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一期一会

運命というのは 努力した人に 偶然という橋を架けてくれる


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最期の能登の旅 [2009年02月21日(Sat)]
例年に比べて雪が異常に少ない最近の金沢ですが、
今年も2月になったにもかかわらずあまり雪が積もっていません雪

そんな2月の初めは東京で迎え、研修として採用説明会のお手伝いをしてきました。

大した事は何もしていませんが、とても学ぶことが多かったように思います。
というのも、学生という立場からではなく、内定者という立場から財団を見ることができ、
今まで気付かなかった多くの発見がありました。
特に説明会で聞いた財団の姿勢、価値観、職員の方の実体験は
就職活動という眼鏡越しに見ていた姿とは違って、なんというか、
色が付いたといいましょうか、人間らしい新鮮味があり、
もうすぐ働く自分にとってはとても良い刺激になりました。

また、今回は研修を通じていろんな職員の方と気軽にお話させていただいて、
不安だらけの浅岡としては少し気が楽になったように思います。


その後金沢に帰ってから「最期の能登旅行」と銘打って、
イギリスの留学生2人と奥能登出身の友人の実家を訪ねました。

能登は何回行っても良い所です音符
行く度になにか新しい体験やら発見があります。

今回は友人の家に行って、近くの温泉に入って、
夜は能登のおいしい魚をご馳走していただきました。


ほんまにおいしかったです乾杯
特にイカはおじいちゃんがイカ漁船を所有しているらしく、
めっちゃめちゃおいしかったです。


これはおばあちゃんの手作り梅酒です。いうまでもなく最高でした。


翌日はそのおじいちゃんのイカ漁船を見学させてもらって金沢に向けて出発し、
途中で草鞋作り体験をしました。

これがまた非常に楽しかったです。
昔ながらの方法で自分の手で藁を紡ぎながら編んでったんですが、
なかなかに難しい。その分夢中になって話すことすら忘れながら作ってしまいましたクジラ
イギリスの友人2人もめっちゃ喜んでくれて、日本人として嬉しかったです☆


ちなみにこれが僕の作った草鞋です。



最期にふさわしい良い旅でした。


競艇収入の使い道 [2009年01月31日(Sat)]
前回の競艇研修で計らずも勝ってしまった臨時収入についての
使い道のレポートです。


その@・・・・・・寒ブリ



うまふぎですハート
近江町市場というところのお気に入りの魚屋さんに僕はよく行くんですが、
今回もそこで買いました。
ちなみに近江町市場は17時にだいたいの魚屋さんは店じまいします。
だから僕が行くのは必ず16時30分。
その頃に行くとだいぶ安くしてくれるんです。
当然このブリも通常より値切って買いました魚

醤油は前にブログで書いた能登の醤油屋さんで買った刺身醤油です。
それに加え、炊きたて白米とサッポロビールと寒ブリはまさに豪遊でした。

幸せを感じましたクローバー


そのA・・・・ドーナッツ

前の研修の際に職員の山田さんに教えていただいた金沢のドーナッツ屋さんに、
共同論文の話し合いの合間に行ってきました太陽





小さなお店ですが、外観は木造風になっており、かわいいお店でしたサル




日本財団の支援事業の一つなので、ちゃんとマークが付いていました。



そして本題のドーナッツです。
僕はチョコが好きなので全部チョコ系のを買いました。
なんか一つ一つ丁寧に作った手作り感があって非常においしかったです!!
人の温かみを感じましたまる


あと残りのお金は、
オカンに加賀梅酒とキットカットでも買ってあげようと思いますOK
あけましておめでとうございます。 [2009年01月16日(Fri)]
年が明けてもう16日。
未だに初詣に行ってないのでいつ罰が当たるかビクビクしています幽霊
ゼミの共同研究の最終発表があり、そちらに集中してブログの更新をまたもや怠ってしまいました・・・困った
先日2回目の内定者研修があったのですが、
同期のみなさんは翌日にはちゃんとブログにそのことを書いてました。

