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Sexuality 夜話 @仙台

地域の多様なセクシュアリティの人たちの談話会
セクマイ夜話のお知らせと、
世話人:小浜耕治の、
セクシュアリティ・人権関連のお話を発信します。


差別解消?理解増進?イヤ、基本法でしょ! [2019年05月04日(Sat)]
2020オリンピックイヤーに向けて、オリンピック憲章の後押しで立法化を、ということが言われて久しいですが、進みませんね。理解増進なんて、人権教育重点項目と同じことしか謳わないのに、それすら進められない自民党は、国際的に孤立することを目指しているのでしょうか?椅子を蹴って国連を脱退でもしますか?

ということで、2020年を見越しての立法化というのは、そろそろ次の局面を意識した考え方を準備していかなければならないのではないかと感じます。

基本法です。

性の健康と生活保障にかかる基本法を制定し、社会制度を整備した上で、差別禁止法制定に向かう。オリンピック後には揺り戻しがあるから今のうちに、というようなことより、じっくり腰を落ち着けて取り組む姿勢も必要なのではと思います。

政令指定都市市長会は、パートナーシップ制度を含む包括的な取り組みと、担当部署の設置を国に要請していますが、たいへん共感できるものです。
仙台市に対しては、提案するからにはこの施策を地元で実現するよう求めていこうと思っています。施策が進んでいない他の自治体でも、このパッケージでの導入を求めて行くと良いのではと思います。

特例法があると言いますが、法律があるのに行政手続きだけでは性別変更ができないって、これではただのガイドラインですよね。司法の判断によらない性別変更・改名ができるような法律の設計が必要ではないかと思います。15年前にこれを実現した功績は大きいですが、もう15年たって運用実績が積み上がった現在、もう一段踏み込んだことができるようにしてほしいと思います。
具体的には性別変更をサポートする体制作りです。医療を介在させるかどうかも含め、性別変更の過程での情報提供、相談、補助金の拠出などを規程して行かないと、自治体ごとの格差は縮まないし、性別変更手続きへの搾取も改まりません。脱病理化で保険適応との整合性が問題になるのであれば、出産補助金のような自治体施策が可能になるような法的根拠が必要でしょう。孤立した中で、当たり外れの激しい医療者に任せるしかない現在の状況は、「蔑ろにされている」感がハンパない。性別変更をサポートする自治体窓口があって然るべきです。
パートナーシップについては、同性婚との絡みが微妙ですが、伝統的云々を介在させず、まずは実を取る制度も必要でしょう。公営住宅の入居要件にしても、いちいち自治体に要望せずとも国からの通達なりができるようにすればいい。公営住宅法が地方分権云々なら、別の法体系で解決すればいい。
そして、自死、いじめ、DV・性暴力、メンタルヘルス、子育て支援、医療アクセス等、縦割りでいちいち必要性を担当者毎にレクチャーして回らなければいけない。もう、行政システムの中で、ちゃんと情報提供、研修がなされるようにしてもらわないと。

安全安心が保障され、自己実現がはかれるような、グダグダからキラキラまで、ちゃんとカバーできた法体制。それを求めていく動き、一緒に作りませんか?

参考
LGBT自治体施策提言集
https://regionallgbtpolicy.jp
指定市長会要請
http://www.siteitosi.jp/activity/honbun/h30_07_23_03.html
新潮45記事を跨いで差別と対峙する [2018年09月22日(Sat)]
ヘイトはいつも通俗的で、気を抜いていると「ああ、ぶっちゃけるとそう言うこともあるなぁ」と思ってしまう。特にスティグマの強いものとか、あまり知らない分野の時には気をつけなきゃいけない。

差別は、誰か個人が考えて生じるものではない。たくさんの人が流され、気がついたらそう考えてしまう。社会の構造の中に潜む、厄介なもの。ポピュリズムとか反知性主義とかはこういう楽に流されてしまうものを利用し、理屈じゃないやり方で人を分断支配する。

