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石垣りん「川のある風景」[2025年06月30日(Mon)]

◆BSで木梨憲武・安田成美夫妻がマチュピチュを訪ねる旅をやっていた。
遺跡を見下ろせる「太陽の門」までの12キロの道にチャレンジしたのは夫君・憲武氏。
一筋の道を懸命に歩く姿には惻々と伝わってくるものがあった。
休憩を取るたびに振り返る眼下、蛇行する川が何度も映っていた。
急峻な山道を汗みずくになりながら登って来た身には、背後を確かめずにいられない。

一方で、はるか眼下を、のたくるように流れる川には、土地の人々の日常があることを想像せずにいられない。そこから高い山々をふり仰ぎ、はるかな天空へと思いをはせる暮らし、その侵しがたい尊さに思いが及ぶ。

*******


川のある風景   石垣りん


夜の底には
ふとんが流れています。

川の底を川床と言い
人が眠りにつくそこのところを
寝床と言います。

生まれたその日から
細く流れていました。

私たち
今日から明日へ行くには
この川に浮き沈みしながら
運ばれてゆくよりほかありません。

川の中に
夢も希望も住んでいます。
川のほとりに
木も草も茂っています。
いのちの洗濯もします。

川岸に
時にはカッパも幽霊も現われます。

川が流れています。
深くなったり
浅くなったり

みんな
その川のほとりに住んでいます。


  ハルキ文庫『石垣りん詩集』(角川春樹事務所、1998年)より


松下育男「まち」[2025年06月29日(Sun)]

◆夜、散歩がてら買い物に出たら三日月がぼうっと霞んでいたが、帰り道には愁眉を開いたようにクッキリと輝いていた。
おとといのMLBの球場の上には爪で空に印を付けたくらいの細い月が、かかっていた。
むろんTVで見たのだが、思えば、地球のどこからであれ、月を眺めて心を慰めうるのは、安穏であるから可能なことだ。

新聞にはアフリカ、コンゴの避難民の記事が載っていた。
つかの間でも良い、同じ月を目にしている人に医と食と安らぎを。

☽ ◆ ☽ ◇ ☽ ◆


まち   松下育男


ぼくはものをみすぎたかもしれない
めのなかにふうけいがたまって いたい

めぐすりをさして
わすれさるにも
わすれたあとの 町が
ぼくのなかに いくつものこっている

それはとうにわすれさった町だから
その町のなかでどんなことがおきようと
ぼくはきづかない
その町でどんなひとがはなしをしていようと
ぼくにはきこえない

ただ
むしょうにさびしい空に
たかい鐘がなる
そんなひびきあいをしている日がある

めのまえのみあきた空と
ぼくのなかの
とうにわすれさった町にひろがる
今でもまっさおな
空とが……

ときどきむねがいたむのは
きっと
その町でもめごとがあって
いく人かの死体が
ぼくのかべに
たおれかかったのだ

いつの日か
その町のひとびととの とおい
いさかいがあって
ぼくはうちがわから
ころされるかもしれない


  現代詩文庫『松下育男詩集』(思潮社、2019年)より


◆「うちがわから/ころされる」とは、「とうにわすれさった町」での「とおい/いさかい」が、自分に忘れてしまうことを決して許さないからだろう。
あるいは、起きたばかりのもめ事ですら過去から継起したものであって、もう関係ないと割り切ることを許すはずがないからかも知れない。

そもそも、「わすれさった」ということば自体、記憶の底にうずくものが存在することを物語っている。
ならば、自分自身の無意識に罰せられることすらあるわけだ。
 
◆月を眺めていることは、そんなことまで思わせる。
訪れたことのない遠い大陸が不意に父祖の地に思えてくる。






松下育男「そういうことだよね」[2025年06月28日(Sat)]


そういうことだよね  松下育男


きみには
きみの嵩(かさ)が
あるよね

あたりまえだけど
そのぶんだけ
きみのばしょに
きみがいるんだ

きみは そこから
あらゆるものをおしのけて
あきらかにそこに いる

いきているって そういうことだよね

きみがびっしり つまっている
くうかんには
どんな大気も はいりこめないし
うみがそとから おしよせることも ない

(きみのこいびとだって
きみのうちがわに
すこしはいって くるだけだ)

