陳情は不採択になりました 第3回 [2022年03月16日(Wed)]
さて、委員会の議論ですが…。
委員会終了後、私を含めて4人で庁舎の展望室で少し感想を話し合いましたが、全員、委員会を傍聴するのは初めて。 そのうちの、一人の方が開口一番言いました。 「出来レースなんですか」 そう思われても仕方ない、論点のずれた低調なものでした。 論点がずれているのは新聞記者さんも指摘していました。 誰がどういうことを説明したかは、あらためてココに書きます。今、整理中なので。 ただ、全体的に言えることが2点あります、一つは「追及の甘さ」です。 質問に対する理事者の答弁はスキだらけなのですが、そこを追わない。 いやホント、「私をソコ(議員席)に座らせろ」と思いました。 中には「全面的に賛成します」と言ってくれた議員もいて、それは嬉しかったのですがその議員さんは質問をせず、自分の意見を言うだけ。 質問によって理事者の説明の矛盾や施策のまずさを明らかにすることができる。それによって行政の姿勢を正す可能性が生まれる。それができるのが議員と一般市民との違いなのに、それを行使しなかったら意味がない。それじゃあ、陳情者が一人増えたのと同じ。 もう1点は説明の中で、「陳情の根幹は感染状況をきちんと伝えて欲しいということ。これが伝わっていない中で接種権を一斉配布したらみんな半ば義務かと誤解する」ということだと念を押して説明したのに、このことに対して全く質問がなかったということ。 なぜか「ワクチンに対する十分な説明ができるのか」ということばかり。 「人の話をちゃんと聞いていたのですか? 席にいたけど『休憩』だから本当に休憩していたのですか?」と思ってしまいました。 例えば「仮に、陳情者の言う二段階的な手法をとったらいくらくらい経費が余計にかかるのか」という質問がありました。良い質問だなと思いましたがこれに対して理事者は66万円ほどと答え、議員はそれほど大きい額ではないですねと言い、次にその手法をとったときに余計にかかる日数を質問しました。 これに対して理事者は答えるわけですが、結局、コロナが脅威である疾患を持つ子まで接種するまでに時間がかかるという答えがあり、それなら二段階方式では…と「相互理解」というような形で終わるのです。 同じような質問が他の議員からもありましたが、結局同じような議論。 なぜ、「そういう子の接種は特別に早くする方法(あらかじめ把握するとか)はないのか」という重ねての質問や議員からの別提案が出ないのか? 「保護者に現在の子どもの感染状況を正しく伝えて欲しい」ということに関連して、苫小牧市内の子どもの感染状況(人数)に関する質問がありました。それに対して理事者は「小学校の学年閉鎖や幼稚園等の休園も相当数あり…」と答え、質問者も「相当数ですね、それでは接種券の配布を早くしないと」というようなやりとりがありました。 「相当数」…国語辞典を引くと「相当」には「当てはまる」「つり合う」「かなり」の3つの意味があるとあります。感染数がわからないから尋ねてるわけで、それに「つり合う数です」と答えるわけはないので「かなり」という意味ですね。 陳情者は「(全国では)かなりの数ではないとデータをあげて指摘しているのに」 理事者は「人数は北海道で把握しているので市にデータはない」と答えていましたが、「相当数」では答えになっていないでしょう。 少なくとも「それでは、市民に現在の感染状況を示すことができない」と指摘したり「では、学年閉鎖や休園の目安となる人数は何人で何箇所閉鎖しているのか」などの質問ができるわけで。 しかも、陳情書の提出は委員会開催の20日ほど前です。理事者は議員にどんな質問をするのか聞きに行くし、議員はあらかじめデータが欲しいのもあって、大まかに質問することを伝えますから、その気になれば人数把握なんてできたはず。 とにかく目についたのは、何となく「ねっ」「なっ」というような暗黙の了解を感じるやりとり。 私が感じたことですよ。 ピント外れの議論にそれを感じるだけで、それが事実だとは言いません。 でも、初めて見た人が「出来レース」という感触を持った議論の様子。 これは重要なことだと思います。 さて、審議の様子はもう一回伝えます。 私の大きな失敗も含めて。 |