差別に対するには、それが不可避に存在すると認めるところから始まる。差別はないと否認するのは、見えない特権的なところにいる証しに他ならない。差別の中にあって、常にそれにどう抗うか?を考える。人が言葉を持った責任のように思う。

車という道具を持ったら、事故を起こすことを前提に運転を学ぶ。薬にはちゃんと用法容量がある。それと変わらない。有用なものには、いつもリスクがある。

生きていく上で差別しないようにするには、いつも社会の構造と闘わなければならない。単に差別者と闘うのでなく、構造があるからこそ通俗的に流された言葉と闘う必要がある。その言葉は常識とか普通とか、そう言う形のことが多い。

疑い、中身を詳しく丁寧に表現しないと、自他の大事ないのちや尊厳をぶった切ることになる。
ぶった切るのが怖くて、近づかないようにしてもそれは排除というものだ。言うことを聞いていたら間違いないよという人がいても、それはパターナリズムというもので知らず知らずに力を奪われる。

ちがうあなたと出会えたことに感謝し、ちがいから気付きを得て、目が届いていのちをなくさない最大限のところで工夫をして、ちがいを包摂できる知を編み出す。出会った人と支えあいながら、これを続けることで成長することができる。

しかしそうすると、また新たにちがう人にも会えるようになり、前の工夫は通用しなくなる。気付きと工夫と支えあっての実践は、いつまでも続く。いつまでも続けられること、それがほんとうの幸せというもの。賢治は「自己犠牲の献身」と言ったというが、ほんとう?疑って、中身を丁寧に考えてみよう。いろんな人と出会いながら。

(画像は、「異質が出会う」ww)
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Posted by 小浜耕治 at 14:47 | 人権 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
同性パートナーシップ制度は街の飾りじゃない [2018年08月29日(Wed)]
神奈川県の横須賀市は、多様な性について早いうちから施策を展開してきた自治体です。その横須賀でも同性パートナーシップ制度導入をと当事者団体が要望に行った際、「制度のある自治体に引っ越そうとは思わなかったのか?」という質問が自治体職員からされたということです。

嫌なら出ていけと言われてるようで、というニュアンスで伝えられていますが、「先進自治体横須賀市」ですから、そういう悪意ある発言ではないでしょう。突っ込んだ会話の中、ちょっと不穏当な言葉になってしまったというところでしょう。担当課は不適切であると認識し、ちゃんと謝罪しています。

でも、少なからず違和感が残ります。担当課長のコメントは「引っ越そうとは思わないのはなにか制度に不備不満があるからではと思い云々」とあります。やはり、制度があるところに引っ越したいだろうになぁ、という認識はあるようですね。それって変じゃありませんか?

東京のように基幹自治体が入り乱れてるところですと、あっちへこっちへファッショナブルにお引っ越しもするかもしれませんが、住む場所を定めるってのは本来そんなにシングルイシューでもないはず。この街に住んでいきたい、だからこそ制度が必要だ、という順番のはずです。

「配慮欠く発言」と記事にされた背景には、LGBTという特別な人たちのためにパートナーシップ制度という特別の恩恵を授けてあげよう、それを街の魅力として売り出せる、というおかしな誘導があるように思います。


LGBTは単に多様な性のあり方が典型的でないというだけの人たちで、ごく普通に隣で暮らす市民の一人です。おしゃれな街のアクセサリーじゃない。

同性パートナーシップ制度は、恩恵で授けられるものではなく、制度の不備を補完するための苦肉の策。婚姻の平等において、欠けているものを回復させるためのステップです。魅力が、とかいう次元ではなく、少しでもマシになるようにという、そこに住む人の思いが実現させたものではないかと思います。

