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ペルーアマゾン便り

南米ペルーのアマゾン地域でNPOアルコイリスが行っている国際協力事業を中心に報告するブログリポートです。対象地域はペルーの中央ジャングルにあるウカヤリ州で、主にアグロフォレストリーを中心とした、コミュニティトレードと伝統植物の活用促進を目的としています。
このブログではNPOアルコイリスの活動と自分が参加している日系社会、それからペルーの情報を記載しています。


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アースバッグ建築 [2014年11月10日(Mon)]
今回のクスコ出張は「食」、「組織化」以外に「エコ建築」がキーワードとなっていました。T技師は農業技師でありながら、建築技師でもあるため、エコ建築に非常に興味を持っており、アマゾン地域に合った建築方法を一緒に探しているところです。

アマゾン地域では木材やヤシの葉っぱを中心とした家が多いですが、近年の無責任な伐採のため、この様な材質の値段の上昇が目立ち、手に入りにくい状況になっています。

IMG_4208.jpg
マシセア地区などのアマゾン地域でよく
見られる木材建築の家です。
屋根に使われるShebonと呼ばれる
ヤシ科の植物の葉っぱが使われています。

IMG_4726.JPG
場所によっては写真の様な
高床式構造に造られます。

IMG 4201.JPG
プカルパ市内では木材やヤシの葉っぱは
非常に高くなり、セメント、レンガ、鉄筋を
使った方が安い場合も出てきています。


この様な社会変化・環境変化の中で、「自分たちの手」で出来るエコ的な建築法を探していたら、クスコのアースバッグ建築(スーパアドビ建築)に出会いました。日本にいたころから「アースシップ建築」を聞いていましたが、アマゾンで車のタイヤを手に入れるのが難しく、プカルパでは再現しにくいと感じていました。アースバッグを使えば再現できるのではないかと希望が出て来ました。

スーパーアドビ法を発明したのはNader Khalili氏で、最近、世界の多くの国で再現されている建築方法です。

IMG_6521.JPG
クスコでたまたま建設中だった
スーパーアドビ建築方法を使った
Ecodomoです〜。

IMG_6524.JPG
担当の人に許可を取って
中を見せてもらいました。

IMG_6527.JPG
アースバッグを活用して
造られたEcodomoの壁です。
この建築方法では土・砂に約10%の
セメントを混ぜて造られているそうです。

IMG_6528.JPG
Ecodomoの天井です。

IMG_6529.JPG
アースバッグとアースバッグの間には
有刺鉄線(鬼針金)を2〜3本置き、
詰められたアースバッグを固定しているそうです。

IMG_6547.JPG
壁の仕上げに入っていた部屋の
見学の様子です。

IMG_6555.JPG
ここではアースバッグのまま
石灰モルタル塗りを行うと
剥がれ落ちやすいそうです。
クスコでは実際にやって
発見したことだったので、
失敗を見て、硬く乾燥した
スーパーアドビのプラスチック袋を
取る様にしているそうです。

IMG_6533.JPG
石灰モルタル塗り作業が
上手く行くためにプラスチック袋を
取っている様子です。
作業を早めるために袋を燃やしていると
説明していました。

IMG_6539.JPG
初めてこの様な建築方法を近くで見ることが
出来て、大喜びのT技師です。

IMG_6559.JPG
建築が終わった
1ルームのEcodomoです。

IMG_6572.JPG
2LKのEcodomoです。


T技師が実際にスーパアドビ建築物が見れて、いろいろな失敗体験やコツが聞けたお陰で、プカルパでの再現性が高まりました。今後、ネットで情報を集め、少しずつ実現化に向けて頑張りたいと思っています。

この建築法を取り入れれば、木材の利用を最小限に抑えながら、快適な生活空間が作れると思っています。壁が厚いため、中の温度もコントロールでき、暑いアマゾンでも過ごしやすくなるはずです。

雨による影響も心配していましたが、ネットを見ていたら様々な工夫が可能であると分かりました。プカルパに合った方法をT技師と一緒に探し、まずはKIZUNA農園で試作を行いたいと思っています。成功するればマシセア地区の農家たちにも見せ、興味を持った人たちを中心にワークショップが出来ればと思っています。生活空間をエコ的に快適に出来れば、生活の質が必ず上がると信じていますので、実現に向けて頑張りたいと思っています。

