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山田玲子「木は私に」[2026年03月31日(Tue)]


木は私に  山田玲子

  
木は私にとって呪縛なのだろうか

ときはなたれたくて
林をあるいた日がある
(木からときはなたれたいとそのとき思ったのではなかった)

空気がおもゆのようにながれていた

木立にかこまれて いま
木をまぶしくみる

木がこの世界になかったら
木をみることがなかったら
私のことばはすこし変っていたと思う
そのような ふかさで
声がする

はじめて幼い私におそれをはこんだ木が さわぐ


   『ひきわたすもの』(詩学社、1990年)より


◆木から「ときはなたれ」たいと思うことが果たして今まであっただろうか?

呪縛力を持ち、恐怖さえ感じさせる木のイメージといったら、幼いころTVで見たディズニーアニメ、夜道を行く者に襲いかかるように幹や枝をゆすりながらものを言う樹々の声だ。
それはやがてシューベルトの「魔王」の恐怖として膨らんだ。
さらには「マクベス」で魔女の予言で語られる動く森とも重なって、「おそれ」の感情を育てた。

そんな子どもの心性を失ったからと言って、「おそれ」から解き放たれるわけではない。
ただ、多くを失ってもなお残る「おそれ」の質的な変化――それを表しているのが、この詩では「声」の「ふかさ」なのではないだろうか。
木は依然としてこの世界に在る。だが、それが私に語ることばは深さを増した。
かつて見開いた目を、今は細めて木を見る、木を中心にした世界をながめる。





田村能里子「季の風奏」より[2026年03月30日(Mon)]

DSCN0640.JPG

横浜みなとみらいホールのエントランスを飾るフレスコ画。
田村能里子『季の風奏』(1997年)の一部。全体では30mもあるそうだ。

春の日永、作家の公式サイトに居並ぶ壁画の数々を眺めるだけでも、生あることの幸福を味わえるのではないか。

https://tamuranoriko.yukigesho.com/hekigareki.html

(むろん、実物を間近に見るのが一番だけれど。
みなとみらいホールは大ホールのパイプオルガン「ルーシー」を演奏する1ドルコンサートを月に一度、平日の昼に開いている。ついでにフレスコ画をゆっくり味わうのもぜいたくな過ごし方だ。)









カワウたち[2026年03月30日(Mon)]

◆人間世界のあわただしさに合わせてか、それともそんなものとは全く無関係にか、境川ではこの数日、鯉が跳ねたり、つがいのカモにもう1羽が追いすがるように飛んでいたり、警戒せよと仲間に伝えるウグイスのさえずりがリレー式に動くのを聞いたりと、ともかく動きがめざましい……ものみなじっとしていられない季節というわけなのだろう。

DSCN0649.JPG

カワウたちも決してのどかにたむろしているわけではない。

DSCN0652.JPG

上の一羽など、この直前には急にパシャパシャ水を跳ね上げながら駆け足していたのだった(下の手ブレ写真)。

DSCN0650.JPG



むろん、落ち着き払ったやつもいる。何事をか観照し、思念を凝らす風情。

DSCN0656.JPG







キズイセン(ジョンキルスイセン)[2026年03月28日(Sat)]

◆先日のペチコートスイセンと競うように、急に出現したキズイセン。

DSCN0658.JPG



ペチコートスイセンと同じくらいの小ぶりの花だが、繁殖力はこちらが旺盛なのか、二、三日のあいだにワッと顔を揃えた。

DSCN0659ジョンキルスイセン.JPG

ジョンキルスイセンとも言うそうだ。
朝鮮の言葉のような響きだが、イグサを意味するスペイン語「Jonquil」がもとだそうで、細い葉の形状から来ているのか(−−とAIは教えてくれる。図鑑をひっくり返して探していた昔を懐かしむ)。



ディキンソン〈一つの心が壊れるのをとめられるなら〉[2026年03月27日(Fri)]

◆詩人の長田弘がNHKテレビの『視点・論点』で語ったことをまとめた『なつかしい時間』という本がある。その中にアメリカの詩人、エミリ・ディキンソンについて語った回がある。2007年11月13日に放送したものだそうだ。



〈一つの心が壊れるのをとめられるなら〉  ディキンソン


一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら

一羽の弱ったコマツグミを
もう一度、巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう



  長田弘『なつかしい時間』(岩波新書、2013年)より



◆この詩を紹介しながら長田は人としてのディグニティ、尊厳ということに話を進める。
この大事な価値を身をもって伝えて来た人たちは、いつの世にも「変わった人」たちであったという。「ふつう」のモノサシからは外れたところから、忘れがちな大事なことを思い出させてくれる人々。

