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2016年01月16日

本日の収穫調査

 焼き畑のカブは雪に埋もれていました。
 とうぶん雪模様と低気温が続きそうなので、次に顔を出したときに、がばっととって、あとは春の種取りにまわそうかと思います。

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 一番大きなもので、直径12センチほどかなあ。
 里のほうで「野生え」したという、温海カブをもらいましたが、ひとかかえはあります。写真はまた明日とろうかと。こんなに大きくなるんだ〜と。
 やはりそこは、野良のカブじゃなくて、栽培種なんだなあと思います。

2016年01月15日

冬の山村まるごと体験!?

 奥出雲の山村まるごと体験ですが、舞台もいよいよ冬らしくなってきて、こちらのカバーも変えなければと思っています。。。。

奥出雲の山村まるごと体験
http://s-orochi.org/public/marugoto

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 いまのところ、2月下旬から受け入れ可能ですので、少しでも関心ご興味をもたれましたらば、お問い合わせください。リンク先の下にフォームがありますので、利用されると便利ですよ。

2016年01月14日

竹炭からできるものへの妄想と希望と

 みざわの館にある窯でつくった竹炭です。竹炭はいっとき「ブーム」になりました。ブームは既存のシステムに対する挑戦という側面もあってひとからげに否定はいたしませんが、その挑戦は大概は失敗に終わります。すると、それは大きな歪みと疲弊をもたらします。
 竹に限らず炭づくりの「ブーム」も何度か繰り返された後、いま、どうするか、どうなるか、という段階なのでしょう。
 まずは机上で統計をみてみようと、いくつか調べた「記憶」があります。現在稼働している島根県東部の炭焼き窯は片手におさまっていたかと。さくらおろち湖のまわりの集落でも、もう長らく使っていない窯がいくつもあります。
 そんななかで、昨年春に火をいれて以来、とまったままの炭焼き窯が、写真であげた竹炭をつくったみざわの館のそれ。

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 昨日ふと、思いついたのは、洗浄水として使ってみてはどうかということでした。製品も数多くでてはいます。そして、みざわの地名の由来は「御澤」であり、聖水のわきいづる地という由緒をもっています。
 はてさて。
 まずは洗浄水をつくってみたいとおもったまで。
 
 その昔、木灰を洗濯に使っていたというのは、川で洗濯をしたことのある世代にはかすかに記憶があるのではないでしょうか。私は木灰のアルカリ性が殺菌効果をもつからだと思っていましたが、どうやら間違いのようです。
 竹の洗浄液は、ちょいと以前、ちょうど竹炭のブームの頃、竹炭と塩をいっしょにして洗濯するということが行われていた時からのヒントに基づくようです。
 現在市場にでまわっている製品のサイトをみると、竹炭をくだいたもの+αという製法をもっているところが大半です。
 
 そして、もうひとつ。竹紙をつくるときの繊維の煮熟には、木灰を漉したものをかつて使っていたのですが、「いや漉さなくても、上澄みをすくうだけでいいのでは。草木染めの人たちはそうしているよ」という助言をいただき、はたと、あぁ、それならばやってみようと考えていたこともあります。

 そう、いま考えている試案は、「竹灰をためた液体の上澄みをすくって、コーヒーを漉す用途のフィルターで漉した」液と、「竹炭を砕いたものを煮沸したあとの液体」を。このふたつを1対1、あるいは1対2の割合で混合したものを使ってみること。

 いっしょにやってみたい人、募集中です。メールなりお電話なりでお問い合わせください。
タグ:竹炭

2016年01月13日

11月の協働マーケットのときに

 11月27日に、島根県社会教育課が主催して松江市で開催された協働マーケットのときのブースの様子です。整理していたら出てきたのであげておくまで。

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 あとで読み返して、気づくこともあるのです。
 いまは、そういう時間がとれないのですけれど。

2016年01月12日

尾原地区とんどさん2016は17日(日)です

 尾原地区とんどさんは今週末の日曜日、17日の午前10時頃からです。
 くわしくはこちらから。
  尾原地区とんどさん2016

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北原本郷遺跡の土器が展示されています

 出雲大社のお隣にある古代出雲歴史博物館で、特集展示『出雲に米作りが伝わった!--弥生時代の始まり--』が開催中です。

 その中に、北原本郷遺跡の土器や石器があるのですが、注目はこちら。

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 縄文後期の土器ですが、赤色が塗り込められた文様、縁から立ち上がる蛇の渦……、こ、こ、これは。。。と立ちすくんでしまいますよ。
 会期は2月14日まで。開館時間/午前9時〜午後5時(最終入館は午後4時半) 。入館料は常設展示と共通でおとなひとり610円。会期中の休館日は1月19日(火) のみです。
 
 北原本郷はいま、湖底に沈んでいます。写真の手前あたりの50メートル潜った底です。ここで、確かにこの土器がつくられ使われていたのです。約3000年前にね。「今」は湖底に眠るその大地ですが、さて3000年後にはどうなっているのでしょう。古代の土器を見ることのひとつの楽しみは、ふだん感じたり考えたりしえないような長い長いなが〜い時間を、感じることなのだと思います。

北原本郷付近


posted by 面代真樹 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史

2016年01月07日

1/18〜江頭宏昌「在来作物の魅力を生かす」@松江テルサ

 ニュース速報!
 山形大の江頭宏昌氏の講演です。映画「よみがえりのレシピ」で、知った方も多いでしょう。
http://y-recipe.net/
 画像のチラシは、「在来作物の魅力を生かす」と題した講演と、島根大での取り組み紹介です。申し込み不要、参加費無料。2月18日(月)17時〜松江テルサの4階大会議室です。



 江頭氏は「在来野菜は地域の文化財であり、その保存が急務である」という故・青葉高博士の意思を継いで、地道な調査と活動を続けておられます。
 さて、小ネタでもあり、野菜の本質をついてもいるのがこの表。ほとんどの野菜の起源が中近東です。カブは中国から渡来したと思っている人も多いようですが、さにあらず。中近東・地中海起源であって、麦の随伴雑草がそのルーツ。随伴雑草とは、地中海農業が畦を造らず・耕地にそのまま種子を散播する農法と一体のものです。
 すなわちムギなどの穀物といっしよに、くっついてやってきた雑草が伝播先の土地で「これは食える」と目をつけられ、半栽培(たとえば山菜をとるように)から栽培へと管理化される過程で、作物化していく……というのがおよそすべての野菜の「進化」あるいは人間と共生するための「適応」であったということです。ここから、いろんな想像ができるのが楽しい〜〜。
 え?わからないって? ならば、行って、見て、聴いてみましょう!



※表の出所:縄田栄治,山本宗立:野菜のドメスティケーションを考える,2009

2016年2月!山と川と湖の食べごと塾開催!

 チラシが明後日に届きますので、来週からぼちぼち道の駅などにおいていきます。





 21世紀は水の世紀になると言われています。石油が産業と経済と政治を大きく動かし、世界を変えていったように。しかし、水は石油が世界をめぐるのとは別な仕方でめぐります。

 川には雨が必要であるし、雨は山と森があるからこそ川となります。水はその過程で土中から溶け出す諸物質を含みながら田や畑を潤し、さまざまに利用され川に戻り、その汚染はさらに下り流れる間に、川に棲み着く数億という微生物や水生動物によって浄化されながら、湖へそして海へと至ります。そして水はふたたび蒸気となって、天にあがり、陸の山塊部によって冷やされて雨となるのです。
 昨今、川にはあたりまえにいた雑魚の淡水魚が激減しているようです。宍道湖のしじみも減少傾向にあることは変わりません。原因はさまざまなことが言われていますが、この水の循環のなかでの変化にあることは間違いありません。
 
 松江市、出雲市、安来市、雲南市、奥出雲町、飯南町……、古より、斐伊川の流れとめぐみによって生かされてきた地です。
 ふだん、あたりまえすぎて、どう考えていいのかわからないことでもありますが、たとえば「しじみ」、たとえば「鮎」、「鰻」。山、川、湖のめぐみとして、みなで一緒に料理し、食べることで、山と街のつながりを学んでいけたらと思います。
 きたる2月の14日と21日、「山と川と湖の食べごと塾」を開催します。詳細は下記リンクに。ふるってご参加ください。
2月14日●川と湖のめぐみ編
http://www.sakura-orochi.jp/index.php?mode=event_alone&id=319
2月21日●水源のふるさと編
http://www.sakura-orochi.jp/index.php?mode=event_alone&id=320
タグ:食べごと塾

2016年01月01日

ぐるぐるまわる経済‥‥

 1月24日の環境セミナーのタイトルは、「ぐるぐるまわる、経済、環境、そして技術」(いまだ仮題)に変えました。
 https://www.facebook.com/events/908667762542657/912177958858304/
 仮題とはいえ、いきなり「まわる経済」。あいかわらず「環境っぽくない」テーマ設定ですが、さにあらず。"地域経済循環”は、いま環境省的にも熱い題材であることの証左としてあげてみましたこの1枚目。平成27年度版の環境白書から引っ張ってきたもので水俣市の地域経済循環の概図です。
環境白書的にいえば、これ、「環境、経済、社会の統合的向上」をめざすための分析のひとつなんです。



