• もっと見る

« 2011年10月 | Main | 2011年12月»
fxwill.com
最新記事
カテゴリアーカイブ
<< 2011年11月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新コメント
野田真美
陳情は不採択になりました 第2回 (03/18) 非営利自治支援事務所Pucca
陳情は不採択になりました 第2回 (03/17) 野田真美
陳情は不採択になりました 第2回 (03/16)
月別アーカイブ
飲み込んじゃいけないもの。 [2011年11月26日(Sat)]

 「世の中には慌てて飲み込んじゃいけないものが二つある。

テレビのニュース(「言うこと」だったかな)と、お正月のお餅だ」

 先日、子供たちと、

仮面ライダーディケイドの仮面ライダーカブトが出てくる巻を見てたら
(レンタルDVDね)

こんなセリフがありました。(カブトに変身する人のおばあちゃん)


 1957年(昭和32年)に、大宅壮一が(松本清張も?)、

「テレビによって日本人が総白痴してしまうかも」といった趣旨のコメントをしていました。

 ディケイドの放送は、それから半世紀後。

 
 ニュースで信じていいのは、

「起こった事実」だけ。

 確定していないことや、

批評や解説の

早飲み込みや丸呑みは厳禁です。
南三陸町の今 ボランティアの意義、そして次の世代のために  [2011年11月25日(Fri)]

 活動報告は終わりましたが、

もっとボランティアに行く人が出てくるように、

 ボランティアの意義、

そして次の世代のためにすべlきことをまとめました。



 南三陸町は来年の3月まで災害ボランティアセンターを継続する予定です。

 これから冬を迎え、屋外での仕事を継続するのは限界があると思います。

 だからできるだけ早く目途を付けさせてあげたい、

そのためにできるだけ多くの人がボランティアに行って欲しいと思うのです。

 特に、これからは寒さに慣れている道産子の出番だと。
(実は、今の北海道人は寒さに弱いという話もありますが落ち込み


 私は、ボランティアは気軽に行っていいものだと思っています。

 もちろん、活動のための準備はきちんとしておかなければなりません。

 そして、指示待ちではなく、

自分で判断して行動すること、

 被災者の心を傷つけることがないように考えて行動すること、

そういうことができなくてはなりませんが。
(ボランティアは揃いのビブスを着て行動するのでとても目立ちます。不用意な行動は、ボランティア全体への評価になり、それは被災地で長く活動しているボランティアに精神的な負担をかけることになってしまいます。)

 そういうことに気をつければ、

怖い顔をして被災地へ向かう必要はないのです。
(笑顔はとても大事です)

 被災地の周囲には観光地も沢山あります。

 1日ボランティアで2日観光でもいいのです。

 やるべきときに、心底一生懸命やれば。

 だから、1人でも多くの人に現地へ行って欲しいと思います。
(実際、到着した日はボランティアの受付時間に間に合いませんから、近隣の観光地にでも行って来た方がいいです。私も全行程のうち、到着日と最終日は近隣の観光地へ行きました)


