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中嶋れん(日本共産党 前宮城県議会議員)のブログ
日本共産党宮城県委員会政策委員長。
シエルの会(自閉症児の親の会)会長。
原発問題住民運動宮城県連絡センター 世話人。
東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター事務局次長。
青森県むつ市大畑町生まれ。青森高校、東北大学理学部物理学科卒。
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女川原発の再稼働「県民は同意していない!」の街宣に、たくさんの市民がうなづいていました。たいへん励みになりました。再稼働中止の新たな闘いを呼びかけました。[2020年11月23日(Mon)]
 宮城県内の脱原発運動が共同で本日12時から、仙台市青葉区の平和ビル前で街頭宣伝を行いました。「県民は同意していない」!「町長からの反対意見、市長からの慎重判断を求める意見も村井知事に封じられた!」という訴えに、うなづく市民がたくさんいました。参加者は25人、用意したチラシ400枚がほぼなくなりました。
 たいへん励みになりました。参加されたみなさん、お疲れ様でした。

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政権交代で女川原発の再稼働中止を、仙台の労災・日赤病院、県立がんセンターの統廃合中止と医療を充実させる政治への転換をー市民連合@みやぎの街宣で訴えました。[2020年11月22日(Sun)]
 市民連合@みやぎの呼びかけで11月22日、市民運動と野党の代表・地方議員による共同宣伝がありました。
 大崎市長や宮城県議会議員の感染が報道され、新型コロナ「第3波」の拡大を痛感する中での取り組みです。現職県議がPCR検査と自宅待機を要請されて参加不可でしたので、村井知事による仙台の労災・日赤病院、県立がんセンターの統廃合を中止させ、医療を充実させる政治への転換を訴えました。また、政権交代で女川原発の再稼働中止を実現しようと呼びかけました。

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雑誌『議会と自治体』12月号に、女川原発の再稼働中止と「原発ゼロ」の日本をめざす展望を寄稿しました。[2020年11月22日(Sun)]
 雑誌『議会と自治体』に、「女川原発の再稼働をキッパリ断念し、再エネ資源を活かす政治を」と題する記事が掲載されました。11月24日発売です。
 宮城県民は女川原発の再稼働に同意してはいません。市町村長会議は、物事を決定する場ではなく、反対・慎重の意見が続出したため、村井知事はその場で同意を表明することができませんでした。
 寄稿した記事は、「原発ゼロ」の希望ある未来をめざす道と、原発・石炭火力に固執する道との対決になっている現状を浮かび上がらせようとしたもので、沸騰水型原発の安全対策があてにはならず、女川原発は本来は「不合格」にすべきだったことを述べています。
 女川原発が東日本大震災で重大事故を免れた偶然について、敷地高が14.8bであったことを平井弥之助・東北電力副社長の卓見によるものだという「都市伝説」について、首藤伸夫・東北大学名誉教授(津波工学)がこれを否定する見解を表明しています。検証こそ求められていると考えています。
 住民運動が、2号機・3号機増設の際の公開ヒアリングで要求し、原発の面前の女川湾を4b浚渫させました。これが女川原発の重大事故を防ぎ、東日本壊滅の事態を回避することができた要因だった可能性が浮かび上がっています。原発の安全性を問い続けることが、いかに重要かを示しています。
 女川原発の再稼働中止、「原発ゼロ」の日本を求める闘いが、希望ある未来に地続きでつながっていると確信しています。
 
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仙台弁護士会が、女川原発の再稼働に反対する会長声明(11月20日)[2020年11月21日(Sat)]
 仙台弁護士会が11月20日、女川原発の再稼働に反対する会長声明を発表しました。声明文は以下のとおりです。

女川原子力発電所2号機の再稼働に反対し,あらためて原子力発電からの撤退を求める会長声明

1 宮城県議会は,2020年10月22日,東北電力女川原子力発電所(以下「女川原発」という。)2号機の早期再稼働を求める請願を賛成多数で採択した。これを受けて,宮城県知事は,同年11月11日,石巻市長及び女川町長と協議した上で再稼働の前提となるいわゆる「地元同意」を表明し,同月18日経済産業大臣に対し「地元同意」を伝達した。今後女川原発2号機の再稼働に向けた動きが加速することが予想される。