住んでいる仲間と共に、なくて困っている制度を埋めて少しでも暮らしやすくしてゆきたい。そんな思いを重ねて前に進んでいきたいわけなのです。


この街で暮らしてゆきたい。
暮らしてゆける街を作ろう。
私たちもそのまちづくりの担い手となろう!
ということです。
多様な性の当事者は、共に住み良い街にしたい当事者なのです。

LGBTへの配慮欠く発言で謝罪 | NHK神奈川県のニュース
https://www3.nhk.or.jp/lnews/yokohama/20180829/1050003800.html
敵味方の二元論を越えて [2018年08月12日(Sun)]
男女二元論、当事者と非当事者、右翼と左翼、カミングアウトとクローゼット……
世の中二元論で言いっぱなしが溢れていて、すぐに敵味方を判定したがる。
画像は拾い物に基づき作成の都市伝説。
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民主主義は多数決と少数意見の尊重って習ったでしょう?勝ち負けがすべてを決めるものではないし、そもそもの民主主義が成り立つ、個人主義と人権の尊重というルールがある。人権を制限するのは人権なのだけれど、それを判断するのは数ではなく命に関わるなどの深刻さな訳で、その尺度はこれまた多様です。
そのようなのだから、その時その時の価値判断を、自立した個人に委ね、たくさんの自己決定された判断の積み重ねが、なるべく人の足を踏まない成熟した社会への成長に繋がる。

これが通用しないナントカ主義が結構あって、そっちの方がより単純で、現実を見つめる丁寧さを放棄した人には魅力的に見えたりするのでしょうね。まあ、それにもピンキリですが、ほとんど都市伝説を楽しむ娯楽と同等に社会の動きを語られるのを見ると暗澹とします。
二元論は分かりやすいのですが、成長は苦手です。弁証法ってあるでしょ。二元論をどう越えていくかというテーマはけっこう昔からあります。
最近流行りの二次元で4つの領域を可視化するやり方(名前教えて……)にしても、二つの軸以外の要因が領域を越えていくのに作用していないかとか、そういう整理をしていくためのもの。図式化は思考のツールであって、それを社会そのものと勘違いしないでほしいです。
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記述しきれない間にあるもの、それが現実の社会の変化を見つめる鍵になります。
男と女の二元論にこぼれる多様な性とか、そういう話な訳です。右翼と左翼の間には中道というのがあって、微妙に繋がってるところをとりあえず線引きして政党とか作ってますけど、政権交代や政界再編とか、時代によって流動するもの。時にそれは右左の軸さえ変容させます。

間とか、記述しきれないものを提示できるかがとても大事。SNSの世界でも、そういう間の声がたくさん出てきて、新しい気付きを与えてくれると良いのになぁと思います。
ネットは現実と繋がっていて、と言うか、現実の一面の切り口でしかないわけで、その現実に根差したあれこれが感じられる、そういう発信をしている人と繋がりたいし、そういう発信を心がけたい。どう生きているかに真摯に向き合い、経験により変化したリアルな生を、たくさん積み重ねていきたいです。
Posted by 小浜耕治 at 13:25 | 人権 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
マイノリティであることを代表できるのか? [2018年08月12日(Sun)]
どんなマイノリティでもそうですが、当事者が「代表性」を持つ危うさというのは、常に意識されなければならないです。
私が感じたことは私のこと。誰かのことや、たくさんの当事者のことではない。個人として責任を持って発信できるのは、基本その人が経験したことです。
しかし、社会に訴えていくためにはある程度の束となる必要もあって、そのために団体をつくって、そのメンバーの声を背負っていったり、調査を行ったり、いろいろ活動をする。自分がよって立つコミュニティがないと、なかなか自信を持って主張することはできません。

「活動家が勝手な事いってる」みたいなボヤキが、一部で流行しているようです。ボヤくだけなら、五月蝿いくらいですむのですが、時々足を引っ張る行動に出る事があり、とても困る事があります。完璧でないにしても、より良いものを作ろうとして、各方面コンセンサスを得て、積み上げたものを、地獄の鬼よろしく足蹴にする。どっと疲れます。