マラスの塩田 [2014年11月08日(Sat)]
インカ帝国時代から受け継がれていると言えば「マラスの塩田」が頭に浮かびます。僕は個人的に何度か訪れるチャンスがあり、来る度に塩が作り上げる真っ白い世界に圧倒されます。
山の谷間に3000枚以上の田んぼの様な四角の田に山の中から流れ出る塩水を貯めて天日干しにして塩を作っています。これらの塩田は約500人の地元住民が活用しており、一家族当たり2〜5枚の塩田を管理しています。源泉の塩水濃度は海の約3倍の21.7%にも上ると言われています。

マラスでは、塩田での塩作りは600年以上も続いており、その間、塩水は公平に分けあって来ました。アンデスの厳しい環境の中で、代々伝わってきた「Ayni(日本で言う『結』に似ていて、農作業や家の建設などでコミュニティーの家族同士が助け合う)」や「Minka(みんなで使う道、橋、水路などの共同整備や作業)」が今でもアンデスの多くのコミュニティーで継続しています。マラスでも塩田を新しく作る際に「Ayni」を通じて助け合って作り続けているそうです。

ペルー植民地支配された時代ではスペイン人は肉や野菜を保存のために塩を多く使っていたので、多くのスペイン人がマラス村に入り込み塩をビジネスとして販売する様になったと言われています。当時ホワイト・ゴールドとも呼ばれ、大きな経済効果を生んだが、共に助け合う精神であった「Ayni」や「Minka」は置き去りにされます・・・1821年に7月28日にペルーが独立を果たしてから、少しずつ壊された「助け合いを中心とする社会システム」は取り戻されてきました・・・

最近のペルーのグルメ・ブームに影響され、マラスのまろやかな塩は再びスポットライトを浴びる様になっています。このお陰で、貧困度が高かったマラス村は少しずつ改善してきているそうです。

IMG_6085.JPG
山の斜面に広がる3千枚以上の塩田です。
遠くから見ると雪にも見えます。

IMG_6089.JPG
アップすると平均5平方メーターの塩田の
形が見えて来ます。

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Andinoindustrias社の取締役のMさんは
ペルーの歴史に非常に詳しく、
マラスについて細かく説明してくれました。
今では法律で定められているため、
販売される全ての塩はヨード添加されなければ
いけませんが、インカ帝国時代ではヨードの
代わりに、海藻を多く食べていたそうです。
当時、現在の様な食品の成分分析が出来なかったにも
関わらず、数百キロも離れた海岸地帯から
乾燥海藻を運び、消費していました。
インカやプレ・インカ時代から
「人の体には『ヨード』が必要だと」
分かっているかの様です・・・

IMG_6133.JPG
食を専門とするAさんも
熱心にMさんの話を聞いていました。

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現在でも作業は機械化されておらず、
当時のままのやり方で行われ続けています。

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雨季に入ると天日乾燥が出来なくなるため、
塩の生産は6月〜11月の間だけ行われます。


マラスの塩田訪問を通じて、インカ時代の「助け合いの社会システム」、伝統的な組織化や塩の大切さ、インカの人々の知恵などについて学ぶことができました。勿論、説明が非常に詳しく、上手いMさんのお陰でもありました。

モライ遺跡訪問 [2014年11月08日(Sat)]
今回のクスコ出張にはプカルパのT農業技師と日本の食のA専門家が一緒でしたので、「食と農業」をテーマにして様々な場所を回りましたが、有名な観光地は殆ど見ることができませんでした。中でも印象に残ったのは「モライ遺跡」で、農業試験場的な役割があったと言われていますが、温度・高度計もなかったインカ時代でどうやって考え出されて作られたかが不思議です。


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モライ遺跡は円形状の段々畑になっており、
農業試験場だったと言われています。
一段ごとに高度が微妙に変わるため
気候もわずかに変化し、様々な気候での
作物の栽培の実験が出来たと考えられています。

