• もっと見る
« 2026年02月 | Main | 2026年04月 »
<< 2026年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
おべっか外交=自国民への裏切り[2026年03月21日(Sat)]

ペチコートスイセン20260319_170509.jpg

ペチコートスイセン。
これも春の訪れを告げる花だ。

*******

◆前例のない屈辱的な日米会談だった。
タカイチ首相のホワイトハウスでのふるまい、表情に至るまで米国内では物笑いの種になっているという。さもありなん。
それが一個人の恥であるのは当人の器のしからしむるところだから本人が甘んじるのみのこと。

しかし憲法を捻じ曲げて自衛隊をホルムズ海峡に派遣する約束までしたのであれば、それは自国民への背信だ。
たとい仄めかしだけであっても同じことだ。
派遣を、と米国に求められれば、政府・官僚の合作で理屈をひねり出すに決まっているからだ(そもそも安保法制はそのようにして作られた)。

機雷除去の掃海艇だけではない、戦争が終結していない現状では、警護のために武装した艦船も必要になるだろうし、必然的に燃料・弾薬等を補給する必要に迫られる。そうして自衛隊のみでなく米軍にも補給することになるだろう。つまり、戦闘行為の一翼を担う=参戦することを意味する。

嘲笑を受けながら平和憲法を棄てる――今タカイチ政権がやろうとしていることは、そういうことだ。



悪の枢軸に列せられてどうする?[2026年03月20日(Fri)]

ムスカリ20260319_170520.jpg

ムスカリ。
いかにも春の訪れを告げる花だ。

*******

とらんぷ大統領、イラン攻撃について「同盟国」にも告げなかったことについて記者(テレビ朝日政治部・官邸キャップの千々岩森生記者だったらしい)から問われ、日本の真珠湾攻撃に言及して、「不意打ちのことは、日本が一番よく知っているだろう」と答えた。

一国のトップをホワイトハウスに迎えながら無神経な軽口をたたいたわけだが、今回のイラク攻撃でとらんぷ自身も同様に卑劣な奇襲を行ったことを認めるに等しい。語るに落ちるとはこのことだ。

昨年6月のイラン核施設を攻撃した際にも「ヒロシマ・ナガサキ」を引き合いに出したとらんぷにまたもや煮え湯を吞まされるような話だが、メディアの甘やかしが妄想老人の暴走を許して来たのではないか。

即座にたしなめる賢さを持ち合わせないばかりか、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と持ち上げて恥じないタカイチ首相も相変わらずのヨイショ節だ。
(タカイチ首相の顔にネタニヤフの顔が重なって見えて仕方がないのだが、決して老眼と乱視のせいではない。)
米・イスラエルの悪の枢軸に加わっていよいよ転落の途をたどる、まことに小さな東海の島国。






タカイチ訪米の報じ方[2026年03月19日(Thu)]

ダイコン20260319_170207.jpg

ダイコンの花。

***

◆〈訪米したタカイチ首相が、トランプにどんな無理難題をふっかけられるか〉−−そうした題目設定自体が、卑屈で奴隷的だ。

某民放TV局のニュース番組で、スタジオにいるキャスターが、ワシントン駐在の支局長や、随行取材で現地に飛んだ官邸キャップ(ホワイトハウス前に並んでいる)にスタジオから最初に発した質問だ。
案の定、そう質問したキャスターの顔には薄笑いがひょこひょこ浮かぶ。
ハラハラヒヤヒヤしているのが隠しようもなく表情に出ていてしまっている。

その他のやりとりは推して知るべしだ。
太平洋を隔てていることも忘れそうなほどの、首相の心底との一体化、と言おうか、同一化と言おうか。
相対視できないところに批評は生まれようがない。

そのようなメディアばかりだと、憲法違反の手形を切りまくっても平気なハズ、と首相は勘違いして国を売る。
どこから何を言われようとも「国益の最大化を果たした」と言い張れば追及はされない、と踏んでいる。
なめ切ったものだ。



茨木のり子「知命」[2026年03月18日(Wed)]


知命   茨木のり子


他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと

生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで


   『自分の感受性くらい』(花神社、1977年)所収
   『茨木のり子集 言の葉2』(ちくま文庫、2010年)に拠った。

◆「知命」は50歳を指す。
そんな自覚もないままとっくにその年齢を過ぎた身には、難題を持ち込まれた覚えはあるが、持ち込んだその主の記憶が薄れてしまっている。
処理すべき問題は応接にいとまなく、あわただしいまま耳順(60歳)も従心(70歳)も過ぎた。

