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政治主導で「日本人」認定 [2009年09月05日(Sat)]

一時帰国した日系2世の安谷屋兄妹(右から2・3人目)とその親類(2009年6月・沖縄)


[論点]政治主導で「日本人」認定
フィリピンの日系残留2世

2009年8月26日
東京読売新聞 朝刊


◆フィリピンの日系残留2世

戦中・戦後の混乱で、父親の身元が分からず無国籍のままフィリピンに取り残された日系残留2世たちが、日本国籍の取得を目指していた「就籍」の申し立て6件が今年、東京家庭裁判所で相次いで却下された。このうち2件はその後、東京高裁の抗告審で認められたが、戦後60年余りを経て司法が求める手掛かりを新たに発掘することは難しい。

日本人の証しを求める彼らの願いをかなえるには、中国残留孤児と同じように日比両国の政府が2世を「日本人」と認め合うことで政治決着を図るしかない。残留2世は既に老境にある。政府の速やかな決断を求める。

日本の海外移民は1924年に施行された米国の「排日移民法」で、フィリピンと南洋諸島が移民先の中心となった。フィリピンには最盛期3万人の日本人が住み、ミンダナオ島の港町ダバオには東南アジア最大の2万人を超す日本人町も形成された。フィリピン残留2世は95、97両年の外務省の実態調査で約2900人の存在が初めて確認され、約2000人が父親の身元が判明し日本国籍を取得した。しかし、その他の人々は今も身元が分からないままだ。

当時は日比双方とも国籍法で父系主義を採っており、残留2世が「日本人」であることに議論の余地はない。しかし身元が分からない以上、国籍を取得するには裁判所の許可を得て新たに戸籍を作る就籍手続きしかない。手掛かりが乏しく、申立件数は107件で、認められたのは抗告審の2人を含め32人にとどまる。無国籍のまま故人となった2世も三、四百人に上る。

背景には、戦中・戦後の混乱で現地の領事館に届けられた2世の出生届が日本に届かなかったり、父親の強制送還で現地に取り残された妻子がゲリラの攻撃から逃げまどううち、夫、父との関係を裏付ける婚姻届や出生届を捨てざるを得なかった悲劇がある。

実態調査の実施まで終戦から半世紀もの空白があるのは、日系人を名乗れない厳しい状況が続いたことを示している。

日本財団では、中国残留孤児に続き、残留2世についてもNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」と協力して国籍取得を支援し、前者は日中両国政府が孤児名簿を作成し日本人と認め合うことで就籍を促進し、既に1250人が日本国籍を取得した。厚生労働省には、国の政策として両親が旧満州に渡った中国残留孤児と、父親が職を求めてフィリピンに渡り、現地女性との間に生まれた残留2世は別、とする空気が強いと聞く。だが、ともに日本人であり戦争の犠牲者であることに変わりはない。

フィリピン政府は、すでに2人以上の証言があれば改めて婚姻届や出生届を発行する遅延登録制度をスタートさせ、抗告審の2人もこれが決め手となって就籍が認められた。日本政府が決断すれば、中国残留孤児と同様の「残留2世名簿」も作成できるはずだ。それによって2世の就籍の扉は大きく開き、日本人の証しを得ることなく故人となった残留2世の名誉回復も可能になる。

自分の名を漢字で書き、今も日本の歌を歌う2世をこれ以上、泣かすのは許されない。国の名で行った戦争の犠牲は、国の名で償わねばならない。
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初めてお便りします。
会長の目を通して語られる海外情報をいつも楽しみに拝見しています。広い世界にはいろんな種族、いろんな宗教、いろんな道徳を持って生きている人たちが、同じ21世紀の空気を吸っているということが、会長のお話でよく分かります。会長の基本が理解し合いましょうなので、どのお話も普遍性を感ぜられることが出来、とても勉強になります。日本財団のことは、以前曽野綾子さんのお話で知りました。いろんな町で車を見かけ、そのたび人の善意を信じようという気になり、うれしく温かい気になります。詩吟の方がアジアでの笹川良一さんの評価をお話しになっているサイトも見たことがあり、とても感銘を受けたものでした。歴史の底流のほうで、この意義深い試みが世界平和に貢献を続けてゆき、人類の精神世界の向上に役立っていることを確信します。どうか困難でしょうが、今後もこの活動をお続け戴きますように。ご健康をお祈りします。
Posted by: 小谷 貞子(匿名希望)  at 2009年09月07日(Mon) 09:33