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上下で30メートルの高低差、気温差は最大で15度にも
なると言われています。また方角によって日照時間が異なるため、
同じ高さでも土壌温度は場所によって変化します。
こうしたさまざまな条件が重なることで、
多様な「Micro clima(微小気候)」が生み出されているそうです。

IMG_6081.JPG
食の専門家であるAさんが
モライ遺跡を眺めている様子です。

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今回同行してくれたAndino Industrias社の
取締役の説明によれば、この一帯は水が少なく、
インカ時代に作られた水路の水は全てマラス村に
流す様にしているので、この農業試験場での
農業実験は出来なくなったそうです。
それからインカ帝国時代「食の安定供給」が
「政治の安定の鍵」となっていたためモライ遺跡は
非常に大きな役割を果たしていたのではないかと
話していました。
農業技術以外にも、気候変動を先読みするための
天文学的な知識も非常に大切だったそうです。その
証拠に多くの遺跡に天体(太陽、月、星)などを
観察する場所があり、太陽の至点、分点に合わせて
この様な観察室の方向が定められているそうです。



クスコINIA訪問 [2014年11月08日(Sat)]
国立農業研究所(Instituto Nacional de Innovacion Agraria、略してINIA)クスコ支部を視察することができました。ここではアンデスの農作持つを中心に様々な研究や種の保管事業が行われています。今回、キヌア、アマランサス、Tarwi、ヤーコン、Aguaymanto(ゴールデン・ベリー)などの話を聞くことができました。


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INIAクスコ支部の入り口です。

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このINIAはインカ時代に作られた
インカ帝国最大の大きさを誇る
段々畑の中にあります。

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長さ1.5Kmあり、幅が広い
最初の段では約10ヘクタールの面積も
あるそうです。KIZUNA農園全体の
大きさと一緒ですのでびっくりしました。
我々にとって10ヘクタール分を壁で囲むのも
不可能に近いのに、インカ時代に同じ面積を
段々畑化したのが本当に驚きです。

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担当技師からINIAクスコについての
説明を受けている様子です。
現在では段々畑の大きさがあまりにも
広いのでトラックを使って農作業を
進めているそうです。

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様々な伝統ハーブ、野菜、穀物類などが
栽培されています。

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芳香植物を手に取る
アルコイリスの代表理事です。

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Giganton(学名Trichocereus cuscoensis)と
呼ばれているサボテンです。このサボテンは
伝統アドビ建築で多く使われ、土と混ぜることに
よって水の浸透が防げるそうです。
雨季になると雨がたくさん降るクスコ州なのに
アドビ建築はどうして劣化しないのかが
不思議に感じていましたが、INIAで初めて
このサボテンの話を聞くことができました。

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ヤーコンについての説明を受けている
様子です。INIAの技師の説明によれば
アンデス・ヤーコンは糖尿病に良いと
されているFOS(フラクトオリゴ糖)の
含有が最も高いと言っていました。
海岸地帯で栽培されたヤーコンの方が
水分・糖分が高いけどFOSの含有が
低いそうです。



AMARU村訪問視察 [2014年11月07日(Fri)]
伝統料理コンテストで見事に優勝したAMARU村を偶然にも視察することができました。AMARU村は「Parque de la Papa(じゃが芋園)」を形成する一つのコミュニティーであります。「Parque de la Papa」は「Sacaca」、「Chawaytire」、「Pampallaqta」、「Paru Paru」と「Amaru」の5つのコミュニティーによって形成されており、組織化を通じて「持続可能な資源の利用とじゃが芋の多様的な遺伝保護」を目指しています。ここでは伝統的に約1800種類ものじゃが芋が栽培されており、大変貴重な遺伝子の保管場所とされています。団体活動を通じて、国連のミレニアム開発目標(MDGs)の1. 極度の貧困と飢餓の撲滅、3. ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上と7. 環境の持続可能性の確保を目指すために様々な活動が行われています。

