初記事-北海道より-
[2008年10月01日(Wed)]
はじめまして。
僕は来年の春から日本財団で働かせてもらう予定の内定者です。
内定者研修の時にこのブログを頂き、後日に気合いを入れて書いたのですが、
パソコンが意味不明なエラーを起こし、
書いてた文も気持ちよく消え去りました。
そろそろその傷も癒えてきたので、
エラーに怯えながら初めての記事を書きたいと思います
今日から10月ですね。
僕は10月を北海道で迎えました。そして寒いです。
僕と北海道との出会いは小学6年生の時です。
当時、海浜留学制度というのがあり、よくわからないまま僕は「うん」と頷きました。
そしたら飛行機に乗せられてました。
そんな感じで僕は北海道の音調津(オシラベツ)というところで親元離れて3年間暮らしました
今回は「時間のある内に・・・」と思い、久しぶりに音調津を訪れました。
ここはとても小さな漁師町で、去年には僕の通っていた小中学校も閉校に追い込まれ、
今では人口100人程(目測)しかいない集落です。
しかしどんな逆境の中でもここの人々は恐ろしいほどパワーに溢れています。
今回僕は音調津の秋祭りを手伝いましたが、
地域全員が参加する気持ちのこもった小さな小さな秋祭りは、
どんな大規模で派手な祭りよりも人間味があって楽しいものでした。
子供たちは年に1回のお金を使う好機を活かし、僕の「くじ引き屋」で湯水の如くお金を使っていましたが、その気持ちが僕にはとてもわかりました。
昔と違い、今はもう自分が支える側にいるんだと思うと不思議でしたが、
単純に喜んでくれるみんなの顔を見てると、
この一見廃れた集落の底なしパワーにこれからも貢献したいと思いました。
僕はある漁師さんの家で3年間お世話になりました。
おじさんと2人の兄ちゃんたちにほぼ毎日ぶん殴られてた良い思い出があります。
夏の昆布漁の時期は夜は19時(早くて17時)に「寝れ」と言われ(寝れるわけありません)、
朝は4時(時々3時)に叩き起こされました。
もちろん起こすときは木刀(おじさんの機嫌がよければ竹刀)です。
休みの日はほぼ全日お手伝いなので、毎日ジャージです。
恐ろしくてジーパンなんかはけません。
髪の毛をバリカンで坊主に、夏は風呂の代わりに川で入浴、冬はトイレの代わりに外で立小便などなど。
まだまだありますが、切りが無いのでやめます。
とにかくそのお陰で今の自分があると思っています。
おじさんはめちゃめちゃ厳しい人ですが、何にも揺るがない真っ直ぐな愛情をもって接してくれました。僕が3年間耐えられたのはそれがあったからです。
音調津に帰ると、言葉は厳しくても、とても温かく迎えてくれます。
自分に帰る場所があるということは本当にありがたいことだと、今回改めて感じました。
帰る時恒例の「もう来んなよ」を言われましたが、ここはツンデレ喫茶と同じです。
僕はまた意味を勝手に履き違えて、僕が死ぬまで音調津の敷居を跨ぐ予定です。
さて、今日からは与えられてた課題の続きに励みたいと思います
僕は来年の春から日本財団で働かせてもらう予定の内定者です。
内定者研修の時にこのブログを頂き、後日に気合いを入れて書いたのですが、
パソコンが意味不明なエラーを起こし、
書いてた文も気持ちよく消え去りました。
そろそろその傷も癒えてきたので、
エラーに怯えながら初めての記事を書きたいと思います
今日から10月ですね。
僕は10月を北海道で迎えました。そして寒いです。
僕と北海道との出会いは小学6年生の時です。
当時、海浜留学制度というのがあり、よくわからないまま僕は「うん」と頷きました。
そしたら飛行機に乗せられてました。
そんな感じで僕は北海道の音調津(オシラベツ)というところで親元離れて3年間暮らしました
今回は「時間のある内に・・・」と思い、久しぶりに音調津を訪れました。
ここはとても小さな漁師町で、去年には僕の通っていた小中学校も閉校に追い込まれ、
今では人口100人程(目測)しかいない集落です。
しかしどんな逆境の中でもここの人々は恐ろしいほどパワーに溢れています。
今回僕は音調津の秋祭りを手伝いましたが、
地域全員が参加する気持ちのこもった小さな小さな秋祭りは、
どんな大規模で派手な祭りよりも人間味があって楽しいものでした。
子供たちは年に1回のお金を使う好機を活かし、僕の「くじ引き屋」で湯水の如くお金を使っていましたが、その気持ちが僕にはとてもわかりました。
昔と違い、今はもう自分が支える側にいるんだと思うと不思議でしたが、
単純に喜んでくれるみんなの顔を見てると、
この一見廃れた集落の底なしパワーにこれからも貢献したいと思いました。
僕はある漁師さんの家で3年間お世話になりました。
おじさんと2人の兄ちゃんたちにほぼ毎日ぶん殴られてた良い思い出があります。
夏の昆布漁の時期は夜は19時(早くて17時)に「寝れ」と言われ(寝れるわけありません)、
朝は4時(時々3時)に叩き起こされました。
もちろん起こすときは木刀(おじさんの機嫌がよければ竹刀)です。
休みの日はほぼ全日お手伝いなので、毎日ジャージです。
恐ろしくてジーパンなんかはけません。
髪の毛をバリカンで坊主に、夏は風呂の代わりに川で入浴、冬はトイレの代わりに外で立小便などなど。
まだまだありますが、切りが無いのでやめます。
とにかくそのお陰で今の自分があると思っています。
おじさんはめちゃめちゃ厳しい人ですが、何にも揺るがない真っ直ぐな愛情をもって接してくれました。僕が3年間耐えられたのはそれがあったからです。
音調津に帰ると、言葉は厳しくても、とても温かく迎えてくれます。
自分に帰る場所があるということは本当にありがたいことだと、今回改めて感じました。
帰る時恒例の「もう来んなよ」を言われましたが、ここはツンデレ喫茶と同じです。
僕はまた意味を勝手に履き違えて、僕が死ぬまで音調津の敷居を跨ぐ予定です。
さて、今日からは与えられてた課題の続きに励みたいと思います
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