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中嶋れん(日本共産党 前宮城県議会議員)のブログ

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国家権力の闇に憲法の光をあてて勝利ー監視差止訴訟の報告集会[2017年03月04日(Sat)]
2007年から9年にわたった自衛隊の国民監視差止訴訟の報告集会が14時から仙台弁護士会館で行われました。
 与謝野晶子が「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」と書き残しました。9年にわたった裁判と支援運動を振り返り、参加者の誰もが「われも黄金の釘一つ打つ」という思いだったのではないでしょうか。
 国家権力の犯罪を断罪するということは、今日の日本社会ではおそらく最も困難な課題だと思われます。正面からこれに挑戦し、自衛隊に国民監視を命じている国の行為を違法と裁判所に認定させ、私たちは誰も予想していなかった勝利をおさめたのです。
 歴史に残る裁判を闘いぬいたことを心から喜びあいながら、原告団、自衛隊の国民監視差止訴訟を支援するみやぎの会を解散しました。

 会場を埋めた100人を超える参加者全員に報告集を配布しました。その巻末の年表に、2015年10月13日の控訴審第14回口頭弁論で私が意見陳述したことが記録されています。国側の代理人に、「無力化とは何ですか。私は行動の自由を奪われるのですか?命を奪われるのですか?」と問いかけました。
 この年の6月に陸上自衛隊の教範(教科書)に、海外派兵反対運動を自衛隊が「行動阻害勢力」と敵視し、その活動を「探知」し「無力化」すると明記していることが判明しました。開廷直前の弁護団との協議で「誰かが意見陳述する必要がある」という意見が出され、私に要請がありました。考える間はなかったので、問い続けてきた思いをそのまま静かに言葉にしたのですが、傍聴席の全員からリアクションが返ってきました。生涯忘れられない裁判になりました。

 共謀罪が創設されたら国家権力による監視は合法行為とされ、私たちが裁判で不当性を問うことも困難になると思われます。報告集会は、共謀罪を阻止すること、平和的生存権の確立をめざす決意を語り合うものになりました。
 内藤功弁護士といっしょの写真を撮らせていただきました。この裁判の行方を照らし出す発言を何度も寄せていただきました。感謝です。

 以下は、報告集に収録された私の原稿です。支援運動の発足と経過をまとめたものです。

■■■■■支援する会の歩みを振り返って■■■■■
  自衛隊の国民監視差止訴訟を支援するみやぎの会 
              事務局長  中嶋 廉

●「支援する会」は、不公正な訴訟指揮への怒りと平和の願いから生まれた

 2008年3月17日を、今でも鮮やかに記憶しています。
 たまたま自衛隊の国民監視差止訴訟の第二回口頭弁論を傍聴しました。日本の損害賠償請求訴訟では、原告の訴えを否定するか、認めるか、知らないとするか、被告に認否を求めてスタートすることが慣行です。ところが仙台地裁の畑中芳子裁判長(当時)が、「認否の義務はない」とする被告=国側に加担して「認否を促すことはしない」という態度をとり、弁論を打ち切ろうとしたため、原告側が「訴訟指揮しない不作為」だと異議を申し立てて激論が交わされました。
 あまりにもひどい訴訟指揮を目の当たりにした傍聴者約三十人が閉廷後に集まり、小田中聰樹氏が「これは支援運動をつくる必要がある」と提案、突然「あなた、事務局を引き受けていただけないか」と求められました。この日から「自衛隊の国民監視差止訴訟を支援するみやぎの会」の結成が動き出しました。
 協議が始まった直後の4月17日、航空自衛隊のイラクでの空輸活動を違憲と判断した画期的な名古屋高裁判決が下され、これにはたいへん励まされました。
 準備会は、5月4日からブログを立ち上げ、5月13日に呼びかけと申し合わせを確認しました。準備会が傍聴を呼びかけた5月19日の第三回口頭弁論で、四月から交代した畑一郎裁判長が「(自衛隊が内部文書を作成したか否かについて)争うかどうか、明らかにしてほしい」と被告に認否を求め、裁判の様相は一転しました。「支援運動の存在が裁判を変える」という手ごたえを感じながら、内部資料公表の一年後にあたる2008年6月6日に結成総会を迎え、8年半にわたる活動をスタートさせました。