場所は標高3200〜5000メーターの間にあり、クスコ市の中心部から約40Km、有名なピサック遺跡から約3Kmのの所にあります。アマル村の名前の由来はケチュア語にあり、「蛇」を意味します。蛇はコンドル、ピューマと並び、プレ・インカ時代(インカ帝国以前)から聖なる動物とされており、「死者の世界、内なる世界」との架け橋的な役割を果たすとされてきました。

アマル村ではじゃが芋以外に織物が有名で、今でも伝統的な草木染や手織物が続いています。それから薬用ハーブの知識を持った人が多く、村人が一丸となって観光に携わりコミュニティー体験ツアーに力を入れています。受け継がれる伝統文化をゲストと共有しながら、自分たちのアイデンティティーを維持している素晴らしい例だと感じました。

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AMARU村の女性たちによって
伝統的に染められた羊毛糸です。

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織物の大きさにもよりますが、
仕事が非常に細かいので、
1品に1ヶ月以上の時間を
費やしているそうです。


AMARU村の視察はコンテストが行われる1ヶ月以上前から決まっており、主に:
− コミュニティーがどう組織化しているか。
− どう伝統文化を守ってきているか。
− 伝統農業の仕方。
− 体験コミュニティーツアーのやり方。
などを学ぶために訪れました。

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コミュニティーに着いたら
一番最初に出される、採れたての
ハーブティーです。

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自分の好みの味に合わせて
ハーブを組み合わせることが
進められています。
今回アンデス・ミント、ムニャ、カモミールを
組み合わせて飲みました。

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AMARU村で伝統的に栽培されている
じゃが芋の説明を受けている様子です。

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伝統農業を体験する大切な
機会もありました。

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アンデスでは全ての作業を始める前に
必ずAPU(山の神)、PACHAMAMA(母なる大地)などに
感謝の気持ちを込めて聖なるコカの葉を捧げます。
丁寧に選んだ綺麗なコカの葉を三枚重ねて、
コミュニティーを取り囲む各APUに向けて
挨拶(コカの葉に向けて息を吹く)をします。
作業の休憩時間ではCHICHAと呼ばれる
トウモロコシの発酵酒を飲む習慣がありますが、
飲む前に必ずPACHAMAMAに捧げるために
少し大地にこぼします。

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APUやPACHAMAMAに感謝する
意味や大切さについて説明を受けている
様子です。

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農作業は必ず民族衣装を着て
行われており、男女の役割は
綺麗に分かれています。
男性はChaquitacllaと呼ばれる農具で
穴を開けて(大地を貫き)、
女性は種をその穴に入れます。
個人的に生物界の繁殖の法則をそのまま
表している様に感じました。

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男女が各役割を果たしながら
種植え作業を進めている様子です。

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説明の後にT技師やA専門家も
この伝統的な農作業を体験することが
出来ました。

現代の農業が忘れかけている、自然に
たいする「感謝の気持ち」、「人の暖かみ」を
感じさせてくれる大切な体験となりました。


短い訪問でしたが、様々な意味で貴重な体験となりました。AMARU村の男女が力を合わせてコミュニティーのために頑張っている姿を見たら、料理コンテストで優勝した理由がわかった様な気がしました。

クスコ・シードセイバーズの防人 [2014年11月07日(Fri)]
クスコ出張中にペルーシード世界セイバーズ・ネットワークの一員であり、クスコでは「Proyecto Arariwakuna - Casa de Semillas de Choquepata(Choquepata区の種の家Arariwakunaプロジェクト)」を始めたA.D.さんと出会うことができました。

A.D.さんはペルー生まれですが、フランスで教育を受け、国連で仕事をした経歴も持っています。リーマンショックを分岐点として自分の人生の方向性を考え直した末、出身地クスコに戻ることを決心しました。クスコでは自分の家族に「遺伝子組み換え、化学農薬・肥料に汚染されてないピュアな食事を食べてほしい」と言う思いから、自分から自家採種を始めたそうです。

