カフェまーなび第6回目の様子 [2011年05月22日(Sun)]
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カフェまーなび第6回目は、
苫小牧九条の会事務局長の佐々木功さんをお招きして、 「刷込みからの脱出〜子ども達の未来のために」と題して行いました。 ちょっと抽象的すぎるタイトルだったかなあ...。 内容は... 戦後から今まで、いろいろな社会の問題があり、 解決されたのもあればいまだに議論が続いているものもあります。 いまだに続いているものは、 半ば日常化して重要性が見失われたり(例えば交通事故)、 固定化されたイメージが刷り込まれ、 そもそもが見失われてしまったものもあります。 今回は「憲法」を題材に、 刷り込みを取り除き、そもそもを確認して、 問題を議論することにチャレンジしてみました。 そもそも、憲法の目的は何でしょう? この問いに、中学1年生の参加者は、 「国をまとめるもの」と答えてくれました。 それに佐々木さんが付け足します。 「国の権力を持つ人が身勝手な振る舞いをしないように、そのルールを示したもの。国民を縛り付けるものではない」 ![]() 私(左)が持っているフリップは、日本国憲法発布時に中学校に配られた「新しい憲法」という副読本の1ページを拡大したもの。佐々木さん(右)が持っているのがその副読本(復刻版)。 そのことは第99条を読むとよく分かります。 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 では、国民については? それは、「義務」という表現ではなく、 憲法の前文で「憲法で示した理想を実現する」という誓いとして表現されています。 ※憲法原文を読んでくださいね。 地域の主人公(主権者)が市民であるように、 地域の集合体である国の主人公は国民です。 例えば、学校の1クラス程度であれば、 その中で起きた問題を直接皆で話し合って解決することができ、 それぞれが役割を同時又は交代で担うことができますが、 大きな組織になるとそれは不可能です。 だから、みんなの代表(議員)を選んで議論をしてもらったり、 代わりに専門で仕事をしてもらったり(公務員)するわけです。 だから、彼らにはそれなりの権限(権力)を持つことになりますが、 それはそもそも市民(国民)が預けたもの、 だから彼らが権力を振り回したりしないように、 その目標やルールを示す必要がある、 それが憲法なのです。 決して、今はやりの言葉で言えば「上から目線」で、 「国民のモラルや行いを統制すること」を盛り込むものではないのです。 違う言い方をすれば、 国民には議員や公務員に権限を預けた者としての責任が (求めた者としての責任が) 初めからあるということになります。 さて、では、なぜ憲法を改正しようとする動きと、 それを阻止しようとする動きがあるのか? ...それは次回。 |





