南三陸町の今 その2 [2011年11月21日(Mon)]
11月5〜8日に行った、南三陸町での活動。
今日は初日(11月5日)の活動を紹介します。 初日(土曜日)は、町の中心地区、駅があった場所のガレキの撤去です。 もちろん、駅舎もレールも周囲の建物もまるでありません。 4メートルくらいの高さに盛られたプラットホームの跡が、 そこに駅があったらしいことを教えてくれるだけです。 土曜日は、ボランティアの数が一番多い曜日です。 この日も、ボランティアツアーなどの大型バスが何台も来ていて、 この日のボランティア総数は、439人とのことでした。 ボランティアは、4か所に振り分けられて配属されます。 私が行った場所では、個人団体併せて40人くらい、 午後から団体のバスが一台追加で来たので、 最大で60人くらいのボランティアが作業をしました。 作業の内容は、スコップ、レーキなどを駆使して、 ガラスを含む瓦礫、金属類、燃やせるゴミに分けて集め、 ネコ車でそれを運んで、後でトラックで運び出しやすいように山にしておくことです。 写真や貴重品が出てくることもあり、機械にはできない仕事なのです。 このような作業を、9時半くらいから15時半まで行います。 途中1時間の昼食と1時間ごとに休憩があります。 60歳以上の方もたくさん来ていますし、女性もたくさん来ています。 特に言葉を交わすことがなくても、 同じ「思い」を持ってここに来ていますから、 自然に補い合う形で作業が進められていきます。 ところで、この日、驚くべきことがありました。 受付に行くと 「石田!」 と呼ぶ人がいるではありませんか だれ? 俺のこと?? 呼んだ人は内潟さん。 5月に一度、苫民の被災地でのボランティア特集記事で取り上げられています。 内潟さんも、この日から参加ということでした。 何も連絡していないのに...。 縁って不思議なものですよね。 (この日の現場の横に、コインランドリー&洗車場ができてました) |