2 しかしながら,原子力発電所は,人の生命・身体に対して重大な侵害の危険を及ぼす核燃料物質を大量に利用する発電システムであり,ひとたび重大事故が起きれば時間的・空間的に人知を越える甚大な被害を与え,居住移転の自由(憲法22条1項),財産権(憲法29条),そして平和的生存権(憲法前文,13条,25条)を侵害し,個人の尊厳(憲法13条)に反する最大級の人権侵害を惹き起こすことになる。実際に東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故による未曾有の被害を経験した国民・県民は,このような認識を広く共有している。

3 当会は,上記のように原子力発電所が重大な人権侵害を惹起する危険性のある施設であることに鑑み,2012年2月25日,「原子力発電所からの撤退を求める決議」(以下「2012年決議」という。)を採択した。2012年決議では,国及び原子力発電所等原子力関連施設を有する発電事業者に対して,
⑴ 原子力発電所の新増設(計画中・建設中のものも全て含む。)を止めること。
⑵ 既設の原子力発電所のうち@福島第一及び第二原子力発電所,A敷地付近に活断層が存在したり大規模地震が周期的に発生している地域にあるもの,B運転開始後30年を経過したものは直ちに廃止すること。
⑶ 上記以外の原子力発電所は,10年以内のできるだけ早い時期に全てを廃止すること。廃止するまでの間は,安全基準について国民的議論を尽くし,その安全基準に適合しない限り運転(停止中の原子力発電所の再稼働を含む)しないこと。
⑷ 今後のエネルギー政策は,再生可能エネルギーの推進,省エネルギー及びエネルギー利用の効率化を政策の中核とすること。
を求めた。
 現在,2012年決議から8年9か月が経過したが,当会としては,依然として,あと1年3か月の間に女川原発を含めた国内全ての原子力発電所を廃止し,再生エネルギー等へのエネルギー転換を図るべきものと考える。実際に,現在国内で稼働している原子力発電所は九州電力の玄海原子力発電所4号機の1基のみであるが,全国の電力供給に特段の問題は生じておらず,このようなエネルギー転換も十分実現可能である。

4 女川原発については,「男鹿半島−牡鹿半島構造帯」という東北地方有数の地震地帯に位置し,2008年の岩手・宮城内陸地震をはじめ過去に度々地震の被害を受けており,2012年決議の⑵Aに該当するものとして,当会は,直ちに廃止することを求めていた。これに加えて,女川原発は,周期的な大地震の震源地である三陸沖に臨む立地であり,東日本大震災においても被災したこと,女川原発2号機は,運転を開始して25年を経過しており老朽化の入口に差しかかっていること等原子力発電所の設備そのものの安全性に関する問題を抱えており,さらに近時は,女川原発にかかる重大事故を想定した広域避難計画の実効性についても大きな疑問が投げかけられている。
 女川原発2号機については,原子力規制委員会の新規制基準適合性審査を経て,2020年2月26日,同委員会により原子炉設置変更許可がなされてはいる。しかし,この新規制基準は,同委員会自体が,この基準を満たすことによっても絶対的な安全性が確保されるわけではないものとも説明しており,なお重大事故の発生の可能性があることは否定できない。

5 女川原発2号機の再稼働については,宮城県議会9月定例会の審議を経たものの,県民の声を直接集約する住民投票等の手続を経たわけでもなく,現状では,多くの県民が抱く女川原発2号機の安全性に対する不安が完全に解消されたとは言い難い。
 エネルギー基本計画においては,原子力発電所の再稼働にあたって,その安全性に対する国民の懸念の解消に全力を挙げることを前提とすべきこととされている。それにもかかわらず,住民の不安が解消されているとは言い難い状況のもと,宮城県知事及び女川原発の立地自治体が女川原発2号機の再稼働を容認し,同意を表明したことについて,当会は遺憾の意を表さざるを得ない。

