陳情は不採択になりました 第6回(最終回) [2022年04月07日(Thu)]
さて、3月16日の記事で「私の大きな失敗」について触れてますが、このことについて書いておきます。
神山市議は、質問の中で「孫にうつされるのが怖いと言うお年寄り」について取り上げています。 幾つになっても長生きしたいと言うのは人の性ですし、これは、そのお年寄りの正直な気持ちだと思います。 しかし、今は「子どもに対する接種の可否を保護者に冷静になって考えてもらうための方策」を求めた陳情書を議論しているところ。そこに「お年寄りの不安」に関する議論を持ってくるのはピント外れでしょう。 考え方の手順としては、まず「保護者に冷静に考えてもらうための方策」を考えて、その次に「老人にうつさないための方策」を考えるというのが順当な形。 そうしないと「老人にうつさないために子どもにワクチンを射て」という乱暴な議論になっちゃう。 趣旨説明の最後の方で私はこう言っています。 「子どものたちの健康は、最大の配慮をして大人が守らなければなりません。」 実は、当初案はこの後にこう続けていました。 「子ども達の未来は、自分が犠牲になっても大人は守らなくてはなりません。それが世代間倫理です。」 しかし、直前でこの文は削りました。 文章を詰めたかったせいもありますが、この文はちょっと刺激的かなと思いましたし、陳情書の内容から、ああいう発言が出ることはないだろうと思ったからです。 でも、失敗でした。 言っておけばよかったです、これが陳情の中の精神的な柱だったのですから。 まずは、子どもに、今すぐに、そのワクチンが必要かどうかを考える。 必要なければ接種しない。 子どもに接種しないことで、自分が感染してもなんら後悔しない。 それが大人。 「子どもが大人への感染源になっている、だから子どもにワクチン接種しろ」という論法があるのだとしたら、それはあまりにも大人のご都合主義だと思います。 |