もちろん、完璧ではないので批判は受けるべきですし、忌憚ない声はとてもありがたいものです。意見がぶつかる事もあり、必ずしも合意に至らない場合もある。場合によってはこれはダメだとストップをかけたり、生じるかもしれないリスクを引き受けて決行したり、組織としての判断を行います。

こういうのは、社会的にはコンセンサスを得られている方法だと思います。リアルでどのような過程を踏んでいるのかはネット上ではなかなか見えませんが、どういう努力を重ねているかには想像力を働かせて欲しいなぁと思います。

一方で、活動するからには「組織は何のためにあるか」とか「責任を負うとはどういうことか」とか、社会的存在として求められるものはたくさんあります。一つ一つクリアするのは手間がかかりますが、こうした積み重ねが周囲との信頼関係の構築につながります。積み上げて、信頼を得て、自信をつけて、必要な発信をしていきたいと思います。
Posted by 小浜耕治 at 13:13 | 人権 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
おネエは差別か? [2018年06月10日(Sun)]
島根県の小さな町:川本町の町おこし企画で、おネエ系バスドル"ジュビちゃん"オンステージというコンサートが予定されていました。
同じ県の「LGBT団体」がポスターの「おネエ系」という表現が差別的であるとして抗議し、結果、中止に至ったとのことです。
いろいろ問題が指摘できる事案ですが、おネエは差別か?という点と、抗議は誰がするか?という点、
2点について、私の考えを述べたいと思います。

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まず、おネエは差別表現なのか?という点ですが、このコンサートの場合はそれには当たらないと考えます。
演者のジュビレーヌ・イデアラさんが自称する「おネエ系バスドル」です。
本人の意向としてこのタレントで活動されているのですから、その呼称は尊重されるべきものだと考えます。
また、本人が身体をはって「おネエ」を引き受け、その要素も加えながら音楽活動をされること、その内容は詳しくはわかりませんが、廃線になった三江線について、現地に赴きその思いを作曲し、初の公開演奏を地元で行う。音楽の町おこしを行っている川本町の取り組みに共感した素敵な表現活動だと思います。
表現者としての人格と、丁寧な企画作りをされているものに対して、差別的であるとは私には思えません。

「おネエ」という言葉や、それがあるイメージで流布することによって、一部のトランスジェンダーやゲイが傷ついているということはあるでしょう。
「おネエ」が登場するテレビ番組で、ホモフォビアが刺激されて辛かった経験は私にもあります。(当時はおネエというカテゴリーではありませんが)
おネエという存在は、ドラアグ、そしてクイアな表現と地続きなのだと考えます。
これは、そうしたホモフォビアを乗り越えるため、ゲイコミュニティが培ってきた、反差別の表現なのだと思っています。
自身に向けられたホモフォビアを、「これが私よ、何が悪いの?」
と蹴り返す、ラディカルな表現です。
これがLGBT自身を傷つける。女性を傷つけるという場合も指摘されることですが、クイアな表現は元来男らしさ女らしさの枠をぶっ壊すためのもので、優しい表現ではないのです。
自身の中にあるセクシズムと闘い超えるための営みです。
闘っているのは人格ではなく、セクシズムという社会構造です。
その社会構造に影響される人を傷つける可能性はあるでしょう。
表現の際には、その部分への配慮が必要で、社会構造にどのようにインパクトを与えるのかについて、表現者が責任を自覚して行うものだと考えます。
この辺りの微妙な点については、さらに議論が必要だと思います。
しかし今回の事案は、「配慮」し行わない選択が必要なものとは、私には思えません。