6 宮城県は,福島第一原子力発電所の立地県に隣接し,同原発事故による放射性物質の拡散により広範かつ多くの県民が多大な被害を被った。そればかりか,県内には同原発事故により故郷を離れることを余儀なくされた多くの避難者が現在も生活しており,県民の多くが未だに同原発事故からの復興の最中にある。同原発事故で私たちが得た教訓は,いかなる原子力発電所も重大な事故を発生させる可能性があり,いったん事故が発生すれば,立地自治体の住民に限らず,多くの人々の暮らしに取り返しのつかない多大な損失を与えるということである。
 そこで当会は,原発事故が甚大な人権侵害をもたらすことに鑑み,東北電力が女川原発2号機を再稼働することに反対するとともに,あらためて,国及び原子力発電所等原子力関連施設を有する発電事業者に対し,原子力発電政策からの撤退を求める。

2020年(令和2年)11月20日
  仙台弁護士会 会長 十河弘


説明しないことこそ権力による国民に対する暴力ー「日本学術会議会員人目尾拒否についてのイタリア学会の生命」はすばらいい[2020年11月19日(Thu)]
「日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明」
 日本学術会議が推薦した第25期会員候補者105名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、これに断固として異議を唱えます。《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが民主主義の基本だからです。情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
  令和2年10月17日
 イタリア学会会長 藤谷道夫(慶應義塾大学教授)

  理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第3条)イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、今回の声明を発した理由を簡単に説明したい。
 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならないという誤った公民観である。
 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究とみなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、時の政権のためのものではない。判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
 「国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた驚くべき官職である。
 次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)権力が学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。1632年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世とイエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。そしてフィレンツェ近郊で残りの9年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
 「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》について自分の権限で判断したと告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解される存在ではない》と認めたのである。問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1人につき月 2万円余の交通費を用意する程度のことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の何ものでもない。」(小林節名誉教授)
 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)と見解を示している。しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
 世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前59年)、まずカエサルが決めたことは、元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)これが民主主義への第 1 歩である。それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。一方、その時代から2000年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、人事異動のプロセスも民草には窺い知ることもできなかった。おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。
 人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。二人はKra/toj(クラトス)とBi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。ギリシャ語のビアーやイタリア語のviolenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、これが現実になったのが、ソヴィエトである。ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。なかには権力に忖度し、取り入る者が出て来る。こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
 たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである。国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)

ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、
私は声を上げなかった。
なぜなら私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられた時、
私は声を上げなかった。
なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員を攻撃した時、
私は声を上げなかった。
なぜなら私は労働組合員ではなかったから。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

 通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、凱旋式があった。(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」
 現代の独裁者たちに対しても同じように言うことができたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
 (Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

 「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前400/4頃-325/3頃)は、世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき、《何でも言えることだ(言論の自由parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
 〜ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』69〜
女川原発の地元合意に、日本共産党が抗議の「声明」−政権交代で女川原発の再稼働中止と「原発ゼロ」の日本をめざす[2020年11月11日(Wed)]
県民の願いに反する地元同意に断固抗議し、女川原発の再稼働中止と再生可能エネルギーの希望ある未来をめざす政治への転換を訴える

