<解説>
東日本大震災により犠牲になった石巻市立大川小学校の児童の遺族が起こした国家賠償等請求控訴審事件について、5月9日の宮城県議会全員協議会で遠藤いく子議員(日本共産党)が行った質疑と村井知事の答弁(概要)を紹介します。
遠藤いく子議員の質疑は午前でした。午後の岸田清実議員(社民党)の質疑に対する答弁で、村井知事は遠藤いく子議員に対する答弁の一部を訂正しました。答弁の訂正は一部にとどまり、想定地震が宮城県沖地震(連動型)であって、東日本大震災ではなかった点については、全員協議会では最後まで訂正されませんでした。参考情報として紹介します。
(遠藤いく子議員)
はじめにですね、津波の犠牲になられた84人の児童や教職員の方々、そして遺族のみなさまに哀悼の意を表したいと思います。
通告に出していた問題として、臨時議会を開く努力をどうしたのかを冒頭出しておりましたが、ご答弁がありまして、お聞きすると、本当にやる気が無かったんだなという気がします。午後6時30分に石巻市議会臨時議会が終わり、7時30分に市長が来たということですが、前日に確定すれば、翌日の今日はやれたわけですから、それは大変でもやっていただきたかったし、その点で先ほどのご答弁は納得できませんし、そのことを表明して上告の理由に移ります。
1つはですね、控訴審判決を貫くのは、子どもの命を徹底して守ることこそ学校および教育委員会の根源的義務であるという判断を根底にすえたことだと思います。県や県の教育行政は、それが基本問題で中心点だと受けとめるべきと思いますが、いかがでしょうか。
(村井知事)
子どもたちの命を徹底して守るのは当然のことでありまして、よりきびしい視点で防災というものを今後は考えていかなければならない。これも当然のことであります。ただ今回の判決は、震災から7年経った今の視点ではなくて、地震の起きる直前の視点で考えていただきたいと思うんですけど、マグニチュード8.0の地震、その当時の最大級の地震、宮城県沖地震を想定して準備をしていたわけであります。
そしてそれをはるかに越える地震がきてしまった、それがマグニチュード9.0なのか8.0なのか、その当時は現場では誰もわからなかった。私ですらわからなかった。その状況の中でですね、そういう状況だったわけですね、8.0の地震が起きるという、その前に当時の校長先生や教頭先生や教務主任がさらに大きな地震がくるだろう、津波がくるだろう、この学校はのみこまれるだろうということを想定して第3次避難場所をバットの森に指定しておくべきだったというのは、いくらなんでも無理じゃなかったかということを私たちは考えたということであります。
(遠藤いく子議員)
つまり、津波予見は不可能だったというわけですけど、そこで聞きますけれど、平成16年当時、発生確率が高まっていた宮城沖地震に関していろいろな被害想定や情報がなされていました。8.0と9.0とおっしゃいますが、その宮城沖地震の想定では、北上川右岸が崩れ、大川小学校は浸水するという予測はされていたんです。宮城沖地震にしっかり対応できていれば、大川小学校の悲劇は回避できたというふうに思いますが、知事いかがですか。
(高橋教育長)
当時をふりかえってみますと、そういった情報が1つあるのと、もう1つハザードマップもあったわけでありまして、そのハザードマップから見ますと、大川小学校はその薪水区域外になっていたという状況がございます。そういった中で、県内会議において、津波への備えを具体的にしていくとなると、今となってあれもすべきだった、これをすべきだったというのは、私も思います。それは震災直後からそういった意識で防災教育を進めてきているところでありますけれど、震災前の段階でそれがどこまでできたのかということになりますと、現実的にそれは大変難しかったのではないかというふうに思っております。
(遠藤いく子議員)
私が言ったのは今になってどうかではなくて、宮城沖地震の被害想定の中で、きちんとやっていれば、大川小学校の悲劇は回避できたのではないかという点にあり、すれ違っておりますが、それから上告の理由として、提案文書ではあまりに過大な義務を課していることをあげています。それで控訴審判決は、地域住民の有していた平均的知識および経験との比較ですね、それよりは高いレベルを求めているわけです。
ところが、石巻と宮城県は専門家でも無理なレベルと、なんかもう法外なレベルを与給しているかのように言っている。私はこれは拡大解釈ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
(村井知事)
8.0を想定してハザードマップからもはずれていた大川小学校、ここに津波がくるというのは、地域住民の人は誰も思っていなかったし、だから地域住民の方々が集まってきたわけですね。古くから住んでいる人がそう思っていたわけです。当時の校長先生、教頭先生、教務主任がですね、それをはるかに越える津波がくるということを想定できただろうか。それは無理ではないかということでございます。