二点目についてです。
傷ついたと感じてそれを表現する〜抗議するのもまた、プライドを支える大切な行動です。
今回の事案で抗議をするのも、その人にとっては大事なことなのだと思います。
しかし、それが団体として行われるからには、団体内での丁寧な合意形成の過程が必要なのだと思います。
「LGBT団体」には、トランスジェンダーやゲイやクイアや、様々な価値観を持った人が参画しているかと思います。そうありたいものです。
今回、そうした多様な価値観が反映された上での行動だったのか?
それを検証すべきではないかと考えます。
地方での活動を進めていくにあたって、共に暮らす仲間の声を反映できているだろうかと自問することは不可欠です。
数少ない活動できる仲間と、どのように力を合わせて行けるか?
置き忘れている価値観はないか?排除してしまっていないか?
他に逃げ場がない地方の活動では、そうした包摂への配慮がとても重要だと考えます。
もちろん、配慮をしても譲れない点は出てくるわけですが、その地方の状況を変えていこうという目的において行動を判断し、そこから生じる状況に責任を持つ姿勢が求められます。

様々な活動がどのように地域に影響してゆくのか?
その部分を丁寧に考えながら活動していかねばと思います。
今回に事案は、その点を自省する機会になりました。

共同通信記事
https://this.kiji.is/377407732560479329/amp
Posted by 小浜耕治 at 02:21 | 人権 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
LGBT温泉その2 浴場と欲情 [2018年05月19日(Sat)]
「LGBT温泉を経験してみて」の続きのお話です。
前回の投稿の後に、一緒に入浴した
「番組を作らないディレクター」小国氏のレポートが公開されました。
興味深い裏の気持ちが現れているので、ぜひご覧になってみてください。
https://forbesjapan.com/articles/detail/21028

レインボー風呂ジェクトでは、私が女湯に入った「自己申告の湯」の前に
「見た目の湯」「戸籍の湯」がありました。
私の身体的な性・戸籍の性は男性で、ついでに言うと
性自認は男女どちらでもあるクイアですが性表現は男性です。
所作や言葉遣いは多分に女性ですけどね。
見た目では男に判定され、戸籍では男なので男湯に入ったわけですが、
まあ、いつもの風景とさして変わらず。FtMの方やMtFの方がいても、
セクマイ業界長いので私自身は特に違和感なくおりました。

しかし、一般男性(無自覚なシスへテロの方々)は、
見た目にいろいろ惑わされていたようです。
惑わされるのは、オンナの身体だ!ヤバイ!反応しちゃわないか?
という風に、目に見える「女体」に欲情・欲動の対象とするの
を前提としておられたようです。
ご自身の内面で起こっている本当の気持ちの動きよりも
「男だったらこうだろう」というという同調圧力で反応されておられたように思います。
戸籍の湯でMyFの方たちにどぎまぎしつつ、
彼女の周りに男が群れる「ハーレムみたいだ」と軽口が聞かれました。
そこに私が割って入って「じつはハーレムww」と
見えないけれどゲイの欲情があるのよーと示唆しましたけれど、
あまり反応はありませんでした。
見るのには慣れていても、見られるとは考えにも浮かばないようです。

お風呂から上がった後、ダンディなおじ様に
「ゲイがいて、性的に見られているかも?とか考えませんでしたか?」
と聞いてみましたが、「いや、全然気にしてないよ」ということでした。
もしかしたら「やばっ!狙われてる?!」という方もいらっしゃったかも知れません。
よく聞くフレーズですものね。でも今回はセクマイが半分いる場ですから、
お行儀良くそういう発言には至らなかったようです。

「男」にとっては、実はお風呂は欲情に紐付けられた場なのではないでしょうか?
性的対象がそこにあると、反応したり動揺したりすると言うことはないでしょうか?
シスへテロ男性が女性と入浴したときには動揺するし、
シスゲイが男湯では「ええ身体や〜眼福眼福!」とにやつきます。
しかしそれは「男」や「ゲイ」として許される行動で、
むしろそこを外れることが許されない。自分の微妙な気持ちの動きには無自覚に、
あるいは目をつぶって行動しているように思います。
同調圧力、ホモソーシャルの典型例とも言えるように思います。
裸の付き合いと男の振りもできず、
かといってゲイだから欲情OK役得だと開き直ることもできず、
居づらい思いをしている男性も、実はいるのだと思うのです。

