イラン 理不尽な死[2026年02月28日(Sat)]
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イラン 理不尽な死[2026年02月28日(Sat)]
菅野陽「おどり」「夜のおつかい」[2026年02月27日(Fri)]
石橋学さん講演会「排外主義に立ち向かう」予告[2026年02月26日(Thu)]
◆2026年の講演&学習交流集会として 〈排外主義を考える〉をテーマに石橋学さんの講演を開催します。 多数のみなさまのご来場をお待ちします。 〔講演〕 「排外主義に立ち向かう〜取材の現場から」 講師 石橋 学 さん(神奈川新聞記者) 〔とき〕2026年3月9日(月) 18:00〜20:30 〔ところ〕かながわ県民センター 305号室(横浜駅西口・きた西口 徒歩約5分) ★講演後、石橋さんを交え、意見交換の時間を持ちます 「日本人ファースト」…この排外主義的なスローガンが熱狂的に迎えられた昨年の夏。 以来、外国人が優遇されているというフェイクとともにこの空気はいよいよ強まりました。 高市政権の「外国人政策」は、「共生」より「秩序」の重視へ。 ひとはなぜ、このスローガンに惹かれるのか。 お話しくださる石橋記者は、長い間、日本社会を蝕む「差別」を取材し、ジャーナリストとしてこれを告発し闘ってきました。 広範に蔓延する排外主義……その行く先は……わたしたちはどう対するべきか、 気鋭のジャーナリスト、石橋さんとともに語り合いましょう。 ★どなたでも参加できます *資料代:500円 ◆石橋学(いしばし がく)さんのプロフィール 神奈川新聞社記者。ヘイトスピーチの問題を長年取材。 共著に『ヘイトデモをとめた街 川崎・桜本の人びと』『時代の正体vol.1〜3』(現代思潮新社)など。 長期連載「時代の正体」取材班として、日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞(2016年)、新聞労連ジャーナリズム大賞・特別賞(2021年)など。 〈主催〉学校に「思想・良心の自由」を実現する会 (旧 神奈川こころの自由裁判をすすめる会) 問い合わせ先:090−1266−1688 菅野陽の版画「よらないで」[2026年02月25日(Wed)]
◆先日訪れた茅ヶ崎美術館の《菅野陽と浜田知明 銅版画の夜明け前》のことを書き忘れていた。 ほぼ同時代を生きた二人の版画家にスポットを当てたもので、企画展に定評のある同美術館ならではの展観。 風刺のきいた浜田知明(1917-2018)をまた見たくなった時でもあった。 菅野陽(1919-1995)という版画家は初めて見ることができた。 年譜によれば最晩年の1990年から5年余りを茅ヶ崎市十間坂で過ごしたという。 (生まれたのは父の赴任先であった台湾。) 銅版画の実作者であると当時に銅版画史の研究者でもり、多くの著作がある。 忘れがたい印象を残したのは、「よらないで」と題する2枚の作品。 そのうちの最初のほう、1954年制作のものが2009年図録(同美術館で生誕90年を期して開かれた展覧会)に載っていた。 ◆何人かの子どもたちの前面に立って手を広げている女の子の目からひとつふたつ涙がこぼれている。 そうして、その目はまっすぐこちらを見ている。 彼女たちを威嚇するガキ大将とその仲間がこちらにいるのか、あるいは見知らぬ大人が集団で近づいて来て子どもたちの遊び場を奪おうとしているのか、さまざま想像する。 だが、そのように思っているうちは、この場面を他人事として眺めているだけなのだと気づく。 全霊をかたむけて子どもたちを守っているこの少女は、見ている吾に「よらないで」と言っているのだ。 ウソやごまかし、打算や偽善、暴悪についに無力な正義感…それら我が裡なるすべての邪なものを告発し、奪い得ぬものの名において闘うことを宣言しているのだ。 桜(風の通い路)[2026年02月24日(Tue)]
