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ソーシャル・コミュニケーター素描

国際協力、ソーシャルビジネス、政治、CSR。興味のままに公益活動のかけらをかじりつつ、ふらふらと歩きまわるYokouchiの日々のブログ。猫ネタやプライベート日記も多いですが、どうぞご笑覧ください(^^)。


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父の日に [2012年06月17日(Sun)]
IMG_7398.jpg

父の日ですね。今年は母の日も父の日も、結局プレゼントを渡せていません・・・(。-_-。)。何を贈ろうかなと思っているうちに日が過ぎてしまうという。

女同士ということもあって、実家の両親では母との会話のほうが圧倒的に多いのですが、父は亭主関白体質ながらも愛情深く見守ってくれる存在です。どんなときでも問題を正面から受け止めて、決して逃げない。私が困ったときにも、必ず一緒に受け止めてくれた。

成長の過程で何かと反発することもあったけど、子どものころからずっと、そういうとこ、尊敬してます。

安心してぶつかれるというか。

私も人の子の親になったら、ぶつかってもびくともしないような愛情と責任感を子どもが感じてくれる、強くて優しい母親になりたいですね。

さて、来週はいよいよ国会会期末です。

たぶん延長するのでしょうが・・・、いつも最後まで展開が読めないですねえ。

とりあえず、どんな形であれ改革は一歩でも前に勧めることがまず大事だと思うので、私は野田総理を応援してます。

そうして、今回の社会保障と税の一体改革の法案が通った後も関心をなくさずに、景気対策は?歳出削減は?社会保障改革のその後は?消費税以外の税の抜本改革は?と問いつづけることが、確実な未来を創るための大切なプロセスなんだと思います。
紫陽花の季節 [2012年06月16日(Sat)]
写真 3.JPG

紫陽花の季節です。

今年はなんだか寒い日が多くて、こうして梅雨を迎えても肌寒さがありますね。それがじめっとした嫌らしさを軽減してくれますが、体調を崩しやすいのが困りものです。

我が家も紫陽花がかなり色づいてきました。小ぶりなんですが、空色が淡い層になって、柔らかな風情です。雨の滴が似合います。

写真 1.JPG

先日、別の場所で見つけた紫陽花さん。こちらはかなり大ぶりで立派でした。紫陽花といえば定番の青ですね。

写真 2.JPG

同じところにあった、ピンクの紫陽花。

紫陽花って色がはっきりしなくて、しっとりと物陰を好んで、主張もしない。それでいて華やかさもあって、たくさんの層の色が調和していて、わりと誰にでも好まれる・・・なんてところがちょっと日本的な感じしますね。

近々、北鎌倉にでも行くかなあ。
3周年 [2012年05月28日(Mon)]
写真 4.JPG

そんなこんなで、先日、結婚3周年を迎えました。

お祝いは、結婚式をしたレストランで。

写真のデザートプレート、見えにくいですが、手前にHappy 3rd Anniversary!と書かれています。うふふ。

重厚な石造りのオトナ空間で美味しいもの食べて、デザートをサービスしてもらって、写真もつけてくれて。いい記念になりました。

時間が経つのは本当に早いもんですね。生まれてこのかた、両親とか友達とか、周りのいろんな方々から価値のあるものをたくさん与えてもらいましたが、自分で得たもののなかで何が一番価値があったかといえば、気の合うパートナーだったかもしれません。

4年目も楽しくいきましょう♪
旧古河邸の薔薇 [2012年05月27日(Sun)]
bara2.JPG

薔薇の綺麗な季節ですね。先日、旧古河邸に行ったらあらゆる種類の薔薇が咲き誇っていて、それを愛でる人々の群れで大混雑でした(笑)。天気もよくて、さわやかで。そんな日に考えることは、みんな一緒ですね〜。

旧古河邸は、北区の西ヶ原にあります。閑静な住宅街と緑に囲まれた落ち着いた空間。今回久しぶりにこの街を訪ねてみて、震災後に日本国籍をとった日本文学研究者のドナルド・キーンさんもこの街に住んでいることを知りました。

窓から、旧古河邸の緑が見えるマンション。どれのことだったんだろう・・・。

ずっと前、コロンビア大学の大学院で学んでいた頃、ドナルド・キーン日本文学センターで本人の講演を聞き、本人の古い著作にサインをしていただきました。すごく小柄な方なんですよね。目が少年のままという感じでキラキラしていて、奥には温かそうな光が宿っていて、長年憧れてきた方と会えたんだと思うと感無量でした。司馬遼太郎と並んで、大好きな文章を書く方です。エッセイに、知性や情報だけじゃなく、描く対象に対する愛と理解があふれている感じで。

