
税理士登録8年目[2021年10月15日(Fri)]
税理士登録が2014年10月15日のため、本日から税理士登録8年目スタート。
まだまだひよっこ・小娘と思っていたが、意外と時間が経っていることについて、驚くばかり。
最近感じていること・・・
●税理士登録してよかったこと
・一人前の人として扱われる
身分がはっきりすると、どう扱っていいのか外からわかりやすいのだと思う。
若いころは、人に自慢できるようなきらびやかな経歴がないため話を聞いてもらえない/信用されていない態度を取られることも多かったが、いまは税理士の名刺があるため、その点は生きるのが楽になった。
・可処分所得が増えて、自分のためにお金や時間を使うことができるようになった
田舎では学習や就労の機会が制限されることから、18歳からずっと名古屋で家賃を支払いながら生きてきている。プラス、税理士資格を取得するまでは、大原やTACなどの予備校、ダブルスクールの大学院への課金、結構な額を結構長く(出来が悪いので、一般の人の2倍)は払っていた。それがなくなって可処分所得が増えた。
といっても、貧困生活に慣れるとそこからの転換は難しい。ここ1~2年でやっと、自分のためにお金や時間を使うこと、勉強のための投資ができるようになった。こういう状態に20代で慣れていたら、だいぶ私の人生は違ったと思う。貧困に慣れることは、あきらめることを内面化して疑問に思わなくなること。ここの痛い思い出は、今の私の原動力にもなっている。
●より深くなった苦悩
・税理士資格とったらもっと楽に生きられると思ったのに、全然そうならない。
・士業、先生という「権力者」になってしまった。気を付けないと、いい気になって人を知らず知らずのうちに傷つけているんじゃないか、抑圧する側に回ってしまているんじゃないか、と気が気でない。
・専門家としての振る舞いが求められる(気がする)
気楽に思っていることを言えなくなった。間違ったことを言って、相手に損害を与えてはいけないと思うと、気楽にものを言えなくなった。
どこまでやっても「これでいい」と思えないことが増えた。気楽にはやれない。
・っぽくない
オーラとか、威厳とか、それっぽいものがなくて、スミマセンと毎日思っている。
(そういうのがあまりないほうがよいという顧客に選んでもらえばいいので、まあいいか。といいつつ、靴とがった族のいる場では舐められるだろうな〜とも。違った世界で生きている、ヘンナイキモノというカテゴリーで生きていけば問題は少ないか)
・「先生が言う通りにやってください」と言われることが増えた
いや、絶対の正解がない世界なんで、自分で決めてください。私は材料を提供する係なんですが、と思うのだが。
私は相手の大事を尊重したいのに、そこをすっとばしてお任せされるのは、なんか違うなあと思う。
・税理士資格を取るのは、けっこうムリゲーということがわかるようになった
けっこうな長期戦になる。
「実家」や配偶者という資産がない場合は自分の貨幣獲得能力を上げていくしかないから、持たざる者は勉強するしかないと思っていた。私はお勉強できるようになることに快を覚える人種だったからよかったが、
休みとかプライベートとか趣味とか家族とかと両立するとしたら、”仕事”や”家”の状況が一定水準以上でないと無理。ってことは、今すでにまあまあいい立場にある人しか参戦できない、能力獲得ゲームってことで、資格とって這い上がって、一発逆転ってことはかなり難しい。
・仕事に対する考え方というか、文化資本的なもの
経営者と話をすることが多い仕事。
私の生まれ育った家庭や時代は、「上の人のいうことをきいているのが安全で大事」と刷り込まれてたので、その呪縛が強い。経営者たるもののカンカクというか当たり前感がわからない。まあ、経営者と言ってもいろいろあるんだけれど。小さくても商売人や経営者、士業の家の子どもだったら、そのあたりの理解がもう少ししやすいのだと思っている。
といいつつも、まあ、これしかなかったから、これでいい。これがいい。ということで締めくくります。
まだまだひよっこ・小娘と思っていたが、意外と時間が経っていることについて、驚くばかり。
最近感じていること・・・
●税理士登録してよかったこと
・一人前の人として扱われる
身分がはっきりすると、どう扱っていいのか外からわかりやすいのだと思う。
若いころは、人に自慢できるようなきらびやかな経歴がないため話を聞いてもらえない/信用されていない態度を取られることも多かったが、いまは税理士の名刺があるため、その点は生きるのが楽になった。
・可処分所得が増えて、自分のためにお金や時間を使うことができるようになった
田舎では学習や就労の機会が制限されることから、18歳からずっと名古屋で家賃を支払いながら生きてきている。プラス、税理士資格を取得するまでは、大原やTACなどの予備校、ダブルスクールの大学院への課金、結構な額を結構長く(出来が悪いので、一般の人の2倍)は払っていた。それがなくなって可処分所得が増えた。
といっても、貧困生活に慣れるとそこからの転換は難しい。ここ1~2年でやっと、自分のためにお金や時間を使うこと、勉強のための投資ができるようになった。こういう状態に20代で慣れていたら、だいぶ私の人生は違ったと思う。貧困に慣れることは、あきらめることを内面化して疑問に思わなくなること。ここの痛い思い出は、今の私の原動力にもなっている。
●より深くなった苦悩
・税理士資格とったらもっと楽に生きられると思ったのに、全然そうならない。
・士業、先生という「権力者」になってしまった。気を付けないと、いい気になって人を知らず知らずのうちに傷つけているんじゃないか、抑圧する側に回ってしまているんじゃないか、と気が気でない。
・専門家としての振る舞いが求められる(気がする)
気楽に思っていることを言えなくなった。間違ったことを言って、相手に損害を与えてはいけないと思うと、気楽にものを言えなくなった。
どこまでやっても「これでいい」と思えないことが増えた。気楽にはやれない。
・っぽくない
オーラとか、威厳とか、それっぽいものがなくて、スミマセンと毎日思っている。
(そういうのがあまりないほうがよいという顧客に選んでもらえばいいので、まあいいか。といいつつ、靴とがった族のいる場では舐められるだろうな〜とも。違った世界で生きている、ヘンナイキモノというカテゴリーで生きていけば問題は少ないか)
・「先生が言う通りにやってください」と言われることが増えた
いや、絶対の正解がない世界なんで、自分で決めてください。私は材料を提供する係なんですが、と思うのだが。
私は相手の大事を尊重したいのに、そこをすっとばしてお任せされるのは、なんか違うなあと思う。
・税理士資格を取るのは、けっこうムリゲーということがわかるようになった
けっこうな長期戦になる。
「実家」や配偶者という資産がない場合は自分の貨幣獲得能力を上げていくしかないから、持たざる者は勉強するしかないと思っていた。私はお勉強できるようになることに快を覚える人種だったからよかったが、
休みとかプライベートとか趣味とか家族とかと両立するとしたら、”仕事”や”家”の状況が一定水準以上でないと無理。ってことは、今すでにまあまあいい立場にある人しか参戦できない、能力獲得ゲームってことで、資格とって這い上がって、一発逆転ってことはかなり難しい。
・仕事に対する考え方というか、文化資本的なもの
経営者と話をすることが多い仕事。
私の生まれ育った家庭や時代は、「上の人のいうことをきいているのが安全で大事」と刷り込まれてたので、その呪縛が強い。経営者たるもののカンカクというか当たり前感がわからない。まあ、経営者と言ってもいろいろあるんだけれど。小さくても商売人や経営者、士業の家の子どもだったら、そのあたりの理解がもう少ししやすいのだと思っている。
といいつつも、まあ、これしかなかったから、これでいい。これがいい。ということで締めくくります。