この詩に出会うことで初めて、それら処理して来た事どもに実はさりげなく添えられたやさしい手の数々があったのだ、と教えられる。
では、それらの手の持ち主たちの顔は?と改めて思い出す顔のほとんどが、すでに泉下の客になっていることに気づいて茫然とするのみだ。



茨木のり子「くりかえしのうた」[2026年03月17日(Tue)]


くりかえしのうた  茨木のり子


日本の若い高校生ら
在日朝鮮高校生らに 乱暴狼藉
集団で 陰惨なやりかたで
虚をつかれるとはこのことか
頭にくわっと血がのぼる
手をこまねいて見てたのか
その時 プラットフォームにいた大人たち

父母の世代に解決できなかったことどもは
われらも手をこまねき
孫の世代でくりかえされた 盲目的に

田中正造が白髪ふりみだし
声を限りに呼ばわった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ

自分の腹に局部麻酔を打ち
みずから執刀
病める我が盲腸をり剔出した医者もいる
現実に
かかる豪の者もおるぞ


   『人名詩集』(山梨シルクセンター出版部、1971年)所収。
   『茨木のり子集 言の葉2』(ちくま文庫、2010年)に拠った。


井筒和幸監督の映画『パッチギ!』に描かれたような在日朝鮮高校生と日本の高校生たちとの事件に胸を痛めたことがこの詩を生んだ。

今や韓流ドラマが放送されぬ日は一日としてなく、昨日の朝日新聞夕刊のように韓国のアイドルグループBTSが1面に載るほどの時代だ。
それでいていまだにヘイトの悪罵を投げつける人々がこの国には存在する。植民地時代の加害の歴史に頬かむりしてきた大人たちの責任−−そのように片づけて子や孫世代が免罪されるわけではない。
先週の石橋学氏の講演「排外主義に立ち向かう」では、ヘイトする人々の中に子連れで加わった若い母親の姿もあって、なお続いている差別的なまなざしを突き付けられる思いがした。
川崎市のヘイト禁止条例は罰則規定を持つ点で先進的な例だが、せっかく条例を定めてもそのような規定を持たない理念法にとどまる自治体も少なくない。
そんななか、横浜市や藤沢市でも川崎に続けと条例制定に取り組む市民の運動が興っていると聞いた。誰かがやってくれるだろう、ではなく、いま解決すべき大事なこと、先年の教科書問題でも痛感させられたことだ。








訪米するソーリに茨木のり子「握手」を[2026年03月16日(Mon)]


握手   茨木のり子

手をさし出されて
握りかえす
しまったかな? と思う いつも
相手の顔に困惑のいろ ちらと走って

どうも強すぎるらしいのである
手をさし出されたら
女は楚々と手を与え
ただ委ねるだけが作法なのかもしれない

ああ しかし そんなことがなんじゃらべえ
わたしは わたしの流儀でやります

すなわち
親愛の情ゆうぜんと溢れるときは
握力計で握るように
ぐ ぐ ぐっと 力を籠める
痛かったって知らないのだ
ブルガリヤの詩人は大きな手でこちらの手が痛かった
老舎の手はやわらかで私の手の中で痛そうだった



 『人名詩集』(山梨シルクセンター出版部、1971年)所収。
 『茨木のり子集 言の葉2』(ちくま文庫、2010年)に拠った。
 
 ※〈山梨シルクセンター〉とは、昨年の朝ドラ『あんぱん』で妻夫木聡が起こした「九州コットンセンター」のモデル、すなわち、のちのサンリオだ。
そこから茨木のり子の詩集も出ていたとは、一昨日、国立市公民館での『近現代詩講座 茨木のり子』の後半で、水島英己氏が同詩集から「大黒屋洋服店」を紹介なさったので初めて知ったのだった。

***

◆近々訪米するというタカイチ首相の右手、黒い手袋を見ていたら、トランプとの握手など、今回は握手ナシで会談に臨むのだろう、と推測しつつも、もし先方が手を差し出して来たら、茨木のり子のこの詩を思い出し、前回の横須賀基地のようなバカな真似はもうしませんよ、という面構えで「ソーリー」とお断りしてほしいと心底願う。
自衛隊を出すことも同様に「ソーリー」で丁重に断るべし。
理由はケンメイなプレジデントは先刻ご承知の通り、お国からプレゼントされ、80年かけて磨き上げてきた日本国憲法がありますので、出来ぬものは出来ぬのです、と言えばボンクラ大統領も他の話に転じるだろう。
なおもねじ込んで来たら、「それよりも」とかわすに限る。あと、「タフな交渉術も、お国にいる間にしっかり身に付けましたので」…と感謝の念もシカと伝えてちょうだい。