そうかあ、西ヶ原にいらっしゃるのかあ。またお会いするチャンスがないかしら・・・。後ろ髪をひかれながら、街をあとにしました。

司馬遼太郎さんは、私がアメリカ留学中の1996年に亡くなりました。司馬遼太郎さんより前に強烈な影響を受けた児童文学作家のミヒャエル・エンデさんも、その前年に。ふたりとも、講演で豆粒ほど遠くからひっそり見るのでもいいから会ってみたい、同じ場所に立ってみたいと思った方でしたね。少し後にはお世話になった中学の剣道部の先生も亡くなって、10代の私が最も影響を受けた人生の師匠を立て続けに亡くしたことで、時代の針が戻ることのない次の段階にガコンと進んだような気がしました。

ドナルド・キーンさんとは間近で会って挨拶もできましたが、今年で御年90歳。「いつかまた」と思わず、ちょっとでも見かけられるチャンスがあれば会いにいきたいものです。会いたいときに会いたい人と会うというのは、とても大切なことですね。魂の衝動は、我慢してはいけません。時間は有限で、命は燃やしてなんぼ、ですもんね。

薔薇が見れて、よかった。初めて旧古河邸を訪ねたのは結婚式場を探していたころでしたが、まだ寒くて何も咲いてませんでした。それでも、二人であちこち見て回るのは楽しかったですね。あれから3年。今年もふたり元気でこの綺麗な庭園を回れたことに、感謝です。
国の借金、1000兆円越え? [2012年05月15日(Tue)]
産経新聞に、こんな記事が。

5月11日 国の借金 年度末見込み 1000兆円突破
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120510/fnc12051018550016-n1.htm

確かに、昨年度末の借金額は956兆円で、「大台までもうちょっと・・・」というとこだったので不思議なないですね。

それにしても、天文学的な数字。どうやって返せばいいのか、私が国の会計役だったら、真っ青になって、とりあえず夜逃げしそうな数字ですね^^;)。

まずは景気を良くしよう、歳出を減らせるだけ減らそう。そう言い続けて、はや20年。そのふたつが、国民に不人気な増税を避けるための方便として使われてきた面があるのは、否めないだろう。

デフレ経済下で増税すれば、確かに経済は悪化すると思う。税収が思うほど集まらないケースもあるかもしれない。かといって、他の方法を取りうる時期はもう過ぎてしまい、残された時間と選択肢は少ないのだということは、認識すべきことだと思っている。

政治は、「論理的に考えてどのやり方が正しいのか」とか「どうあるべきか」だけでなく、実現可能性を考慮することがとても必要だ、と思う。もちろん、背後には正義や理念という背骨が大切だけれど、それだけで考えると間違えることがあるというのが、私の感じてきたこと。複雑な利害関係の調整、時間感覚、政局のコントロール、それらを扱う人材の能力、国民の協力。現実の問題を解決するには、経済学の論理には含まれていない色々な要素がある。全部を加味して、できることを抽出し、ひとつひとつやっていくしかない。

政党や立場に関わらず、日本の未来のために一歩でも前に進もうとする人を応援していきますよ。
風香る5月 [2012年05月01日(Tue)]
爽やかな季節がやってきましたね(若干暑いけど・・・)。

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我が家のお花たちも次々と開花。大好きなオダマキさんが今年も咲いてくれました。相変わらずぷっくりしてて可愛い〜♪

ブルーベリーも花をつけたし、バラも、たくさんの蕾を空に伸ばしてますよ。

ぐんぐん育つ新緑を見ていると、元気をもらえますね。

なんかまた、奥入瀬渓谷に行きたいなあ。神様の吐息が聞こえるみたいな静謐な空間と、あらゆる緑のグラデーションが織りなす箱庭のような小さな宇宙。あれが日本の新緑美の神髄、という気がするから。
青山散歩 [2012年04月30日(Mon)]
先日、青山散歩に赴きました。

もともとカフェ巡りが趣味のひとつなんですが、最近はとんとご無沙汰で。久しぶりの新規開拓となりました♪

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まず向かったのは、Aoyama Flower Market Cafe。お花屋さんのなかにあるお店です。「ガーデン」「カフェ」などで検索したなかで最も惹かれたカフェで、11時のオープン後すぐに駆けつけました。

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店内はこんな感じで、壁にも天井にもテーブルにも、緑と花がいっぱい・・・!「こんなカフェがあるといいな」と夢見たイメージにとても近くて、心から感動のさざ波が押し寄せましたよ!!