女性はどうなのでしょうか?
男がいると同じように性的対象として見てしまって動揺するでしょうか?
もちろん個人差もあるでしょうが、女性ジェンダーとしてはそのような想定はない。
同調圧力は「性的なまなざしを持たない」「性的に見られるかもしれない」
という方向に働くように思います。
私が女湯で受け入れられたのも「性的なまなざしを持たない」部分に
同化できたからというようにも考えられるかもしれません。

「裸の付き合い」の肯定には、多かれ少なかれ、
こうした同調圧力が前提にあります。
それが無理だと、裸の付き合いとか同じ釜の飯とかは苦痛でしかありません。
「自己申告の湯」で男湯女湯どちらにも入れないと感じた人には、
こういう心境だった方もいたのかもしれないなぁと、
考えるに至ったわけでした。
本当のところはどうなのかしら?
生の声をもっと聞きたいと思います。
LGBT温泉を経験してみて [2018年05月15日(Tue)]
久しぶりに読み物の投稿です。

LGBT温泉〜レインボー風呂ジェクトについて、
せっかくの濃密な時間が10分にもならんのかい!って
ぷりぷりしてます。でも、足りないなら自分で発信しなきゃね!
ということで、考えてることを書きます。

男湯女湯にどう分かれるかで、
見た目の湯、戸籍の湯、自己申告の湯ってあって、
私は自己申告の湯で女湯に入りました。
オトコのカラダが入ってきて、ご婦人方はどう思うか
とか周りのことを考えず、女湯ならこうに違いないと
わがままかましての行動です。
その辺りのところ、リンクに記事にしてもらってますので、
まずご覧ください。
https://www.nhk.or.jp/ten5/ten5chan/lgbt/rainbow/

私の性的指向はほとんどすべて男性に向いているので、
男湯はパラダイスなはずです。ゲイの間では常識的に語られ、
「LGBT温泉というけどそれはTの問題で、LGBは関係ない。」って
主にゲイが語っています。でもね、本当にそう?
トランス固有の温泉での困難、その切実さは確かにあるけど、
それは私のものではないと言えるかしら?
どうして私はトランス温泉問題にコミットしようとするのかしら?

かくいう私はすでにゲイの看板は降ろして、
ジェンダークイアとして売り出し中(どこに?)なのです。
だからと言ってトランスの仲間入りできたかと言えば、
性表現オトコのままで、どうもそうとは言えない。
オトコの姿でオトコのカラダで、オトコに欲情するのに、
ゲイじゃないだとー?!と言われそうで、
TPOでゲイと言ったり、ポンコツなクイアアイデンティティです。

オトコの裸と一緒だと緊張するんですぅ〜なんて、
どの口が言うんや!と、キレイぶってるんじゃないと、
そう言われるとわかるくらいにはゲイコミュニティの事情はわかっています。
でもね、せっかくのLGBT温泉のですもの、
ご婦人方は話せばきっとわかってくれる。
自分がどれくらいゲイへの帰属意識があるのか?
どれくらいクイアなのかを身をもって試してみたいと思ったのです。

女湯に入ってみて、ご婦人方にも「喋ってるとなんの違和感もない」と
暖かく受け入れられ、
ああ、これってアリだ。女湯に入る決断は吉だった。と感じました。
アタマばっかり考えると、自分のことはよくわからなくなります。
行動し、反応があり、その動きのなかに身を投じてこそ
見えてくる自分があります。十字架と復活です。
ゲイコミュニティでの体面を切って捨てられるほどには、
自分はクイアだと確信することができました。

