全国大会に行って来ました[2016年10月26日(Wed)]
平成28年10月8日、日本脳外傷友の会第16回全国大会2016IN高知が高知市
文化プラザかるぽーとで開催され、参加しました。「見えない障害」「見てない障
害」〜もっかい考え直さんかえ〜をテーマにガイダンス講演、基調講演、シンポジウム等様々な発言、発表があり要約により報告いたします。
基調講演1
「滋賀県における高次脳機能障害支援の現状から、今後の支援を考える」
社会福祉法人グロー 理事長 北岡賢剛
社会福祉法人として高齢者•障害者•生活困窮者を対象とした施設運用に携わっており、当初、高次脳機能障害については若年認知症的な感覚で、一症状部門的とし
ての認識であったが、厚生労働省社会保障審査会障害者部会委員(2004年〜)と厚生労働科学研究において「高次脳機能障害」という項目、表現が無い事、ましてや法的位置付け(-----自立支援法)が無い事に驚き、積極的な提言をおこなっている。
私見ではあるが、高次脳機能障害に対する国の措置は他団体と比べて2廻り遅れている。
今後の支援策を進めていくためには、全国の各団体が声を挙げていく事が必要である。具体的には、自治体への陳情・要望書の提出、地域の人々への理解と協力。
基調講演2
「当事者の生きる知恵・高次脳機能障害から学んだこと」
対談方式
(話し手) 医師 山田規畝子
・小6 最初の脳出血
・実家(香川県高松市)の整形外科病院の院長の時、脳出血により脳梗塞を併発、高次脳機能障害を発症。33歳
・リハビリ医を目指し、愛媛県伊予病院に勤務するが、三度目の脳出血。半側空間無視など新たな後遺症。37歳
・2005年、医師を休業し高松へ帰郷。41歳。
・現在はテレビ・雑誌の取材を受けながら、多方面より講演や執筆活動をこなす。
著書「壊れた脳 生存する知」講談社 2004年
(聞き手) はしもとクリニック経堂 院長 橋本圭司
・東京慈恵会医科大学卒業
・数多くの病院で高次脳機能障害治療を経験。脳外傷による高次脳機能障害、小児の高次脳機能障害、発達障害合併症例の診断・治療・支援。全国でも数少ない専門医。
対談のポイント
脳損傷になっての症状について
@神経面については?
⇒前頭葉に酸素が行かなくなり、結果として@疲れるA面倒臭くなることにより、失敗が続き、勘違いが多くなった。
A感情面については?
⇒運動機能の障害により@ほぐれていない笑いをするA暴発すると浮かんだ言葉が考えなしに出る(脱抑制)
Bコミュニケーションについては?
⇒空気が読めない。自分の世界に入り込む。相手の事を考えない。
対応として、現在「話をする会」を高松記念病院で主催している。
会の方針として、「あなたを知りたい」という姿勢を持ち対応している。
結果として、自分も含め、それぞれが社会の中で生きているという感覚を持つ。
又、障害の回復のみに対策を考えるのではなく、あるがままの状態で生きていくことが出来る社会の構築が必要ではないだろうか。
C想像力については?
⇒当事者だけでなく、支援者にも興味を持ってほしい。私(山田)自身、自分を見て欲しいという意味で、各地でセミナーを積極的に開きたい。
D希望については?
⇒高次脳機能障害に対するサポート制度の確立を希望。具体的には、法律で保証された保険制度のようなものを期待。このことにより、生活・就労・親なき後の保証が担保される。
シンポジウム
〜そのまんまでかまわんちゃ〜
座 長 南国中央病院 副院長 宮 本 寛
高知リハビリセンター センター長 上 田 真 弓
シンポジスト
○片 岡 憲 考 当事者
平成11年(16歳)交通事故により救急搬送
診断名:脳挫傷 急性硬膜か血腫 骨盤骨折 肺挫傷
平成13年(18歳)高校休学
平成16年(21歳)名古屋の病院で高次脳機能障害と診断される
平成22年(27歳)盲学校保健理療科卒業
あんま・マッサージ・指圧師免許取得
平成26年(31歳)就労継続支援B型施設利用
@今までで嬉しかったことは?
