景から消えうせつつある。
自殺者三万人の日本、心が病んでいるのであろう。
【圓頓章】は、心を健康に保つための、完全で素早い方法である。
 
*【圓頓章】
完全で素早い方法 
初めに「法界の心」につながれば、心の鏡に写し出された世界は真実そのものとなる
「法界の心」につながり、ひとつになれば、すべては真実となる
ちっぽけな、目に見える物、ちょっとした香りも、中道である

己界、佛界、衆生界、合わせれば法界全ての存在を説明できます

法界の側から見れば、全ての鏡の中の現実は、如であり、空です
ですから、苦として捨てるべきものが、どこにもありません

法界には苦しむべき我がありませんから、その原因もない、という境地

片寄ったこと、邪悪なことも、みな、中庸で正しいことであるので、仏教の修行として歩むべき道は無い

法界から見れば、鏡の世界の生死は涅槃と同じことで、苦しみを終焉させるため達成することなど、どこにも無い、という境地

苦集道滅が無い境地になると、世間(俗世間)も出世間(仏教の修行)も無い
純粋に一つの実相があるだけで、実相のほか、さらに別の法は無い

法界が鏡から切り離されて静寂に包まれるのを止と名づけ、静寂でありながら、常に燦々と光明を放って輝くのを観と名づける
どちらが先ということではなく、二つ別々のことでもない
これを、完全で速やかな止観と名づける

Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 11:03

 現在の世相をどのように捉えればよいのであろうか?
曽野綾子氏が司法関係者の常識として、小沢、鳩の一連の問題について、庶民であれば間違いなく犯罪者であると。
 訴追を免れているのは、首相・幹事長であるからだと!
だから、小林氏も習って辞めないのである。
 
*『老子』の中に、柔らかい者はつっぱらない、だからこそ、性(いのち)を傷つけることがない、という主旨が、くり返しのべられている。中でも次の文句、
「けだし聞く、善く生を摂(まとめてもつ)するものは、陸行する&#20821;虎(ジコ 猛獣)に遇わず。軍(戦場)入りても&#20821;もその角を投(つきた)つることなく、虎も爪を惜(おく)所なく、兵(武器)もさの刃を容るる所なし」
「聖人(すぐれたリーダー)は常心なし。百姓(人民)の心をもって心となす。善きものは吾もこれを善しとし、善からざるものも、吾またこれを善しとす」とある。
 一揆は反乱であるから、時の為政者から見れはまさに「不善」なのであるが、これも「善」とみとめて、「百姓の心」に従おうという主旨である。
 後漢の末には、老子や黄老家のうちから、庶民の心をとらえる部分が浮上してきた。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 09:51


  ユーモア!と笑ってすますこともできるのでしょうが、今、地球の多様ないのちが消えかかっている時に、一言申し上げたくなり、書いております。

  生きものの側からすれば、いい迷惑なのではないでしょうか。
  カモも、アホウドリも、サギも、オウムも、ハトも、カッコウも、タカも、フクロウも、ウソも、カラスも、ツグミも、キュウカンチョウも、シジュウガラも、ウも、キジも、トキも、ガンも、すべて、ホモ・サピエンスが勝手につけた名前。 
  彼等にはきっとそれぞれに素敵な名前があるはず。あんなにそれぞれが美しい姿や生き方をしているのですから、、。 ホモ・サピエンスは困った存在だから教えないでいようと、自然の神様は想っているのでしょう。

  ニッポニア・ニッポンという学名をもつ鳥を絶滅させてしまったのは、ニッポンの政府や学者。今の佐渡のトキは中国から頂いた系統のトキ。

  ホモ・サピエンスの”先進国”と称するもの達こそが、自然の掟の箍をはずれて、自分を生んでくれた地球の生命系を壊してきている張本人!

  辞書によれば、ユーモアとは、
 「人間生活のにじみ出る、おかしみ、上品なしゃれ。人生の矛盾・滑稽等を、人間共通の弱点として寛大な態度でながめ楽しむ気持ち。」(岩波国語辞典より)

  皆様、これまで生きてこられた毎日の生活で、頂いてきた”多様ないのち”を、それぞれのやり方で、母胎である”地球”に、還してまいりましょう!  
  きっと、カモも、アホウドリも、サギも、オウムも、ハトも、カッコウも、タカも、フクロウも、ウソも、カラスも、ツグミも、キュウカンチョウも、シジュウガラも、ウも、キジも、トキも、ガンも、
  笑って許してくれるのではないでしょうか。

                どうぞ、よい一日を!
  
Posted by: クロサカミワコ  at 2010年03月31日(Wed) 08:53

郵政改革の方向が決着した。預け入れ限度額が2000万円、民主党は600万に縮小すると言ってた。
 これも、参議院選挙目当ての郵政票の獲得手段のようである。
 天下の公党のエゴなのであろう。
黒鳩よろしく小沢の「オウム鳩」普天間移設は「騙し鳩」の本領発揮である。
 それでも、黙っている「民」なる、盲人は、自己中なのか?

*歩いているとモスレム寺院の巨大なスピーカーから
お祈りの声が町全体にうるさい位流れていた。慣れれば心地よい音楽のようでそれなりに気にしなくなった。何処のヒンズー寺院も明け方前からお祈りの声が町全体に響く。日本も行事以外で、お祈りや読経も流せば良いと思うが風土や民族の違いできつとうるさがられるだろう。
田舎の山寺である私の寺で、もし朝のお勤めや行事の折、読経をインドのようにスピーカーで流したら直さま苦情が殺到するだろう。
ヒテロジニアス(他民族国家)のインドは回教もヒンズー教もその他宗教もそれなりに物理的に主張しないと存在そのものが不安になり、それぞれの民族は将来つまり未来に向かって民族固有の遺伝子を残さなければならないという闘争本能を遺伝子レベルで植え付けられている。ホモジニアス
(一民族国家)と認識されている日本は、その点で海に囲まれている国土を有しているため、宗教戦争も大陸続きで侵略され易い国々と比較すれば、穏やかな流れの中で独得の日本固有の文化を培ってきた。
 現在の世界はあらゆる国家・団体・家族個々の個人までが、孤立したままでは生活が出来ない。相互に関係し合い生活しなければ生きて行けない。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月31日(Wed) 07:52