A.D.さんは「ペルーは世界でもっとも多様性を持つ国の一つでありながら、失敗に終わった農業・家畜業関連政策が数々あり、地域住民は大打撃を受け、高い貧困率・慢性栄養失調の中で生活を送っている。おまけに『遺伝子組み換え生物の国内への持ち込みと生産に10年間の猶予を設定する法律』は8年後に有効が切れるため、ペルーの多様性が大きな危機に直面する。ま〜このプロジェクトを始めた当初、この様な大きなことを考えず、ただ自分の家族、娘にヘルシーな食事をとって欲しいと言う一心で始めたけどね・・・最初、地域住民は『この外人頭がおかしいんじゃないか』と言われていたけど、粘り強くやったお陰で少しずつ地域農民が自分がやっていることに興味を持ち出してくれました。『外人』と言われても自分はペルー生まれだけどね(笑)、彼らからしてみると外の人に見えるみたい。それから学校の先生の仕事もやっているから、子供たちに種の大切さを教える様になった。そして2012年に開催された『第1回 ペルー・シードセイバーズ会議』に参加することが出来たお蔭で、ネットワークが世界的に広がって、活動が大きくなってしまったよ・・・簡単に説明するとシードセイバーズの役割は自家採種・自家消費をすることによって「固有の種」を守ることだよ」と話していました。

「初めの頃は自給用だけのために、ペルー特有の種を中心に自家採種・自家栽培を行っていたけど、プロジェクトが大きくなった影響で、参加農家の収入についても考えなければいけなくなった。今では自分たちが持っているシード・バンクから種をもらった人は、次の人に与えるために、同じ量だけ種を返さなければいけない。それから収穫した農作物の1/3は自給用、もう1/3は栄養バランスをよくするため対象農家同士での物々交換のため、そして最後の1/3は自分たちで定期的に開催する予定のフリー・マーケットで販売するため、と言う形にプロジェクトの方向性を変える必要性がうまれた」と付け加えていました。


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日系人の血を引くA.D.さんは
日本のパーマカルチャーの専門家の本から
様々なアイデアを出して自家栽培を
行っていると話していました。

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混合農法を積極的に行うことによって
無農薬でも害虫問題が抑えられるそうです。

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「相性のいい植物、相性が悪い植物の
リストが『シード・セイバーズ・ネットワーク』を
通じて、常にアップデートされているよ」と
話していました。

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A.D.さんが自宅に持っている
シードバンクです。

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A.D.さんは非常に穏やかな性格を持っており、
活動の話を通じて我々の心を暖かく包んでくれたと
感じました。


最後に「今後、このプロジェクトはどう変わっていくかがわからないけど、自分たちの家族や子供たちのために自分なりに頑張って行きたいと思う。作物の多様性の喪失は、地球規模で非常に深刻で、国連農業食糧機関では、20世紀に農作物の遺伝的多様性の75%が喪失したと推定している。その原因は、紛争、気候変動、農業の近代化、グローバル化、開発など複合的だけど、大手企業の影響が多きと思っている。大きいことはできないかもしれないけど、自分たちの限られた予算の中でワークショップやシードセイバーズの活動を続けたいと思っている」と言っていました。

2時間ちょっとしか話すことができませんでしたが、非常に勉強になった出会いでした。T技師もこのプロジェクトに興味を持ち、なんらかの形でプカルパで再現したいと話していました。

ちなみにネットでいろいろ調べていたら日本にも「シードセイバーズ・ジャパン」があるのが分かりました。近い将来、日本とペルーがシード・セイバーズ活動を通じてつながって欲しいですね。

伝統料理コンテストA [2014年11月06日(Thu)]
開会式、大会の目的、料理を作っている様子は次のリンクで見れます:
https://blog.canpan.info/pucallpa/archive/820


IMG_5722.JPG
各村の代表は3人の審査員の前で
5分間料理の説明を行い、短い
試食タイムがありました。

IMG_5689.JPG
説明を通じて、自分たちのアイデンティティを
強調しました。ほぼ全員、ケチュア語で話しましたので
ケチュア語からスペイン語、スペイン語から日本語と
2回通訳する必要がありました。
2回通訳が入った影響で思った以上に審査の時間が
かかりました。

IMG_5709.JPG
穀物や芋を中心とした
伝統料理ですが、
アマゾンや海岸地帯のものとは
全然違っていました。

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クイ(テンジク・ネズミ)はアンデスでは
お祝いなどに出す習慣があるため、今大会でも
目立ちました。