――というわけで、茨木のり子『握手』、太平洋の”波濤を越えて”の旅に、心ばかりのはなむけのつもりである。





 


国立市の大学通り[2026年03月15日(Sun)]

◆国立駅からの大学通りに並ぶ野外彫刻群からいくつか――

DSCN4333.JPG

土田義昌(よしまさ)「進化景色(都市の森)」



DSCN4347.JPG

岡村光哲(こうてつ)「ZORO2(数字の2、本当は小さく右肩に乗っかっている。「2乗」の意味で「ZOROZORO」と読むのだろう)


DSCN4361.JPG

長野真紀子「記憶のひきだし」

2点で一つの作品。
どこから見るのがベストなのかは人によって違ってくる。立体作品の持つ魅力でもある。
この作品の場合、次の写真の方角から眺めるのが良いかも、とこの時は思えた。天に向かう階段にいざなわれる感じがあるからだ。

DSCN4362.JPG

***

◆以上の2015年公募展入賞作品群とは別に、この一橋大学の通りで見かけた面白いものをいくつか−−

DSCN4351.JPG

さる理容店のシャッターに描かれた絵にひかれて撮ったのだが、左の絵の上に店主の貼り紙があった。62年のご愛顧に感謝する閉店の挨拶だった。かつてここで散髪してもらった学生たちも、今やさまざまな分野で活躍中だろうけれど、キャンパスを再訪する機会のない方のために、左の絵と貼り紙をここに掲げて置く。

DSCN4352.JPG




DSCN4354.JPG

◆趣の異なるこの作品は、向こうに見えるビストロの看板のようだ。店名が刻んである。


DSCN4366.JPG

街灯の一つにフラワーポットが付いていた。
気が利いている。

DSCN4350.JPG

歩道もたっぷり確保されてゆったりした大学通り、うらやましい街の姿だ。


◆国立駅に戻ると、旧駅舎が保存されている。中は資料コーナーや売店のほか、市民の憩うスペースも確保されている。
これもまた市民と行政の努力なくして実現しない空間だ。

DSCN4367.JPG







国立訪問、近現代詩講座を聴く[2026年03月14日(Sat)]

◆国立市を訪ねた。
同市公民館で開かれた近現代詩講座『いま戦後詩をみつめる』の第V回、生誕百年を迎えた茨木のり子が取り上げられた。公的な施設として近現代詩を読むシリーズ企画を続けているというのは極めて珍しいのではないか。

◆講師は詩人の河津聖恵さん「響き合う双子の星――茨木のり子と尹東柱(ユン・ドンジュ)、および水島英己さんの「戦後詩を越えて 茨木のり子と戦争」

ともに茨木のり子の詩作品をとことん読み込んで話されたのはむろんだが、用意されたテキストと資料も充実していた。

同時に、肉声で聴衆に語ることは、文字で論考を読むのとは違う、強いメッセージとなることを実感した。

たとえるなら、よく知られた曲を音楽家がライブで演奏する場合と同じように、唯一無二、その場限りの朗読や語りをじかに聴く体験と言おうか。

現在進行中の世界規模の非常事態への危機に対して、茨木のり子の強靭な詩を私たちが受け止め、抵抗と変革の礎となしうるか、その働きかけが詩の言葉によって表現されたと思う。

※国立市はさまざまな大学や関連する小中高が存在する学園都市だ。
駅を降りた時から、コントラバスやチェロ、管楽器のケースを抱えた若い人たちも多く行き交っていた。可能なら、音楽を楽しむのと同じ感覚で近現代詩の話を聴きに来る若い世代が増えてほしい。
世界は、彼らのみずみずしい詩魂によってこそ、光を取り戻すと信じるから。

*******

◆講演前、国立駅から真南に伸びる大学通りを歩いていたら、たくさんのパブリックア・アートに出会った。2015年に全国公募した第一回野外彫刻展の入賞作品たちらしい。
その中から一つ――

DSCN4340.JPG

チーム美山(びざん)「風の球体」





みどりひろがる[2026年03月13日(Fri)]

◆春めいてきて、自転車で用足しに。

DSCN4317.JPG

かつての通勤路でいちばんお気に入りの風景だ。
日大の牧草地、なだらかな斜面を緑がおおいつつある。


DSCN4316.JPG

扇形の枝に緑が点り草原と交響する季節が必ずやって来る。
疑いなくそうなる、と約束されていること、それだけで充分だ。


猫柳[2026年03月12日(Thu)]

◆猫柳を久しぶりに見た。
しかも、こちらがハハーッ、と平伏せねばと思うほどに立派なやつだ。

DSCN4311.JPG



DSCN4314.JPG




検索
検索語句
最新コメント
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml