山田玲子「木は私に」[2026年03月31日(Tue)]
木は私に 山田玲子
木は私にとって呪縛なのだろうか
ときはなたれたくて
林をあるいた日がある
(木からときはなたれたいとそのとき思ったのではなかった)
空気がおもゆのようにながれていた
木立にかこまれて いま
木をまぶしくみる
木がこの世界になかったら
木をみることがなかったら
私のことばはすこし変っていたと思う
そのような ふかさで
声がする
はじめて幼い私におそれをはこんだ木が さわぐ
『ひきわたすもの』(詩学社、1990年)より
◆木から「ときはなたれ」たいと思うことが果たして今まであっただろうか?
呪縛力を持ち、恐怖さえ感じさせる木のイメージといったら、幼いころTVで見たディズニーアニメ、夜道を行く者に襲いかかるように幹や枝をゆすりながらものを言う樹々の声だ。
それはやがてシューベルトの「魔王」の恐怖として膨らんだ。
さらには「マクベス」で魔女の予言で語られる動く森とも重なって、「おそれ」の感情を育てた。
そんな子どもの心性を失ったからと言って、「おそれ」から解き放たれるわけではない。
ただ、多くを失ってもなお残る「おそれ」の質的な変化――それを表しているのが、この詩では「声」の「ふかさ」なのではないだろうか。
木は依然としてこの世界に在る。だが、それが私に語ることばは深さを増した。
かつて見開いた目を、今は細めて木を見る、木を中心にした世界をながめる。