そのB
柏樹子(はくじゅし)の話(わ)に賊機(ぞっき)あり
 中国・唐代の禅僧である趙州(じようしゅう)和尚に、ある僧が「如何(いか)なるか是れ祖師西来意(せいらいい)」と尋ねました。「達磨さんがインドから中国へ渡ってきた意図は何か」という意味で、「禅の真髄は何ですか」という問いになつています。平たく言えば、「何故私が今ここにいるの?」「何処から来て何処へ行くの?」「どう生きるべきなの?」と投げかけられているのです。すると趙州和尚は「庭前(ていぜん)の柏樹子(はくじゅし)」。庭の柏槇(びゃくしん)の木だと言いました。柏槇の木とは、実は私自身のことで、人生を生きる意義とは、おまえさんそのものだと答えたのと同じことです。難しくなりましたが、禅の世界はテーマや答えが何であれ、探るべきところは「今・ここ・私」なのです。あの人がどうもと、いつも比較検討し続けています。そんな私たちから全てを奪い取ってしまうのが「賊機(ぞっき)」の働きです。迷いやこだわり、他人攻撃の心や比較する心を全て奪ってしまう。しかし奪い尽くすのではありません。たった一つ残したいがために、実は奪いたいのです。我が儘(まま)な心を奪って奪って、たった一つ残るものが庭前の柏樹子、あんたそのものじゃないか。木と言われようが、お前といわれようが、ここに生きている木は、お前さんの命じゃないかと導きたいのです。そして、木によって日陰もあり日向もある現実を知らねばなりません。揺れる枝を感じ、過ぎる風を感じながら、庭前の柏樹子としいういのちの世界を現実の世界に引き戻して生きていかなければならないのです。庭の木が私自身で、一体となることが禅の修行だということだけで終ってしまえば、役に立つ人は一人もいません。このいのちが多くの世界を覆い尽くして多くの人々と係わり合い、労わり育むものだと確かに自分でわかるまで、私たちは自分のわがままやこだわりを奪い尽くしていかなければなないのだと感じています。私たちの心の中には大慈大悲の心が確かに備わっています。頭の中ではなく、心の中で一瞬も休まずに働き続けている慈しみの心それだけが、仏性といえるものだと思います。この慈しみの世界に導かれるように一生懸命お手伝いするのが、私たちの仕事であろうと思います。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 17:33

そのA
 大いなるいのちの世界では、いつも私たちと離れたくない離したくないという御心(みこころ)が働き続けているのではないでしょうか。母が私の一生を心配しながら死に、私も母と、もう少し親子でいたかったと思うような慈しみの心が、仏の世界への誘いになっていくのだと思います。
 「本有円成仏什麼(ほんぬえんじょうぶつなん)としてか迷倒(めいとう)の衆生となる」とは、悟った仏が何故迷うのかというのではなく、私たちの元々の心は慈しみ合うことしかないのだと言っているのです。悟りきった何もない観念的な空の世界に居座るのではなく、大いなるいのちの力で、慈しみや思いやりを実践して毎日を生きていくことができるということを感じていただきたいと思います。

 慧玄(えげん)が這裡(しゃり)に生死(しょうじ)なし
 『百万回生きたねこ』という話があります。飼い猫が、いろいろな飼い主の愛情を受けながらも、飼い主を嫌って暮らし、猫が死ぬと飼い主に手厚く葬られ、また猫に生まれ変わっては飼い主を嫌うという話です。九十九万九千九百九十九回生まれ変わっても、飼い主のことが嫌いな猫でした。
ところが百万回目、自由な野良猫に生まれ変わり、嫌う相手もいなくなりました。そして、愛する猫ができてしまい、初めて慈しみ、愛し、大切にすることを知っていくのです。やがて子供もでき、歳もとり、愛する猫も死ぬことになりました。
それを見守っていた百万回生きたヤンチャな猫は、悲しみのあまり自分も傍らで命が絶えてしまうという物語です。それまでは自分が一番大切で、他のものを少しも思いやることができずに自分だけの判断で、好きだ嫌いだ、憎い悲しいと暮らしていました。けれども初めて愛するものができ、それを
亡くす悲しみによって、自分も生絶え、この猫はもう生き返らなかったと、物語は閉じています。
 私たちの心にも、自己中心的に世の中を判断し、いつも自分の不自由さを周囲の束縛のせいだと言い続ける癖があります。素晴らしい命を持つていると頭ではわかつていても、それを認める力がまだない私たちは、全くこの猫と同じだと思います。
  
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 17:20

その@ 
 最近、子供殺しが新聞紙上をにぎ合あわし、心が痛む。
鳩なる総理のことばには、言霊が宿っていない。
 つまり、日本の最高責任者が国民に対して、何が大切か発進していないのである。
 
 「私たちの心の中には大慈大悲の心が確かに備わっています。頭の中ではなく、心の中で一瞬も休まずに働き続けている慈しみの心それだけが、仏性といえるものだと思います。この慈しみの世界に導かれるように」

 鳩なる「謎の鳥」の仕事は、人間の本来持っている「慈しみ」の心をいざなうことだと思うのですが。

*関山の三転語
 関山慧玄禅師は「三転語」といわれる「本有円成仏什麼(ほんぬえんじょうぶつなん)としてか迷倒(めいとう)の衆生となる」「慧玄(えげん)が這裡(しゃり)に生死(しょうじ)なし」「柏樹子(はくじゅし)の話(わ)に賊機(ぞっき)あり」という三つの言葉を残されています。なにしろ、文献も資料の何もないお方ですので、このことについて語ることは至難の業ですが、私が思うに、この三つの言葉は、ただ一つ「慈しみ」の世界から生まれてきているように思えます。

 本有円成仏什麼(ほんぬえんじょうぶつなん)としてか迷倒(めいとう)の衆生となる
 先日、弟子の結婚披露宴で、余興の一つに山口百恵さんの歌った「秋桜(こすもす)」の歌が披露されました。それを聴いていたら、八十歳で亡くなった母を思い出し、涙が出てきました。私は十八歳で家を出たきり帰らず、坊さんをやっています。たまに帰ると、私は母に、お小遣いを渡していたものです
から「あんたが一番」と母に言われていました。しかし、私は、母の面倒を兄弟たちに任せてしまったため、親孝行を何一つすることができませんでした。
「私はもう少し母の息子でいたかった。そして母も私をもう少し可愛がって死にたかっただろう」そう思って山口百恵さんの「秋桜」を聞いて涙していたのです。
 「浄法界(じょうほっかい)の身、本(もと)出没無し、大悲の願力、去来を示現(じげん)す」という言葉があります。真実の世界では、生きたり死んだり、出たり入ったりすることはありませんが、大慈悲の心によって、私たちは生きたり死んだり泣いたり笑ったりすることができるという意味です。大切な人が私たちと出会う時、あるいは去りゆく時、やはり慈しみの心の中に戻っていくのだと思います。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 17:15

