facebookイベントページに載せたものを、以下に転載しておきます。
https://www.facebook.com/events/1648542025389125/ 年の瀬のご多忙の折、島根大学まで足を運んでいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。一般参加45名、学生スタッフ10名、出演6名、計61名で、充実したシンポジウムとなりました。
現在、テープ起こしをはじめています。全文公開となるかは未定ですが、記録は「奥出雲山村塾」のここ(下記)などにアップする予定です。
http://s-orochi.org/…/taketo…/竹の焼き畑2015/takeyabuyaketakiroku
ただ、アップはだいぶ後になりそうですので、簡単に感想のようなものを以下に入れて、速報的レポートと致します(やや長文です)。
◉川野和昭氏からは、九州南部そして東南アジアでのフィールドワークをふまえた竹の焼き畑と共生・再生について講演いただきました。共生の場は、相手の都合を受け入れる姿勢をとることからしか開けないのだということを思い知りました。
◉聞き書きにしても然り。山村に暮らす生きた叡智(つまりはおばあちゃん・おじいちゃんね)は、こちらが聞かなければその深淵なる知を開いてはくれません。リストと質問表から漏れているものを丹念にひろうこと。それは今からでも遅くないのだという勇気づけをいただいた気もします。
「なんで教えてくれなかったの?」
「だって、あんたは聞かなかったじゃないか」
そして、その植物の知とて、聞いてすぐに出てきたわけでありません。
たずねて、首をかしげられ、「さぁ、どうだったか」と。
そして、その場から帰る道すがら、「おーい、思い出した」と後を追いかけてこられてはじめてでる。そんなものなのだと。
◉川野氏が語ったエピソードは、山村の知というものの深淵さを物語ってもいます。そして、従来の日本民俗学がほとんど収集しえてこなかったものでもあると。生態学・植物学・地質学・気象学……サイエンスの知を保有するものとして見てきただろうか。そして「山村=定住=自給」というローカルナレッジではない、アジア圏で共有されてきた森と共生するための思想と智慧が「移動=循環=経済圏」としてあった時代の痕跡とその記憶の現代的価値。焼き畑のもつ可能性は人文知のあり方そのものへの問いかけにもつながっていました。
◉佐野淳之氏からは、蒜山地域の火入れ調査の内容と意義について森林生態系管理学の立場から講演いただきました。
火入れ地の遷移の過程を写真で追いながら、森林に戻る過程で開空率が低下し、種の多様性が低下していくこと。また、火入れ地付近の湿地の堆積物調査から、1600年以前の層からの炭化物を多く含む泥炭が出ていることなどから、AD400年頃には蒜山で火入れが行われていた可能性があることをお話いただきました。
木地師による木材利用、たたら製鉄での薪炭林の利用、もののけ姫、多岐にわたる話題はそれぞれに刺激的でありました。
◉パネルディスカッションは、ぶっつけ本番でしたが、「燃えにくかった孟宗竹をどう燃やせばいいのか」「都市から人を呼ぶことについて」「竹林の管理手法についてイノシシの導入」など、おもしろい問題が出ました。なにせ時間不足。ここらはまたテープ起こしを中心としたレポートでお伝えいたします。
◉最後に。椎葉村の焼き畑農法が世界農業遺産に認定されました。ただ、その存続についてはなにより、椎葉の人たち自身が危機感をもっておられます。新聞報道をみても、<誇りや励みにはなるが引き締めていきたい>というところです。いま、何が失われていこうとしているのか、大事なものはなんなのか。間違わないように、見失わないように、これからも一歩一歩をふみしめていきたいと思います。
http://www.maff.go.jp/j/press/nousin/kantai/151215.html