「遺言セミナー」
―人生の締めくくりに遺言書の作成を―
日本財団は本人が亡くなられた後も平和で幸せな家庭を続けていただきたいと願い、全国で遺言書の作成セミナーを展開しています。先日横浜でセミナーを開催し、冒頭挨拶を致しました。
*******************
私がなぜこの遺言書の運動を始めたかと申しますと、私も多くの友人知人がおり、そのご本人がご健在の時には、大変穏やかで幸せなご家庭であったのに、ご主人様やお母様が亡くなられた途端に、家族の中で争いが始まってしまうというケースをたくさん見てきたからです。そういうことで、やはりご本人様が亡くなられた後も、お元気な時と同じように残された家族が穏やかな生活を続けていくためには、しっかりとお気持ちを遺言書という形で書き残しておいていただくことが、残された家族が平和に過ごす方法だと思います。
中には、私の知っている人でも、20年以上も裁判で争っているという方もいらっしゃいました。例えば、亡くなられた途端に、葬儀の時の写真をどれにするかで、もうアルバムをひっくり返して、あれだこれだと言い合いになります。大概、女性と男性で選ぶ写真が違い、悲しみの中で感情も高ぶっておりますから、そういう写真一つからいさかいが始まり、もちろん残された財産をどうすべきかで争いになって、中には裁判沙汰にまでなっています。兄弟が口をきかないどころか絶交状態で、会うのは裁判所だけ、なんていうケースもありました。やはり残された家族のために、きちっと書き置くというのは、外国では当然のこととされておりますが、日本ではまだまだ普及しておりません。ですので私は全国を回って、遺言書をきちっと残しましょうという運動をさせていただいているわけです。
私自身も87歳にもなりました。今から81年前、私が6歳の時、1945年3月9日、10日の夜にアメリカによる大空襲がありました。まだ私は6歳でしたけれども、母親が高熱で寝ておりまして、たまたま家には母親と私の2人だけでした。空襲警報が鳴り、防空頭巾をかぶって、水筒をかけて、そしてお米を一升、背中に背負い逃げました。私は浅草の雷門の近くに住んでおりました。第一次避難所は菊屋橋郵便局で、今もありますし覚えておりますが、油の爆弾でしたから木造の家屋を全部焼き尽くし、火災が起こると非常に強い風が吹いて、立ってもいられないような状態の中で、雨あられと焼夷弾が降ってくる。我々の町内会はみんな、第一次避難所の郵便局が危ないから次の場所へ、ということで、隅田川に第二避難所として逃げましたが、私自身はどういうわけか水が怖くて、行くのが嫌だということで、座り込んでしまいました。町会長さんがいろいろ説得してくださったんですが、私は何としても嫌だということで、結局、「じゃあ明日の朝また会いましょう」ということで、地面に私が座り込んでいるところで、皆さん手を振ってくださった。その笑顔が、80年以上経っても、時々夢の中に出てきます。
雨あられと降ってくる焼夷弾で、行き交う人はみんな背中に火がつきました。焼夷弾が落ちるとポーンという音がするのですが、バーッとはね返ると火がついて、生きているまま焼き殺される悲鳴も、時々まだ、80年も過ぎて夢に出てきます。幸い道路の隅の方を逃げていたものですから、ことなきを得て奇跡的に助かりました。町内会の多くの人が亡くなりました。たった2時間半で10万8,000人が殺され、数十万戸の家が焼けるという悲惨な、いわばホロコーストを生き抜いてきたわけです。そういう幼児体験が、この日本財団というところに勤め人道活動をさせていただくきっかけになりました。
世の中には、なかなか目に触れにくい困難な生活をされている方も、実はたくさんいらっしゃいます。例えば先般私は新聞を見て「これはすぐ応援しなきゃいけない」と言ったのは、私の知人も先般子どもがたった7歳で小児がんで亡くなり本当に家族が悲嘆に暮れていましたが、そういう小児がんの子ども、難病の子どもたちの支援も、日本財団の一つの柱でもあります。かつては目の不自由な人たちの支援として盲導犬をたくさん育成した経験もありますが、その犬を小児がんの子どものベッドのそばに置いてあげると、本当にその犬を可愛がって、寂しさを紛らわすのです。けれども、なかなか寄付者がいない。寄付が足らないということで活動がうまくいかないということがあり、昨日は電話をしましてそういう犬をたくさん養成してくださいとお願いしました。