きみのくうかんに あるひ
とおくから砲弾が うちこまれる

きみは被災
するが
でも と きみは
うでの傷口をみながら
いう
いきているって
そういうことだよね

むすうの ほうだんを
うけつづけて
ゆくこと

そのためのいちまいの
さびしいひょうてきで あること……



 現代詩文庫『松下育男詩集』(思潮社、2019年)より


◆この詩は、声に出して読まれることを欲している。
詩の終わり、「むすうの/ほうだんを/うけつづけ」る「いちまいの/さびしい/ひょうてきで あること……」
と、敢えて書く。ただし無量のメッセージを「……」にもこめて。

そこに向けて最後の三つの連をどう読むか、読者に問うている。
絶望の淵から問いを突きつけていると言っても良い――
〈「むすうの ほうだんを」あなたも受け続けて来たでしょう?〉――と。




松下育男「おおきな せんしゃが」[2025年06月27日(Fri)]


おおきな せんしゃが   松下育男


おおきな せんしゃが
きみのまどのそとを
なんだいも とおっている

せんそうでもないのに
どうしたんだろうって
きみはだいどころで
シチューをかきまわしながら
ときどきまどの そとを
みている

きみはなんにも
わかっていないんだ

まどのそとの せんしゃのことも
ぼくがきみを
どんなに おもっているかも……

きみがシチューを
かきまぜているあいだに

せんしゃは おおきな
せんそうを いくつも
けいけんするだろう

くにの体制は いくどか
かわって

きみのすんでるたてものの そとかべには
おおくの銃弾が
うちこまれ それぞれにそのおおきさの
そらが
うめこまれる

きみはそれでもシチューを
かきまわしている

きみはなんにも
わかっていないんだ

まどのそとを
もう うつくしいせんしゃは
とおらないだろう

ぼくは
あるひ
やわらかな砲弾に 
こなごなになって しまうだろう


   現代詩文庫『松下育男詩集』(思潮社、2019年)より

◆松下育男は当方より3歳年上の詩人だ。
当然、幼年期の遊びの中に戦争ごっこもあっただろう。
その遊びは、大人たちの戦争の影の下にある。
窓の外を通る「せんしゃ」とはそのことだ。
決して、過去の歴史に繰り込まれてしまったモノクロの平板な写真などではない。

◆だが記憶の不都合な部分や嘔吐を催すむごたらしさはいつしか消され、勇ましさや正義だけが強調されていく。繰り返される戦争がそれらを必要とするからだ。

かつてのズングリしたタンクはもう姿を消した。
進化した「うつくしいせんしゃ」の時代に移る。
そのあいだもシチューをかきまぜる日々は続いていた――それだけはいつまでも変わらぬ風であったのに……。

「せんしゃ」はもはや進軍する必要がない。壁を壊すこともなく敵をピン・ポイントで抹殺する「やわらかな砲弾」が出来たからだ。






 

石垣りん「荷」[2025年06月26日(Thu)]


荷     石垣りん


荷を持つと
力が働いた。
「落ちるよ」

あぶない空の崖
(がけ)っぷちで
地球がひきとめる
思いやり。

だから重かった。
私たちにとって
いつも
愛は。



ハルキ文庫『石垣りん詩集』(角川春樹事務所、1998年)


◆わずかばかりの水と食糧を、それでも手にできた者はまだいい。
ささやかな荷を痩せた肩に担いで転びそうになったとしても、それは子どもたちや兄弟姉妹の命をしばらくこの地上につなぎ止めてくれるはずのものだと思えるから。

◆銃を放ち、爆弾を落とし、水と食糧をストップさせる者たちにとって、愛の重さなど無きに等しいのだろうか?
それとも、それら命を弄ぶものらの重さに引きずられて、底なしの淵へと落っこちる寸前なのだろうか、彼らは?
いや、私たちも?





