マラスの塩田
[2014年11月08日(Sat)]
インカ帝国時代から受け継がれていると言えば「マラスの塩田」が頭に浮かびます。僕は個人的に何度か訪れるチャンスがあり、来る度に塩が作り上げる真っ白い世界に圧倒されます。
山の谷間に3000枚以上の田んぼの様な四角の田に山の中から流れ出る塩水を貯めて天日干しにして塩を作っています。これらの塩田は約500人の地元住民が活用しており、一家族当たり2〜5枚の塩田を管理しています。源泉の塩水濃度は海の約3倍の21.7%にも上ると言われています。
マラスでは、塩田での塩作りは600年以上も続いており、その間、塩水は公平に分けあって来ました。アンデスの厳しい環境の中で、代々伝わってきた「Ayni(日本で言う『結』に似ていて、農作業や家の建設などでコミュニティーの家族同士が助け合う)」や「Minka(みんなで使う道、橋、水路などの共同整備や作業)」が今でもアンデスの多くのコミュニティーで継続しています。マラスでも塩田を新しく作る際に「Ayni」を通じて助け合って作り続けているそうです。
ペルー植民地支配された時代ではスペイン人は肉や野菜を保存のために塩を多く使っていたので、多くのスペイン人がマラス村に入り込み塩をビジネスとして販売する様になったと言われています。当時ホワイト・ゴールドとも呼ばれ、大きな経済効果を生んだが、共に助け合う精神であった「Ayni」や「Minka」は置き去りにされます・・・1821年に7月28日にペルーが独立を果たしてから、少しずつ壊された「助け合いを中心とする社会システム」は取り戻されてきました・・・
最近のペルーのグルメ・ブームに影響され、マラスのまろやかな塩は再びスポットライトを浴びる様になっています。このお陰で、貧困度が高かったマラス村は少しずつ改善してきているそうです。
山の斜面に広がる3千枚以上の塩田です。
遠くから見ると雪にも見えます。
アップすると平均5平方メーターの塩田の
形が見えて来ます。
Andinoindustrias社の取締役のMさんは
ペルーの歴史に非常に詳しく、
マラスについて細かく説明してくれました。
今では法律で定められているため、
販売される全ての塩はヨード添加されなければ
いけませんが、インカ帝国時代ではヨードの
代わりに、海藻を多く食べていたそうです。
当時、現在の様な食品の成分分析が出来なかったにも
関わらず、数百キロも離れた海岸地帯から
乾燥海藻を運び、消費していました。
インカやプレ・インカ時代から
「人の体には『ヨード』が必要だと」
分かっているかの様です・・・
食を専門とするAさんも
熱心にMさんの話を聞いていました。
現在でも作業は機械化されておらず、
当時のままのやり方で行われ続けています。
雨季に入ると天日乾燥が出来なくなるため、
塩の生産は6月〜11月の間だけ行われます。
マラスの塩田訪問を通じて、インカ時代の「助け合いの社会システム」、伝統的な組織化や塩の大切さ、インカの人々の知恵などについて学ぶことができました。勿論、説明が非常に詳しく、上手いMさんのお陰でもありました。
山の谷間に3000枚以上の田んぼの様な四角の田に山の中から流れ出る塩水を貯めて天日干しにして塩を作っています。これらの塩田は約500人の地元住民が活用しており、一家族当たり2〜5枚の塩田を管理しています。源泉の塩水濃度は海の約3倍の21.7%にも上ると言われています。
マラスでは、塩田での塩作りは600年以上も続いており、その間、塩水は公平に分けあって来ました。アンデスの厳しい環境の中で、代々伝わってきた「Ayni(日本で言う『結』に似ていて、農作業や家の建設などでコミュニティーの家族同士が助け合う)」や「Minka(みんなで使う道、橋、水路などの共同整備や作業)」が今でもアンデスの多くのコミュニティーで継続しています。マラスでも塩田を新しく作る際に「Ayni」を通じて助け合って作り続けているそうです。
ペルー植民地支配された時代ではスペイン人は肉や野菜を保存のために塩を多く使っていたので、多くのスペイン人がマラス村に入り込み塩をビジネスとして販売する様になったと言われています。当時ホワイト・ゴールドとも呼ばれ、大きな経済効果を生んだが、共に助け合う精神であった「Ayni」や「Minka」は置き去りにされます・・・1821年に7月28日にペルーが独立を果たしてから、少しずつ壊された「助け合いを中心とする社会システム」は取り戻されてきました・・・
最近のペルーのグルメ・ブームに影響され、マラスのまろやかな塩は再びスポットライトを浴びる様になっています。このお陰で、貧困度が高かったマラス村は少しずつ改善してきているそうです。
山の斜面に広がる3千枚以上の塩田です。
遠くから見ると雪にも見えます。
アップすると平均5平方メーターの塩田の
形が見えて来ます。
Andinoindustrias社の取締役のMさんは
ペルーの歴史に非常に詳しく、
マラスについて細かく説明してくれました。
今では法律で定められているため、
販売される全ての塩はヨード添加されなければ
いけませんが、インカ帝国時代ではヨードの
代わりに、海藻を多く食べていたそうです。
当時、現在の様な食品の成分分析が出来なかったにも
関わらず、数百キロも離れた海岸地帯から
乾燥海藻を運び、消費していました。
インカやプレ・インカ時代から
「人の体には『ヨード』が必要だと」
分かっているかの様です・・・
食を専門とするAさんも
熱心にMさんの話を聞いていました。
現在でも作業は機械化されておらず、
当時のままのやり方で行われ続けています。
雨季に入ると天日乾燥が出来なくなるため、
塩の生産は6月〜11月の間だけ行われます。
マラスの塩田訪問を通じて、インカ時代の「助け合いの社会システム」、伝統的な組織化や塩の大切さ、インカの人々の知恵などについて学ぶことができました。勿論、説明が非常に詳しく、上手いMさんのお陰でもありました。
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