ちょろちょろと店内を流れる水の音、全体に漂うマイナスイオン。癒し効果抜群です。

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こちらはリフレッシュ・ティー。爽やかですうっとする味でした。体が浄化されるような気持ちよさです。

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そしてこちらが、ランチのグリル野菜のサンド。値段の割に量は少なめですが、ヘルシーで美味しかったです。

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素敵カフェに巡り合えた奇跡に(笑)感動した後は、ゆっくり新緑のなかで本が読みたくて根津美術館へ。Korin展があったためけっこう混んでいましたが、お庭はゆったりできました。あちこちで穏やかな顔の道祖神に出会い、そっと触れてご挨拶。

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有名なかきつばたも、少し咲き始めていました。

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水音が、初夏の涼やかさを演出します。このせせらぎの側で、しばし休憩。読みかけだった村上春樹の「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」と「東京奇譚集」のページを繰ってみる。その感想はいつかまた別の記事で・・・と思いますが、美しい新緑のなかで風が湖面を揺らすように心に響きました。気持ちと選ぶ本がリンクしている。これも運命なのかしら、と思ったりして。

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2時間ほど本を読んだり、うたた寝をしたりとのんびり過ごした後、再びカフェに。これも、フラミンゴ・カフェという青山のカフェです。やっぱり緑がいっぱいです。

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調度も少し色あせたアンティーク仕様がいい感じです。この季節にオープン席は最高ですね!


つかのまの青山散策でしたが、たっぷり癒されました。

今はこういう時間がとても自分に必要な気がします。
本日は [2012年04月20日(Fri)]
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久方ぶりに夕食会なのです。

年末、そして3月に夜な夜な長時間一緒に会議室に詰めていたメンバーで・・・。

楽しみですグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

ちなみに、写真は今日の会とは関係ありません(笑)。

先週、無料のマクロビオティック料理教室にお邪魔したんです。肉や魚、乳製品を使わないマクロビ料理。日本発で、おそらく精進料理などの影響を受けている感じです。もともと、病人のリハビリ食だったので、体にとても良い。マドンナが日本人のコックを雇ってマクロビ料理を食べていたのは有名ですよね。

これは、そのときの写真です。体がデトックスされるような味でした。私ももっと健康に気をつけた食生活をしないと・・・。最近はなるべく野菜を多く採るようにしていますが。

でも、今夜は気にせずおいしいものを食べるのだレストラン。行ってきます!
1Q84の世界 [2012年04月19日(Thu)]
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1Q84を読んでます。

なぜ今頃読み始めたのかといえば、文庫本が出てくれたから。

・・・なのですが、うっかり何もオビを読まずに2冊購入し、猛スピードで読んでみたら。

話が全く終わらない!!!

それもそのはず。現在発売中の文庫本2巻は、単行本のBook1を前篇・後篇に分けたもの。つまり、まだこれからBook2の前篇・後篇、そしてBook3の前篇・後篇が発売されるということなのです!!

えええええ〜〜〜。

すでに単行本で出版されているお話なのに、なんで文庫本も小出しに出版しないとならんのですかね。これじゃあ先が気になって、気になって、気になるじゃないか。

ということで、自宅のソファでもだえ苦しんだ挙句、買ってしまいました^^;)。Book2とBook3の単行本。あ〜あ、せっかく文庫本発売まで待ってたのに。なんか商業主義に負けた気がするぞ!・・・で、今はBook3に突入したところです。


村上春樹の、不思議ワールド。この1Q84も摩訶不思議な現象が続き、まだわけがわからずに混乱してます。しかし、ありえない設定のなかで登場人物たちが見せる心の動き、価値観や想いは、とてもリアリスティックで胸の深いところに突き刺さる。行動の意味が伝わる。さりげない絶望や透明な悲しみの色が、目の前に現れる。村上春樹の小説は他の誰とも違っていて、面白い。