石垣りん「日記より」=1954年黄変米事件[2025年06月25日(Wed)]

◆生活・暮らしの大切さを大事に歌った石垣りん。
やはりお米のことについて次のような詩を書いていた。

おかげで、今を遡る71年前に、新聞報道によって、「黄変米事件」として、政府のゴマカシが公になり、食の安全を真剣に議論した時代があったことを知ることができる。



日記より   石垣りん


一九五四年七月二七日
これは歴史の上で何の特筆することもない
多くの人が黙って通りすぎた
さりげない一日である。

その日私たちは黄変米
(おうへんまい)配給決定のことを知り
その日結核患者の都庁坐り込みを知る。

むしろや毛布を敷いた階段、廊下、庭いっぱいに横たわる患者ストの様相に
私は一度おおうた眼をかっきりと開いて見直す。

明日私たちの食膳に盛りこまれる毒性と
この夜を露にうたれる病者と
いずれしいたげられ、かえりみられぬ
弱い者のおなじ姿である。

空にはビキニ実験の余波がためらう夏の薄ぐもり
黄変米配給の決定は七月二四日であった、と
新聞記事にしては、いかにも残念な付けたりがある、

その間の三日よ
私はそれを忘れまい。

水がもれるように
秘密の謀りごとが、どこかを伝って流れ出た
この良心の潜伏期間に
わずかながら私たちの生きてゆく期待があるのだ。

親が子を道連れに死んだり
子が親をなぐり殺したり
毎夜のように運転手強盗事件が起り
三年前の殺人が発覚したり、する。
それら個々の罪科は明瞭であっても
五六、九五六トン
四八億円の毒米配給計画は
一国の政治で立派に通った。

この国の恥ずべき光栄を
無力だった国民の名において記憶しよう。

消毒液の匂いと、汗と、痰
(たん)と、咳(せき)
骨と皮と、貧乏と
それらひしめくむしろの上で
人ひとり死んだ日を記憶しよう。

黄変米配給の決定されたのは
残念ながら国民の知る三日前だった、と
いきどおる日の悲しみを
私たちはいくたび繰り返さなければならないだろうか。

黄変米はわずか二・五パーセントの混入率に
すぎない、
と政府はいう。

死んだ結核患者は
あり余る程いる人間のただ一人にすぎず
七月二七日はへんてつもない夏の一日である。
すべて、無害なことのように。



ハルキ文庫『石垣りん詩集』(角川春樹事務所、1998年)


「その間の三日よ
 私はそれを忘れまい。

 水がもれるように
 秘密の謀りごとが、どこかを伝って流れ出た
 この良心の潜伏期間に
 わずかながら私たちの生きてゆく期待があるのだ。」


上の六行をくり返し噛みしめよう。

大したことじゃない、と国民の健康を限りなく低く見積もった政府の傲岸不遜な決定を、重大な「悪」と認知した公僕の存在、報道に至るまで新聞社(朝日新聞)の内部で闘わされた議論と最終決断に至るまでの個々人および組織の葛藤と軋轢……そこに想像力を働かせ、良心の後押しをする庶民の存在。

イランの核開発をめぐる米情報機関の分析・警告と、それを無視、口封じに動いた上で先制攻撃を命じたトランプ大統領のケースにも通じる話だ。
「ならず者国家」と他国を批判したアメリカ自身が、その仲間入りをするというキタイ(危殆&奇体)に背筋が寒くなるが、始まりはすべて真実に口を噤んだり、耳をふさいだりすることから始まる。

「良心の潜伏期間」を無為に過ごし黙過することは断じて許されないのだ。






石垣りん「クサイ仕事」[2025年06月24日(Tue)]

◆イスラエルとイランの「停戦合意」。爆撃機B2から馬乗り爆撃するみたいに加勢したアメリカが「停戦合意」を実現させた手柄を誇る奇妙さ。
クサイ芝居が進んで、観客の誰一人、「木戸銭返せ!」と騒ぎ立てないでいるみたいなデタラメさ。
傷ついた人間、死んだ人間が居るのに、全くそんなことなど無かったかのように、花火の映像かCG映画を見せられたようなミサイルと爆発。映像がなければニュースで流してもらえないので、そのために仕組んだような。
プロデューサーとスポンサーはハッキリしている。


*******


クサイ仕事  石垣りん


クサイ町で
クサイものをかがないという
ほうはない。
これはクサイ
たしかにクサイ
とてもクサイ
クサイ人間がいる。
クサイ間のした、クサイ仕事の臭いだ。
煙突を見ていても駄目だ。
本当にクサイのは人間だ。
クサクない仕事をする人間もいる。
ここにいないだけだ。


 石垣りんエッセイ集『朝のあかり』(中公文庫、2023年)
   (初出『図書』1971年2月号掲載の「仕事」



「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」[2025年06月23日(Mon)]