⇒あんま・マッサージ・指圧師の免許を受ける為の専門学校に通っていた時、担任の先生が息抜きの場所(解剖室、トイレ)を確保してくれた。そこでイライラ解消対策として深呼吸をして心を落ち着かせる事が出来た。
A今まで困った事は?
⇒同じ専門学校の中で先生によっては高次脳機能障害を理解していなかった。学校全体、スタッフ全体の情報共有がされていなかったのでは。
B今後については?
⇒障害を理解される為には、一般の人々にも見える形で生活を続けていきたい。
○小 松 郁 子 家族(小松正明の母)
平成14年(18歳)大学より帰宅中事故、救急病院に搬送
診断名:脳幹部損傷 脳梁損傷
リハビリテーション病院に転院 高次脳機能障害を告げられる
平成16年(20歳)大学を休学より退学
平成22年(26歳)高知障害者職業センターに通所開始
平成27年(31歳)病院医務課臨時雇用
@母としての意見、思い
事故、病院退院、自宅に帰った時には何に取り組んでよいか分からなかった。
当初、大学復学に向けて家族教師を依頼、体力向上の為にスイミングスクールに通ったり、時間の空いた時には図書館に通ったりした。
一時、福祉専門学校に入学したが、先生の中には高次脳機能障害について理解がされていなかった。
※会場内よりトップの理解が必要ではないかとの意見があり
本人は、これまで社会人としての経験がないので何かと大変ではあるが、家族会との関わり、専門職より相談・意見を通じ今後の難関を解消してゆきたい。
以上
要約した報告となりましたが、まだまだ細やかな意見なり、講義がありましたので今後、家族会やその他でお知らせしたいと思います。
今回の全国大会のガイダンス講演として、座長であります慈恵会医科大学教授の渡邊修先生より「高次脳機能障害は、当事者のみならず家族の見守りは、教育から就労に、そして親なき後までの責任があり、家族だけでは限界があり社会の理解と支援が大切である
」という言葉が印象的でした。
次回(第17回全国大会)は平成29年10月20日交流会 21日記念式典・全国大会が岐阜県岐阜市 岐阜グランドホテルで開催予定です。
文化プラザかるぽーとで開催され、参加しました。「見えない障害」「見てない障
害」〜もっかい考え直さんかえ〜をテーマにガイダンス講演、基調講演、シンポジウム等様々な発言、発表があり要約により報告いたします。
基調講演1
「滋賀県における高次脳機能障害支援の現状から、今後の支援を考える」
社会福祉法人グロー 理事長 北岡賢剛
社会福祉法人として高齢者•障害者•生活困窮者を対象とした施設運用に携わっており、当初、高次脳機能障害については若年認知症的な感覚で、一症状部門的とし
ての認識であったが、厚生労働省社会保障審査会障害者部会委員(2004年〜)と厚生労働科学研究において「高次脳機能障害」という項目、表現が無い事、ましてや法的位置付け(-----自立支援法)が無い事に驚き、積極的な提言をおこなっている。
私見ではあるが、高次脳機能障害に対する国の措置は他団体と比べて2廻り遅れている。
今後の支援策を進めていくためには、全国の各団体が声を挙げていく事が必要である。具体的には、自治体への陳情・要望書の提出、地域の人々への理解と協力。
基調講演2
「当事者の生きる知恵・高次脳機能障害から学んだこと」
対談方式
(話し手) 医師 山田規畝子
・小6 最初の脳出血
・実家(香川県高松市)の整形外科病院の院長の時、脳出血により脳梗塞を併発、高次脳機能障害を発症。33歳
・リハビリ医を目指し、愛媛県伊予病院に勤務するが、三度目の脳出血。半側空間無視など新たな後遺症。37歳
・2005年、医師を休業し高松へ帰郷。41歳。
・現在はテレビ・雑誌の取材を受けながら、多方面より講演や執筆活動をこなす。
著書「壊れた脳 生存する知」講談社 2004年
(聞き手) はしもとクリニック経堂 院長 橋本圭司
・東京慈恵会医科大学卒業
・数多くの病院で高次脳機能障害治療を経験。脳外傷による高次脳機能障害、小児の高次脳機能障害、発達障害合併症例の診断・治療・支援。全国でも数少ない専門医。
対談のポイント
脳損傷になっての症状について
@神経面については?