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アンデスは芋の原産地でもあり、
3千種類以上あると言われています。
フライにするもの、茹でて食べるもの、
乾燥させて消費するもの、などなどあり、
今大会でも欠かせない食材となっていました。

続いてはいくつかのコミュニティーの様子を
写真で紹介したいと思います:

IMG_5727.JPG

IMG_5711.JPG

IMG_5735.JPG

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IMG_5750.JPG
審査員が料理の味見をしている様子です。
今大会では料理の味より
「伝統をいかに伝えられるか」かが
柱となっていましたので、試食タイムは
短かったです・・・
僕はずっと通訳をしていましたので、
大会が終わるまで食べることが
出来ませんでした(涙)。

IMG_5740.JPG
プカルパのT技師も喜んで
料理を味見していました。
「アマゾンでは見られない食材が多いね」と
感心していました。

IMG_5772.JPG
授賞式の様子です。

T技師は「遠い所から来たコミュニティーも多く、
一生懸命頑張っていたので、個人的には
全員に賞をあげたかった」とコメントしていました。
僕も同じ思いでしたが、参加者たちは
「自分たちの伝統やアイデンティティを
強調出来る場が少ないからこの様な素晴らしい
大会に参加出来ただけでも光栄だよ。
今回は第1回だったけど、今後も続けてほしい」

コメントしていました。

IMG_5787.JPG
今大会で優勝した
AMARU村の代表の挨拶です。
彼女は感激のあまり、全員に
ハグをし始め、賞金をもらうのを
忘れていました。

IMG_5797.JPG
大会が終わって撮った
記念写真です


この料理コンテストは様々な「学び、喜び、反省」を残してくれました。個人的に参加者たちの強い努力と意欲が伝わって来ましたので「継続的に開催できればいいな〜」と思っています。それから、プカルパでも対象農家たちと「サッチャインチを中心とした料理コンテスト」を開催すれば、みんなの横のつながりやプロジェクトに参加するモチベーションが上げられるのではないかと思う様になりました。

勝ち負けよりも、「自分たちの文化が大切にされている」と言う喜びが参加者たちから強く伝わり、そんな気持ちはみんなの純粋な笑顔に表れていました〜・・・

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伝統料理コンテスト [2014年11月06日(Thu)]
クスコ州のビジネス・パートナーを中心に11月の初めに「伝統料理コンテスト」を開催しました。このコンテストにはクスコ州、プーノ州、アレキパ州の合計16コミュニティーが招待され、最終的には9コミュニティーが参加しました。コンテストの題は「Platos de nuestra comunidad que nos identifican y que deseamos compartir con las generaciones de los siguientes 100 anos (100年後の世代に残したいコミュニティーの代表伝統料理)」と名付けられました。主催として「Andinoindustrias社、「Chasquiventura団体」、協賛として「NPO ARCO IRIS」、「CIVA社」、「Andinoindustrias社」が参加しました。

大会の主な目的としましては、伝統料理を通じて各コミュニティーのアイデンティティーを強調すると共に、コミュニティー同士のネットワークを強めることでした。

大会を開催した理由としましては:
− 世界の多様性は人々の資産であって、大切にする必要性がある。
− グローバル化された世界の中は多様性が失われつつあり、多くの国では政府が伝統文化を守るために努力をしているが、ペルーでは残念ながらこの努力はまだ薄い。それにペルーでは長年、自分らの伝統文化に価値がないと言われ続けたために、「伝統衣装、料理、習慣」などを「古臭い」と恥ずかしがる人々は多い。
− 観光や海外の専門家の研究によって、ペルーの祖先たちが残した文化の凄さが再確認され、自分たちのアイデンティティーの重要性が高まったが、それでも恥ずかしがる若者が多い。
− 最近ペルー料理は、世界的にスポットライトを浴びているが、有名なシェフの創作料理が多く、先住民族村の伝統料理が置き去りにされる傾向がある。先住民族村は料理の原料の供給源としか見られていない。コミュニティーには深いアイデンティティがあることを伝統料理を通じて強調する。
− 先住民族コミュニティーが距離的に離れているため、横のつながりを持つチャンスがあまりなく、お互いを刺激しあったり、高めあったりすることが殆どない。
− ペルーでは長年アンデスやアマゾン・コミュニティーを置き去りにしてきたが、バラバラに強調するより、団結した方がスポットライトを浴びやすい。