そのA
過去・現在・未来と、時が一つの方向に流れていくなどと思うのは、仏道を専一に学んでいないからだと禅師は云う。三つの時制は実は「つらなりながら時時」と並んでおり、それを我々は「経歴(きょうりゃく)」している。この「経歴」こそ、「排列」からさらに複雑化した「物語」と云えるだろう。一つの「物語」を語るために、我々は無数の「有時」を如何様にもアレンジし、改変すると云うのだ。
 結局「物語」を離れては生きられない我々のために、「住法位の活※ぱつぱつ地なる、これ有時なり」と、説示してくださる。これは私には、これまでのあらゆる時におけるあらゆる私(尽時の尽有)が、活発に活き活き溌剌してくるような己のあり方を模索せよ、と聞こえる。我々はどこまで行っても時間的存在であることを免れない。それならば、という懇切なる説諭である。しかし「尽時の尽有」を剰(あま)すところなく「究尽(ぐうじん)する」というのは、遥かな道である。
 禅師の言葉のとおり、目の前の松も竹も、かつて見た山も海も、あらゆる体験「彼方にあるに似たれども而今(にこん)なり」である。それならば道元禅師もその著作も常に而今(たった今)にあると言わねばならない。我々はいつでも道元禅師に聴くことができるのである。
 「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいゆくとき、ちからをもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれて仏となる」(「生死」)
 私もただその時を夢見て、排列したり尽力経歴したりしながら「有時」してゆこう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 14:34

 その@
政治の要諦は「物語性」である。
国民に、政権の描いた物語を聞かせ実行しなければならない。
 物語を突き詰めれば、フィクションである。
「排列」や「経歴」により創られたものであり、問題は普遍性を伴っているかである。
 「存在認識」する自己の存在、その意思的形成力がなによりも重要なのであろう。
 つまり、歴史や伝統を背景に背負う自己なのである。
民主主義の誤謬はここにあるのである。
 「保守主義」とは、民主主義の救世主であるが、今だ日本人は気付いていない。
 永田町に舞う「謎の鳥」、悪蛾に染まる日本人である。

*客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり」
 私は「有時」を理解するために、「物語」という言葉を使ってみた。
 たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝たときの今」と「起きたときの今」を「排列」してできた認識である。換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした「物語」を産むことで時間をあらしめ、また自己存在を認識することになる。
 むろん「排列」する際には省略も含む。たとえば「最近私はとても調子がわるい」という時間と自己を提出しようと思えば、たまたま調子がよかったことは全部省き、美味しかった夕食もはずし、面白かった映画や彼女との会話も削ぎ落としてようやく成立する「物語」なのだと知るべきだろう。つまりあらゆる時間もそこでの自己存在も、厳密な意味ではフィクションなのである。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 14:22

そのA
西田幾多郎博士(1870〜1945)は、二十世紀の日本が生んだ最大の哲学者です。京都大学で活躍し京都学派(Kyoto School)とよばれ、今では欧米の学者が盛んに研究しています。西田博士は私の恩師西谷啓二博士の師匠です。西谷博士もやはり世界的な学者で、その著書についても欧米で研究グループができています。
西田幾多郎博士は、一九四五年(昭和二〇年)五月に亡くなられました。その最後の著書『宗教論』は敗戦後に出版されました。その中でしきりに「個は個に対して個である」と述べています。これはキーワードです。一一の光明を西田博士は個の先端といっておられる。個の先端で神と出会うことによって、個は個に対して個になっていく。我われ人間にも先端部分がある。しかし、私たちはその先端が漠然としている。
念仏をするとき念仏の最先端が大切です。念仏の最先端とは念です。そこから先は自分ではないけれども、最先端で自分を越えたものに出会っている。これが念であり、フロンティアです。そこで阿弥陀さまと出合っているのです。フロンティア精神とは、ニューイングランドの人達が北米大陸の東海岸に上陸して西海岸のカリフォルニアまで開拓していった時の考えで、無限に開かれた場所ということです。
今の日本人、特に青年の多くは新しいものを目指す開拓精神を失ってしまいました。大根にもフロンティアがあるのにです。大根が根を出すでしょう。太い大根の白い部分までは大根だけど、その先端の無数の細かい根は大地に向かって無限に広がっている。そこで養分をいっぱい吸収して大根を成長させていく。大根本来の部分と大根が無限に大地に向って開かれていく場とがある。
念仏もそのとおりです。私たち一人ひとりの心の先端では、阿弥陀さまに触れている。そこはもはや私ではないけれども、限りなくそこで本来の私である私が作られていくのです。個という問題は、私たち一人ひとりが一人ひとりになっていくということです。
お浄土に生まれるということは、金太郎飴のように一種類のステレオタイプの人間が作られていくのではなくて、一人ひとりが、とりかえられぬ一人ひとりになっていくことなのです。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 11:55

 その@
 ホッブスの国家論によると、各人が暴力をもって自分自身を守ろうとする「自然権」を人々から取り上げて、「万人の万人に対する戦い」を終結させたところに国家と法秩序成立の意義があるという。
 つまり、「自由」と「平等」に関する、法秩序の問題である。
民主党政権は、自己の権力を肥大化させる手段として、平等政策を推進する。
 つまりは、国家破綻による暴動の発生までは、人間の自由を抑圧することを推進する。
 国民が賛成してもいない「マニフェスト」なるものを、「国民との約束」と言論を無視する。
[子ども手当ては、クバリ鳥。高校無償化、モライ鳥。
資金疑惑は、オドシ鳥。参政権は、タカリ鳥。
タダ・タダ、タダ・タダ、乞食鳥 政権]

では、人間の本性というものは何か?
人間の本性を生かさなければ、良い国とはならないのである。
 基本のところで、永田町に舞う「謎の鳥」は間違っている「迷い鳥」なのである。

