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森三紗「風」[2026年09月30日(Wed)]

DSC_0062A 岡本太郎「空の散歩」モザイクタイル壁画1962ミューザ川崎.jpg


岡本太郎 「空の散歩」(1962年)によるモザイクタイル壁画。
ミューザ川崎シンフォニーホールにある。

***


風  森三紗


怒りをかみしめて
風の後を追って
畦道を辿
(たど)っていくと
風は空の奥から
旅をするように誘う
どこへ行こうかと
勢いを増して吹き荒れている


  『森三紗全詩集』(コールサック社、2024年)より

◆この詩にも冒頭から宮沢賢治がいる(題名の「風」、そうして詩集『春と修羅』の詩句をふまえた1行目)。

人間は、それ自体は目に見えないものに「風」と名付けることができる。

だから、自分の中に渦巻いているものを「怒り」と呼ぶこともできる。
だが、多くの場合、それで収まり切れないものを感じていることも確かなことで、その感情がずんずんと前に足を運ばせる。
そのようにして風に身をさらして行くならば、眼界の外に未だ見たことも触れたこともないものが在ることを感じないでは済まされない。





森三紗「鳥打帽をかぶった男」[2026年09月29日(Tue)]

DSCN0839タマスダレ(ゼフィランサス).JPG

◆タマスダレ、別名レインリリーとも言うそうだ。
雨続きの日々に緑の葉と白い花はふさわしい。

花弁の数や背丈がハナニラに似るが、ハナニラの咲く季節は確か春。花弁の色も青みを帯びていたように思う。
不確かな記憶を補うのは手や鼻の感覚だと思うが、花を手折ることはまずしないので、茫々とした時間の中から手繰り寄せることが多い。

◆お昼をはさんで午前と午後、家人の通院に付き添う。
どちらも駐車場が大混雑。体調を崩す人が多いのか。

我が家の場合、検査の結果は異状なしと告げられ安堵した。
医師のお墨付きほどありがたいものはない。

***

◆先日の『森三紗全詩集』から不思議な一篇――


鳥打帽をかぶった男   森三紗


鳥打帽をかぶった男
どれみふぁそ
毎日あちこち嗅ぎまわる
ブラックリストをつくるため

見ない 聞かない 言わないふりして
悪魔の触角などはついていないのに
ヴェトナムのジャングル
枯野にしてしまう
一冊の覚書が命令する
あわれな秘密会議
帽子のつばに手をし
かぶりなおし
らしどれみ
後生大事温室のあたりを歩き
おしゃべりな ようきな なきべそ
朝起きて合図そしてレクイエム
見えない人間の権利の花びら
踏みにじり隠して
死んだものたちの大地に
また死者を葬っていく



  『森三紗全詩集』(コールサック社、2024年)より


◆「鳥打帽をかぶった男」から連想するのは宮沢賢治だが、ここでは秘密警察かスパイのように「あちこちを嗅ぎまわる」正体の知れぬ人物だ。

素性の知れない者がうろついているというだけで普通の人間は不安にかられ、余計なことは「見ざる/聞かざる/言わざる」よう心に誓い、それでいて知ってか知らずしてか、大きな悪の歯車の一つになって無辜の人々の命を奪う。あるいはその片棒を担ぐ。

「命令」だから、と自分に言い聞かせれば、それ以上は考えないで済む――だろうか?


◆ヴェトナム戦争に従事し、PTSDに苦しんだアレン・ネルソンさんの『戦場で心が壊れて』(新日本出版社、2006年)を読んだ。(塚本晋也監督の映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』の国内上映が始まり各紙に取り上げられてもいる。必見の映画と思うが未だ果たしていない。)


森三紗のこの詩は、第一詩集『私の目 今夜 龍の目』(寺の下通信社、1976年)収録の作品だという。
サイゴンが陥落し、足かけ20年におよぶヴェトナム戦争がようやく終結したのは1975年だ。
だがその後もカンボジア内戦へとむき出しの暴力は続いた。
それらインドシナの混迷も他人事のように「繁栄を謳歌」していた日本。
国内の一部に基地負担を押し付けたまま、そうしてそこから、何がどこへ何を積んで飛んで行ったのかさえ知らぬ風で。



アギュスタン・カルデナス「拡散する水」[2026年09月28日(Mon)]