複雑な社会になってまいりましたので、国でも行政でもできないような問題が数多く存在いたします。特に日本財団は未来を背負う子どもたちのための活動をしておりますが、小学生100人のうち34人の子どもが傷ついてるのです。日本財団の「18歳の意識調査」にも出てきますが、100人のうち34人の子どもが、何らかのハンデキャップを背負っている。もちろん、ひとり親で、お母さんが夜のお勤めだから夕ご飯はもう一人で食べなければいけない、朝はお母さんが寝てるのでその間に学校へ行き、帰ってくると家ですることがないからスマホを見ながら過ごして、カレーライスが食べられない、そういう子もいました。また別の子は500円玉一つもらって生活をしてましたから、焼きそばばっかり食べていたので栄養も不良状況ということもありました。
そういう子どもたちのために、第三の居場所という、学校でもない、家庭でもない場所で、素敵な施設を建てました。そこで食事もできれば、宿題も教えてくださるというような施設を作っております。あるいは不登校の子どもたちもたくさんいますし、様々な病気を抱えている子、あるいは両親が病気で、ヤングケアラーといって、お母さんやお父さんのお世話をするために学校に行けない子もいます。実は私もヤングケアラーを経験してきました。私は母親が病弱でしたので、小学校4年から薪を燃やしてご飯を作ることをちゃんと覚えました。皆さんなら「竈(かまど)」という言葉もご存知かと思いますが、竈に薪をくべてご飯を作ったり、料理をするということをしてまいりました。そんな経験もありますから、何か世の中のためになることをしたいということで、この財団に勤めさせていただいております。しかし本当に様々な困難な生活をされている方がたくさんいらっしゃるのが現状です。
しかし、大変ありがたいことに世界で日本だけかもしれませんが、日本には「利他の心」があります。外国では宗教心に基づいて教会に寄付をしたり、お寺に寄付をするという習慣はありますが、一般の社会に対して寄付をするというのはあまりありません。日本は昔から「利他の心」といって、自分がまあまあ生活をしているのは社会の一員として生活しているんだから、何かやっぱり社会のためにも奉仕をしたいという、日本人の持っている美徳があります。2年前の能登の地震の時には、日本財団になんと17万人の方からご寄付をいただきました。沢山の若い方々が300円とか500円を、テレビの放映を見て「自分は何もできないけども、何か人様の役に立ちたい」ということで、ご寄付をしてくださるわけです。大阪には八百八橋といいまして、800を超える橋がありますが、その9割近くは個人の寄付でできた橋だと、かつてアサヒビールの社長を勤められた樋口さんから聞いたことがあります。世界で日本だけが、宗教心に基づかない「利他の心」、すなわち社会の一員として生活してきたんだから社会にも一部還元をしなければいけないな、という気持ちを持っている方々が多く暮らしているのです。
しかし、そこで問題が一つあります。それは、そういう方々のお気持ちを十二分に理解しないで、お金だけ寄付していただいて、何に使ったかの説明もなければ、いくらお金が集まったという説明もない団体も正直沢山あるということです。例えば新聞社だとか放送局が災害のときに募金活動されますよ。しかし一体いくら集まって何に使ったかっていう説明は、聞いたことがありません。寄付者に対して大変失礼なことですし、その一方でメディアの人は「日本には寄付の文化がない」と偉そうなことを言います。そうではありません。寄付をいただいた側に責任があるのです。私は自慢ではありませんが、朝6時半から仕事をしております。6時半から何をしているか。お礼状書きです。1万円以上いただいた方には必ずお礼状を書く、これは当然なことだと私は思っていますが、なかなかそういうことはされません。いただいたお金はお預かりしたお金ですから、私たちが使うのではなく、それぞれの寄付者のご希望に沿ったところに使わせていただくわけです。つまり一時預かりをしているわけですから、それをどのようなものに使ったということは、きちんと説明する責任があります。
