だんだんと、職場にお客さんの多いシーズンになってきました。去年はGW明けに怒涛の電話と訪問攻撃で文字通りめまいを起こし、倒れこんだのを思い出します。
まあ、去年は震災があったので、2か月くらい陳情も自粛ムードだったんですよね。その分、GW明けに立て込んでしまったわけなので、今年は少し分散されていると思いますが・・・。
我が家のお花もひとつふたつと花を咲かせていってます。こちらも、日陰ながら毎年咲いてくれるんですよ。
先日寄せ植えした鉢。すくすくと伸びてます。
球根から芽が出てるのを見つけ、慌てて地中に埋めたチューリップ。あんな手荒なことしたのに、こんなに大きなつぼみがついてます。もうすぐ咲きますね〜。
陳情には色々あるんですが、ちょっとびっくりしたのは先日の医療関係団体の陳情。社会保障と税の一体改革について要請があるとのことなので、「さくっと消費税上げて医療福祉を充実させてくれ」という内容かと思いきや、「消費税反対」「医療福祉の充実求む」「原発反対」が主でした。
何にびっくりしたのかと言えば、整合性の問題です。だって今や、社会保障費の半分近くは借金。充実を求める時点で増税は不可欠ではなかろうかという素朴な疑問が頭をもたげたわけです。もちろん、景気を良くするというとっても良い案もある。誰もがもろ手をあげて賛成する案だけど、問題は、ここ20年誰も景気好転に成功していないということ(チャレンジ不足も含め)。歳出を削減するという意見もあるけれど、2000億、5000億、2兆、3兆、といった削減額は個人には天文学的数字でも、国家の借金の前では焼け石に水。無駄を省く努力はすべきだけど、それで賄えるのはほんの一部だということもまた事実ですね。
そして、原発反対・・・。確かにあの事故のあとで原発を推進したいと思う人は少ないはず。原発の再稼働を叫ぶ人の大半は、実のところ原発推進派ではなく電力安定需給派。電力の安定供給が失われたら、個人や家庭の節約だけでは済まないことがわかっているからですね。長期的には再生可能エネルギーの比率を上げなくてはいけないけど、現時点で原発をゼロにすることは日本経済に深刻なダメージをもたらす恐れが高い。それは雇用を奪い、社会の活力を奪う。そして、有識者のことばを借りれば、再生可能エネルギーの比率を上げるための投資をもできなくなるかもしれない。何故なら、なんでも立ち上がりには莫大な投資が要るものだから。経済が落ち込んで困ること、それは貧しい生活に戻ること、ではないと私は思います。古き良き清貧の生活に戻ることは、必要に迫られればきっとできなくはない。むしろ怖いのは、新しいことにチャレンジする力、生活を楽しむ余裕、苦しんでいる人を助ける手段が、じわじわとこの国から失われてしまうことの方なのではないでしょうか。
話がずれたけれども、医療福祉こそ、電力の安定供給が最も必須な分野。原発をなくしてくださいという訴えの後、起こりうる電力不足の問題にはどう対処するのだろう。そこは良きにはからえ、ということなんでしょうか。
今の日本は色々な問題にぶつかっているけど、どの問題も日本人の知恵や忍耐や経験があれば、乗り越えられなくはない危機だと思ってる。だけど心配なのは、およそどの分野、どの業界にも評論家気質というか、無責任体質が染みついていること。批判はするけど、全体としての整合性は考えない。「自分ならこうする」という解決策を組み立てて提示しない。執行者は別にいて、自分はそこに物申すだけ。そんな空気が、あちこちに蔓延しているような気がします。国会議員は国民の代表だけど、国民の声を代弁するだけなら誰でもできる。増税はだれだって嫌だし、原発もないほうがいい。それでも必要ならそう言って説得しなければならないし、必要でないなら、現実的な代替案を示せなくてはおかしい。それができてこそのリーダーではないでしょうか。業界団体は業界の利益を代弁する存在だけど、それだって日本あっての業界なのだから、この国が成り立つ程度に市筋の通った、整合性のとれた形で要求ができなければ無責任だと思う。マスコミだって、有権者だって同じこと。要求には責任が伴う。目に見える被害者だけを考えていると、目に見えない影響や被害を見落としてしまう。それは往々にして、本来守りたかったはずのものに降りかかってくる。そこには時間差があり、相関関係の曖昧さがあるから、パッと見わからないけれども。
私自身は、消費税は上げるべきだし、原発はとりあえず安全なものから再稼働させるべきだと思っています。消費税を上げれば、当然景気を冷やすことになる。例えば増税慎重派のなかで、竹中平蔵教授の言われる意見は理論的にとても正しく、最もだというふうに感じる。しかし、大切なことはその解決方法が実際に短期間で実行できるかどうかだ。成長戦略、歳出の削減。確かにその2つを組み合わせれば消費税以上のポジティブな効果がある。だが、今の日本にそれができるだろうか。ねじれがなければ、政権にもっと国民からの信認があれば、イタリアのスーパーマリオのようなリーダーが突然現れれば、あるいはできるかもしれない。今後そういう状況が生まれるかもしれないけど、少なくとも今はそうではないと思う。そして、「時間」の概念と「実行性」こそ、長年の先送りのあとで最も私たちが必要としているものではないだろうか。
原発の再稼働については、40年廃炉ルールに合わないもの、安全性が特に厳しいと思われるものを除外する。その上で、定期点検でとまっているだけの特に問題のない原発は動かす。新規建設はしない。だから、この先も40年経ったものから廃炉となり(大型地震の可能性が強い地域のものも)、数はどんどん減っていく。その間に日本中の英知を集めて再生可能エネルギーの比率を最大限上げていく。それがベストではないかと思っています。私も身近なところに原発があったら嫌だけど、日本がすたれ、立ちあがる気力もなくし、若者には十分な機会も提供できない、そんな国にしたいとは思わない。そして原発ゼロでの電力不足の深刻さは、細かくみれば推計におかしなところがあり得るかもしれないけど、おおむね事実であり、脅しやごまかしではないと思っているから。もうひとつ言うと、たとえあらゆる手段を講じて電力不足を乗り切ったとしても、この電力需給不安が海外や国内の企業に与える心理的影響はあまりに大きい。誰もそんな恐ろしいリスクのもとでビジネスをしたいとは思わない。その心理的な影響が、一番怖いものだと思うのです。
日本政府は、こんなに財政が悪化する前に手を打つべきだった。原発事故のあと1年の間に、ちゃんと中長期での「脱原発依存」路線を示して、そのうえで当面の電力需給問題を扱っていたら、こんなに不信感を与えることもなかっただろう。そこは十二分に批判していいところだと思う。だけど同時に、今後どうすればいいか、社会の構成員みんながそれぞれの立場で整合性を持って、要求や意見に伴う責任を引き受けて発言をしていくべきだと思う。そうできるように、私は私の立場で情勢を勉強していかねば、ですね。