みんな偉い拍手まる

一方僕はと言えば1つのことしかできないようじゃ、社会人として失格です。
今年はこの点を目標にして頑張りたいと思います。

その研修で今回初めて同期が全員顔を合わせました。
皆さんほんまに良い人達で親切で、とても同期に恵まれました笑顔
これから切磋琢磨して頑張っていければと思います力こぶ

また今回はたくさんの財団職員の方々と話す機会がありました。
皆さんとても優秀で正直不安は増す一方ですが、
アホはアホなりに努力を重ねたいと思います。

今回の研修では2日目に平和島の競艇へ行きました。
間近で見ると迫力がすごかったですびっくり
その後いよいよ賭けようということになって、
でも僕はやり方すらわからないド素人ですブタ
とりあえず近くのおっちゃんに話しかけて、
おっちゃんの予想が書いた紙を頼りに適当に賭けてみました。

そしたら2レース連続で的中してしまいました。

その時僕は考えました。
このままではまずい。
1回くらい負けておかないと、
「こいつ、研修やのに、空気も読まんと、なに本気で賭けてるねん」
ってな感じになってしまう。

そのため3回目はおっちゃんには頼らず、
可能性の低い、倍率の高い舟券をいくつか買いました。

3枚中2枚が的中してしまいました。

僕も同期の皆さんも正直引いてしまいました宇宙人

新年早々運を使い切ってしまったと感じ、
僕は本気で帰りの飛行機が落ちるんじゃないかと思いましたが、
生きててほんとに良かったですニワトリ

次回からはそこで計らずも得たお金の使い道についてレポートしていきたいと思います星
語り部処 [2008年12月19日(Fri)]
先日、現在取っている「NPOと社会」という授業の一環で、
石川県七尾市に行ってまいりました笑顔

今回は七尾市の商店街活性化のために様々な企画を実施している
「情報処しるべ蔵」の方が講師をしてくれました。

七尾市も例に漏れず、少子高齢化や若者の都会への流出、
郊外のショッピングセンターの設立などによって、
街中の商店街からかつての活気が失われかけています。

それを改善する一つの施策として、ここでは「語り部処めぐり」ということを行っています。
商店街自体は非常に小さいですが、
価値ある歴史や魅力的な建物を持っている店が多いことに着目して、
それぞれの店でできる特色を直接の言葉や触れ合いを通じてお客さん伝えて楽しんでもらおうというものです。

つまり「語り部処」に参加している店に行けば、語り部さんたちの人情や七尾の歴史・生活文化が体験でき、普通の観光ではなかなかできない、その土地の人と触れ合える、思い出深い旅が味わえるというわけです。

今回僕はフィールドワークとしていくつかの語り部処を回りましたが、非常に楽しかったですまる

例えばそのうちの1つに「小山屋」という醤油屋さんがあったのですが、
それはそれは感動しました。
僕は生きてきてこれまで醤油屋さんなんぞ見たことがなかったので、
まず蔵の中の醤油を貯蔵しているでかい樽にびっくりしました。
そしてなんといっても醤油のその「香り」です。
香ばしいと言うか、なんというか、ほんのり甘みが入ったような素晴らしい匂いでした。
いつもジャスコの一番安い醤油しか買ってない僕に取ったら、
世の中にこんなに良い香りのする醤油がある事自体が驚きでした。

小山屋さんでは先刻の能登地震によって蔵が崩壊してしまい、
それを機に改装したそうです。
しかし元あった歴史ある蔵を補強する形で建てられており、
古い道具等をそのまま残しながら、2階では催し物ができるようになっていました。



こういう風に古いものを再利用するのは良いことです。
でもここのご主人は新しく良い物はどんどん取り入れるべきだという考えらしく、
醤油の製造にも衛生面を最優先して機械を積極的に取り入れてるそうです。
確かに時代は移り変わっているので、古さの価値を認めながらも悪い部分は改善して、
時の流れに対応していくのは重要なことだと思いました。