◆沖縄慰霊の日。
毎年平和の詩が朗読される。
今年は城間一歩輝(しろまいぶき)さんが読んだ。
豊見城(とみぐすく)市立伊良波(いらは)小学校の6年生だ。

全文を掲げる――


おばあちゃんの歌  城間一歩輝


毎年、ぼくと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入って いましょう防空壕」
五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」**
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた

五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った

八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく



 *ウートートー…お祈り
 **「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」……あなたもわたしも、艦砲の食い残し。比嘉恒敏(ひがこうびん)が作詞・作曲した新沖縄民謡の一節。



「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね

という言葉が深く胸にしみ入る。
「爆撃で平和になった」などと口走る米大統領ほか、世界のロクでもないおとなたちに届けよう。

★詩の朗読全編がYouTubeにアップされている。下は日テレNEWSから。
https://www.youtube.com/watch?v=jYYA-ia3Z7E







高野喜久雄『朱鷺』より「X 村人の声」[2025年06月22日(Sun)]

◆トランプのアメリカによるイラン核施設への攻撃。米本土からステルス爆撃機B2が直接攻撃に向かったのだ。
理性(そんなものが欠片でもあったとして、だ)の底が抜け、地獄の釜のフタが開いた。
行き着く先に想像力が及ばない者に酸鼻を極めた未来は無いに等しい。
だからこそ、踏み外した愚か者の罪を、世界は問わなければならない。
それは、滅ぼしてならぬものの側に立つことだ。


『朱鷺』より X 村人の声   高野喜久雄


滅びてならぬものは 滅びない
あれは 天に帰ったはずだ
くり返し 生まれるための
問いの言葉は 足りたのか

滅びてならぬものは 滅びない
あれは 再び舞い下りた
幾度でも 始めるための
出会いの深さは 足りたのか

滅びてならぬものは 滅びない
あれは 天に帰ったはずだ
忘れたことさえ 忘れていたと
気づく心は 足りたのか

滅びてならぬものは 滅びない
あれは 限りなく舞い下りる
地上はつねに 問われ続ける
詫びる心は 足りたのか


 CD『日本合唱曲全集 鈴木 輝昭 作品集1』(日本伝統文化振興財団,2005年 VZCC-15)より

鈴木輝昭が作曲した、5曲からなる女声合唱とピアノのための組曲『朱鷺』の第5曲。
CDは藤井宏樹指揮による女声アンサンブルJuriの合唱、ピアノ花田美佐子による演奏だ。
YouTubeで聴くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=fAG8qyjJJdc


ネリス「誰が知っていたのか?」[2025年06月21日(Sat)]


誰が知っていたのか?  サロメーヤ・ネリス
                    木村文 訳


W

捨てられたパレットには
乾いていない絵の具――
君に必要な場所がこんなに小さいと
誰が知っていただろうか?――

消えなかったのは空腹と裸足だ――
閉じこもらなかったのは
ひとかじりの乾いたパンだ――


 サロメーヤ・ネリス『オキナヨモギに咲く』(ふらんす堂、2024年)より

◆ネリス(1904-1945)はリトアニアの詩人。
120年前に生まれた詩人の祖国リトアニアと旧ソ連との関係、それに対する詩人の立ち位置は、ロシアによるウクライナ侵攻が継続中の現在、問題視されていると訳者は言う。
だが、そうであるにしても作品それ自体がこの戦争に対するあらたな光源となって存在することは否定できない。

◆僕自身のニュース映像の記憶(全く断片的だが)から浮かんだのは、ロシア兵が占拠後立ち去った後に子どもたちの教科書や教材が散乱したまま残された小学校の教室の光景だ。
「乾いていない絵の具」の残る「パレット」、あるいはその一なすりの絵の具――それが「君に必要な場所」だという――その「君」はパレットの持ち主だった子どもなのか、あるいは教室からその子を追いやった兵士なのか、分からない。
前者であれば、子どもたちの慌ただしい避難と失われた平和な日常を象徴するのがパレットだということになる。
後者であれば、軍靴で踏みつけたものにようやく気づいた若き兵士の当惑や混乱が見えてくるように思う。

◆後半の連では、食糧を欠乏させることまで武器として子どもたちの生を奪い尽くすガザの今を思わぬ訳にはいないだろう。

そして、同じ事態が詩人の生きた時代にもあったはず、と想像する。
リトアニアと言っても、かの杉原千畝を連想する程度の人間として、殆ど何も知らなかったと改めて恥じ入るばかりなのだが。





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