(遠藤いく子議員)
ハザードマップについて出ておりますので、少し順番を変えて、それにつて申し上げますと、これは県の責任があると思いますよ、平成16年に内閣府や国交省が策定した津波・高波ハザードマップマニュアルは、津波の特性をふまえて津波予測区域とその外側にバッファゾーンをもうけて、要避難区域とすると、両方ね、というふうにしてあるんです。
ところが、宮城県が作成した津波区域浸水地域にはバッファゾーンがありませんでした。ハザードマップの浸水予測地域にですよ。県の防災対応にも不備があったこと。このことをむしろお認めになるべきだと思いますが、いかがですか。
(伊藤総務部長)
平成16年のハザードマップの件でございますけれど、当時国の防災計画の基本となる基本計画、それにもとづいて地域防災計画をつくって、そしてその時々にデータを取り寄せて、地震の想定をおこなっております。で、津波浸水予測図につきましては、先ほど知事が言いましたように、最大規模の地震・津波を予測して、当時の宮城県防災会議で、専門的知見をいただきながら、当時において最善の方法で実施したというものでございます。だから適切に作成しているものと考えています。
(遠藤いく子議員)
ご答弁する方にお願いしたい。ご要望ですけれど、質問時間と同じくらいでご答弁いただきたいと思います。
さて、私は学校は単独で存在していうものではないと思う。それは教育委員会、教育行政があり、そして自治体・市があるわけです。その全体でこの問題をやっていかなければならないわけですから、学校に重い責任を課すと言っていますけれど、地方自治体の危機管理部門がどのように連携していくのか、教育行政はどうするのか、といった、そうした全体の中での判断であるということを一言言っておきたいと思います。
さて、一審判決は事前防災にたちいらず現場に居た教員の責任だけを問題にしたことに対して、控訴審判決では一般教員の責任を問いませんでした。
また、控訴審判決では大川小の事前防災の不備を石巻市教委が防災対策の不備を指導しなかったことを厳しく指摘しました。控訴審判決の事前防災の不備、これについてはお認めになりますか。
(村井知事)
残念ながら、認められません。
(遠藤いく子議員)
今日なにを質疑したいか、夕べ考えたんですけど、事前防災に不備がなかったという立場は、はじめからその取り組みに枠を作って、再発防止に、二度とああいうことを繰り返さないという取り組みにブレ−キをかけることになるのではないかと私は思いました。そして、抜本的な改善に取り組む立場こそ、あのご遺族の方々をはじめとして、子どもたちを学校に通わせているすべての方々が思っていることではないかと思いますが、いかがですか。
(村井知事)
その思いは私どもまったく同じでございます。ただ、言いたいことはですね、今回の判決は当時の地震が起きる前の常識にてらしあわせてつくったものでは、たりないんだと。結果を見て、もっと準備ができたんじゃないかということですけれども、マグニチュード8.0で準備していたものをはるかにこえるものがくるということを、当時の宮城県沖地震を想定していた人たちが、これを想定できたでしょうか。ということは、今後も何か災害があった時に、これから震災前にあった知見を越えるものがあったときに、それに校長先生が悪いんだ教頭先生が悪いんだ。市教委が悪いのなどとなってしまうということであります。
つまり、何かあったらすべて行政の責任。教育現場になってしまう。これではいくら何でも無理があるでしょう。その時の知見で最大限、これ以上に考えられないということを考えることは重要です。ただそれを越えた時に、それは越えることを見過ごしたあなたが悪いというのは、それはいきすぎでしょう。今回の裁判はそういう裁判だということであります。これはやはり行き過ぎだと考えたということであります。
(遠藤いく子議員)
完全にここ違っておりますが、私が申し上げたのは8.0の宮城沖地震連動型で、これは確率が高いと言われていたわけでしょう。それにきちんと対応していれば、被害は防げたということなんです。
だから今の時点で考えているかではなくて、あの当時の知見で、それが徹底していれば、被害を防げた、それはあの当時の知見で、それが徹底していれば被害を防げた。それが徹底できなかったという不備を反省し、感じるべきだと言っているわけです。どうでしょうか。
(村井知事)
大川小学校は、学校管理下でしたので、次元は違うと思いますけれど、今回宮城県の中で、1万人以上の方々が亡くなって、いまだに1000人以上の方々が行方不明でございます。これはすべて同じ理屈で考えられることでありまして、当時これだけ来るということが、わかっていればですね、おそらくすべての命が救えたのではないかと思ってございます。