と言っても、昔は嫌いだったんですけどね。村上春樹が大ブレークしたのは私が高校生のときでしたが、羊男が出てきたり、登場人物がやけにニヒルだったり、物語全体の空気がブラックすぎたり。どうも斜に構えてわかりにくい話をわざと作っているように感じられたのです。

その印象が変わったのは、10年後。私が大人になってから。ニューヨークのブックオフで、何か日本語のさらっと読める本が読みたくて探していたとき、ふと手に取ったのが「レキシントンの幽霊」という短編小説集でした。以来、なぜか取りつかれてしまったのです。

なぜあのとき私は村上春樹に引き寄せられたんだろうか。1Q84を読みながらつらつらと記憶を手繰り寄せてみると、そのとき私はある種の死の恐怖みたいなものと戦っていたから・・・、少なくともそれが媒体になったから、という気がする。大きな病気から解放されてこれからという時だったけれど、自分も簡単に死ぬんだという恐怖はいつまでも自分を怯えさせたし、普通の生活や仕事をすることができるのか不安だった。物理的な死と、社会的な死。両方が背後から追いかけてくるようで、これから進む道は深い霧に包まれているみたいに感じられた。そんなときに村上春樹の、決して明るくもなければ特に救いもない物語に引き込まれ、なんとなく癒されたのだ。それは、心の手当てをしてくれた気がする。なぜだかわからないけど。

海辺のカフカも、アフターダークも、村上ワールドの住人はみんな、この世からどこか外れた世界に身を置いている。それが不思議で、とてもせつない。読んでいると、自分もその境界線をさまよった記憶がよみがえる。きっと誰にでも、そんな風にさすらった記憶がひとつふたつある。そういう心に、村上春樹の物語は共鳴し、とても沁みるのだという気がする。

だんだんと [2012年04月18日(Wed)]
だんだんと、職場にお客さんの多いシーズンになってきました。去年はGW明けに怒涛の電話と訪問攻撃で文字通りめまいを起こし、倒れこんだのを思い出します。

まあ、去年は震災があったので、2か月くらい陳情も自粛ムードだったんですよね。その分、GW明けに立て込んでしまったわけなので、今年は少し分散されていると思いますが・・・。

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我が家のお花もひとつふたつと花を咲かせていってます。こちらも、日陰ながら毎年咲いてくれるんですよ。

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先日寄せ植えした鉢。すくすくと伸びてます。

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球根から芽が出てるのを見つけ、慌てて地中に埋めたチューリップ。あんな手荒なことしたのに、こんなに大きなつぼみがついてます。もうすぐ咲きますね〜。

陳情には色々あるんですが、ちょっとびっくりしたのは先日の医療関係団体の陳情。社会保障と税の一体改革について要請があるとのことなので、「さくっと消費税上げて医療福祉を充実させてくれ」という内容かと思いきや、「消費税反対」「医療福祉の充実求む」「原発反対」が主でした。

何にびっくりしたのかと言えば、整合性の問題です。だって今や、社会保障費の半分近くは借金。充実を求める時点で増税は不可欠ではなかろうかという素朴な疑問が頭をもたげたわけです。もちろん、景気を良くするというとっても良い案もある。誰もがもろ手をあげて賛成する案だけど、問題は、ここ20年誰も景気好転に成功していないということ(チャレンジ不足も含め)。歳出を削減するという意見もあるけれど、2000億、5000億、2兆、3兆、といった削減額は個人には天文学的数字でも、国家の借金の前では焼け石に水。無駄を省く努力はすべきだけど、それで賄えるのはほんの一部だということもまた事実ですね。

そして、原発反対・・・。確かにあの事故のあとで原発を推進したいと思う人は少ないはず。原発の再稼働を叫ぶ人の大半は、実のところ原発推進派ではなく電力安定需給派。電力の安定供給が失われたら、個人や家庭の節約だけでは済まないことがわかっているからですね。長期的には再生可能エネルギーの比率を上げなくてはいけないけど、現時点で原発をゼロにすることは日本経済に深刻なダメージをもたらす恐れが高い。それは雇用を奪い、社会の活力を奪う。そして、有識者のことばを借りれば、再生可能エネルギーの比率を上げるための投資をもできなくなるかもしれない。何故なら、なんでも立ち上がりには莫大な投資が要るものだから。経済が落ち込んで困ること、それは貧しい生活に戻ること、ではないと私は思います。古き良き清貧の生活に戻ることは、必要に迫られればきっとできなくはない。むしろ怖いのは、新しいことにチャレンジする力、生活を楽しむ余裕、苦しんでいる人を助ける手段が、じわじわとこの国から失われてしまうことの方なのではないでしょうか。