さて、乱暴にいってしまいますね。
●東京への一極集中→なにが問題なの?→答え:だって、それは多様性をそいで日本という国の同質化を促進するじゃない。安く大量に生産する工場はこれから中国やほかのアジア諸国にかなうはずもないでしょ。日本はもうだいぶ前から高付加価値の産業への移行が求められていたよね。高付加価値なものの産出ってある意味「運」まかせなんだけど、確率を高める方図はいくつか指摘されていて、その大きなひとつが「多様性」。
●んでもって、地方圏の自立性が必要なわけ。文化のそれもだし、人のそれもだけど、そんなもろもろを下部構造的に支える経済の自立がここへきて(すなわち財政再建的に、人口減少社会的に)クローズアップ!ということね。
●しかし、地方経済の自律ってなに? それが、産業連関表をベースにした域際収支の考え方・分析なのですよ。実は島根県や中国5県は比較的早くからこれらを問題としてピックアップしてきました。
●それらの流れから、島根県中山間地域研究センターの有田昭一郎さんに、家計経済研究から見えてくるリアル(の一端)をお伝えしたい。
●そして、そして、本題は、その「経済」をふまえたところでの「子育ち」!!!!です。 
●仕事の時間、子どもと共有する時間。このままでいいのか? 中山間地には、霧の向こうにある子どもたちの未来をぐいっと自分でたぐりよせることのできる、何かがある!のではと。
●やや、でたとこ勝負のセミナーではありますが、面白いことになると思います。
●鋭意準備中!!!
※2枚目3枚目は、「中国地域の5県及び生活圏の経済的自立と持続のための方策調査」(H23)より。


2015年12月29日

神在祭について調べたり考えたりしていると〜その1

 「神在祭」とおろちがどう関係してくるのか。深い迷宮の底のほうのどこかでつながっているような気がしたものでほじっています。少しずつですけれど。ほんとに。
 漱石の『吾輩は猫である』の中に、先生が本を読むといっては、2〜3頁読んでは涎をたらして寝てしまう、というようなところが冒頭に出てきますが、まあそのような感じ。名前のまだない猫からは「何をやっているんだか、のんきなものだね」と思われていますでしょうね、きっと。
 「神在祭」についてですが、ここ数年、出雲地方では、ポスターや新聞や広告などで耳目にする機会がとみにふえました。稲佐の浜ではじまる儀礼に、全国から「観光客」が集まるようになったのも、ほんの数年前からのような気がします。数字をおさえているわけではないので、あるいはもっと前からかもしれませんが、少なくとも2013年、出雲大社の「平成の大遷宮」が契機になっているのは間違いないでしょう。
 さて、8月は葉月、9月は長月、そして10月は神無月といいますが、出雲ではこの10月を神在月と呼び、全国から神様が出雲に集まって会議を開くのであると。そう世間一般には流布しています。そして皆がそれを信じている=少なくとも嘘っぱちやでたらめではないという心持ちでのぞんでいると思われます。
 いやしかしですね、冷静にというかふつうに考えても、おかしなことだと、思いませんか。神さまは合理的な存在ではないとはいえ。まず、全国から神さまが集まるといいますが、その間、全国の神社からは「神」がいなくなるのでしょうか。その間の儀礼は? たとえば婚礼などは? 「今月は神無月でしてね、出雲へお出かけになっていらっしゃるので、式は挙げられませんのです」という話は聞いたことがないです。よもや、神官たちがはかって、神不在であることをかくしてもろもろの儀礼を執り行っているのであれば、けっこう重大な詐欺行為ともいえる。
 いったいどうなっているのでしょうね。そこらあたりの事情は。
 かような素人じみた懸念のみならず、おそらく江戸の中頃より盛んに流布された「出雲へ神が集まる」話については、その江戸時代より「眉唾だ」とされていたものです。

 まあ、所詮は狐や狸と同様の民間信仰のお話であって(というと怒られそうだが)、そうしゃかりりきに言挙げするまでもないでしょうとも思うのですが、これ、どうやら、民俗学の世界の超大物が「そんなんでたらめじゃないか」と、王様は裸だ!的発言を繰り返したものだから、以後、ことの詮議は消沈していったようです。
 そう。柳田国男に全否定されていたのです。出雲の神有月はね。
(つづく)