 被災地でのボランティア活動にはどんな意義があるのでしょう。

 偶然、同じ時期に、同じく苫小牧から行っていた内潟さんが、

被災した漁師さんから聞いた言葉を紹介します。

「俺たちは、全てなくしてしまい、ゼロどころかマイナスになった。

何も手につかなかった。

でも、ボランティアの人達が来てゼロまで戻してくれた。

だから、俺たちにも希望が生まれ、立ち上がれた」


これが被災地で活動するボランティアの意義の全て、

と言っていいと思います。


 では、ボランティア自身はいったい何を得るのでしょうか。

 第一に言えるのは、

現場を体験したことにより、個々の思考の中に一本の柱ができ、

情報が少なくなった時に想像(推察)して考えることができるようになる、

自分をその場に置いて考えてみるということができるようになること。

 そうすると、噂や断片的な報道に惑わされることもありません。

 もう一点は、人のつながりができるということです。

 その後も連絡を取り合うという関係にならなかったとしても、

「違う土地に自分と同じ思いを持つ人がいる」ということを知っただけでも、

自分を支える「勇気」につながるものです。

 
 ところで、私は、公務員ですが、

特に公務員にはボランティアに行って欲しいと思っています。

 理由の第一は、

公務員はボランティア休暇など条件が整えられているということ、

第二は、人のつながりを広げ視野を広げるという効果です。

 業務命令で被災地へ派遣され、

そこで職員として一生懸命働くことも大切ですし、

そこで得られる経験も貴重なものですが、

一市民として現地へ行くのとは、また違います。

 昔から言われる「役所」という組織の欠点を解消していくには、

一市民としてボランティアに行ってくることの方が効果的です。

 公務員組織には、

経費まで持つ必要はありませんが、

職員がよりボランティアに行きやすいような環境を作って欲しいと思います。
 

 私が「被災地へ行かなきゃ」と思ったのは、

「自分にも子どもがいるから」、ただそれだけのことでした。

だから、子ども達のために私たちがすべきことを考えないわけにはいきません。


 通常、どんな大きなできごとも

当事者以外の記憶からはやがて消えて行くものであり、

それはそれで仕方のないことです。

 でも、この震災はそれではいけないと思います。

 震災時に原発事故が起きました。

 その放射能による影響は、

今後何十年も監視して行かなければなりません。

 そして、今も排出されている原子力発電所からのゴミ。

 これは、もう人類がいないかもしれないという時代へ押し付けられるゴミです。

 だから、決してこの震災は忘れられることはないし、

忘れようとしてはいけないのです。

 一つは、もう二度と津波でこんなにも沢山の人が亡くなることのないように。

 もう一つは、原発、核、こんなものが無くてすむ社会を創るために。


(最終日に見つけた子どもの貯金箱。「おかあさん5円」って書いてあった。
2人の夢がいつか叶いますように)
Posted by がばめん太 at 04:55 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(2)
南三陸町の今 その5 [2011年11月24日(Thu)]

 南三陸町での活動、最終日(11月8日)です。

 4日目(11月8日)の活動場所も、伊里前です。

 この日のボランティアは全体で141人。

 ボランティアセンターとしては、

何としても今日までに終わらせたいようで、

一つの団体の約50人が投入されました。

 しかし、個人ボランティアはリーダー二人と私ともう一人だけです。

 昨日作業した、他の個人ボランティアは他の地域に配置されたようです。


 今日は、初めて青空が広がりました。

 やはり、肉体労働は青空の下でするものですね。

 50人いると、やはり進み方が違います。早い早い。

 しかも、団体は車関係の企業のようで、

体育会系のノリで上下関係が明確でキビキビして、とても明るい。

 側溝の中で汚泥の掻き出しをやっていた私に

「だいぶ長い間やってますよね。疲れたでしょう、交代しますよ」

というので「お願いします」と言ったら、

隣にいた若い人に、「おう、○○君、入れ」って。笑い
 

 汚泥の清掃は14時までに終わり、めでたく完了しました。

 あとの時間は、周囲の住居跡に落ちている細かな瓦礫やガラス破片などを拾い集め、

キレイにする仕事です。

 ひょっとしたらさらちにしちゃうかもしれないいんだから、

わざわざ拾わないで埋めちゃえばいいだろうと思うかもしれません。

 でも、拾い集めると、

全部は取りきれなくても明らかにキレイなのです。

 ここに住んでいた人が見に来たら、きっと嬉しいと思います。

 ボランティアのリーダーは、

「喜んでくれるし、それが被災者への勇気付けになる」と話していました。



(少しずつ、町に活気が)


 ところで、その2で紹介した、

もう一人、苫小牧から行っている内潟さんは、

この日は漁師さんのところへ行って養殖ワカメの準備だったそうです。

 網に、ワカメの子供を付けるのです。(それを海の比較的浅い位置に沈める)

「直接的な生産性を感じる仕事だったよ」と、楽しそうでした。


 私のボランティア活動はこの日で終わりです。

 5年くらいしたら、ここの様子を見にきたいと思っています。

 できるなら家族で来て、

歌津駅のプラットホームに、みんなで立って海を眺めたい。

 本当に美しい海なのです。

Posted by がばめん太 at 05:40 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(2)
南三陸町の今 その4 [2011年11月23日(Wed)]