だからと言って、オンナには欲情しないクイアだから
気にしないで〜って、これから女湯に入ると言う訳じゃありません。
だって、お風呂はみんなのものでしょ。
オトコのカラダ嫌って言う人はいるし、
LGBT温泉でも、実はいたと思うのよね。
今度やるときにはもう少し丁寧な過程を踏まないとと思います。

そろそろスマホが重くなってきました。
お風呂と欲情のビミョーな関係についてはまた次の機会に。
それではおやすみなさいませ。

小浜
セクシュアリティ夜間学校6月・7月 [2017年06月11日(Sun)]
セクシュアリティ夜間学校のお知らせ


★第3時限目 
 ゲイブームからLGBTバブル、そして社会が変わること
2017年6月26日(月) 19:00〜21:00  資料代:100円
1990年代に、雑誌などで盛んにゲイ・男性同性愛が取り上げられた時期がありました。2000年前後には、性同一性障害の治療のガイドラインが制定され、戸籍性変更の特例法ができました。そして2015年に、東京都渋谷区で同性パートナーシップ証明を定めた条例が施行され、性的マイノリティに関する報道の量が劇的に増えました。このような中、性的マイノリティをめぐる社会状況は改善しているのでしょうか?
会場 :  仙台市市民活動サポートセンター 研修室5 
仙台市青葉区一番町四丁目1-3 (TEL.022-212-3010 会場問合せのみ)


★第4時限目 
 レインボーでカラフルな性的マイノリティの活動
2017年7月24日(月) 19:00〜21:00  資料代:100円
性的マイノリティのマスコミ報道を多く目にするようになった今、当事者は様々な活動を行っています。プライドパレードなどと呼ばれる街頭でのアピールは、10万人を超える規模の東京をはじめ、全国7都市で開催されています。その他にも小さな当事者交流会、相談活動、様々な社会課題に取り組むもの、法制度を作っていこうとするものなど多彩な活動があります。これらから、性的マイノリティの課題を概観してみましょう。
会場 :  仙台市市民活動サポートセンター 研修室5 
仙台市青葉区一番町四丁目1-3 (TEL.022-212-3010 会場問合せのみ)
セクシュアリティ夜間学校5月・6月のお知らせ [2017年04月14日(Fri)]
セクシュアリティ夜間学校のお知らせ

夜間学校5・6.jpg

第2時限目 
 性的マイノリティと医療のビミョーな距離感

2017年5月22日(月) 19:00〜21:00  資料代:100円
会場 :  仙台市市民活動サポートセンター 研修室5 

仙台市青葉区一番町四丁目1-3 (TEL.022-212-3010 会場問合せのみ)

性同一性障害って、病気や障害なの? いいえ、違います。
性的マイノリティは自死が多いってホント? はい、事実です。
医療機関でのサポートは足りているの? うーん、ビミョーです。
5月17日はIDAHO:国際反同性愛嫌悪の日、日本では「多様な性にYES!の日」として記念日登録されています。この日は同性愛が精神疾患でなくなった日。医療とセクシュアリティの関係を学んでみましょう。


第3時限目 
 ゲイブームからLGBTバブル、そして社会が変わること

2017年6月26日(月) 19:00〜21:00  資料代:100円
会場 :  仙台市市民活動サポートセンター 研修室5 

仙台市青葉区一番町四丁目1-3 (TEL.022-212-3010 会場問合せのみ)

1990年代に、雑誌などで盛んにゲイ・男性同性愛が取り上げられた時期がありました。2000年前後には、性同一性障害の治療のガイドラインが制定され、戸籍性変更の特例法ができました。そして2015年に、東京都渋谷区で同性パートナーシップ証明を定めた条例が施行され、性的マイノリティに関する報道の量が劇的に増えました。性的マイノリティをめぐる社会状況は改善しているのでしょうか?
会場はいずれも :  仙台市市民活動サポートセンター 研修室5 
仙台市青葉区一番町四丁目1-3 (TEL.022-212-3010 会場問合せのみ)

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