ミャンマー関係 [2009年09月16日(Wed)]
右にフン・セン首相、左に筆者(2009年9月) 「フン・セン首相との会談」その2 〜ミャンマー関係〜 日本にとってミャンマーは重要な国である。両国の友好関係確立のため1999年、初めて橋本龍太郎元首相に同行いただいたが、この時はアメリカから反対の圧力もあった。 2度目に森喜朗元首相に訪問してもらったときは、タン・シュエ国家元首と3時間半にわたり懇談、夕食も含め歓迎してもらった。 これで日本とミャンマーの関係修復が軌道に乗ると確信したが、1週間後にアウン・サン・スーチー女史の再度の拘束事件が発生し、残念なことに日本側の対応が元に戻ってしまった。以来、日本とミャンマーの関係は必ずしも順調ではない。 【笹川】 今年の2月20日のインターナショナル・ヘラルドトリビューン紙にStanley Weissがミャンマーを訪問した記事が掲載された。この中でStanleyは、このまま米国が圧力をかけ続けても、ミャンマーを中国の側に押しやるだけで効果はない。 その意味で、対話を初めから除外するようなことはしないというヒラリー国務長官の態度を歓迎し、あとは国連やNGOを通じた人道支援を強化して、ミャンマーの人々との人的なつながりを強化することが望ましい、と論じている。 全く同感である。ミャンマーの政策については、表には出ていないが、日米間に一貫して政策の違和感が存在している。 その根源は第二次世界大戦以来続くミャンマーと日本の親近感に由来しているが、米国の原理主義的人権論者が唱えるダブルスタンダード(中国の一党独裁、人権無視、少数民族弾圧に甘く、ミャンマーに厳しい)、さらには中国の影響力拡大に対する米国の無神経さに多くの日本人は釈然としていない感じを持っている。 ところで、アメリカのウェブ上院議員がミャンマー訪問の直後に閣下を訪れたのは閣下の指導力を評価しているからであり、お話しできる範囲でウェブさんとの話の内容をお聞かせ願いたい。 【フン・セン首相】 日本とカンボジア、日本とASEAN、日本とメコン開発などは既に話した。貴男のいまの発言で日本とミャンマーとの新しい関係が始まるのではないかと思う。オバマ大統領の政策は処罰を与えたからといって得られるものはないという発想からなっている。 今回のウェブのミャンマー訪問は大きな成果である。タン・シュエ国家元首に会い、スーチーに会い、米国人も解放された。ウェブからはミャンマーの諸問題解決にはフン・センこそ適任と言われた。 ついこの前も英首相から同様の内容の手紙をもらった。仏のサルコジ大統領の発言、豪大使からの手紙も是非この問題に対応するようにとの内容だった。 しかし、今はチャンスでない。なぜなら米国、欧州諸国とミャンマーの意見が一致していないからだ。またミャンマーを処罰しようとするアメリカの対応も消えていない。 私はウェブとの会談で2つの提案をした。一つでも実現できれば大きな意味がある。1つは2010年のミャンマーの選挙までに、我々ができる限りのことをミャンマーに働きかけ、スーチーを解放して彼女が選挙に立候補できるようにすることである。 このような結果が得られれば嬉しいが、ことはそう簡単ではない。ミャンマーの憲法では、スーチーのような外国生まれの人間には立候補の資格がない。 2点目はたとえスーチーが立候補できなくても、スーチーの政党が堂々と選挙に出られるようにすることだ。スーチーの政党の第一目標は勝ってスーチーを釈放することだろうが、それはタクシンの党がタクシンをタイに帰すことができるようにするのと同じくらい難しいかもしれない。 先ずは政党が選挙に出て国民の信頼を得ることが大切で、大きい目標に向かってゆっくり結果を求めるべきである。日本は鳩山が首相になったら、ミャンマー問題に関与する非常に良いタイミングである。米政府もミャンマー対策の見直しをするだろう。日本がミャンマーのテン・セイン首相との会談を実現するのは難しいことではない。 笹川さん、どうかひとつ忘れないでほしい。軍人はフン・センを含めて頭が固いということを。もう一つ、今年はたまたまメコンイヤーで日本もASEANと協力体制の強化がしやすい。 私が政権をとった当初、ベトナムとソ連だけがフン・センを認めた。カンボジアは貧しかった。しかし、私は姿勢を変えなかった。国際社会が圧力をかけても意味がない。ミャンマーは自身で生き延びる資源を持っている。中国、インドもミャンマーとの経済取引は活発である。フランスもしかり。 結局外でワーワー、ミャンマーはけしからんと言っている国は、みな密かに取引を行い利益を得ている。日本はどうするの? |