*私が私になっていくことを各各性といい、『無量寿経』上巻を締めくくる言葉です。上巻では「一一」と表記していますが、空外上人がそれを注目し上人の哲学の中核をなす考えのひとつとして力説されました。それまでは誰一人として取り上げず、その重要性に気付かなかった。
「衆宝の蓮華あまねく世界に満つ。一一の宝華に百千億の葉あり。その華の光明に無量種の色あり。青色(しようしき)には青い光あり。白色には白光あり(中略)一一の諸仏、また百千の光明を放ちて、あまねく十方の衆生のために、微妙の法を説きたもう。かくのごときの諸仏、各各無量の衆生を、仏の正道に安立せしめたもう」(『無量寿経』巻上)
一人ひとりがその人でなければ咲かせられないいのちの花を咲かせる生き方のことをいっているのです。空外上人は哲学者として各各性と表現し、田中木叉上人は文学的に詩でもって 白は白 黄は黄のままに 野の小菊  とりかえられぬ 尊さを咲く と詠じられました。
同じバラの花でも一輪一輪まったく違い、とのかえられぬ尊さを咲いているのに、同じタイプの人間を大量生産していくようでは意味がない。一人ひとりがとりかえられない一人ひとりとなっていくことが肝心です。しかし、これには無量寿・無量光の阿弥陀さまが一一(いちいち)に対応して現れてくださらないとどうしょうもないわけです。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 11:53

鳥では無理な方がいるような気がしますが、創作されるのを楽しみにしています。
Posted by: 清水健司  at 2010年03月30日(Tue) 10:28

 前に、渥美勝さんの史観について述べました。
マタイ伝によれば、「はじめに言葉ありき」でしょう。
 神の発した言葉が人間存在の担保である。
哲学的には「超越」と「内在」の関係であり、「神」と「人間」の契約であります。
 「契約」を担保するハウツーとしての「律法」と「予言」があるのでしょう。
 西洋は一般に「生命を存在に於いて価値づける」となれば、神が生命を保証していることになります。
 つまり、生命の安全のための食が第一条件になる。次にその安全を保障する力という条件が必要になる。更にその存在の継続のために性の問題が考えられる。このように、生命を単に存在とみる価値観に立つと、生命とは食なり、力なり、性なり、という倒錯した考えが起こって来る。ここに唯愛史観、唯物史観、唯力史観といった倒錯的世界観が必然的に生まれることになります。

 要するに西洋のプロテスタ二ズムの原点、つまり資本主義の原点はキリスト教に辿りつくのでしょう。
 グローバリズムに端を発する「金融危機」も、辿って行けば「人間存在」の認識の問題に行き着くのではと思うところです。
 
 吾が日本の本質的課題は、吾が存在の依拠するところは何か?
渥美勝氏のように、真剣に考える必要があるのでしょう。
“みこと”は生命を使用に於いて価値づける自覚、「みこと」を中核としたいのちの自覚こそ、吾が自覚ではと?

永田町に舞う「謎の鳥」は、日本の固有種なのか、はてや渡り鳥なのか?
この「迷い鳥」の正体は、今だ不明である。

「なんじの矛を立て、なんじの盾をあげよ。我れいま誓わんとす。それ殷王は、神々と先祖の祭りを怠り、浪人を召しかかえて、長老の言をきかず。そも、牝鶏(ヒンケイ、めんどり)の晨(とき)を作るは、滅亡の兆(きざし)なるぞ・・・・」(『書経』「牧野の誓い」)

 「民衆主義でギリシャは滅んだ」、日本の滅亡だけは、さけて欲しいものである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月30日(Tue) 10:19

 永田町を舞う「謎の鳥」について、自分なりの視点を定めるには、事象に対する「基準」なるものがなければならないであろう。
 その意味から、事象に対する、司馬遷の史観を引用してみた。
 その他、西洋文化の視点も少々参考引用した。
皆様方の、永田町を舞う「謎の鳥」に対する、視点を期待するところである。

[司馬遷の史観]
悲境のなかからうまれた彼の史観は「高い姿勢」から、「低い姿勢」へとかわり、それだけに秀徹した鋭さを帯びるに至った。『史記』が中国の史書の最初にして最後の名篇だといわれるのは、この低い姿勢からうまれた全人間的な傑作だからである。この立場は、彼の自序のうちの短いことばに集約されている。
「余は、いわゆる故事を述べて、斉えしものにして、いわゆる作りしものには非ざるなり」
 かような低い姿勢からする歴史観は、父の司馬談が伝えた黄老家(漢初の道家)の精神に由来するのであろう。儒家・道家・墨家・法家・陰陽家の六つは、古代の代表的な東洋思想であったが、『史記』の自序には、わざわざ亡夫の「六家の要旨を論じた意見」を引用している。そのうちで司馬談は、黄老の融通性にとんだ、低い姿勢にいたく共鳴して、
「黄老は、人をして精神専一ならしめ、動合する形なく、万物をみち足らしむ。その術たるや、陰陽(しぜん)の大順(いきおい)に因(したが)い、儒墨の善を採り、名法の要を撮(つか)み、時とともに遷移し、物に応じて変化す」 と述べている。固定した成見にとらわれぬから、観察は機微をうかち、虚心に物に接するから、かえって判断は公平である。かつ個々の現象に執着せずして、その奥に流れる大勢に心眼をむけることができる。これこそは歴史家にとって大切な心がまえであつた。
 もちろん、司馬遷にも、儒家流の道義の感覚は、深く影を印している。だがそれは、董仲舒の迷信めいた歴史観とは雲泥の開きがあった。ほんとうに歴史の名に値する「歴史」は、司馬遷によってはじめて世に出たと言うべきであろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月29日(Mon) 16:01

 民主党に対する評判が芳しくない。

 全ての事象というものには、原因があって結果が伴う。

 禅宗の聖典『無門関』に「百丈野狐」の公案がある。
「不昧因果」つまり、原因と結果の道理はくらますことはできない。
 
 道元は、「この世が明確に有るということは、あの世が有るということを明確に示しているということではないか」という。

 「無明」「行」「識」と、吾が存在を「識」として、脳裏に焼き付ける、迷える吾である。
 この「識」こそ、「苦(ヅッカ)」なのであり心の渇きなのである。
 全てのものを生み出す元である「無明」、そして生み出されたものが「行 サンカーラ」である。
そして我々はそれを「テレビの受像機」のごとく切り取りそれを脳裏に定着させるのは「識」の働きである。
 
 民主党もこの「ヅッカ」なる、苦から脱却できるか?

