ハナトラノオ[2026年08月20日(Thu)]
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ハナトラノオ[2026年08月20日(Thu)]
TK君の訃報に接す[2026年08月19日(Wed)]
◆TK君の訃報に接す。 この6月に会ったばかりだった。 同じクラスのK君と当方が長いこと会っていないことを気にかけて、「元気なうちに顔を見せとかなきゃ」と、わざわざ一席を設けてくれたのだった。もう一人の親友I君も顔をそろえて、4人でのミニクラス会となった。 * ◆46年前の夏、高校3年の受験期なのに新米担任は2泊3日のクラスキャンプを行った。一切はTK君の采配によった。 秋の文化祭に神輿を作り、みんなで担いで校舎の周りを練り歩いた。 我が授業を全員でエスケープしたこともあった。 (今なら近隣住民の苦情や親たちのクレームが殺到するところだろう。) 未だに、その一時間、彼らがどこで何を語らっていたか杳として分からないのだが。 卒業に向けて作ってくれた文集『ねっきょう』も、その写真のすべては彼が焼いた。イラストも製本もみな全員による手作り。 1981年3月2日、卒業式を終えてから皆で茅ヶ崎の海に出た。 それだけでない。その夜は、君の自宅に担任である僕も含め、何人もで押しかけた。 一日まるまる祭りだった。 成人式の日も、式後に晴れ姿のまま皆で押しかけてくれた。 (団地の我が家に人生最大数の来客。ハメ外しかけたのを叱ってお開きにした、唯一のできごとでもあった。) 病を得た仲間のために励ます会を持ち、できることがあるはずだろ、と皆に結集を呼びかけたのも君だった。 * 6月4日の4人によるミニ・クラス会を終えた帰り、一緒の電車で3駅ほどを過ごして別れたが、家に着いてみると、こちらが無事帰宅したか、君は確認の電話を家人に入れてくれてもいた。 出会いから今に至るまで、いつも誰かのために一生懸命立ち働く生き方を貫いたのだった、と今にして思う。 君という存在によって、黄金の時をともに過ごさせてもらったこと、それが以後30年の教員生活の大半を学級担任として生きる基点となったこと、なのに、未だそのお礼をちゃんと言ってなかったことを許してくれるだろうか。 *** ★【2014年11月9日の記事 ねっきょう3年7組クラス会】 ⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/64 ★記事の最後にあるクラス会幹事「K君」の言葉、君からみんなへのメッセージだった。 オキザリス・トリアングラリス[2026年08月18日(Tue)]
山田玲子「あさ」[2026年08月17日(Mon)]
あさ 山田玲子 電車に 朝が 乗ってくる 朝は あ さ という ふんいきをもっていて 車内が込みあっていなくても あ さ なのだ はじめ電車に乗ってくる あ さ は どんなふうに 乗りこんでくるのだろう よ る は どんなふうに 降りていくのだろう どんなふうに 電車は あ さ になるのだろう からっぽのまま 『ツグミの家』(七月堂、2010年)より ◆「朝」は「あ さ 」という生きている時間だ。だから「ふんいき」を持っているだけでなく、それ自体が電車に乗り降りするものであり、電車そのものでもある。 手に触れがたいものを「あさ」と名付けたことで、それは手ごたえを感じさせてくれるものとなり、私たちと同様に呼吸したり、眠り・目覚めるものとなる。 電車もまた然り。 「あさ」のおかげで、単なる乗りものでなく、それに乗るものたちとともに息をし、めざましく働いて生きて行く。 名付けることで、日常にドラマが立ち上がる。「どんなふうに」と、注視しないではいられないものに変容する。 石垣りん「洗剤のある風景」[2026年08月16日(Sun)]