●支援運動が原告を拡大し、原告の自覚に支えられた草の根の支援運動に

 結成直後の支援する会は、宮城県の26人だけだった原告団(2007年10月5日の第一次提訴が後藤東陽さんら4人、2008年3月12日の第二次提訴が安孫子麟さんら22人)を拡大することに取り組み、東北六県の107人に広げました。
 心に深く残っているのは、原告全員に意見陳述書の提出を呼びかけた取り組みです。「文書を書くのは苦手だ」という原告に、お話しをしてもらい、それを陳述書にまとめるお手伝いをしました。一人ひとりの原告に、自覚をもって生きてきたそれぞれの歴史がありました。そして、戦前に親が体験した迫害、戦中から戦後にかけての本人の戦争体験、親戚の自衛隊員が今も人権を侵害されている事実、それをもとにした平和を希求する想い、「私がしたことは、監視されなければならないことなのか」と問いかけて闘う決意に変えていった経過などをお伺いし、「私は素晴らしい人たちと一緒に裁判を闘っている」と感動を覚えました。
 「頼まれてなっただけだ」という原告が、陳述書の作成を経てから「もっと頑張らなければ」と口にするようになり、原告一人ひとりの自覚に支えられて各分野に支援運動が広がっていきました。
 宮城県以外の原告が、口頭弁論のたびに旅費を負担して仙台の裁判所まで足を運び、各県で地道に支援を広げていただいたことには、本当に頭が下がります。

●全国注視の裁判に持ち込んで勝利をめざす支援運動に

 小田中先生から、「支援する会は、傍聴席を埋めれば、それでいいんだ」と言われて事務局長を引き受けたのですが、「それだけでは済まないだろう」という予感が現実のものになりました。
 裁判を支えて支援運動を持続するために、著名な研究者、弁護士、映画監督、ジャーナリストの方々にご協力いただき、毎回の裁判報告集会で理論武装を積み重ねました。
 裁判が重要な局面を迎えるたびに、宮城憲法会議、憲法を守る市民委員会、護憲平和センター等を訪れて、県内の市民運動に支えていただきました。
 日本平和大会に毎年連続して代表団を送り、発言する機会を与えていただき、イラク訴訟とは違って宮城県だけで闘かわれている監視差止訴訟を全国に知らせる努力を続けました。全国革新懇、日本国民救援会、安保破棄諸要求貫徹実行委員会など、たくさんの全国組織に、裁判所への要請署名運動を支えていただきました。
 仙台という一地方で取り組まれている全国的な意義をもつ裁判を、地元の支援を基礎にしつつ全国注視にものにする―不十分点が多々あったとしても、支援運動がめざした方向は間違っていなかったのではないかと振り返っています。
 支援する会ニュースの系統的な発行を心がけて、2016年12月27日付で第72号になりました。これは3ヶ月に2回の発行ペースです。
 全国に情報を発信するためにブログを活用し、アップした記事は364本になっています。おおよそ毎週1本のペースです。ブログを見ていただいた人数は延べ約31万人になっていることを記録にとどめておきたいと思います(2016年12月30日現在)。
 「監視は違法」という画期的な判決を一審でかちとり、控訴審でも勝利を維持することができたのは、全国からの支援のたまものです。ご支援いただいたみなさまに、心から御礼を申し上げます。
 
 第一次提訴から九年余が経過するなかで、宮城県平和委員会の事務局長をつとめた玉田昭八さん、東北大学の同じ研究室の先輩にあたる鈴木玉雄さんをはじめ、勝利判決を見ることなく他界した原告が少なくありません。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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