DSC_0143.jpg

アギュスタン・カルデナス(1927〜2001)「拡散する水」(1977年)
(三菱一号館前にて)

白い大理石の肌理が美しい。この人の彫刻は箱根・彫刻の森でも出会った記憶がある。





森三紗「秋のはじめ」[2026年09月27日(Sun)]

DSCN0072.JPG

従兄の旧蔵書より英語の参考書。昭和34,35年の発行だから高校時代に愛用していたものだろう。

***


◆森三紗という方の詩集の略年譜をみたら、くしくも従兄と同年生まれ。
その秋の詩を一篇――


秋のはじめ  森三紗


逃げ惑う秋
秋は今
滅んでいくもののすきとおるような
幸福を運んで
出航しようとしている

果実がいまわの旅を終えて
海の安息に帰ろうとしている
その最後の息づかいが

岩手おろしの中に聞こえる
秋は絶望や自暴自棄をやめて
新しい門出に立つのだ

芭蕉も西行も通った秋
名もしれない
たくさんの漬物も動物も
過ぎて行った秋

おまえは寂しい人間の
頭髪にもやって来る
静かな場所を求める
朝の墓参りの足音さえ
秋には
とてもしあわせに聞こえてくる


  『森三紗全詩集』(コールサック社、2024年)より


◆穏やかだが、どこかおかしみを含んでいる。

例えば四連目、芭蕉と西行を思い浮かべたすぐ後に、「漬物」が「動物」へと、漢字一字を持つ縁で並んでいて平気なところ。

あるいは最終連、秋が「寂しい人間の/頭髪にもやって来る」とは白髪を戴くことを言うのだろうけど、決して老いを迎えてもうつむいた気分とは無縁のようであるところ。

朝の墓参りは年配の夫人にふさわしいように思われるけれど、その足音は決して湿っぽくなくて、ずいぶん軽やかに聞こえてくる。岩手山の爽涼の姿を仰ぎながら、身の内に果実が確かに熟しつつあるのを感じているような。

よくなめした皮をピンと張った上に置かれた豆粒が、遠くからの太鼓の音に共鳴して身震いし、しだいに大きく跳ねだし、弾けて飛んでいきそうになるような。


  
『はだしのゲン』[2026年09月26日(Sat)]

◆下は数年前の従兄の遺品片付けで出て来た『はだしのゲン』。
若いころの科学読み物をはじめとして蔵書は理系の本がほとんどだった中で、唯一の漫画。原水爆禁止大会に参加したときの資料などとともに積んであった。

DSC_0117.jpg

雑誌連載時に読んだ記憶がある『はだしのゲン』、被爆と周囲の偏見、それらをもたらした大もとに立ち向かいながらたくましく生き抜くゲンの姿が圧倒的な迫力で迫ってくる作品だ。
それを学校図書館から排除する動きは2023年の広島市教委以外にも2013年の松江市教委など何回もあった。
禁書の動きは戦争に向かう時代に決まって起きる。
あれがその前兆だったか、と思うときには、もう引き返せない地点にいる。



学習指導要領審議と金次郎像[2026年09月25日(Fri)]

◆中教審の教育課程企画特別部会をリモートで傍聴。
次期学習指導要領の「審議まとめ(案)」が出た。
2028年の「幼稚園教育要領」を皮切りに、2030年の小学校、2031年の中学校、2032年の高校と順に全面実施となるスケジュール。ただし、今回は可能なところから先行実施を進めて行く構えだ。

これまで各教科等の作業部会(WG)を含め断続的に傍聴を続けて来た。委員諸氏はこれまでで最も大規模な改革、と胸を張るが、素人にとっては、さまざまな新語に出くわして面食らうことしばしば。
ようやくこちらの理解が届いてきたところなのに、審議はほとんど最終段階のようだ。
理論もイメージ図も精緻さを増すほどに、学校現場との乖離が進むのでは、と心配の方がつのる。
風通しを良くするという名目で、狭隘な風の通り道を強固なコンクリートでこしらえ、谷間のようなその隙間に風を吹き抜けさせるみたいな、とでも言おうか。