普段見慣れないものを見て、普段触れ合わない人と触れ合って、
そういう旅はとても思い出深いものになると身をもって経験できました。

ちなみにあんまり面白かったので、
小山屋さんで「さしみ醤油」を買ってしまいました音符
近いうちに刺身を買ってこよジョッキ
ブリですね、今は。北陸の寒ブリは最高です。

明日はこの授業のまとめで、もう1度この七尾市に行く予定なので、
色々勉強してきたいと思います力こぶ
寒い!! [2008年12月08日(Mon)]
最近金沢はどんどん寒くなってきました・・・。
昨日なんてもう風は吹くわ雪は降るわで、
てんやわんやでした困った

雪と言えば、白くてしんしんと音も無く降る美しいイメージがありますが、
現実はそんな甘美なものではありません。
いや、そういう場合ももちろんありますが、
稀です。
北陸の雪は湿気を多く含んでいるからか、
やたらごっついのが降ってきます雪

雪と言うか、毎回アラレに近く、
ひどい時はBB弾よりも一回り大きい、
直径7mm強の殺人的なのが降ってきます。
そのため毎回家にいてもすごい音がするほどですダメ

そんなとても怖い雪ですが、僕はそれでも雪が好きです。
雪だるまは作れますし、雪合戦もできます。
雪が降った翌日太陽が射せば、
街いっぱいの白い雪が反射して、
それはそれはきれいに輝きますキラキラ
雪が降るだけで違う世界にいったような気持ちになれます。

でも雪が降ることで1つだけどうしても嫌なことがあります。
それは行動範囲が極端に狭くなることです。

僕は原付に乗っているのですが、
そもそも雪が積もっていては乗れません。
以前に試しに乗ってみたら、普通にこけてミラーが1つ折れましたブタ

また、雪が積もっていなくても降っている時だけで乗れません。というか乗りたくないです。
なぜならば、僕が普通に原付で走ると、
直径7mm強の雪が時速40kmを超えるスピードで僕の顔面に飛んでくるわけです。
想像を絶する痛みなので、僕は毎回乗りながら「あぁ、顔が血まみれになってる」と思うのですが、
実際に止まって顔を触ってみると、血の1つも出てくれてません。
そのため誰も心配してくれません。これでは痛み損です。
だから乗りたくないのです。

そもそも空からなんであんな白い物体が降ってくるのか、
不思議で仕方ありません。
あれはなんなんでしょうか。奴はなんの目的で僕に時速40kmでぶつかるのでしょうか。
僕は文系なのでその辺の理屈わかりません。
理系の方、是非教えて下さい。

ブログ史上最高にまとまりの無い日記になってしまいましたが、
とりあえず寒くなってきた金沢で毎日こんなどうでもいいことを考えながら、
僕は退屈しない楽しい毎日を送っています乾杯
茅葺き農家群 [2008年11月04日(Tue)]
今回はちょっと授業で面白い体験をしたので、それを書きたいと思います太陽

今期取っている授業の一つに「NPOと社会」というプロジェクト科目があるんですが、
これは普通の講義とは違って、実際にNPOで働いている人が講師となって
休みの日を利用してNPOについて学んでいきます。

今回は茅葺き農家群の保存活動を行っているNPOの方から色々お話を聞きました〓

場所は湯涌温泉というかなり山奥だったので、それぞれバスに乗って現地集合だったのですが、
僕はとりあえず財布を忘れてバスに乗り遅れたので、
仕方ないから1人で原付で30分ほどかけて行きました。

午前中は茅葺き農家内でNPO法の概論や、そこで働いておられる方の生きた話を聞きました。
茅葺きは昔からありましたが、当時の町で一番恐れられたのは「火」でした炎
つまり火災によって町が燃えてしまうことを恐れたために、多くの城下町では燃えやすい茅葺きという家の造りは禁止されていったそうです。
そのため茅葺きの家は農村部を中心に広がり、昭和40年くらいまではけっこう残っていたそうです。
しかし時代の流れで海外の文化が入ってきたり、
もっと便利な瓦やトタンの家が普及したり、様々な要因が重なって、
急激に減少していったそうです。
一方環境問題が深刻化している現在では、エコという面で茅葺きが注目されており、
イギリスやオランダでは国立大学で日本の茅葺きを取り上げた授業もしているそうです。