洗剤のある風景 石垣りん 夕暮れの日本海は曇天の下 目いっぱいの広がりで 陸地へと押し寄せていた。 列車は北へ向かって走っていた。 ふと速度が落ち 線路脇に建つ家の裏手をかすめる。 台所らしい部屋のあかり 窓際に洗剤が一本 小さな灯台のように立っていた。 大波が来たら家もろとも たちまちさらわれそうな岸辺に。 何というはるかな景色だったろう ――あそこに人間の暮らしがある。 乳白色のさびしい容器を遠目に 私はその先の旅を続ける。 石垣りん詩集『やさしい言葉』(童話屋、2002年)より (初出は1982年7月『女性の広場』) ◆涙ぐましい一篇だ。 波の押し寄せる岸辺にしがみつくように建つ一軒の家の裏手、台所とおぼしき窓辺に見えた一本の洗剤。 一日とてゆるがせにすることのない灯台のように、日が沈みまた昇ることに信を置いて営まれて行く暮らし、それを支え続けていく人間の小さな手の大きな働きを、一瞬の風景の中に看取する。 「われもまた……」という思いをそこにヒタヒタと寄せながら、だが共感、というのでは足りない。その窓辺からこちらに返される波が、「私」を先へと運ぶ。 「はるかな景色」の中を、その家の住人も「私」も、ともに歩み続ける旅人なのだ。 * ◆この人には白神山地の十二湖を訪ねた詩があった*が、その時は車で訪れたようだから、この詩に描かれた「北へ」向かう列車からの風景は、それとは別の機会かも知れない。 *「消息」という1987年に発表した詩。 →拙記事[2018年9月27日]【石垣りんの十二湖探訪】 ⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/999 ゴーヤーの花[2026年08月15日(Sat)]
石垣りん「太陽の光を提灯にして」[2026年08月14日(Fri)]
太陽の光を提灯にして 石垣りん 私たち 太陽の光を 提灯にして 天の軌道を 渡ります。 おそろしいほど深い 宇宙の闇です。 人間は 半交替で 眠ります。 一日背負っている 生きているいのちの重みは もしかしたら 地球の重みかもわかりません。 やがて 子供たちが 背負うでしょう 海山美しい この星を。 ひとりひとり 太陽の光を 提灯にして 天の軌道を 渡るでしょう。 石垣りん詩集『やさしい言葉』(童話屋、2002年)より ◆この国では、時おり提灯行列に興じる人たちがいる。戦勝報道に沸いた戦時中の話ではない。 元号の代わる節目など皇室に絡めて企画する人々がいる。 あの、姓を持つことを許されない家の人たちが行く先々、たとえば戦後80年だった去年の秋に訪れた長崎では、数千個の「提灯奉迎」が繰り広げられたという。 それに先立つ6月の沖縄訪問では、提灯を捧げ持って集まった人々に呼応するように、あの家の人たち自身が提灯を手に宿舎の窓に姿を見せていた。 幽暗の中にゆらめく鈍く黄色い明かりは何物かを”象徴”していた。 ◆石垣りんのこの詩では太陽が「提灯」に譬えられている。 深い宇宙の闇に怖気をふるわないためには、このくらいのスケールで世界を見はるかす心組みが必要だろう。 「人間は 半交替で 眠ります。」という表現も大らかで慈しみ深い。(株価や円相場で目を充血させて暮らす人々が手放してしまった眠りかもしれない。) 土砂降りに遭う墓参り[2026年08月13日(Thu)]
◆不安定な天気が続く。 昼前に墓参。掃除し、供える品々をひろげようとしたら降り出した。 あわただしく拝んで帰路につく(本当はじっくり墓前に報告すべきことありしを)。 立ち去り際、右隣のお墓の拝石に空蟬が一つ。目に焼き付いた。 ◆土砂降りの中を車で数百メートル進むと、しかしその先は陽ざしを浴びて湯気さえ立ちのぼっている。 そうして前方上空には青空さえ見える。 不思議というより不可解というべき天気の変幻を目の当たりにする。 さいわい当地は雷には見舞われなかった(運が良かっただけだろうけれど)。 というわけで夕方の散歩は休止(通院だけは済ませた)。 土砂降り・晴れ間・雲の顔[2026年08月13日(Thu)]
アワ[2026年08月11日(Tue)]
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