聖隷ホスピス前所長の千原明先生が亡くなられ、昨夜最後のお別れをしてきました。
今日(5日)、新潟県社協の研修会に出席する予定でした。
3日に訃報が入ったため、予定を早め昨夜新潟に着き、その足で千原先生のお宅へお邪魔してきました。
広い居間のベッドで、本当に眠っているようでした。2日、自分で入院手続きをし、翌朝に旅立たれたそうです。
少しむくんだようなお顔でしたが、今にも目をさまして、『田島さん。こんな雪の中、わざわざ来たんだね』と言ってくれそうでした。(先生は、年下の私に何時も『田島さん』と言ってくれました)
ご家族によれば、『正月には、ラグビーおじさんになっていました』状態だったそうですが
『家族の手を何も煩わせず逝ってしまった』そうです
『(厳格な)家族葬!』と千原先生の厳命だったようで、玄関に貼り紙も何もなく、昨夕はご遺体の安置されている居間でご家族だけでチェロの演奏を聴いたとのこと。
ラグビー(先生は新潟大学ラグビー部でした)、お酒、たばこ(パイプ好きでした、しばらく前に禁煙されていましたが)、そして芸術を愛した千原先生の思いをご家族が受け止めていらっしゃる様子がうかがえました。
数年前、新潟大通り病院ホスピス(先生は、新潟に帰られてから、このホスピスの立ち上げに尽力され、所長⇒顧問をされていました)の開院イベントに呼んでいただき、二人でしこたま飲んでしまったことがありました。
『田島さんタバコは体に悪いけど、お酒はイイんだヨ』『ほどほど、ならなね・・・』と、二人で痛飲してしまい
心配されて、ついていらした奥様にに渋い顔をされたことを思い出します。
千原先生とは、病院の医師と事務長、ホスピス連絡協議会の事務局、という仕事上のお付き合いはもちろん、
心通じる兄のような存在でした、私が一方的に注意されたり励まされたりでした。
私の父が、関東の病院にがん末期で入院した時も、ずっと励まし、時には埼玉の主治医に電話『指導』をしてくれたことも思い出されます。
聖隷ホスピスの改築のため共に汗をかいたことも忘れられません。
全室庭に面した個室、個室料はいただかない、この2点が先生の強い希望でした。
工夫して、希望通りの建築を実現することができました。
先生からは、本当の意味での患者(利用者)中心とは何かを、徹底して教えていただいたように思います。
ホスピスのオープンの際、感謝の言葉を妻に言ってくれたそうです。何よりうれしい、お褒めの言葉でした。
また、HIV感染の恐れがある血液製剤を投与した患者さんへの対応も、先生がいなくてはできなかったことです。
10年以上前の患者さんの居所を調べ、病院に来ていただき、千原先生とMSWの面接のあと、検査の同意をいただくことが何週間もつづきました。
結果として、全員感染していなかったことが分かりましたが。医療機関の思い責任を感じた出来事でした。
先生とは、製造した会社の責任、認可した役所の責任、販売した会社の責任を追及するだけでなく、当時認可されていた薬とはいえ、『投与した病院の責任』もあり、できる限りの対応をとろうと言いかわし手取り組んだことを、昨日のように思いだします。
まだ70歳前、残念でしようがありません。
立派な自慢の兄貴のように思っていました。
つらいお別れでした。
なんだか涙が止まらなく、ご家族に逆に慰められて帰ってきました。
本日(5日)ご家族だけで、葬儀が営まれます。
先生のご冥福を心からお祈りします。