僕は日本文化大好きなので、茅葺きの家の中で授業していて、
間違いなく1人だけテンション高かったですサル
「匂い」とか「音」とか「光加減」とか「造り」とか、色々なものが合わさってとても厳格で質素で、うまく言えませんが、人間らしい気持ちになりました。
こういう家が再び注目されるのは喜ばしいことですOK


午後からは実際に石川県内の茅葺き師の方の下で茅葺き体験をしました。
侮ることなかれ、めちゃめちゃ「大変」でした。かなりの重労働ですダメ

この大変な作業を昔は「結い」と呼ばれる合理的な仕組みで行ったそうです。
つまり1家族ではとてもやりきれない作業なので、○○さんの家が終われば、次は○○さんの家をやってという具合に集落ごとに総出で1つの家の葺き替えをやるということです。
金銭でのやり取りではなく、労働力の貸借、持ちつ持たれずという仕組みで、
現在の希薄な人間関係の社会では考えられないもんだと感じました。

葺き替え作業はまず「端」と「平」に分かれます。
端ってのはその名の通り端っこで、まずはそこから茅を葺いて作っていきます。
その後真ん中の部分である平を作ります。
                   (↓こんな感じです)



足場は一本の竹を屋根に組んで、その上で作業します。隙間ができるとすぐに腐ってしまうので、
とにかくタイトに敷き詰めて、きつくきつく縄で縛ります。
釘やネジなどの金属は使いません。すべて自然の恩恵だけを利用して、あんなにも丈夫で綺麗な家が出来上がると考えると、すごいの一言に尽きました。
ちなみに1回葺くと、30から40年は持つそうです。
葺き師さんはこれを真夏のカンカン照りの中でやることもあるらしく、それは本当にしんどいとおっしゃってました太陽

今回の授業で、茅葺き師さん達は特に理屈なんか関係なくこの仕事をしているんじゃないかと感じました。
NPOの方達は茅葺きの保存とか啓蒙活動とかする上で、周りの人達を巻き込むために、色々説明しなければなりません。そして相手の関心を買って納得させるだけの理屈が必要になります。だから授業でも「茅葺きは○○に役立つ」とか「○○の効果がある」といった「なるほど」と思う説明が多かったです。

でも茅葺き師の方達はNPOの人たちとは別ですから、仕事をする上で自分を納得させる理由だけあれば十分です。
そしてその理由は科学的や論理的な理屈ではなくて、「良いものだから」とか「大切なものだから」というような本能に近いものじゃないかと、あまり多く語らず黙々と仕事をする茅葺き師さんたちを見て感じました。
こういう生き方をしている人は本当にかっこいいなと思います。