 道元は、「この世が明確に有るということは、あの世が有るということを明確に示しているではないか」と、限りなく人間の可能性を信じている。
 
 残念ながら、黒鳩・小沢のカラス鳩は、知性乏しくアホウ鳩のように知性は下劣を極める。

 また、民は、民主党のドレイ鳩のようである。

*「比丘らよ、汝等に告げん。諸法は壊法(えほう)なり。不放逸(ふほういつ)によりて精進せよ。これ、如来の最後のことばなり」

vaya−dhamma sankhaya (ウ゛ァヤダンマー・サンカーラー)
apapamadena  sampadetha (アッパマーデーナ・サムパーデートゥハ)
(こころはうつろいやすきもの、見おとすことなく、その中に居よ)

 [人間の一生など大したことではないのだ。大したことだと思うから、執着する。執着するから、苦しむのだ。
 執着を捨て、この世界を動かしている「行」(サンカーラ)すなわち、大いなるもののこころの中に身をおいて、我執をはたらかさず、任運自在に生きて行けばよいのだ]

注)行という世界; 仏さまにうながされて、ごく自然に働いたり考えたりする世界を心から離すな
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月29日(Mon) 12:49

 手足を切りて人豚と呼ぶ
鳩・小沢と民主党は、呂后が戚夫人を「人&#24408;(ジンテイ、ひとぶた)」に仕立てあげたのと同様に、日本国民を「人&#24408;」に仕立てあげているのではないのか?
 「平成の脱税王」「小沢独裁」「民主党の全体主義」こそその証明である。

「高祖は私に趙王をおあずけなされた。趙王如意さまはなお年少で、かつ病中でこざる。呂太后は戚夫人を怨み、趙王を召しよせて殺すおつもりとみえる。詔を奉ずるわけにはまいりませぬ」(『史記』「呂后本紀」)
「恵帝の元年十二月、帝、早朝に出でて射す。趙王、年わかくして、早く起きることあたわず。太后、そのひとり居るを聞き、人をして酖を持ちこれを飲ましむ。黎明のころ、恵帝還る。趙王すでに死せり」(『史記』「呂后本紀」)
 呂后はつぎに、永巷に押し込めてあった戚姫の手と足を切り、目玉をぬき、耳たぶを焼いて、オシになる薬を飲ましたうえ、厠のなかにほうりこんだ。それを「人&#24408;(ジンテイ、ひとぶた)」と呼ばせることにした。数日たって、呂后は恵帝を呼んだ。
呂后「人豚という珍しい動物を、陛下もごらんなされてはいかがじやな」
恵帝「あっ、これはあの戚夫人では・・・」
 気の弱い恵帝は「わっ」と大声をあげて泣き、そのまま床にふせて、1年余り立つことができなかつたそうだ。しばらくして恵帝は、母の呂后に書面をしたため、
「あれは人間のなすわざとは思えませぬ。私は、太后の子でありますが、とうてい、太后のもとで天下を治めることはできませぬ」と伝えた。
 もともと呂后の腹を痛めた子は、恵帝と魯元公主ふたりだけであった、呂后はとくに娘を溺愛したが、恵帝はその七年後、名ばかりの皇帝の位にあつて、紀元前一八七年、兄妹あいついで病死した。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月29日(Mon) 10:30

鳩の「子供手当て」これ、自立した人間でない何よりの証拠ですね。
 ギリシャ語の「オイコス」は家の意味である、英語では「エコ」という。
 「エコノミー」とは経済を意味する。
語源に照らせば、「家の切り盛り」のことである。
国債を44兆の放漫財政、子供手当て、高校の無償化、・・
これ、乞食鳥の仕業でしょう。
 カカサマから「子供手当て」いただく、吾人が国家という家の切り盛りなど出来はしない。
 やはり、民とは「目が潰れている意味」が証明されていますね。民衆は、デマに踊らされ、まともな判断ができていない良い例です。
 この、盲人に「神=主」なる、主権を与える制度とは誠にクレージーな制度であることに気付くべきです。
 黒鳩の子分30人近くへの「闇子供手当て」が発覚していますね。
 ところで、「エコツアー」という言葉が流行していますが、これは語源に照らせば「家族旅行」のことです。
 日本人は、ロゴス(言葉)を大切にすべきです。
言葉は魂であり思想である。
 マタイ伝に「はじめに言葉ありき」でしょう。
神が「この世をお作りになる」と発した言葉こそ、我々の存在を担保しているのでしょう。

 今や、永田町の「謎の鳥」は「幽霊鳥」のようですね。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月29日(Mon) 07:56

 遊楼の中で育つた幼少期の興道老師、戸板に乗せられ腹上死した遊楼の客、人間の性と悲観を感じたものであろう。
 
 世間からは宿無し興道といわれた。
毎年正月となると、奥多摩の加藤耕山老師を訪ねるのが慣わしであったと聞く。
 小生もたがわず、耕山老師を青年時代に訪ねた。
老師は「人間は苦しむ動物、悟る動物」といわれた。
 道元は「鳥飛んで鳥に似たり」という。
つまりは、人間の存在認識というものは「排列」「経歴」により、自己存在の「物語性」は、いかように「とき」に応じて「場所」に応じて改変されるものなのである。
 しかし、そこには神・仏というか、有限なる吾を超えたものに生かされている吾がいるのである。
 政治の世界でも、この本源的な「いのち」というものを踏まえなければ、躍動した人間の営みなどありはしないであろう。
 民主党の唱える民主主義とは、所詮は造花に過ぎない。
私は「いのち」の宿ってない花など興味はないのである。

*古株の梅が今年咲く。永遠に古いものが常に新しい。
その新しいと古いの交錯、ここが仏法の極意である   (澤木興道)
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月28日(Sun) 17:35

 吾が日本は何者か?
そして吾が人生は?
道元は「この(私)の迷いの人生は仏さまのおいのちである」といわれる。
 「存在」とは「似たもの」である。
「排列」や「経歴」により、共鳴や収縮もする。
 原理原則にしたがえば、韓国、中国との歴史研究など、所詮は政治的計らいの何者でもありはしない。
 そんなこともわからぬ、ドアアホウ鳥が永田町の「迷い鳥」の素性なのでしょうかね。