日本共産党宮城県委員会    委員長 中島 康博
日本共産党宮城県会議員団   団長  三浦 一敏
      2020年11月11日

(1)宮城県の村井嘉浩知事、女川町の須田善明町長、石巻市の亀山紘市長が11月11日、東北電力女川原子力発電所2号機の再稼働に同意を表明した。どんな世論調査でも女川原発の再稼働には過半数の県民が反対している。本県は東日本大震災の最大被災県で、隣県の福島第一原発事故による放射能汚染にも見舞われた。復興はまだ完了しておらず、女川原発の再稼働を認めるのであれば、何よりも県民合意を重視しなければならない。住民投票も県民の意向調査もせず、民意をくみとる努力をしないまま同意に踏み切ったことは不当であり、民意に反する同意に断固抗議する。
 新規制基準が欧米の基準より劣っていることは、国会でも宮城県議会でも何度も指摘されてきた。原子力規制委員会の更田豊志委員長自身が「合格しても安全だとは絶対に言わない」という発言を繰り返しており、「合格」をもって再稼働に同意することは、無責任のきわみである。
 避難計画は欠陥だらけであることが、多くの県民から指摘されている。医療・介護施設をはじめ、住民避難のまともな計画と態勢がとられていないのに同意したことは、県民の安全を守る責務の放棄である。
 福島第一原発事故の反省から、重大事故時にとくに深刻な影響がある30`圏のUPZ自治体に避難計画の策定が義務づけられた。当然、再稼働などに関わる同意権(拒否権)もUPZ自治体に与えるべきで、東海第2原発(茨城県)では、立地する東海村だけでなく、UPZの5市にも同意権(拒否権)が拡大された。しかし女川原発では、未だに立地市町に限定されたままである。UPZ自治体でありながら、同意権(拒否権)が与えられていないため再稼働反対の美里町の意思が無視され、反対したり慎重な対応を求めた他の自治体の意見もかえりみられなかったのは不当である。
 同じ沸騰水型原発では、柏崎刈羽原発(新潟県)と東海第2原発が、先に「合格」していながらまだ地元同意を見通せない状況にある。新潟県が、住民の安全を守る立場から、原発の安全性や避難計画の実効性などを県独自に検証し、東海第2原発周辺の自治体も住民合意を尊重する独自の対応をしているからである。後から「合格」した女川原発が、地元同意では最初になったのは、県と立地自治体が、全体として再稼働を推進している国の言いなりだからである。
 同意を直ちに撤回することを要求する。

(2)東北電力管内では3・11後に全原発が停止し、“原発稼働ゼロ”はまもなく10年になろうとしている。原発がなくても電力が十分なことは、この歳月が証明している。
 原発は、いったん事故を起こせばその被害は巨大でかつ長期に及び、被害のすべてを補償する道も用意されていない。他の事故・災害にはない「異質の危険」をもっている原発と人類は共存はできない。
 使用済み核燃料の処分方法がないことが、原発の根本的な欠陥である。核燃料サイクルは破たんし、使用済み核燃料は処理できなくなっている。女川原発では、1号機の使用済み核燃料の乾式貯蔵庫を敷地外にも設置することが検討されている。このうえ2号機を再稼働させれば、毎年16トン(稼働率80%として)の使用済み核燃料が増え、「核のゴミ」による汚染を広げることになる。3号機の再稼働まで準備されていることは論外である。
 原発はビジネスとしても既に成り立たなくなっている。東北電力は住民運動団体に対して、女川原発2号機の「60年運転」を想定していると公言した。安全対策にかかる経費を取り戻そうとして、老朽化した後の2055年まで酷使することは、事故のリスクを増やすだけである。
 福島原発事故を経験した日本が今とりくむべきことは、省エネの徹底と再生可能エネルギーの計画的かつ大量の導入に精力的に取り組み、「原発ゼロ」の日本を実現することである。ここにこそ、本県と日本社会が経済の持続可能な発展をかちとり、新しい科学技術と産業をつくりだす道がある。
 地球温暖化対策も、再生可能エネルギーの開発を中心に据えて、放射能汚染を心配する必要がない、安全で経済性のある方法で二酸化炭素の削減を進めるべきである。

(3)菅政権は、国民の多数が「原発ゼロ」の日本を願っているのに、原発と石炭火力に固執してきたアベ政治を継承する姿勢を露わにしている。
 日本共産党は、立憲民主党、社民党などと共同で、すでに「原発ゼロ基本法案」を国会に提出している。
 女川原発2号機は、再稼働までには安全対策にあと2年を要する。
 宮城県では、女川原発の再稼働に関わる県民投票を求める運動で共同が進められてきた。今度は「原発ゼロ」の政治を求める共同に発展させて、政権交代による再稼働中止と「原発ゼロ」の日本を実現することをめざし、全力を挙げるものである。

以上
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日本経済学会が「新型コロナ感染症に関する研究」を紹介する特設サイトを開設。[2020年11月02日(Mon)]
 日本経済学会が10月13日、「新型コロナ感染症に関する研究」を紹介する特設サイトを開設しました。一般向けの解説記事と研究者向けの専門論文のリストを公開しています。
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