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中嶋れん(日本共産党 宮城県委員会政策委員長)のブログ
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「飢饉」の研究から、グローバル経済時代の農業・食糧問題を考えました[2019年05月27日(Mon)]
 宮城県立図書館から飢饉に関わる書籍を借りてきて、種子条例、乾杯条例のあり方を考えました。グローバル経済下における農業・食料問題を提起した、以下の農林水産研究所のレビューを思い出したことによります。仔細は後日に。

■農林水産政策研究所 レビュー
〇江戸時代の飢饉とグローバル経済下における農業・食料問題
―菊池勇夫著「飢饉」(2000年7月,集英社新書)―

 本書は,日本近世史・北方史が専門の歴史学者が,我が国における飢饉の歴史を問い直すという作業を通じ,その発生メカニズムを分析するとともに,飢饉回避のための社会システムのあり方等を論じたものです。
 著者によると,最初の文献記録である「日本書紀」以来,数年に一度,あるいは毎年のように日本列島のどこかで飢饉が発生していたそうです。鎌倉・室町時代においても冷害や干害,虫害や洪水に起因する大規模な被害がありました。しかしながら,江戸時代に入って飢饉は大規模化し,何十万人もの犠牲者を出すようになります。その背景・要因として,市場主義経済の浸透があるとしています。すなわち,地方農村のすみずみまで商品貨幣経済が浸透し,全国的な市場経済に組み込まれた結果,領内の米が商人に根こそぎ買い集められてしまうような事態が生じ,このため,わずか1年の凶作によって多くの餓死者が発生するようになったというのです。また,江戸で消費される大豆など商品作物の生産が東北でも盛んになり,山地を開墾し焼き畑で行われた結果,猪の食害が深刻になり飢饉につながったという記録も紹介されています。
 また,市場経済下では商品は生産地から消費地に流れるため,飢饉の被害は生産地(農村地域)に集中することとなり,餓死や疫病の蔓延のほか,身売り,間引き,更には人肉食といった惨状が見られました。一方,「農業は政の本なり」とする老中・松平定信によ る備荒貯蓄対策などの取組も紹介されていますが,著者によれば,飢饉の歴史は「人間と自然の関係,あるいは人間と人間の関係が生 み出したひずみの歴史,人災史」であり,その要因は,「社会・国家の危機管理システムが自然災害にうまく対応できなかった」ためであるとしています。
 しかしながら,本書の内容は,単なる歴史上の出来事の紹介だけではありません。著者は「果たして,飢饉は過去の出来事となってしまったのであろうか」と問いかけます。現在の我が国の食料自給率の低さ,外国,特に特定国への食料依存の危うさを指摘し,「日本列島全体が都市国家化ないし商工国家化し,一方的な食料消費社会にこのまま突き進んでいってよいものだろうか。」と疑問を呈します。
 さらに,著者の視点は我が国だけの食料安全保障に留まらず,経済のグローバル化が進行し食料が国境を越えて動いている現代,江戸時代の日本列島に起こっていたこと(農村部へのしわ寄せ)が,世界的規模で起こりかねないと指摘しています。食料輸出国が凶作となったとき,「その国の農民や都市下層民が絶望的な食料不足に襲われる危険」を危惧しています。
 そして,「豊かな我が国が大量に食料を輸入していることが,世界のどこかで飢餓を作り出している恐れがあるのではないか。このことに無頓着で,独りよがりに安閑としていてよいものだろうか。そのような想像力を働かせていくことが国際化時代の最低限の知的営みであり,特に政治家や経済人の責任・モラルが問われるべきではないか」と,読者に訴えています。
(りえぞん No.7,2001年11月16日)

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