渥美勝さんの史観
*人生や社会の問題に心を寄せ、キリスト教、真宗、禅などを渉猟して、なお心安んぜず、深刻な思索を続けたようです。たまたま恋愛の苦悶から、心機一転するところがあり、折しも「古事記」の”みこと”の一語に触発されて従来の疑団が氷解したといいます。
“みこと”は御言であり、御事でもあり、また詔命であり、生命である。使命と言ってもよい。“みこと”は生命を使用に於いて価値づける自覚である。渥美さんの、この生命即使命という考えに、私は大いに啓発されるところがあったですね。このような生命適用の価値観を古事記の中から発掘して来たわけです。
西洋は一般に、生命を存在に於いて価値づける。生命を単に存在として考えれば、生命の安全のための食が第一条件になる。次にその安全を保障する力という条件が必要になる。更にその存在の継続のために性の問題が考えられる。このように、生命を単に存在とみる価値観に立つと、生命とは食なり、力なり、性なり、という倒錯した考えが起こって来る。ここに唯愛史観、唯物史観、唯力史観といった倒錯的世界観が必然的に生まれる。西洋歴史は要するに、この三者の葛藤の跡だというのが渥美さんの西洋史観なのです。
渥美さんがこの「みこと」を中核としたいのちの自覚に到達したのは、京大を止めて、神戸の造船所の職工として働いていた頃らしい。その頃同僚が作業中に脚気衝心で急死したのに対し、会社はこれを放置し、至極冷淡な態度を示した。渥美さんはこれを非常に憤慨して、独りで葬式まで始末してやったという。こういうところに既に温情と勇気を持つ人間渥美勝の面目が躍如としています。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月28日(Sun) 15:38

 政治とは、本来のところ「伝統」「文化」を背負った人間というものを阻却してはなりたたないものである。
 民主主義というものは、その本質として「偽り」を内含している制度なのである。
 だから、それを是正するためには、道徳や文化というものが非常に重要なのである。

*「法は、人類霊性の道義の観念にまで、手出しをするべきではない。否、力のおよぶものではない。このおよばぬ所が、霊活なる精神作用をもって補わねばらなぬ。ここがすなわち武士の道の活用どころである」と、

仁義(思いやりと正義の心)を重んじ、「誠」をつくす武士道の精神こそ“人の倫”の根本で、その精神が守られていれば法律などなくてもいいのだ、とまでいい切るのである。

 また、鉄舟には人生訓をやさしく並べた「鉄舟二十訓」という金言もあり、鉄舟がいかに武士道を倫理道徳の修養精神ととらえていたか、自戒の意味も込めて現代語訳しておこう。

『鉄舟二十訓』

一、 嘘を言うな。
二、 君の御恩を忘れるな。

三、 父母の御恩を忘れるな。

四、 師の御恩を忘れるな。

五、 人の恩を忘れるな。

六、 神仏と年長者を粗末にしてはならない。

七、 幼者を侮るな。

八、 自分の欲しないことを人に求めるな。

九、 腹を立てるのは道に合ったことではない。

十、 何事につけても人の不幸を喜んではならない。

十一、力のかぎり善くなるように努力せよ。

十二、他人のことを考えないで、自分の都合のよいことばかりしてはならない。

十三、食事のたびに農民の辛苦を思え、すべて草木土石でも粗末にしてはならない。

十四、ことさらお洒落をしたり、うわべを繕うのは、わが心に濁りあると思え。

十五、礼儀を乱してはいけない。

十六、いつ誰に対しても客人に接する心がけであれ。

十七、自分の知らないことは、誰でも師と思って教えを受けろ。

十八、学問や技芸は富や名声を得るためにするのではない。己を磨くためにあると心得よ。

十九、人にはすべて得手、不得手がある。不得手をみて一概に人を捨て、笑ってはいけない。

二十、己の善行を誇り顔に人に報せるな。我が行いはすべてが我が心に恥じぬために努力するものと思え。


Posted by: 夕焼け  at 2010年03月28日(Sun) 15:13

『礼記』という儒家の経典のなかに、ある日、孔子が郷村の祭りに参加した逸話がのこっている。
 「むかしむかし大昔、あり夏・殷・周の先賢てちも、まだ生まれなんだころのことよ。大道の行われた世があったとか。ほれ、今夜の祭りには、金持ちも貧者も、老いも若きも聡出であった。そのなかに、わしは一つの夢を垣間見たのじゃ。たとえその理想郷にあやかれずとも、わしが志すところはこれじゃ。この夢じゃよ」
 「昔、大道の行われしとき、天下は『公』となりぬ。賢者と能者を選びて、信を講じ睦を修む。人は吾が親のみを親とせず、吾が子のみを子とせず。老者は終るところあり、壮者は用いるところあり、幼き者には長つところあらしむ。やもめ・孤独・廃疾ある者も、みな養うことろあらしむ。男には職あり、女には帰ぐところあらしむ。貨は、その地に棄ておかるるものを惜しむゆえに、これを用う。されど必ずしも己には蔵せず。力はその身より出でざるを惜しむがゆえに、働く。されぞ必ずしも己のためにはせず。故に陰謀・窃盗・乱賊も起こらず、外には戸あれども閉めず。この世を『大同』と名づく」(『礼記』「礼運篇」)
 なんとこれは、開かれた公的社会のイメージなのである。そもそも「私」というのは「禾(作物)+(小さく囲む形)からなる字で、とり入れた作物を「これはわたしのだ」と囲いこんでしまうことを表している。
それに反して「公」とは「(囲む形)+(左右に開く形)」を合わせた字で、「各自が細分して囲い込むのではない、私有のワクをとり払って、がらりと開け」という意味を表している。
孔子の描いてみせた「大同」の世は、まさに「公」の社会そのものだ。

 今、民主党のしていることは、党利党略である。参議院選挙で過半数を獲得するための、私根性の囲い込みである。
 天下の公党による、私的行為に恥じない行為なのである。
 今の日本の危機は、「公」が滅して「私」の横暴がまかり通っている。
 それを率先垂範しているのが、民主党という政権政党である。
 このままでは、日本国という「公的空間」が潰れそうである。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月28日(Sun) 15:01

孔子は「狂簡」に心ひかれるのと同時に、その逆である「郷原」に対して、あらためて腹がたってきたらしい。たぶん晩年のことだろう。
「郷原だけは、わしの門に入ってはくれるな。郷原とは、人間の素直な本性(徳)を賊なうものだ」(『論語』(陽貨篇)と言い切っている。孟子は、この一節にいたく共感したとみえて、弟子の万章との間で、長い問答を展開させた。
万章「どんな人を郷原というのですか」
孟子「言と行とが一致せぬのじゃ。口先でむかしの人がどうのこうのと、分別がましく言うくせに、実際は、もじもじ、冷や冷やとして八方に色目を使う。この世に生きるからには、世にあわすまでさと心得て、本音を隠して世に媚びる者、それが郷原じゃ」
 孟子はひと息ついて、こう結んだ。
「孔子は『似て非なるものを悪む』と言っている。畑の中にのびる草をにくむのは、それが作物とまぎらわしいからじゃ。紫をきらうのは、それが朱色と紛らわしいからじゃ。郷原を悪むのは、それがいかにも徳ある者に見えるからじゃ」(『孟子』「尽心篇下」)