 南三陸町での活動、3日目(11月7日)です。



 ボランティア集合の様子。
 奥の白いのがボランティアセンター。

 旅行会社が企画するツアーや、近郊自治体で募集した団体、
企業からのボランティアがバスで来ます。

 後ろの青い看板は薬局。その右の建物は病院です。


 3日目(11月7日)の担当場所も、昨日と同じ伊里前でした。

 しかし、人数が大幅に減っています、現地には10人ほどしかいません。

 昨日は、50人くらいいてそれを半分に分けて作業したのに。
 
 平日のボランティアはかなり減るということはブログで知っていましたが、

やはり、ちょっとショックですね。

 この日は全部で100人だったそうです。

 南三陸町のボランティアセンターは、

来年の3月まで継続するということになったそうです。

 閉鎖した自治体も出てきているというのに。

 あと、2か月もすれば雪が降ります。

 いいえ、その前に霜が降りて凍結し、作業もままならなくなるでしょう。

 これからどうするのか、不安をとおりこして悲しいです。


 さて、昨日に続いて、今日も側溝の汚泥と瓦礫の掻き出しです。

 昨日の雨で、水も溜まりぐちゃぐちゃです。

 硫黄のような臭いを発する汚水をくみ出しながら、掻き出しを進めます。

 この作業をやっていて思うのは「屋根が瓦でなかったらなあ」ということです。

 瓦礫の半分は瓦です。

 これが、スコップにぶつかり、そして重い。

 屋根がトタンだったら、大物にはなりますが、

それは機械で対応することが多くなり、人的な負担は減るはずです。

 ただ、街並みとしての情緒はかなり失われてしまうでしょうね。

 
 ボランティアとしてのモチベーションを維持するにはいろいろな要素があると思いますが、

その一つには「自分たちの作業した場所が、

何らかの形で復活した(家や商店がそこに新築されたとか)のを目にする」

ということが挙げられると思います。

 私たちの作業と同時に、ここを小さな商店街にするという工事が行われています。


 私たちがキレイにしたあと、ここに商店が立ち、人が戻ってくる。

 こんなに張り合いのあることはないです。

 しかし、一方で連携上の問題も発生していました。

 この2日間の作業中、私たちが土砂やがれきの置き場所にしていたところを、

おそらく商店街の人たちから、

「駐車場にしたいので、ここに置かないでほしい」と言われたのです。

 ほかの候補地は、作業場所から20メートルくらい遠くなります。

しかし、土砂を満載したネコ車を運んで往復するのは大変なのです。

 最初からそれが情報としてあったら、そこには集めないとかできたのに。


 ところで、この日のように人数が少ないと、

作業は大変ですが、その分メンバーと話す機会が増えます。

 一体感も強くなります。

 新たな、人のつながりが生まれる可能性もあります。

 このあたりのことは、最後のレポートで書きます。

 この日から、作業の切り上げ時間が1時間早まりました。

 暗くなるのが早くなったので、2時半頃作業終了です。

 その分、昼休みが2,30分短くなりました。

 みんな「スパルタボランティアだあ」と笑ってました。笑い
Posted by がばめん太 at 06:00 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(2)
南三陸町の今 その3 [2011年11月22日(Tue)]

 11月5〜8日の南三陸町での活動。

 今日は、2日目(6日)の様子です。

 2日目の日曜日は人数が減りました、

228人だったそうです。

 この日も4か所にわかれたようです。

 私は、歌津地区の伊里前という小さな集落に行きました。

 ここは駅がとても印象的です。(歌津駅)

 小高い丘の上にあり、とても見晴らしが良さそうです。
 (線路は流されてしまっていますが)

 私は、昼休みに登ってみました。



(駅舎は被害を受けていませんでした。しかし、そこから南方向へは線路がありません)



 ここに立って海を眺めてみます。

 あいにくの空でしたが、それでも美しさがわかります。

 震災前に、ここから眺めた景色はどんなに素晴らしかったことでしょう。

 夏に、ここに立ち、爽やかな海風を受けて景色を眺めれば、

一時間やそこらの列車の待ち時間は苦にならないでしょう。

 海と鉄道の好きな私にはたまりません。

 
 私たちが作業したのは、

上の写真の建物(保健センター)の左側です。

 ここの駐車場跡に、

たぶんプレハブでだと思いますが、商店を数軒立てるようです。

 ちょうど測量が行われ、結界が作られ盛り塩がされていました。

 ここでの作業は、2班に分かれ、

男性の多い班は側溝に詰まった土砂を掘り出すこと、

女性の多い班は、周囲の住宅跡で前回紹介したような作業です。

 住宅跡の方からは、写真のほか、人骨らしきものが出たと言っていました。

 この日は、午後から雨が降り出し、14時半頃切り上げました。

 大した雨ではなかったとはいえ、雨中の作業はなんとなく精神的に負担になりますね。

 やはり、青い空の下で作業をしたいものです。
Posted by がばめん太 at 07:35 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(0)
南三陸町の今 その2 [2011年11月21日(Mon)]