小島晋治「戦争で死んだクラスメイト」[2026年02月23日(Mon)]
*** ◆先年亡くなった従兄の遺品の中に、彼が在職していた大学の生協が学生向けに出した小冊子があった。 『いまあなたに問う 平和とは X』と題し、大学教員たちから学生に向けた平和へのメッセージや講演録が載っている。 1986年3月発行だから戦後40年を過ぎ、戦争体験の継承が意識され始めたころだ。 そのうちの一人、小島晋治氏(中国近代史。1928-2017)は、「戦争で死んだクラスメイト」と題して次のように書いている。 1945年8月15日、戦争が終った時、私は17歳6か月だった。この年齢なら戦場に送られることからは免かれたはずだった。だが私は3人の小学校(茨城県の小都市)の同級生を戦争で失っている。 そのうちのU君は少年志願兵として海軍に入り、敗戦まぎわに太平洋上で戦死した。他の2人、S君とT君は「満蒙開拓青少年義勇軍」に入って、満州で死んだ。3人とも遺骨すら帰らなかった。U君は成績も運動神経も良かった。経済事情さえ許せば、当然進学していただろう。そうすれば死ななくて済んだのだ。だが当時においては、U君のような少年にとっては、早くに軍に志願することが、危険だが夢をそそられる出口の一つだったのである。 S君とT君は近郊農家の次、三男で、それぞれ相撲とランニングの選手だった。二人とも無口だが、温厚で粘り強い、生まじめな少年だった。1年から6年までクラス替えがなかったこともあって、私は今でもこの3人の風貌をまざまざと思い浮かべることができる。もう1人開拓義勇軍に加わったY君という同級生がいた。彼だけは敗戦の翌年、18歳というのに頭髪が抜け落ちてバラバラになり、棒のように細くなって帰ってきた。 50人ほどのクラスから3人も開拓義勇軍に加わったについては、それなりの理由がある。農地改革以前の当時の農家が抱えていた困難が、「満蒙」への夢に容易に乗せられた要因だった、ということは確かにあるだろう。だが帰ってきたY君の家は農家ではなく、かなり豊かな商家だった。このY君が義勇軍に入ったについては、担任のM先生の熱心な勧誘が一因としてあったように思う。 茨城県内には、加藤完治*の主宰する「満蒙開拓義勇軍」の訓練所があった。県内の農村出身だったM先生は、この運動に共感をもっておられた。小学校6年を終えて5年制の旧制中学に進んだ私たち進学組(50人中13人)に対しては、先生は義勇軍参加を全く勧めなかった。だが2年制の小学校高等科に進んだ就職するコースに入った生徒たちには、かなり熱心に勧められたようだ。情熱的で人格者であり、生徒の信頼が篤かっただけに、先生の影響力は大きかったと思う。そして先生ご自身も、奥さんと、ただ1人の幼い男の子をつれて、開拓団の小学校長として赴任された。先生ご一家は帰国はされたのだが、まもなく先生と男の子は相ついで亡くなられてしまった。私にはM先生がそういう形で、教え子への責任をとられたように思われてならない。 一方、戦後に知ったことだが、私の小学校でも、私たちの入学前年に、1人の若い先生が、県内の反戦教師グループの一員として検挙、免職されている。もしこういう先生たちの言論や運動が自由に展開され得たとしたら、クラスメートやM先生の悲劇はあるいは避けられたのかもしれない。 『いまあなたに問う 平和とは X』より(東京大学消費生活協同組合、1986年3月)。文中の強調は引用者。 *加藤完治(1884-1967)… 1931(昭和6)年の満州事変後、農村救済のためには大陸への移民が必要だとして政府や軍部に満州開拓の実現を働きかけ、移民が国策となった翌年の1937年には「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」を政府に提出。創設が認められると、自ら義勇軍訓練所長に就き、約8万6千人の少年たちを送り出し、「満州開拓の父」と呼ばれる。 *[朝日新聞山形版(2015年12月11日)]に拠った。 ◆移民排除だ、武器輸出だ、集団的自衛権だ、核武装だ、と煽る人間は、歴史に学ぶこともすまい。よって政府枢要の職に就いてはならない。 カリフラワー[2026年02月22日(Sun)]
ろくでなしども[2026年02月21日(Sat)]
