ここは、陸前高田市の高台にある松原苑から海を見下ろした風景。

圃場整備でも、野原の造成でもありません。
写真には写しきれませんが、この風景が全方向に広がっています。
ここに、3000世帯以上の家や市役所、病院、スタジアムなど主要な市の建物があったとは・・・
一部の鉄筋コンクリートを残して痕跡すらなくなっている、まさに壊滅的。。。
ガレキこそほぼなくなっているものの、広範囲に重機とダンプが行き交い、砂埃がまっています。

私の数少ない、ボキャブラリーでは表現できません。
数枚の写真で想像してみてください。
どんなに大きな波が押し寄せてきたら、このようになるのか、と。

できたばかりだったというスタジアムも見る影もなく


風光明媚な自慢の松原7万本は全て打ち流され、残った奇跡の一本松

帰路での気仙沼。
どんな波が来たらこの船が流されるのだろう。

年度末の慌ただしい中、東日本に行ってきました。
訪問のきっかけは、昨年の陸前高田市長の講演会。
なかなか進まない復興作業。この現実を知ってほしいという訴え。
「来て、見てくれることが支援になる」と言われたことが、向き合うチカラとなりました。
陸前高田市の被害は、
8000世帯中、3600世帯余りが全壊。まだまだ多くの人が復興住宅ができる3年後まで仮説住宅の生活を余儀なくされています。
甚大な人的被害は言うまでもありません。
被災前、24000人だった人口が、現在は22000人。
警察発表の死亡者数は1500人。
私たちが、訪問した時に、美容室をしていたある方は、知っている人が400人も亡くなられたと。。。お母さんも、お姉さんも。
いっぱいいっぱいになりながら、地域の人を支援している人には、かける言葉もみつからなかった。この現状を見た私が、これからいかに生きていくのか。それを問われている気がした。
陸前高田市、戸羽市長が言われた、
「日本の活性なしに、東日本の復興はないと思っている」
リアルな風景とともに、この言葉が横切る。

年度末、慌ただしい時に、わがままを聞き入れ、休ませてくれたみんなに感謝。
亡くなられた方の永世を祈りつつ、私は、私の仕事を一生懸命にする。
〈わたなべ〉