この前、トンガで海底地震がありました。多くのメディアもお金を集めました。一体どこに行ったか、一切発表はありません。日本財団は決して現金では渡しません。というのは、現金は関係者の懐に入ってしまう可能性が高いからです。ですからトンガの場合には、我々は品物で渡すために首相にも会いました。そして担当者が3回も現地に足を運び「何が住民のためになるか」を確認し、最終的には、村人が集まるコミュニティホール、そして災害によって漁師が船を失ったので、小さな船を30隻作ってほしい、ということが確認されました。結局、寄付者に対する説明責任を果たすのに3年半かかりました。しかしトンガに行ってみると、あれだけ日本中でお金を集めたのに、何か建物が建ったのかいまいちわからない、というのが現状です。従いまして、私たちはお預かりしたお金というものが、いかにきちっと寄付者の気持ちを汲んで使用されることは勿論、説明責任と透明性を持って、しかも人件費には使用しないということが大事であると思っています。日本財団は間接経費には一切使わないということを徹底しています。
先ほど申し上げましたように、穏やかな生活を後々までご家族の皆さんができるように、遺言書だけはぜひともお書きをいただき、もしお気持ちがあって、社会のためにも使ってほしいというお気持ちがありましたら、遺贈という形で使わせていただきます。日本財団には現在400通を超える遺贈寄付の書類をお預かりさせていただいています。最近、「遺贈」という言葉が様々な広告にも出るようになりましたが、これを始めたのは日本財団であります。しかし、この遺言書を書くのがまた大変な作業であります。心の中でモヤモヤモヤして「早く書かなきゃいかん」と思いながらも、なかなか手がつきません。遺言書を書くためには、実は決断がいるものです。年末、あるいは正月休みに、いろいろ考えるのですが、「まだ元気だからいいや」となり、先延ばしになってしまいます。しかし、ひとたびお書きになると、胸の内、頭の中に残っていたことにケリがつくということもあり、遺言書を書かれた方はみんな元気になります。胸のつかえがすっと降りたというようなお気持ちになるそうで、「もういつ死んでもいいわ」というような気持ちが、逆に元気にさせるようです。
ですから、幸せなご家庭をお持ちの方、またお一人様の方もいらっしゃいますが、皆さん社会の中で本当に艱難辛苦を乗り越えて、いろいろ辛いこと、悲しいこと、人生いろいろあったと思います。しかし人間には大変素晴らしい能力があると私は思っています。それは、ご苦労されたこと、辛かったことは、時間が経つと、「記憶の美化作用」で懐かしい思い出になるのです。幸せなことが長く続くと、記憶に残るようなことはあまりありませんが、辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったことが、時間が経つと、それが記憶の美化作用で、「よく人生頑張ってきたな、ここまで来たな」という気持ちになります。そういう意味でも、ぜひとも皆さん方にこの遺言書を書くことをお勧めします。
何遍も申し上げますように、心の重荷が下りると非常に楽な生活になりますので、思い切って遺言書を書きましょう。出来ればその中に遺贈を入れて頂くと尚有難く、日本財団は公益財団法人ですから遺贈には税金がかかりません。どうぞ皆さん、遺言書を一日も早く書くようにいたしましょう。私の拙いご挨拶でしたが、私の経験も含めてお話をさせていただきました。今日は寒い中、ありがとうございました。