カンボジア生活情報誌「ニョニュム」 [2009年10月09日(Fri)]
![]() カンボジアと日本の懸け橋「ニョニュム」 カンボジア生活情報誌「ニョニュム」 「ニョニュム Nyo Nyum」は、日本語で微笑みの意。2003年創刊、56ページの立派な雑誌であるが無料で配布されている。 責任者は日本人の山崎幸恵さんである。彼女は15年前に青年海外協力隊の一員としてカンボジアに赴任したが、病気のため思いを達せずに帰国。しかし、カンボジアと日本の懸け橋たらんとの熱情は押さえ難く、当時のラナリット副首相にプノンペン大学への私費留学を直訴、許可され無事卒業。カンボジア訪問時は、いつも彼女の流暢なクメール語の通訳のお世話になっている。 「通訳での稼ぎは、ニョニュム出版のたらずまいに使っている」と屈託なく笑う。ニョニュムをカンボジアの若い人材が能力を生かす『場』に成長させ、自分の国に誇りをもって情報発信する青年を育てたいと夢を語る。 木村文さんが山崎幸恵さんとともに現れ、私を驚かせた。 木村さんは朝日新聞社のマニラ支局長としてクリオン島のハンセン病患者移送100周年記念式典や、日本財団が支援している平和大学の取材にも協力して下さった。なんと、山崎さんと意気投合して朝日新聞を退社。若者の指導に汗を流しているという。 「両親に猛反対されました」 「それはそうでしょう。給料だって、何分の一に減ったことでしょう」 「でも人生は生き甲斐。今は充実しているの」 さりげない会話の中に深く考えさせられるものがあった。 名誉も地位も収入も捨てて途上国で活躍している人々に会うたびに、何かお手伝いをしたいと思う。こういう方々の努力により日本が「好感度世界一」の評価を得ていることを忘れてはいけない。 かつて、民間レベルでイスラエルとパレスチナ紛争解決のための交渉のテーブルをと、ハベル元チェコ大統領、ヨルダンのハッサン王子などと、両国仲介の会議を開いたことがある。 ハッサン王子は『笹川平和財団』を単に『笹川財団』と紹介した。 「正しくは『笹川平和財団』ですよ」と訂正を求めると、 「よくわかっています。ただ、中東では『平和』の言葉は禁句です。彼らは何百回、何千回とこの言葉に騙されてきたのです。ですからあえて『平和』をはずして貴男を紹介したのです」 世界各地の紛争地の現状は過酷で、平和な日本では想像もつかない。明日の食べ物が手に入らない絶対貧困の中での病魔との闘いは、日常的に『死との闘い』でもある。 世界一安全で平和な日本において、ただ「平和、平和」と「生活者保護」を叫ぶ政治家を、たとえ一ヶ月でも、マラリヤや眠り病、骨髄膜炎、ブルリーアルサーのような深刻な病気のある紛争地帯に案内したいものだ。 ついつい愚痴っぽくなってしまった。 山崎さんの夢は幻のクメール焼の再興にあるという。益子焼の専門家の協力を得て実現に向けて動きはじめ、日本財団も少々の支援をさせていただいている。 ![]() 大きな夢を持ちカンボジアで活動する山崎さん(右) 実は私は、この成功によって山崎さんに大金持ちになってもらいたいと密かに願っている。山崎さんにそんな気は毛頭ないだろうが、金があって困ることはない。カンボジアを背負う若者の人材育成のためには、彼女のような熱い情熱と多少の資金も必要だ。 金を儲けることが人生の目的と錯覚している人があまりにも多い。金は人生の目的を達成するための手段として必要なのだ。 山崎さん、事業に成功して金持ちになって下さい。 カンボジアの若者のために!! |