• もっと見る

« 2015年03月 | Main | 2015年05月»
fxwill.com
最新記事
カテゴリアーカイブ
<< 2015年04月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新コメント
野田真美
陳情は不採択になりました 第2回 (03/18) 非営利自治支援事務所Pucca
陳情は不採択になりました 第2回 (03/17) 野田真美
陳情は不採択になりました 第2回 (03/16)
月別アーカイブ
過去最低の投票率を更新 [2015年04月27日(Mon)]

 私が暮らす苫小牧、

昨日の市議会議員選挙の投票率は48.99%、

半分以上の人が選挙に行かないという事態になりました。

 争点が無い?

 いいえ、カジノ誘致の可否、駅前衰退と都市計画、

学校教育、福祉関係など問題は沢山あります。

 なんで投票に行かないのか?

 平成9年に投票率向上を目指して公職選挙法が改正され、

投票時間の延長、そして期日前投票の実施と、

投票しやすい様に、しやすい様にと

さまざまな制限が緩和されて行きました。

 しかし、現実は...

反比例する様に投票率は低下しています。

スクリーンショット(2015-04-27 20.25.50).png
 総務省HP
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

 もういい加減、みんな気付いたよね。

 投票に行かないのは、

「投票に行きにくいから、不便だから」じゃないんだって。

 だから、自宅でPCやスマホで投票できるようにしたってダメ。

 かえって、「よく考えないで投票」したり

「組織に言われてるから投票」したりというのが占める割合が増えて、

いびつな民意となって結果に反映されてしまう。


 選挙に行かない理由は、

昔から言われている

「投票に行ったって何も変わらないし」

と多くの人がこう思っているから。

 コレに尽きる。

 
 投票率が75%を越えたのは昭和33年(67年前)が最後、

70%を越えたのはH2年(25年前)が最後、

投票結果によって社会が変わるのか変わらないのか、

知ってる人は多くない。

 しかも、昭和30年代からの高度経済成長からバブル期まで、

基本的に景気はよかったから、

選挙に関心がなくても生活は守られていたので、

ダイナミックに社会を変える必要も感じていなかった。


 つまり、「変わらないし」は「変わらなくてもいいから」

という意味だった。

 「変わらなくてもいいから投票に行かない」というのを

「行ったって変わらないから」と自分を正当化していただけ。

 
 じゃあなんで「変わらなくてもいい」と思うんだろう。

 それは「今の状態が、将来どのような社会を創りだすのか」を

考えようとしないから。

 簡単に言うと「想像力の低下」が招いた事態なんだと思う。


 例えば、「来年から徴兵制を実施します」と政府が言えば、

その後に行われる選挙はかなり投票率が上がると思うよ。

 でも、「世界情勢に考え、自衛隊をアフリカに派遣します」なら

大した影響は与えないでしょう。

 実際に自衛隊が戦闘に巻き込まれて、

もし、自衛隊員が次々に辞めて行くような事態になったら、

徴兵制は現実味を帯びてくるよね。

 ただ、それに気付いた時には外堀が埋まっているかも...。

 
 みんな、選挙に行こうよ。

選挙権は昔の人たちが苦労して手に入れた私たちの権利だよ。

 初めての国政選挙から、

20才以上の全ての男女が選挙権権利を手にする迄に55年かかってる。

 そして、それから70年経った。

 このままでは、選挙権の存在意義さえ疑われてしまうよ。


 次はちゃんと行こう。

 損するのは未来の自分、そして子どもたちだよ。

Posted by がばめん太 at 19:52 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(0)
二刀流 [2015年04月22日(Wed)]

 いやあ、1年と5ヶ月も更新していなかった。

 びっくり。


 ファイターズの大谷さんが打者と投手の二刀流に挑戦していますね。

 いろいろ外野はうるさいですが、誰もやらなかったこと。

 「二刀流が成功したか失敗したか」は本人が決める事。

 「どちらも中途半端だった」と思うか、

「どちらも成功した」と思うかは、その人の基準によるもの。

 大谷さんが、自身の持つ尺度で自身が判断すればいいのだと思います。


 私も、いろいろなことに関心が向く方ですが、

「いろいろ手をつけて、どれも中途半端だったらダメですよね」

と言う人がいて、

 いや、確かにその通りで、

自分も、「これは途中で投げ出したなあ」と

言わざるを得ないものもあります。


 年を重ねて、いろいろ経験して、

結局、「中途半端かそうでないか」は自分で判断するしかないことが

わかりました。

 だって、自分で徹底的にやった事を他人は「まだまだ」とか言うし、

「これはまだ...」と思ってる事を、思い切りほめられたりするし。

 結局は、自分が思い描いたものにどれだけ近づけられるか(あわよ
くば達成するか)、

それが唯一の判断基準。

 じゃあ、他人の評価は関係ないのかいというと、そうでもなく、

それは本人の評価基準の中に「他人の目」も入っているわけで。


 うちの子が、あるスポーツとあるスポーツの二刀流に挑戦しています。

 基本的に「子どもは勝手にやってれ」という考え方なんだけど、

 この挑戦だけは応援してやろうと思ってます。


 なぜなら、青春を謳歌している、この姿がいとおしいし、

「挑戦」が好きだし、

「いろいろなことに挑戦できる」それはすなわち「自由」の象徴だからね。


 大谷さんの「二刀流」は、

いろんな意味で価値のある、素敵なことだと思います。