これは私にしても、前々から歴史に学ばなかったという意味においては、深く反省しておりますけれど、当時の科学的な知見からもってすれば、これはやはりやむをえなかったと考えるしか、私はすべがなかったと考えております。
(遠藤いく子議員)
「やむをえなかった」という言葉を聞くとは思いませんでした。私は学校管理下であるというのは、一般とは違うんですよ。学校防災は、そこの一定の年齢差に達すれば、必ず学校には行くと、基本として、しかもその行くべき学校はどこかということも基本としては決っていると。だから行かせるというのは当たり前なんです。
そういうふうにして、学校に対する信頼をもちながらやっているわけですから、そういう意味で私は今のようなお答えは残念です。
それで学校現場と判決の乖離という問題もありますけれど、そのことは時間になってしまいました。宮城県では学校に在籍した児童生徒で亡くなった方々は430人おりました。その中には23人の児童が下校途中で亡くなったという小学校もありました。豊かな可能性をいっぱい抱えた一人ひとりの子どもたちの命を本当にいかす道を考えなければならないと、そのことを学校防災の転換ということで話つぃは強く念じて今回の質疑を終わりたいと思います。
<参考>
午後の岸田清実議員(社民党)の質疑に対する答弁で、村井知事は遠藤いく子議員に対する答弁の一部を訂正しました。その部分(概要)を紹介します。(岸田議員)
大川小学校で亡くなった74人の児童、10人の教職員のみなさんに哀悼の意を表するとともに、ご遺族のみなさんにあらためてお悔やみを申し上げたいと思います。
午前中の質疑でいくつか気になったところがありますので、それについて伺いたいと思います。
午前中の最後の方で知事から、知見を越えるところで亡くなった犠牲者について、大川小の話ではなくて、一般的な話だったと思いますが、「やむをえなかった」という発言がありました。このことだけを受けとめると、犠牲になった方について、非常に軽んじられているんではないかと誤解をうむこともあるのではとお聞きしてて思いました。真意について伺います。
(村井知事)
はい、誤解を与えたと思いまして、お詫びを申し上げたいと思います。私が「やむをえなかった」と申し上げた真意はですね、判決は宮城県沖地震を想定して事前防災をしていれば大川小学校に津波がくる危険性を充分に想定できたと、それを校長等は予見できたはずで、予見できていれば、バットの森を避難所に指定することもできたとの判決でした。これを予見することは専門家でも難しい、ましてそれを校長等に専門家なみの知見を求めることは無理があるということで、そういったことをすべきだったことについては、やむをえなかったんではないかという意味で言ったつもりでございましたけれど、それが誤解を与えてしまったようで、あとで担当の職員から誤解を与えた可能性がありますとの指摘がありました。この場で訂正させていただき、お詫び申し上げます。
(岸田議員)
訂正とお詫びについては評価させていただきます。
次に、これも答弁で、「全国への影響について、国として問いたい」との答弁がございました。ふつう国というのは行政府のことを指すわけですね。今回は司法府の最高裁の判断を求めるというそういう判断なわけですよね。言葉を間違ったということなのか、上告を通して行政府としての国に何かを求めるということを含まれているのか、この点について伺います。
(村井知事)
行政府に対して何かを求めるということではけっしてございませんで、司法の最高峰でありますトップであります最高裁の判断を仰ぎたいということでございます。
結果的には事前防災についての厳しい判決が出されたということであれば、当然行政府である政府にも影響を与えるものになることは間違いないだろうと思います。
(岸田議員)
3点目に、石巻の亀山市長との間のやりとりについての質疑もございました。知事はみずからは意見を述べずに、石巻市としての判断を待ったと、途中経過についてお聞きする経過はあったとお話をされました。その中で全国に影響があるということで、しっかり考えて欲しいとの話はしたと答弁がありました。このことだけを考えますと、「全国に影響を与えるから考えて欲しい」ということは、やはり最高裁の判断を求めるべきだという知事側のサジェスチョンとも受け取れると聞きました。この点についてはどうなんでしょうか。
(村井知事)
けっしてそういう意味ではございませんで、全国に影響をおよぼす判例になりうるわけでありまして、よく慎重にお考えいただきたいということでありまして、私はいつでもぎりぎりまでお待ちしますので、県に早く結論を出さなければいけないということで、あわてる必要はございません。慎重にお考え下さいそういう意味でお話したということでございます。市長もぎりぎりまで待って欲しいということで、月曜日の7日の朝まで返事がなかったということで、それについては遅かったなどの批判はいっさいしていないということであります。