 11月5〜8日に行った、南三陸町での活動。

 今日は初日(11月5日)の活動を紹介します。


 初日(土曜日)は、町の中心地区、駅があった場所のガレキの撤去です。

 もちろん、駅舎もレールも周囲の建物もまるでありません。

 4メートルくらいの高さに盛られたプラットホームの跡が、

そこに駅があったらしいことを教えてくれるだけです。

 土曜日は、ボランティアの数が一番多い曜日です。

 この日も、ボランティアツアーなどの大型バスが何台も来ていて、

この日のボランティア総数は、439人とのことでした。

 ボランティアは、4か所に振り分けられて配属されます。

 私が行った場所では、個人団体併せて40人くらい、

午後から団体のバスが一台追加で来たので、

最大で60人くらいのボランティアが作業をしました。

 作業の内容は、スコップ、レーキなどを駆使して、

ガラスを含む瓦礫、金属類、燃やせるゴミに分けて集め、

ネコ車でそれを運んで、後でトラックで運び出しやすいように山にしておくことです。

 写真や貴重品が出てくることもあり、機械にはできない仕事なのです。

 


 このような作業を、9時半くらいから15時半まで行います。

 途中1時間の昼食と1時間ごとに休憩があります。

 60歳以上の方もたくさん来ていますし、女性もたくさん来ています。

 特に言葉を交わすことがなくても、

同じ「思い」を持ってここに来ていますから、

自然に補い合う形で作業が進められていきます。


 ところで、この日、驚くべきことがありました。

 受付に行くと 「石田!」 と呼ぶ人がいるではありませんかびっくりはてな


 だれ? 俺のこと??


 呼んだ人は内潟さん。

 5月に一度、苫民の被災地でのボランティア特集記事で取り上げられています。

 内潟さんも、この日から参加ということでした。

 何も連絡していないのに...。

 縁って不思議なものですよね。


(この日の現場の横に、コインランドリー&洗車場ができてました)
Posted by がばめん太 at 04:20 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(2)
南三陸町の今 その1 [2011年11月20日(Sun)]

 11月5〜8日、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に行ってきました。

 その様子は、11月19日の苫小牧民報に全3回で掲載されますが、

その元となった原稿を利用して、

今の南三陸町の状況とボランティアの意義や課題を考えてみたいと思います。



今の南三陸町。
 分かるかなあ、
左側の赤っぽい骨組みと避難階段だけが残っているのが防災庁舎。

上の写真を拡大したもの。
 写真の真ん中、
船が載っかったままなのが分かりますか?



 3月11日の東日本大震災から、

早いものでもう8か月になります。
 
 被災した自治体も復興が徐々に進み、

ボランティアセンターを閉鎖し、

被災者の内面的なケアやコミュニティの再生などに比重を移し始めた自治体も現れはじめています。
 
 一方で、放射能汚染で復興への目鼻もたたない自治体や、

様々な条件でほかの自治体より復興のペースが甚だしく遅れている自治体もあります。
 
 私が、今回向かった南三陸町がまさにそのような状況です。

 私は、5月の下旬、石巻市に1日、山元町に3日、七ヶ浜町に1日

ボランティアとして瓦礫や汚泥の除去をしてきましたが、

南三陸町は、今も未だにそのときと同じ作業をしていました。

 南三陸町は、町の6割が今度の震災で罹災しました。

 その中でも大きな被害を受けたのは志津川地区と戸倉地区(ともに7割以上)です。

 南三陸町の中心部は、志津川地区です。

 行政機関はほぼ壊滅しました。

 そのためボランティアセンターは、

志津川の中でも津波のとどかなかった山側の地区に設置されています。

 私は、登米市方面から国道398号線を経由してボランティアセンターへ向かいました。
 
 山間の集落を抜け、港まで2キロぐらいの地点であたりの様子がおかしいのです。
 
 さらに少し進むと3階建ての公共機関らしき建物が見えましたが、

3階まで各階の窓ガラスがありません。


(海まで2kmちょっと。合同庁舎)

 
そこからは、震災発生からしばらくの間報道でよく見た、

建物が基礎を残して浚われた、

車がひしゃげてそこかしこに転がっていた、あの光景そのものが続きます。

 違うのは、車がまとめて山積みにされ、

道路が確保され、

プレハブのコンビニと小さな商店、

そして2か所のガソリンスタンドが営業していることくらいです。

「荒野」です。
 
 でも、その中に重機が動いていました。

 ヘルメットを被った作業員、交通整理をする警官がいます。

 そして歩道を歩く中学生がいます。
 
 町が、少しずつ復活しようとしている、

その気配を感じることができました。


Posted by がばめん太 at 08:50 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(0)