などが挙げられます。


IMG_5478.JPG
プーノ州とクスコ州の中間点にある
Raqchi村で行われました。
写真では開会式の様子が見れます。

IMG_5473.JPG
参加者全員、民族衣装を
着て来ました。
慣れれば、衣装の色を見ただけで
どこの村の者か区別が出来るそうです。

IMG_5475.JPG
服装だけではなく、
帽子の色・形も特徴的です。


大会が始まってからは各村はRaqchi村の住民の家を借りて、約3時間の間に料理を作りました。審査員は3人でアルコイリスを代表して料理の専門家であるAさんが参加しました。審査表の中に「料理を衛生的に作っているか」と言う項目もあったので、料理を作っている家々を全て周りました。家と家はかなり離れていて、高山に慣れていない影響もあって、我々にとってかなり疲れる作業でした。

IMG_5567.JPG
A専門家が料理を作っている
作業場を見ている様子です。

IMG_5580.JPG
作業場の様子です。

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全員マキ焜炉を使っていました。

IMG_5596.JPG
焜炉のマキの投入口の熱を
活用して、クイの丸焼きを
作っている様子です。
アンデスの少ない資源を
有効的に活用する工夫が
見れます。

IMG_5578.JPG
土鍋を使ってそれぞれの
伝統料理が作られていました。

IMG_5657.JPG
料理がほぼ完成した
コミュニティーの様子です。

IMG_5659.JPG
多くのコミュニティーでは
「クイ(テンジク・ネズミ)」料理が
目立ちました


料理が完成したところで、全員イベント会場に移動して、最終審査を受けました。

イベント会場の様子は次のブログ記事で見れます。
https://blog.canpan.info/pucallpa/archive/821

デング熱とチクングニア熱 [2014年10月04日(Sat)]
10月4日の「El Comercio新聞」でデング熱とチクングニア熱の記事があり、ペルーの厚生省によりウカヤリ州が90日間の非常事態宣言が出されたそうです。


R1069295.JPG
チクングニア熱が7ケースに
上昇したと書かれている記事です。

R1069297.JPG
地域で非常事態宣言が出されるよう
要求されていると書かれている記事です。

R1069300.JPG
厚生省がウカヤリ州で90日間の
非常事態宣言が出されていると書かれています。


毎年のことですから、現地にいると特に変わった様子がありません・・・市や地域政府によって媒介蚊の繁殖を防止するための殺虫剤や農薬を1家1家回ってまくことになります。

予防対策として蚊に刺されないことですので、虫よけを使う、寝る時は蚊帳を使うなどの工夫に注意を配る必要があります。

ペルーの物件の価格バブル [2014年09月26日(Fri)]
僕は日本留学でペルーを離れた2002年〜2010年の間に物件の値段がかなり上昇しているのを感じていましたが、特に2008年以降、高層マンションやオフィスの建築ラッシュが始まりました。それまで20階建てのビルは殆ど見ることが出来なかったのに、今では当たり前の風景になっています。実家の周りだけでも数十棟のビルが建ちました。

今回ネットでロンドンの面白い記事を見つけましたので紹介します。この記事によれば2008年〜2014年の間にペルーの物件の値段は世界でもトップで121%上昇しているそうです。

house price indexes.png
赤いラインがペルーで
他香港(61%)、中国(64%)
ロンドン(35%)、ブラジル(90%)を
はるかに超える勢いで、物件の値段が(121%)
上がっているそうです。


全体の記事は英語ですが次のリンクで見れます:http://www.businessinsider.com/think-london-has-a-house-price-bubble-take-a-look-at-some-real-housing-booms-2014-9

今後、ペルーの物件の価格バブル、建築ラッシュがどこまで続くかが不安です・・・このままいけば経済バブルにもつながる可能性が非常に大きく、バブル崩壊が心配です。

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