◆国の場合も同じだろうか?
これから「ふつうの国」になって、ふつうに戦争する国々に伍して行こうとしているこの島国は、変わり者はむろんのこと、病み疲れたちっぽけなものたちの尊厳など気にかけてはいられないということだ。








こまつ座『国語事件殺人辞典』[2026年03月26日(Thu)]

DSCN0646.JPG


◆こまつ座第157回公演『国語事件殺人辞典』を観る。
井上ひさし・作、大河内直子・演出(紀伊国屋サザンシアター、3/29まで。その後、大阪&群馬公演)

◆何という言葉の速射砲。物語の中心人物、花見万太郎=筧利夫が放つ言葉の礫(つぶて)だ。
戯曲を読んだうえで劇場に向かったのだったが、一度観ただけではどんな感想も追いつかない。

★国語学者・花見の伴走者にして継承者となる山田青年諏訪珠理、この二人以外の役者さんは、それぞれ主要な役を演ずるほかに通行人、野次馬などさまざまな役を担う。
作者と演出家および13人の役者さんたち(上の写真参照。この数には演出家の意図がこめられていることだろう)の声が交響し地をとよもす、ことばの受難の物語、それが敗北に終わらないためには、たましいを売り渡さない宣言を発する勇気が要る。
たといそれが小さな声であったとしても、一人が二人となり、二人が三人、四人と波紋を広げるならば、加害に荷担していた者すら連帯し共に立ち上がる者へと変容するはず。

ことばとたましいとを人間に返せ

  『国語事件殺人辞典』〈1 旅人よ、ことばの聖なる巡礼よ〉より






松山真子「心待ち風」[2026年03月25日(Wed)]

IMG_20260319_170452.jpg

***

◆昨日に続く風の詩−−


心待ち風   松山真子


木の芽風
花風
若葉風

白南風
熱風
夏はやて

萩風
雁渡し
舟待ち風

落葉風
天狗風
虎落笛


  松山真子詩集『迷子』(四季の森社、2023年)より


◆「白南風(しろはえ)」は梅雨明けの風だが、季語では晩夏のようだ。南北に細長い日本列島では京や江戸の季節感が基準となってきただろうから、所によるズレは致し方ない。
「萩風」は対照的に秋の萩を揺らす冷涼を含む風だろう。ただし、よく使われる言葉かどうかは不案内だ。

「雁渡し」「虎落笛(もがりぶえ)」など秋や冬の言葉はその一語だけで体の中を風が吹き抜ける感じを伴う。ぬくぬくと室内で過ごしている生活では死語になってしまう運命かもしれない。
窓を開け、流れる時間に身をゆだねない限り、かすかな風の気配は詩歌の中に淀み埋もれたままだ。





松山真子「どこ吹く風」[2026年03月24日(Tue)]

DSCN0626.JPG
 ホトケノザ

***


どこ吹く風   松山真子


順風
薫風
青嵐

金風
野分
鳩吹く風

木枯らし
風花
すきま風

梅東風
そよ風
花嵐


  松山真子詩集『迷子』(四季の森社、2023年)より


◆風の名は実にいろいろあるものだと教わる。
「金風(きんぷう)」は秋風の美称の由。
「梅東風」は「うめごち」と読むのだろう。梅の香を運ぶ風は、寒さに首をすくめつつも、やがて山や野を覆う春の色が心の中に動き出すのを誘う感じがある。

◆午後、川沿いを自転車で行くと、あちこちでウグイスが啼く。

体育館の戸を開放しているのか、バスケのボールが床を叩く音がよく聞こえる。
春休みに入るからか、部員たちのかけ声も風に乗っかって元気がいい。

校舎を包むソメイヨシノは二分咲きというところ。



松山真子「空」[2026年03月23日(Mon)]


空    松山真子


旅から帰ると

空がおりたためるくらい

小さくなっていた




松山真子詩集『迷子』(四季の森社、2023年)より


◆旅を経験した後では、世界は小さく感じられる。
飛行機に乗って遠い異国に行った時とは限らない。
山一つ越えて来ただけでも、頭上の空は以前とはもう違っている。

体が大きくなったわけでもないのに。




松山真子「あっというま」[2026年03月22日(Sun)]

DSCN0633.JPG

土筆がてんでに伸びていた。

***

あっというま  松山真子


じいじは 五十年だといった

かあさんは 一年だという

ぼくは たったいまのことだと思うけどね



  松山真子詩集『迷子』(四季の森社、2023年)より


◆三世代それぞれの実感、生きて来た時間に比例するみたいだ。
一方で、じいじよりもかあさんよりも、「ぼく」よりももっと短い人生しか生きられない子どもたちがこの地球上に居り、「たったいま」と思う束の間さえ奪われているのは間違いないことだ。





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