⇒前頭葉に酸素が行かなくなり、結果として@疲れるA面倒臭くなることにより、失敗が続き、勘違いが多くなった。
A感情面については?
⇒運動機能の障害により@ほぐれていない笑いをするA暴発すると浮かんだ言葉が考えなしに出る(脱抑制)
Bコミュニケーションについては?
⇒空気が読めない。自分の世界に入り込む。相手の事を考えない。
対応として、現在「話をする会」を高松記念病院で主催している。
会の方針として、「あなたを知りたい」という姿勢を持ち対応している。
結果として、自分も含め、それぞれが社会の中で生きているという感覚を持つ。
又、障害の回復のみに対策を考えるのではなく、あるがままの状態で生きていくことが出来る社会の構築が必要ではないだろうか。
C想像力については?
⇒当事者だけでなく、支援者にも興味を持ってほしい。私(山田)自身、自分を見て欲しいという意味で、各地でセミナーを積極的に開きたい。
D希望については?
⇒高次脳機能障害に対するサポート制度の確立を希望。具体的には、法律で保証された保険制度のようなものを期待。このことにより、生活・就労・親なき後の保証が担保される。
シンポジウム
〜そのまんまでかまわんちゃ〜
座 長 南国中央病院 副院長 宮 本 寛
高知リハビリセンター センター長 上 田 真 弓
シンポジスト
○片 岡 憲 考 当事者
平成11年(16歳)交通事故により救急搬送
診断名:脳挫傷 急性硬膜か血腫 骨盤骨折 肺挫傷
平成13年(18歳)高校休学
平成16年(21歳)名古屋の病院で高次脳機能障害と診断される
平成22年(27歳)盲学校保健理療科卒業
あんま・マッサージ・指圧師免許取得
平成26年(31歳)就労継続支援B型施設利用
@今までで嬉しかったことは?
⇒あんま・マッサージ・指圧師の免許を受ける為の専門学校に通っていた時、担任の先生が息抜きの場所(解剖室、トイレ)を確保してくれた。そこでイライラ解消対策として深呼吸をして心を落ち着かせる事が出来た。
A今まで困った事は?
⇒同じ専門学校の中で先生によっては高次脳機能障害を理解していなかった。学校全体、スタッフ全体の情報共有がされていなかったのでは。
B今後については?
⇒障害を理解される為には、一般の人々にも見える形で生活を続けていきたい。
○小 松 郁 子 家族(小松正明の母)
平成14年(18歳)大学より帰宅中事故、救急病院に搬送
診断名:脳幹部損傷 脳梁損傷
リハビリテーション病院に転院 高次脳機能障害を告げられる
平成16年(20歳)大学を休学より退学
平成22年(26歳)高知障害者職業センターに通所開始
平成27年(31歳)病院医務課臨時雇用
@母としての意見、思い
事故、病院退院、自宅に帰った時には何に取り組んでよいか分からなかった。
当初、大学復学に向けて家族教師を依頼、体力向上の為にスイミングスクールに通ったり、時間の空いた時には図書館に通ったりした。
一時、福祉専門学校に入学したが、先生の中には高次脳機能障害について理解がされていなかった。
※会場内よりトップの理解が必要ではないかとの意見があり
本人は、これまで社会人としての経験がないので何かと大変ではあるが、家族会との関わり、専門職より相談・意見を通じ今後の難関を解消してゆきたい。
以上
要約した報告となりましたが、まだまだ細やかな意見なり、講義がありましたので今後、家族会やその他でお知らせしたいと思います。
今回の全国大会のガイダンス講演として、座長であります慈恵会医科大学教授の渡邊修先生より「高次脳機能障害は、当事者のみならず家族の見守りは、教育から就労に、そして親なき後までの責任があり、家族だけでは限界があり社会の理解と支援が大切である
」という言葉が印象的でした。
次回(第17回全国大会)は平成29年10月20日交流会 21日記念式典・全国大会が岐阜県岐阜市 岐阜グランドホテルで開催予定です。