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「フジモリ大統領亡命秘話」その2 [2008年12月12日(Fri)]


日本財団には度々、来会


「フジモリ大統領亡命秘話」その2


マンションに落ち着かれてからは、要件のあるときのみ、電話や財団に見える程度になった。

「結婚したいので適当な女性を紹介して欲しい」といわれ、あちこちの知人に声を掛け、女性の釣書をもらったり実際紹介もしたが、上手くはいかなかった。

日本語は急速に上達した。生活のためもあったのか「大学で講義をしたいので、大学を紹介して欲しい」との依頼も受けた。

いつの間にか運転免許証を取得し、行動範囲が拡大してからは、財団には2〜3ヶ月に一度顔を出す程度になった。

2004年、「7月の参議院議員に立候補したいと思うが、どうだろうか」との相談があった。私は「ペルー国民のため、絶対に駄目です」と率直に答えると「そうだろうなぁ」という顔付きで話題を変えた。

ちょくちょく財団においでになるようになったのは2005年の9月頃からと記憶している。多い時は週に2〜3度財団を訪れ、毎回、ペルーでのフジモリ・コールと支持率が急速に上昇していることを報告してくれた。2006年4月の大統領選出馬を決意し、日本からペルーの支持者に激を飛ばしていたようである。

難関は帰国方法であった。トレド大統領はさまざまな問題でフジモリ氏を刑事訴追しており、国際刑事警察機構(インターポール)に手配していた。アメリカ経由の帰国は絶対無理で、他の何通りもの帰国ルートを模索した。

しかし不思議なことに、大統領の心の中にある目的地はチリであった。なぜチリなのかたずねると「チリとは良好な関係にあり、チリに入国できればペルーに帰国したことと同じである」と力説されるので、それ以上のことは考えず、チリ入国へのあらゆるルートを検討し、最善のルートをメモで渡したところ、ニコッと笑ってポケットに入れた。

フジモリ氏は「2006年1月に決定される大統領立候補者の資格審査委員5名が、大統領に立候補できるか否かの決定権を持っている。その内2名は確実にフジモリ支持。残り3名の内1名の賛意を取るのはそれほど難しくない」と、慎重な性格の中にラテン系の楽観的見方が入ってくる。

一番安全な方法は、投票日まで日本に滞在し、当選決定後に凱旋帰国。これならインターポールも手出しは出来ない。しかし、ペルーでのフジモリ・コールの熱狂が審査委員会の過半数を決定付ける可能性もあるので、クリスマス前後の帰国の可能性も捨て難い。

私の結論は、インターポールに拘束されては計画は無に帰するので、フジモリ氏には年を越して審査委員会決定後の帰国を勧めていた。

ところが11月7日、中国出張から帰国したところ、留守中突然フジモリ氏が「笹川さんにお世話になりました」とワイン1本を届けに来たとの報告を受けた。

彼がどのような手段と方法でチャーター機を利用できたのか、全く不明であるが、メキシコ経由でチリに到着。拘束されたのは2005年11月7日である。

今回、3年振りに会ったことになる。
なぜ、あの時期に帰国したのか。質問することは多々あったが、所詮終わった話でもあり、雑談に終始し、お互い、軽く手を上げて別れた。

フジモリ氏の大統領への再復帰は絶望となった。

当時の大統領・ガルシアは、フジモリ政権前の1990年には一年間で7650%という驚くべきハイパー・インフレにより国家財政の破綻を招き、国外逃亡した。フジモリ氏は大統領に就任するや、見事にインフレの解消と猖獗を極めたゲリラ組織「センデロ・ルミノソ(輝ける道)」の潰滅に成功。国家財政の建て直しと治安の安定によって大統領としての名声を高めた。

現在のガルシア大統領は、海外逃亡をしていたそのガルシアである。表面上は公平な裁判をと、週三回、法廷はテレビを通して公開されているが、13人の国会議員を擁するフジモリ派の恩赦による釈放要請には応じていない。再選をめざすガルシア大統領にとって、政敵フジモリ氏をみすみす野に放すことはしないだろう。

日本の読者には、裁判は公平・公正・厳粛なものとの認識をお持ちであろう。しかし、途上国においての裁判は、大いに政治的配慮が作用するものであり、3年後の2011年、次期大統領選挙までの結審はあり得ないだろうし、万一結審の場合は、有罪にならざるを得ないであろう。

2011年の選挙にフジモリ氏が立候補することは不可能であり、既にケイコ・フジモリの擁立が確定的である。ガルシア再選を支持し、ケイコの立候補中止を約束するという取引の可能性はあるが、フジモリ氏は性格上絶対に取引には応ぜず、ケイコで大統領選を戦い、勝利の上、恩赦を獲得する作戦である。

したがって、フジモリ氏は3年後の2011年まで釈放の可能性はないことになる。以上のことから12月3日のブログで掲載した通り、現在のフジモリ氏は「諦観の心境」であると書いた次第である。

−おわり―
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コメント
たいへん興味深く、またおもしろい記事でした。世界中におられる日系人をニュートラルに支援し、むすびつけるようなネットワークをつくれないものでしょうか。
Posted by: 平野克己  at 2008年12月12日(Fri) 10:17