 さて、黒鳩よろしく「友愛」「いのち大切」は文句のつけようがない。
 
小沢ときては、マネーロンダリングよろしく、政党ロンダリングで、政党助成金なる公金を詐取する。

 孔子の提示して「狂簡」と「郷原」の問題の要諦は、吾がろくでなし人間のブルストなる本源的課題なのであろう。
 民主主義とはこのブルスト、まやかし、大嘘を内在している。
 黒鳩、夜鳩、カラス鳩・・・なるブルストは、人間を「主」に祭りあげる、ドクマを前提とする制度であることをどれだけの人間が知っているのであろうか。

 民主党政権なるブルスト集団に喝采を送る、マスコミなる楳体であり謀体である。
 これら媒体がまきちらすデマにより踊らされる、デモスなる民である。
 デモスに主権なる「主=神」と人間礼賛、神を冒涜する人間どもの悪逆非道の枠組みが民主主義というものである。
 永田町の「謎の鳥」の正体は、間違いなく日本の「ガン」なのであろう。
 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月28日(Sun) 12:26

我生何処来 大愚 良寛

我生何処来  去而何処之
独坐蓬&#31419;下  兀々静尋思
尋思不知始  焉能知其終
現在亦傷然  展転総是空
空中且有我  況有是与非
不知容些子  随縁且従容

*わがこの生はどこから来たのか、どこへ行くのか、誰も知らない。只一人、貧しい家の&#31419;の下に坐っている。山の如く動かず、静かに考えをめぐらす、どんなに考えた って、始まりが分からないのだ。前生、前々生など、いくら考えても分かるわけがない。始が分からんのだから、終りが分かるわけがない。まるっきり何も分からないのだ。
かくのごとく、くり返しくり返ししている人生、それはみんな空である。とりとめない話である。そのとりとめのない中に、しばらくこの私という人間が生きている。
そんなら、 良いも悪いもない。いささかも考えを入れる余地がない。どこをどう考えようにも考えどころがないのだ。こうなったら仕方がない。ご縁のままに、しばらく生かして頂こう。

良寛は桃の花が好きであった。中之口川の辺で、桃の花をこよなくめでたことであろう。
漢詩「法華賛」「法華転」を残している。
「藝」の意味は、果てしなく雑草を摘み取る行為である。そして摘み取った草の臭いを嗅ぐことでもある。
政治こそ、率先垂範して「国民に藝術という不断のただならぬ道」を啓蒙することが必要であろう。
国民の平等など説くよりも、限りある人生を精一杯に生きる「デティル」つまりそれぞれの風景が重要なのである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 22:16

 民主主義の「民」という字は、目を鋭い針でつきさして見えなくさせた姿を描いた字である。のち「目+民」を合わせて眠(目が見えない→ねむたい状態)と書くが、この眼(見えない)ということばのなかに、「民」のもとの意味がよく保存されている。

 また「主権」とは絶対的権利のことを意味する。
つまり、目が見えない人間に絶対的な権利を与えることである。
 母のお腹から「おぎゃあ」と泣いて、僅か20年世間様の手助けで大きくなつたろくでなし「ぼつちゃん」「おじょうちゃん」を「神さま」に仕立てあげる、そのような政治制度を戦後の日本人は米国から有り難く頂いたものである。

 つまり、民主主義というものは、民衆主義のことであり、我ら「ろくでなし」を「神さま」のごとく差配することを許すことである。
 それまでは、政治というものは、『五箇条の御誓文』が意図しているように、国からを保存し、その国の民による、つまり国民が、歴史や文化を踏まえて行うものが政治であると、国民は了解していたのである。
 国がらの保全、「マニフェスト」というような個別課題ではない、「垂統性」や「保業守成」なる、伝統や文化の継承性が担保されているかが、政治家を選ぶ判断材料であった。

 つまり、政治の選択とは、国柄の保存であったはずである。
 間接民主主義においては、政治に取り組む「心構え」や人間の「基本姿勢」が政治家の選択基準である筈である。
 マニフェストは、政策の提示であり、直接民主主義に依拠する制度であろう。
 民には「デマ」がかならず付きまとう。
民衆政治とは、国柄や歴史や文化と遮断される自明の構造を含んでいる。
 「外国人参政権」「夫婦別性」「子供手当て」「高校無償化」「人権擁護法案」・・・はその事例である。

 民主党政治とは、国柄を担保しない根無し草政治である。
国民の良識に照らせば、解るはずであるが、今や、国家の外枠が不鮮明となり、国民の境界も意識的に破壊を推進しようとしている。
 民主党は外国人である「民団」の選挙協力と引換えに、「外国人地方参政権」を付与する約束をしていた。

 参議院選挙で民主党に過半数を与えれば、国体の破壊が怒涛のごとく押し寄せ、民衆政治が猛威を振るうこととなる。

 
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 16:59

 「君子はもとより窮す。小人は、窮すればすなわち濫す」(『論語』「衛霊公篇」)と。困窮は君子たるものの本分じゃ。だが、君子はワクをこえてむちゃなことはせぬものよ。お前(小沢・鳩)のような小人は、困窮すれば、何をやらかすことやらと!
だがひの数日後、楚へ行くのを断念して引換えす途中、ふしぎな男が歌を口ずさんで、孔子の車の横を通っていった。
「鳳や鳳や、なんぞ徳の衰えたる。
往くものは諫むべからず、
来るものは、なお追うべし。
やみなん、やみなん、
いまの政に従う者は、あやうし」

孔子は、はっとして車をおり、あとを追ったが、男は風のように消えてしまつた。「あれは誰じゃ」「楚の狂人、かごかきの接輿でござるよ」と、道ばたの商人が教えてくれた。自負心の強い孔子を「鳳」にたとえて、「いや、孔子とやらも、うらぶれたものよ。いまはもう、政治からは、手を引きなされ」と風刺したのであった。
 自称「楚の狂人」の残したことばは、いまいましいのだが、何か心につきささる。ふと嘆息が孔子の口からもれた。
「鳥獣はともに群すべからず。われ、この人びとと共に生きずして、誰とか共にせんや」(『論語』「微子篇」)
わしは奴の言うような世捨て人とはなれない、ぜったいに。だが、だが・・・・そこでまた、楚の狂人のことばがよみがえつてつきまとう。
 それは孔子六十七歳の年の瀬、どうやら持前の「驕気」を去るときが来たようであった。