◆10月にはパブリックコメント(いわゆるパブコメ)や関係団体(教職員組合やPTA、校長会や私学協会、教科書会社など。今回は子ども支援のNPOなども加わるか。)へのヒアリングを進めるという段取りだが、保護者や児童生徒、学校を取り巻く地域や法人などにも読める「学習指導要領」をと意気込む以上は、パブコメ自体も、事前の内容周知、ていねいな広報活動を進めて臨まねばなるまい。
従来型のパブコメで事足れりと考えているなら心得違いというしかない。これまでの十倍にふくらました政府広報予算の70億円を、すべてこの学習指導要領の広報に使ってほしいぐらいだ。

***

◆昼までの傍聴が通院と重なったので、スマホ経由で視聴。中断した部分は、後で追いかけ視聴などで補った。(最近は動画を1週間ほど視聴可能にしておいてくれる。)
移動中もワイヤレスイヤホンで聴いたので、ウチの子いわく、「二宮金次郎みたい」。

◆スマホに以前撮った金次郎の写真があったはず、と探したら一枚出て来た。

DSC_0190.jpg

場所は辻堂駅北口、湘南テラスモール近くのオザワ・ビル前。やや小ぶりだが、「伝統的」な金次郎像だ。

◆そういえば高校時代、30分ほどの自転車通学、英語の単語帳を見ながら通っていたナ、と思い出した。早朝の田舎道、車の往来も人通りもほとんどないし、途中に交番もないのだから、安気なものだった。

***

◆金次郎の生家を訪ねた時の写真を初期の拙ブログにアップしたのも思い出した。

★2014年7月31日の記事【♪手本は二宮金次郎?】
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/11



空は晴れたが……[2026年09月25日(Fri)]

DSCN5583.JPG

田んぼの水は未だ引かないので、稲刈りはごく一部で動き始めた程度。
畔の彼岸花、倒れたままの稲たちを案じて身を乗り出し呼びかけるかのごとくだ。



アレチウリ[2026年09月23日(Wed)]

◆アレチウリが盛んに蔓を延ばしている。

DSCN5572.JPG

近づいて見ると柔らかく伸びやかな色合いが目を引く。

DSCN5568.JPG

花は可憐と言いたいほどだ。

DSCN5567アレチウリ.JPG

しかし一株に5千から2万ほどの実をつけて子孫を増やすという。
北米原産で、わが国で最初に発見されたのは1952年というから、進駐軍より遅い上陸だが、当方より1コ先輩ということになる。
特定外来生物に指定されているそうだから、親近感を寄せるわけではないけれど。




豪雨の稲被害は倍増[2026年09月22日(Tue)]

台風25号の上陸は避けられたものの、集中豪雨の被害は小さくなかった。
所によっては前回より甚大だ。
刈り入れ直前だった俣野の田んぼも少なからぬ被害をこうむった。

〔境川西岸〕
DSCN5575.JPG

〔境川東岸〕
DSCN5574.JPG

DSCN5559.JPG

上のように、田んぼ一枚ほとんど倒れてしまったところもある。
すさまじい水の力だ。

久しぶりの青空だったが、32℃を超す暑さのなか、 あちこちで林や傾斜地から水が流れ続けていて、半端じゃない雨量だったことを示していた。

自然との格闘が人間の生活史においては常態だったと改めて知る。







人見敬子「カレンダ―」[2026年09月21日(Mon)]


カレンダ―  人見敬子


数次の上を 今日がはしる
数次の上を 今がはしる

あした あさって しあさって
すべてが自由
すべてが可能
すべてが未知
すべてが

きのう おととい さきおととい
もう 何もかえられない 作れない

そのかわり
もう 何も失わない
数次の列



 『人見敬子詩集 魔法のトビラ』(四季の森社、2025年)より


◆過ぎたことをウジウジ抱えている時間が長い人間と、過去を気にするより、前を向く時間をたくさん持っている人とでは、どちらが多いだろう。

カレンダ―の一日分のスペ―スが毎日同じ大きさであるように、今日・ただ今を起点とすれば過去にも未来にも同じだけの時間が横たわっているはずだが、その濃淡・深浅は一様ではない――
きのう起きたこと、やらかしてしまったことは、変えることも作り直すこともできない。

だが、「そのかわり/もう 何も失わない」と思えるとすれば、「過去」は陰影を深め、時にはつややかさを増してこころに刻まれるのではないか。
そうしてその分だけ、未来に踏み出す足に何かが添え加わるのではないか。




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