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南三陸町の今 その1 [2011年11月20日(Sun)]

 11月5〜8日、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に行ってきました。

 その様子は、11月19日の苫小牧民報に全3回で掲載されますが、

その元となった原稿を利用して、

今の南三陸町の状況とボランティアの意義や課題を考えてみたいと思います。



今の南三陸町。
 分かるかなあ、
左側の赤っぽい骨組みと避難階段だけが残っているのが防災庁舎。

上の写真を拡大したもの。
 写真の真ん中、
船が載っかったままなのが分かりますか?



 3月11日の東日本大震災から、

早いものでもう8か月になります。
 
 被災した自治体も復興が徐々に進み、

ボランティアセンターを閉鎖し、

被災者の内面的なケアやコミュニティの再生などに比重を移し始めた自治体も現れはじめています。
 
 一方で、放射能汚染で復興への目鼻もたたない自治体や、

様々な条件でほかの自治体より復興のペースが甚だしく遅れている自治体もあります。
 
 私が、今回向かった南三陸町がまさにそのような状況です。

 私は、5月の下旬、石巻市に1日、山元町に3日、七ヶ浜町に1日

ボランティアとして瓦礫や汚泥の除去をしてきましたが、

南三陸町は、今も未だにそのときと同じ作業をしていました。

 南三陸町は、町の6割が今度の震災で罹災しました。

 その中でも大きな被害を受けたのは志津川地区と戸倉地区(ともに7割以上)です。

 南三陸町の中心部は、志津川地区です。

 行政機関はほぼ壊滅しました。

 そのためボランティアセンターは、

志津川の中でも津波のとどかなかった山側の地区に設置されています。

 私は、登米市方面から国道398号線を経由してボランティアセンターへ向かいました。
 
 山間の集落を抜け、港まで2キロぐらいの地点であたりの様子がおかしいのです。
 
 さらに少し進むと3階建ての公共機関らしき建物が見えましたが、

3階まで各階の窓ガラスがありません。


(海まで2kmちょっと。合同庁舎)

 
そこからは、震災発生からしばらくの間報道でよく見た、

建物が基礎を残して浚われた、

車がひしゃげてそこかしこに転がっていた、あの光景そのものが続きます。

 違うのは、車がまとめて山積みにされ、

道路が確保され、

プレハブのコンビニと小さな商店、

そして2か所のガソリンスタンドが営業していることくらいです。

「荒野」です。
 
 でも、その中に重機が動いていました。

 ヘルメットを被った作業員、交通整理をする警官がいます。

 そして歩道を歩く中学生がいます。
 
 町が、少しずつ復活しようとしている、

その気配を感じることができました。


Posted by がばめん太 at 08:50 | 自治、協働、参加 | この記事のURL | コメント(0)