◆〈ろくでなしどもは戦争で金を稼ぐ〉 ETV特集『僕が戦争に行く理由』より ……戦友たちを撮影してきた兵士ブラッドのウクライナ戦争。 * ◆人気投票に加担する、一度もマイク握ることなく議員バッジを胸に付ける――どちらも、自分が戦場で血を流すなどとは考えない。遠いウクライナで起きていることが、この島国で起きうるとは夢にも思っていない。大切な人を埋葬するのが自分である、とは想像さえしない。 まして、ろくでなしどもが、しっかり貯め込んでいるとも考えない。 玉縄桜[2026年02月20日(Fri)]
◆玉縄桜が早くも満開に近い。 ◆この早咲き桜を創生した大船フラワーセンターの周辺数キロ圏内では、この桜をよく見かける。ソメイヨシノよりひと月以上早く咲くようだ。 花の名は、フラワーセンター近く、古く玉縄城(16世紀初め、北条早雲が築いた由)があった土地の名にちなむ。 ちなみに大船フラワーセンターは、神奈川県立の施設だが、リニューアルした折に命名権を導入して、「日比谷花壇大船フラワーセンター」という名称になっている。 「日比谷」も「大船」ももともと地名だから、遠方の人には最寄りの駅はどっちなの? といった混乱が生じないかと心配するのだがどうだろう。 売れるものは何でも、というので、公的な施設に企業名を冠することが流行っている。 地名やいわれのある名前に私企業の名を冠して会社が傾いたらどうするのだろう。 名前はそれにまつわる人々の記憶や歴史、時には民族の歴史と結ぼれているものなのだから、大いに気になる。 ◆たとえば、自民党は選挙期間中は具体的に語りもしなかった憲法改正など言い出している。 戦後何十年にもわたってなじんだ憲法第9条、抜本的に手を入れるとして、前文の高らかな宣揚に続いて第9条を最初に掲げ、これを第1条としたなら、9条クン自身がとまどうことだろう。 だが、一方で、そうした思い切った発想の転換を打ち出すこともせずに姑息な加筆でお茶を濁していては、「押しつけ憲法」と難じる資格などないとも思うのだが。 自由と民主主義を標榜するのなら、国民主権を宣言する前文に続けてこれを直接承けるよう、第一章にこそ、戦争放棄=平和への不抜の誓いを第1条として高く掲げること、それこそが「積極的平和主義」にふさわしい。 現行の9条がシン憲法全体を強く規定し、「言葉のアヤ」を許さないこと、そのように磨き上げることが未来への責任だと思う。 ダイサギ[2026年02月19日(Thu)]
◆サギかクーデターのような悪夢の選挙が終わってはや10日あまり。 境川で久しぶりにダイサギ(大鷺)に会った。 本物の鷺は、天下に恥じるものなし、と泰然たるものだ。 さりとて油断しているのではない。 こちらが間合いを縮めると羽ばたいて数十メートル下流に飛びすさる。 (警戒距離はアオサギよりもやや大きいのではと思う。接近を大らかに許す度量すら感じさせる。鳥のサイズと警戒距離が比例するものか分からないけれど。) さて〈詰める→飛びすさる〉を二度繰り返したのち3度目の接近を試みたら、高く舞い上がった。そうして、こちらに向き直りゆったり旋回してそのまま遠くへ行ってしまった。 掠め取られたものは何もない。 そのことにホッとする。 (鷺のほうでは、コセコセ地べたを動き回ることしかできない人間を憐れんでいたかも知れないけれど)
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