こんにちは。お久しぶりです。学生スタッフの山アです。
4月24日までさぽらんてで行われていました原爆展の最終日に山口市の大内塗の職人である小笠原貞雄さんによります「被爆体験のお話」がありました。語り部である被爆者の方が少なくなってきている中で、普段生活している中では聞くことができないようなことをお聞きすることができました。お話を少しだけ紹介します。
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小笠原さんは被爆当時、兵士が着る衣服や靴を縫う、被服廠という部門で働かれていたそうです。原爆が落ちた日は三次(みよし)というところに行っていたため無事でしたが、次の日の朝に見た爆心地の街の景色に驚かれたそうです。そこには五右衛門風呂や墓石やがポツンポツンと残っているだけで、ほとんどの建物が燃えてなくなっていたそうです。そんなことが想像できるでしょうか?でもこれが山口県の隣で起こっていたことなんです。
そんな爆心地の光景の話やその後に経験した尊い命のお話、またその後山口に越してきた経緯などをお聞きしました。ぼくがお話を聞いて感じたのは、戦争というものの愚かさです。人間は時に違うものを拒み、攻撃することがあります。しかし、同じ人間であればいつかは必ず分かり合えるはずです。現在ロシアとウクライナの戦争がニュースになっていますが被害にあった方々の心と体の傷は計り知れません。武器や兵器で解決するのはもうやめて、一人でも多くの命が助かり、一日でも早く平和が訪れることを願います。
最後に小笠原さんのお話しで心に残っている言葉を紹介します。
「日本と隣、あるいは近い国が仲良くなくてどうやって平和が来るんだ。」という言葉です。確かにと思わされる言葉でした。近くの国々が協力をし手を取り合っていく関係を作っていくためにも、被爆者の方や戦争を経験された方のお話を来世に語り継いでいく必要があると強く感じるいい経験になりました。
小笠原先生、被爆二世の会のみなさん、貴重な機会をありがとうございました。
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