バスに乗り遅れたり、トイレの鍵をかけ忘れて哀れな姿を見られたりもしましたが、
体験して初めてわかることは多いなと改めて感じた1日でしたまる

ほうらい祭り [2008年10月06日(Mon)]
僕は月に2回(たまにサボりますが)、
寮の留学生を対象にした文化教室の1つである「書道」に参加しています。

そこの先生のお誘いで、
昨日は白山市鶴来地区でやっている「ほうらい祭り」というのを見てきました乾杯

約800年ほどの伝統がある格式高いお祭りだそうで、
鶴来地区内を神輿や造り物や獅子舞が回ります。

昨日はあいにくの雨だったにもかかわらず、
それぞれの家でご祝儀をもらい、
その感謝として1件1件に厄払いの意をこめた詩やらを元気よく唄っていました拍手

中でも面白かったのが「造り物」。
高さ5mほどの張り子を大勢の人で担ぐのですが、
その張り子のキャラクターは、どうやらなんでもアリなようでした。




これは「ゲゲゲの鬼太郎」です。
正直怖すぎます。リアルすぎました。
ちなみに手には「目玉の親父」、鬼太郎の乗ってるものは「一反木綿」です〓



雨対策のビニールでわかりにくいですが、
これは「源義経」です。
こういう真面目な歴史上の人物ももちろんいましたOK



「石川五右衛門」もいました。ルパンがいなかったのが救いでした。

といったバラエティに富んだ感じで、見ている側としては面白かったですキラキラ

歴史ある祭りも時代を追うごとに形を変えるんだと実感しました。

今回は先生の叔母さんがこの地区に住んでいた縁で誘っていただけましたが、
こういう小さなお祭りは知り合いがいないとなかなか見る機会がありません。

そういう点では今回ほうらい祭りを見れたのはとても貴重な経験でした笑顔
これからもずっと続いてくれればと思います!!
初記事-北海道より- [2008年10月01日(Wed)]
はじめまして。
僕は来年の春から日本財団で働かせてもらう予定の内定者です。
内定者研修の時にこのブログを頂き、後日に気合いを入れて書いたのですが、
パソコンが意味不明なエラーを起こし、
書いてた文も気持ちよく消え去りました。
そろそろその傷も癒えてきたので、
エラーに怯えながら初めての記事を書きたいと思いますサル

今日から10月ですね。
僕は10月を北海道で迎えました。そして寒いです。
僕と北海道との出会いは小学6年生の時です。
当時、海浜留学制度というのがあり、よくわからないまま僕は「うん」と頷きました。
そしたら飛行機に乗せられてました。
そんな感じで僕は北海道の音調津(オシラベツ)というところで親元離れて3年間暮らしましたニワトリ

今回は「時間のある内に・・・」と思い、久しぶりに音調津を訪れました。
ここはとても小さな漁師町で、去年には僕の通っていた小中学校も閉校に追い込まれ、
今では人口100人程(目測)しかいない集落です。
しかしどんな逆境の中でもここの人々は恐ろしいほどパワーに溢れています。
今回僕は音調津の秋祭りを手伝いましたが、
地域全員が参加する気持ちのこもった小さな小さな秋祭りは、
どんな大規模で派手な祭りよりも人間味があって楽しいものでした。
子供たちは年に1回のお金を使う好機を活かし、僕の「くじ引き屋」で湯水の如くお金を使っていましたが、その気持ちが僕にはとてもわかりました。
昔と違い、今はもう自分が支える側にいるんだと思うと不思議でしたが、
単純に喜んでくれるみんなの顔を見てると、
この一見廃れた集落の底なしパワーにこれからも貢献したいと思いました。

僕はある漁師さんの家で3年間お世話になりました。
おじさんと2人の兄ちゃんたちにほぼ毎日ぶん殴られてた良い思い出があります。
夏の昆布漁の時期は夜は19時(早くて17時)に「寝れ」と言われ(寝れるわけありません)、
朝は4時(時々3時)に叩き起こされました。
もちろん起こすときは木刀(おじさんの機嫌がよければ竹刀)です。
休みの日はほぼ全日お手伝いなので、毎日ジャージです。
恐ろしくてジーパンなんかはけません。
髪の毛をバリカンで坊主に、夏は風呂の代わりに川で入浴、冬はトイレの代わりに外で立小便などなど。
まだまだありますが、切りが無いのでやめます。

とにかくそのお陰で今の自分があると思っています。

おじさんはめちゃめちゃ厳しい人ですが、何にも揺るがない真っ直ぐな愛情をもって接してくれました。僕が3年間耐えられたのはそれがあったからです。
音調津に帰ると、言葉は厳しくても、とても温かく迎えてくれます。
自分に帰る場所があるということは本当にありがたいことだと、今回改めて感じました。

帰る時恒例の「もう来んなよ」を言われましたが、ここはツンデレ喫茶と同じです。
僕はまた意味を勝手に履き違えて、僕が死ぬまで音調津の敷居を跨ぐ予定です。

さて、今日からは与えられてた課題の続きに励みたいと思います困った