話がずれたけれども、医療福祉こそ、電力の安定供給が最も必須な分野。原発をなくしてくださいという訴えの後、起こりうる電力不足の問題にはどう対処するのだろう。そこは良きにはからえ、ということなんでしょうか。

今の日本は色々な問題にぶつかっているけど、どの問題も日本人の知恵や忍耐や経験があれば、乗り越えられなくはない危機だと思ってる。だけど心配なのは、およそどの分野、どの業界にも評論家気質というか、無責任体質が染みついていること。批判はするけど、全体としての整合性は考えない。「自分ならこうする」という解決策を組み立てて提示しない。執行者は別にいて、自分はそこに物申すだけ。そんな空気が、あちこちに蔓延しているような気がします。国会議員は国民の代表だけど、国民の声を代弁するだけなら誰でもできる。増税はだれだって嫌だし、原発もないほうがいい。それでも必要ならそう言って説得しなければならないし、必要でないなら、現実的な代替案を示せなくてはおかしい。それができてこそのリーダーではないでしょうか。業界団体は業界の利益を代弁する存在だけど、それだって日本あっての業界なのだから、この国が成り立つ程度に市筋の通った、整合性のとれた形で要求ができなければ無責任だと思う。マスコミだって、有権者だって同じこと。要求には責任が伴う。目に見える被害者だけを考えていると、目に見えない影響や被害を見落としてしまう。それは往々にして、本来守りたかったはずのものに降りかかってくる。そこには時間差があり、相関関係の曖昧さがあるから、パッと見わからないけれども。

私自身は、消費税は上げるべきだし、原発はとりあえず安全なものから再稼働させるべきだと思っています。消費税を上げれば、当然景気を冷やすことになる。例えば増税慎重派のなかで、竹中平蔵教授の言われる意見は理論的にとても正しく、最もだというふうに感じる。しかし、大切なことはその解決方法が実際に短期間で実行できるかどうかだ。成長戦略、歳出の削減。確かにその2つを組み合わせれば消費税以上のポジティブな効果がある。だが、今の日本にそれができるだろうか。ねじれがなければ、政権にもっと国民からの信認があれば、イタリアのスーパーマリオのようなリーダーが突然現れれば、あるいはできるかもしれない。今後そういう状況が生まれるかもしれないけど、少なくとも今はそうではないと思う。そして、「時間」の概念と「実行性」こそ、長年の先送りのあとで最も私たちが必要としているものではないだろうか。

原発の再稼働については、40年廃炉ルールに合わないもの、安全性が特に厳しいと思われるものを除外する。その上で、定期点検でとまっているだけの特に問題のない原発は動かす。新規建設はしない。だから、この先も40年経ったものから廃炉となり(大型地震の可能性が強い地域のものも)、数はどんどん減っていく。その間に日本中の英知を集めて再生可能エネルギーの比率を最大限上げていく。それがベストではないかと思っています。私も身近なところに原発があったら嫌だけど、日本がすたれ、立ちあがる気力もなくし、若者には十分な機会も提供できない、そんな国にしたいとは思わない。そして原発ゼロでの電力不足の深刻さは、細かくみれば推計におかしなところがあり得るかもしれないけど、おおむね事実であり、脅しやごまかしではないと思っているから。もうひとつ言うと、たとえあらゆる手段を講じて電力不足を乗り切ったとしても、この電力需給不安が海外や国内の企業に与える心理的影響はあまりに大きい。誰もそんな恐ろしいリスクのもとでビジネスをしたいとは思わない。その心理的な影響が、一番怖いものだと思うのです。


日本政府は、こんなに財政が悪化する前に手を打つべきだった。原発事故のあと1年の間に、ちゃんと中長期での「脱原発依存」路線を示して、そのうえで当面の電力需給問題を扱っていたら、こんなに不信感を与えることもなかっただろう。そこは十二分に批判していいところだと思う。だけど同時に、今後どうすればいいか、社会の構成員みんながそれぞれの立場で整合性を持って、要求や意見に伴う責任を引き受けて発言をしていくべきだと思う。そうできるように、私は私の立場で情勢を勉強していかねば、ですね。