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Sexuality 夜話 @仙台

地域の多様なセクシュアリティの人たちの談話会
セクマイ夜話のお知らせと、
世話人:小浜耕治の、
セクシュアリティ・人権関連のお話を発信します。


新潮45記事を跨いで差別と対峙する [2018年09月22日(Sat)]
ヘイトはいつも通俗的で、気を抜いていると「ああ、ぶっちゃけるとそう言うこともあるなぁ」と思ってしまう。特にスティグマの強いものとか、あまり知らない分野の時には気をつけなきゃいけない。

差別は、誰か個人が考えて生じるものではない。たくさんの人が流され、気がついたらそう考えてしまう。社会の構造の中に潜む、厄介なもの。ポピュリズムとか反知性主義とかはこういう楽に流されてしまうものを利用し、理屈じゃないやり方で人を分断支配する。

差別に対するには、それが不可避に存在すると認めるところから始まる。差別はないと否認するのは、見えない特権的なところにいる証しに他ならない。差別の中にあって、常にそれにどう抗うか?を考える。人が言葉を持った責任のように思う。

車という道具を持ったら、事故を起こすことを前提に運転を学ぶ。薬にはちゃんと用法容量がある。それと変わらない。有用なものには、いつもリスクがある。

生きていく上で差別しないようにするには、いつも社会の構造と闘わなければならない。単に差別者と闘うのでなく、構造があるからこそ通俗的に流された言葉と闘う必要がある。その言葉は常識とか普通とか、そう言う形のことが多い。

疑い、中身を詳しく丁寧に表現しないと、自他の大事ないのちや尊厳をぶった切ることになる。
ぶった切るのが怖くて、近づかないようにしてもそれは排除というものだ。言うことを聞いていたら間違いないよという人がいても、それはパターナリズムというもので知らず知らずに力を奪われる。

ちがうあなたと出会えたことに感謝し、ちがいから気付きを得て、目が届いていのちをなくさない最大限のところで工夫をして、ちがいを包摂できる知を編み出す。出会った人と支えあいながら、これを続けることで成長することができる。

しかしそうすると、また新たにちがう人にも会えるようになり、前の工夫は通用しなくなる。気付きと工夫と支えあっての実践は、いつまでも続く。いつまでも続けられること、それがほんとうの幸せというもの。賢治は「自己犠牲の献身」と言ったというが、ほんとう?疑って、中身を丁寧に考えてみよう。いろんな人と出会いながら。

(画像は、「異質が出会う」ww)
FB_IMG_1537595052129.jpg
Posted by 小浜耕治 at 14:47 | 人権 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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