 黒鳩くん、小沢のヌスミ鳥くんは、孔子のようにはいかず、ゴタムの賢人よろしく、本当はアホウ鳥なのでしょう。

 渡り鳥は、インフルエンザも麦の運ぶ、「麦」「来」は同じ語源を持つ漢字である。

 禍しかもたらさない、『謎の鳥』は、クバリ鳥、モライ鳥、オドシ鳥、タカリ鳥、
タダ・タダ、タダ・タダ、乞食鳥 という、日本固有種のチャボである。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 16:06

子ども手当ては、クバリ鳥。高校無償化、モライ鳥。
資金疑惑は、オドシ鳥。参政権は、タカリ鳥。
タダ・タダ、タダ・タダ、乞食鳥 政権ですな。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 15:23

「五色は、人の目を盲ならしめ、五音は人の耳を聾ならしめ、五味は人の口をして味ならしむ。早馬と狩り(いまならばクルマとレジャー)は、人の心をして発狂せしむ。得がたき貨は、人をして妨(禁じられた行為)を行なわしむ」
と老子し鋭く予言した。
 今から二千六百年前、古代文明の熟しきつた時に、「反文明」のノロシをあげたのが老子である。その状況は、なんと今によく似ていることだろう。競争があるゆえに、勝がため金権選挙がまかりとおる。土と海に生きる素朴な日本人は、もはや数少ないざまとなつた。
 語り終わった夜、老子の夢に「桃の花さく里」がほんのりと現れた。林の間に点々と炊煙がけむり、ニワトリや犬の声がものうげに流れてくる。清い小川、そよ吹く風・・・・。 
 「めんどうをかけたわい。おさらばじゃ」
「その終るところを知るものなし」(『史記』「老荘申韓列伝」)と司馬遷は述べている。

 戦前の思想家 渥美勝さん
『富士を追い海原見ゆる裾野あたり、牛追うたつき夜々夢に入る』
遺言と同時にきかされたものですが、静かな天地自然に抱かれて働く農民のあの平和な生活こそ、渥美さんの究極の希いであったのかも知れません。

 民主主義とは、我々凡人に主権という絶対的権力を与えるという仕組みであります。
 本来、政治といものは自明的にその国の歴史的文化的基盤に立つものであります。
 本来は民主主義の基盤は、民衆に拠所を置くのではなく、歴史と伝統を踏まえた「国民」でなければならない。
 民衆にはデマ(扇動)がつきものである。
「子供手当て」・・・は、デマによりもたらされたものであろう。
 民主党が民衆政治の原理原則を知っていれば、議会を大切にし少数の正当な意見に耳を傾けるであろう。
 小沢独裁、民主の全体主義が正当化されるのは、大衆という愚を絶対化する、愚の権利の絶対化であろう。

 その意味から、永田町の『謎の鳥』なるものは、少数者の国民の理性にもとづく発進であろう。

 ギリシャ文明が滅亡した原因は「民主政治」に原因があったのである。
 衆遇政治を考察したのがプラトンであり、ここから政治学が始まるのである。
 中国は政治の基本に「孟子」を置いている。
プラトンは「哲人」を良しとしている。

 民主党の政治は衆遇政治である。
日本の民主主義が日本国を滅ぼしていることを、国民は理解すべきであろう。
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 13:13

迷い鳥は飛べないとり、ニワトリでは無いでしょうか?
夕暮れに追いかけると、フク、つまり頭を藪の中にいれて見えなくなる。
脱税やリベートの詐取で、知らぬ存ぜぬと、「見なかったことはなかった事」とフクのである。

自分はハトというけどね、コトリでは! つまり大鳥の志はわかるまい。
「燕雀(小鳥)いずくんぞ鴻鵠(大鳥)の志を知らんや」である。

官邸のお住いの夫婦は「オシドリ」でしょうか、メスは「ツバメ」を呼び込み「シチメンチョウ」の振る舞いをする。
オスはシチメンチョウサマを詰問されて、オウム返しにブザマに答える。

部下にはヨバトがおりヨバイは得意、ハマグリ大好きの鑓の名人である。
ホステストリを呼び込み、煙突掃除を欠かさず6年続ける元気者である。
永田町の謎の鳥は、イカサマ鳥の集合体である。
 小沢の秘書は、歌を忘れたカナリヤ鳥である。

ついでにもう一つ、北教組の問題、鉢呂なる民主議員の政治資金の虚偽記載があつた。
北教祖OBの献金が振り込みが出来ない休日の日付で1200万で一括記載されていた。
小生の知るところでは、これは北教組OBの名義貸である。
実質は北教組からの違法な献金であろう。
こんなことは、不正のイロハである。
鉢呂は政治資金収支報告書を訂正するというが、民主党=日教組である。
他の鳥の巣に卵を産み育てさせる、「カッコー」とそっくりである。
民主党への献金、政治活動を隠す日教組=民主党は「カツコー」である。

教育を餌食とするのは「タカ」である。

謎の鳥は、国民の財産を食い尽くす、「ハゲタカ」というトリである。

普天間移設はマヨイ鳥、郵政改革はアホウ鳥、メスハトの遊興はクジャク鳥、ハトのオツムはKY鳥、小沢の御宿はカラス鳥、国民の財布のオアシはヤバイ鳥、民主の巣窟は売国鳥・・
Posted by: 夕焼け  at 2010年03月27日(Sat) 11:48

日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。

中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
アフリカから見れば「フラミンゴ」に見える。
ロシアから見れば「白鳥」に見える。
日本の有権者には「白サギ」か「五位(語彙)サギ」かと疑われている。

日本の有権者には「サギ」だと思われている。

オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが、
お「フクロウ」さんに、「タカ」っているらしい。

それでいて、約束したら「ウソ」に見え、
身体検査をしたら「カラス」のようにまっ黒、

疑惑には口を「ツグミ」、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
実際は「ヌエ(鵺)」のようだ。

頭の中身は「シジュウガラ」、
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。

「キジ」にもなる「トキ」の人だが、
私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。

Posted by: 松井三郎  at 2010年03月25日(Thu) 16:52

前回と同様、笑いながら読みました。

日本語だからこそ通用する語呂合わせ。

 この翻訳でも依頼されたらどうしたら良いのでしょうか。
 色々 考えさせられるメッセージですね。
 
Posted by: アルーダ・竹田祐子  at 2010年03月24日(Wed) 21:18